絶滅種には生き残りがいたらしい
トン……トン……トン。
まな板に包丁が当たる音。薄っすら目をあけると見えるのは木製の天井。
「目覚めましたか」
隣から覗き込むようにして声をかけてくるのはシオ。私は硬い木の上……多分長椅子のようなものの上に寝かされている。
倒れた原因は、今朝、森に注いだ魔力だろう。注いだ後、しばらくふらついていたのに、エルトディーンといた事でずっと気を張っていたのだ。疲れも溜まっていただろうし、ストレス値も振り切れる寸前だったものな。
それにしても、何処……ここ。
服屋で赤いドレスを着せられた後の記憶がない。そして、今、私はドレスを着ていないという事実。おい。いつのまに着替えたよ私。
(ここは、エルトディーンの知人の家です。一晩ここにお世話になって、明日の朝いち。人の少ない時間にギルド登録に行くようです)
エルトディーンの知人の家……。見るからに貴族の家ではない。平民の知人の家でよかったと心底思う。
視線だけ動かしてあたりを見るけどエルトディーンの姿はない。いるのはキッチンと思しき場所で包丁を扱う女性だけ?
(門であったライドという兵士の家です。エルトディーンは今は出かけていますが、また戻ってくるようです)
門で私とシオが犯罪歴を調べられていた時に何か話し込んでいたけど、その時、家に泊めてもらえるように頼んでいたんだろう。
ゆっくりと体を起こす。まだ体は怠い。
見渡すとまぁまぁ広いリビングダイニングに木製のベビーベッドがあって、中には子供が寝ている。
「目が覚めたのね。こんにちは。ヒノちゃん。私はリーナよ」
ペコリと頭を下げると、リーナはニコリと微笑む。プラチナブロンドの髪に薄い水色の目。地球上にも存在する配色のリーナは目に優しく感じる。
「まだ、気分は良くないでしょう。ご飯ができあがるまでゆっくりしていてね」
「すみません。こんなに小さなお子さんがいるのに面倒をかけてしまって。何かお手伝いができればと思うのですが」
「貴方たちは気にしなくていいのよ。お肉と魔石を引き換えに二人を引き受けたのはウチの旦那だもの。そうね……。なら、少しの間、リリアを見ててくれると助かるわね」
リリアはおそらくリーナの子供だろう。
まだ、随分と幼いようで、やっと首が据わったくらいに見える。だとしたら生後半年ほどだろうから、少しずつ離乳食にトライし始める頃。さらには夜泣きが始まる時期。
他人を家に連れ込んで奥さんに世話を焼かせるのにはあまりにも酷な時期じゃないだろうか。
今は大人しく一人遊びしているリリアを覗き見る。
見事に猿だな。
残念な私の感性では可愛らしいとはとても思えない。とりあえず、シオと共にその辺に置いてあるおもちゃで音を鳴らしたらキャッキャと喜んで笑っていた。
何が面白いのか全く理解できない。
しばらく、そうして遊んでいるとリーナから声をかけられた。
「すぐに戻るので留守を頼んでもいいかしら」
「どうかしました?」
「いえ、ただ、井戸まで水を汲みに行くだけよ」
どうやら水瓶の水が底をついたようだ。
私達が来たから予定外の水をつかって、朝くんだ分が足りなくなったんだと思う。
幼児一人家に残して外に出るなんて普通しないもの。今日の水切れはイレギュラーのはずだ。非常に申し訳ない。
「あの、よければ少し、水瓶に手を加えてもいいでしょうか」
「「?」」
シオの提案にリーナと私が首を傾げた。
おそらく、お世話になるお礼にシオなりに何がしたいのだと思うけど。
「手を加えるって……何をするの?」
「水を汲み足さなくてもいいように魔法陣を刻むんです」
「魔法陣を……」
平民のリーナにとって魔法は縁遠い存在なのだろう。魔法陣を刻んだら、なんで水を足さなくて良くなるのか理解できず、シオの言葉を繰り返している。
「それをすると井戸に行かなくても良くなるのね?」
「そうです」
「だったらお願いしようかしら」
頬に手を当ててコテンと首を傾げつつも、魔法陣を刻む許可を出すリーナ。
許可を得たシオは空の水瓶を傾けて、水瓶の底に直接魔法陣を刻んでゆく。廃村の結界を張った時みたいに魔石に刻むわけではないようだ。
刻み終わったら、水瓶を水平にもとの位置に戻す。すると、じわじわと透明な水がかってに水瓶の中を満たしていった。非常に不思議な光景だ。
「水量の保持、異物の除去、水の浄化の機能をつけておきました。コレでしばらくは楽ができると思います」
シオはグラスを借りて水瓶に満たされた水をひしゃくで汲み、口に含んで味の確認も済ますと簡単に水瓶の説明をする。
水量の保持という事はいくら使っても一定量の水がまた補給されるとなんだろう。しかも、クリーンなお水が飲めるのはかなり魅力的。劇的に家事も楽になるだろう。
リーナは目の前の現象が信じられないようで何度も瞬きをしている。
「魔石を用いてるわけではないので、今与えた魔力が尽きればいずれは使えなくなるでしょうけど……。まぁ、水がたまらなくなれば、今まで通り井戸から汲んだ水を貯めればいいので、特別に手入れはいらないと思います」
「魔法って、こんな事も出来るのね。貴方も、まだ、子供なのにこんな事が出来るなんてすごいわ」
「いぇ、妹でも刻む魔法陣さえわかれば魔道具を作る事くらいはできます。この子は覚えが悪いので魔法陣を自分で作る事はできないですけど……」
シオの奴、褒めたようでいて私の事を馬鹿だと貶めてきやがる。確かに、魔法陣に対して興味があまりないから覚えは悪いと思う。
けどさ、私の頭には20年分以上の地球の知識が詰まってるわけで、そこに新たに知識を入れ込もうとしてもスポンジみたいに吸い込んではいかないんだよ。
だ か ら 馬鹿は扱いやめろ。
心の中でシオに抗議を入れる。
そもそも、トルニテア語覚えただけでも相当凄いからな。私、結構頑張ってるからな。
延々と不満を垂れていたら、外に繋がる扉がガチャリと開いたので自然と目をやってしまう。どうやら、エルトディーンとライドが帰ってきたようだ。
ただいま!! と、勢いよく中に入ってきたライドは、私達に目もくれずリーナに抱きつく。おう、おう、ラブラブを見せつけやがって、お前ら新婚か?
人肌が嫌な私は抱きあってる二人を見てるだけでゾッとするぞ。マジで。
「おかえりなさい早かったわね」
「リーナとリリアに早く会いたくて急いで帰ってきたんだ」
ほら、ほら、チュッチュするのやめろよ。エルトディーンとシオも目をそらしてるだろ。
「ライド、そろそろいいかしら?」
「もう少し」
「ライド」
リーナが黒い笑みを浮かべてライドを呼ぶと、ライドはリーナに恐れを抱いたのか、リリアを呼びながらベビーベッドにむかった。
パパは一日中リリアに会いたかったぞ。リリアもパパに会いたかったよな。的な事言ってるけど、リリアはそんな感情持ってないと思う。
普通に大人しくしてたし、おもちゃで遊んでキャッキャと喜んでいた。
これくらいのベビーは食欲と睡眠欲ぐらいしか強い感情ないと勝手に私は思ってる。
「ライド! リリアに触れる前に手を洗いなさい!」
確かに、外で武器持って門番してた手で乳児触るのはないわな。赤子の免疫力はそんなに高くないんだから、気をつけすぎくらい気を付けた方がいいだろう。
リーナに怒られて、ションボリした様子でライドは水瓶に向かっていく。それを見て私の中でライドがヤンチャ系駄犬のカテゴリーに入れられた。
「リーナ、二人を見ていてくれて助かった。変わりはなかったか?」
「そうね。特に問題は無かったと……あ、そういえば「リーナ!」」
急にライドがエルトディーンとリーナの話を遮り、水瓶の周りで騒ぎ出した。
水瓶の水が波波入っている事に対して「足りなくなったならリーナは必要な分だけ足してくれれば俺が帰った後に井戸から汲んできたのに」とか、リーナの手のひらを握っては「痛かったろう、リーナの柔らかい手は力仕事をする様に出来てないんだから」とか。終いに、リーナの手に頬ずりをしだしたので私はドン引いた。
「水瓶はシオくんがいっぱいにしてくれたのよ。料理中はリリアも見ててくれたから夕飯の支度も捗ったわ」
ニコリ。リーナが微笑む。
そういえば、子供を預っていたんだった。みたいな、ぎこちない動きで私とシオを見るライド。ここまで私達二人がアウトオブ眼中だった事に驚きを隠せないわ。
ライドの顔色がサーッと急に悪くなる。
ライドは貴族に水汲みをさせただとっ……。とか思ってそう。
「使っても使っても無くならないらしいの。凄いわよね。それじゃあ、私は夕飯の支度に戻るわ。もうすぐできるから席についていてちょうだい」
「使って無くならないわけない…………マジで使った分増えてる?!」
手を洗ったライドは驚き騒ぐ。激しくうざい。このうるさい中、泣かないリリアはライドに似ず大人しくてえらいと思う。
だいたい、そんなに騒がなくてもいいじゃない。便利な水瓶を手に入れられたんだから、適当にわーいって言っとけばいいんだよ。面倒臭い。
「コレは付与魔法……?」
エルトディーンは水瓶を見て一言呟いて、険しい表情をしている。
「付与魔法って、王族しか使えない魔法だろ。そんなわけないだろ」
否定するライドの視線はシオの白い髪に向いている。確かに、王族ともなればより良い魔力や属性の持ち主を権力で娶る事も可能だろう。必然的に国で最も濃い色を持って生まれる一族のはずだ。
シオが王族の可能性??
考えるだけ無駄だろ。
しかし、まぁ、王族しか使えない付与魔法というやつは、あれの仲間なのか。犯罪者に制限つける王族御用達魔法。
断罪の魔法を使える人間が王の血筋だけなら上層部は基本全部血縁者なんだろう。うわ。一族経営って基本腐ってるから、なんかこの国ヤバそうだな。
「これは付与魔法とはまた別物です。魔法陣を刻んで簡易の魔道具にしただけなので大した事はしてません。城や貴方の屋敷にもこの手の魔道具はいくつもあるでしょう」
シオの代弁をするなら、魔法陣を刻んで構築された術式を発動させる魔術と、呪文で現象を起こす魔法をごっちゃにするな。だな。
因みに、私が適当に使ってるのは魔法。
「……魔術という事か。しかし、このような魔道具はあるにはあるが、殆どが付与魔法による魔道具で魔術を用いたものはあまり残っていない」
あまり残っていない。か。
まるで魔術式魔道具が過去のもののような言い方だ。
「そもそも、この国では、魔術士というのは一昔前に滅んだとされているのだ。魔術式の魔道具が新たに作られることなど無いのだと思っていた」
「滅ぶとは……些か信じがたい。魔術に関してはトルニテア中に膨大な量の書物が残っているはずです。いくら魔法の方が魔力と属性さえ持てば深い知識を問われず魔術より手軽に使用できるとはいえ、魔術士の育成や保護をしないのは国家の怠慢としか言いようがありません」
シオが人間だった頃より、国が発展するどころか衰退している現状。
考察するに、王族は自分たちしか使えない付与魔法を用いて便利な魔道具が作れる。似たような性能の魔道具を作る事が出来る魔術士が滅べば王族は魔道具の独占販売ができる。だから、保護をしなかった。
うん。王族くそだな。
そして、もう一つ。私は、古い言葉に加えて、古い技術についても無駄に教え込まれていた模様。シオさんジェネレーションギャップだな。
「魔術の書物はどれも古い言葉で書かれていて、まともに読める者がおらぬのだ」
「…………」
滅んだとして、新しく魔術士になる者はいないと。ならさ、文学者集めて、現代語訳した魔術本を売り出して金儲けすればいい話だ。
儲けも出るし、独学で魔術士が生まれて行けば、便利な物はたくさん生まれてくるだろうし、生活の水準も上がる。そこから商業を発展させて税収を得る。そのサイクルを作っていれば、もっとこの国は発展していたはずだ。
ちょっと、目先の簡単な方法に手を伸ばしすぎなんじゃないか?
(私も同意見ですね。この国の王族は言いようがない程に愚かです)
シオも呆れる愚かぶり。
「ともかく、この水瓶は、平民の家にあったらまずいものなんじゃないのか?」
「まぁ、売れば相当高価な値段が付く物のはずだ」
「売りはしないが、水瓶を怪しまれて変に思われたり、盗られたり、襲われたり……俺のリーナが危険な目に合うかもしれない……」
ライドは家族の心配を始める。確かに、金目のものは狙われかねない。セキュリティーとか無いも同じだものこの家。
「一応配慮して水瓶の底面に魔法陣を刻んでいますので、人に見られる危険はないかと。それでも気になるようなら、割って新しい水瓶を買ってください。かかった費用はこちらで払いましょう」
常に満杯の水瓶の底は見ようとしても見れないものな。
「もう! 割るなんてもったいない! せっかくだからありがたく使わせてもらいましょう」
夕飯ができあがったのか、リーナが料理の乗った皿をテーブルに並べながら意見する。
リーナが許可を出せばライドは拒否出来ないし、エルトディーンは他所様の家に口出ししないだろう。
つまり、この会話はおしまいだ。
次々と並べられていく料理を見て私は言葉を失った。
えぇ。
コレは。
ねぇ。
美味しそうだな! というライドに視線を奪われたまま私はしばらく固まっていた。




