想い人
初投稿です。
よろしくお願いいたします
繿国の西方にある無名の山の中の道を、一人の男が歩いていた。
男は身の丈六尺(約180cm)以上はあろうかと言う長身で、伸び放題の髪を後ろで束ね、顔には長く伸びた無精髭が生えていた。
「くそっ!あの行商人、デタラメ教えたんじゃないだろうな?」
男は薄汚れた薄茶色の上下に、獣の革をなめした胴鎧。同じ獣の革でできたらしい手甲と脚甲を身につけていた。
「熊なんか出てこないだろうな…」
男は思わず、腰に差している鉄鞭を撫で、肩にかついだ、頭陀袋に入った自分の荷物がくくり付けられている短槍を担ぎ直した。
男が暫く歩いていると、道の端の石に腰掛けている女がいた。
女は黒く長い髪を真っ直ぐに下ろしており、長脚絆に丈の長い服を着ていた。
男は幸いとばかりに、出来るだけ丁寧に女に声を掛けた。
以前、がさつな口調で女に道を聞こうとしたところ、山賊に間違えられたためだ。
「こんにちは。すまないがこの辺りに村があると聞いたのだが、御存じないだろうか?」
男の声に女が顔を向ける。
向けられたその顔は、眼を閉じていてもゾクリとするような美しい顔であった。
女は眼を開けることなく、男のいる方向に耳を向けてきた。
それにより、男は、女が盲目であることを悟った。
「村…ですか?この辺りに村があるとは聞いていませんが…」
「ちくしょう!あの行商人やっぱりデタラメを教えやがったな!」
男は悔しそうに悪態をつく。
その様子を聞いて、女はクスクスと笑った。
「この山を越えた所なら、砦を兼ねた街があると聞いていますから、よろしければ一緒に参りますか?」
「いいのか?得体の知れない俺みたいなのと一緒で?」
女の提案に、男は頭を掻きながら心配そうに訪ねた。
すると女はにっこりと微笑み、
「こう見えても、人を見る目はありましてよ。残念ながらお顔は分かりませんけどね?」
鈴の様な声で男に答えた。
それから2人は山の中の道を連れだって歩き始めた。
男は女のすぐ前を歩き、女には短槍の石突きを握らせた。
「そういえば、自己紹介をしていなかったな。俺は…山髭とでも呼んでくれ」
「では私は山女魚で」
双方ともに明らかな偽名であったが、どことなく、楽しげであった。
歩きながら取り留めのない話をしているうちに、女は人探しの旅をしていることを告白した。
その探し人の話をしている時の女は、実に嬉しそうな表情をしていた。
日も暮れ始めた頃、2人はようやく砦にたどり着いた。
扉が閉まる寸前に何とか滑り込み、宿に転がり込んだは良いものの、部屋は一つしか空いていなかった。
なので仕方なく、2人は同じ部屋に泊まることにした。
「寝台はあんたが使ってくれ」
男は短槍を壁に掛け、荷物を枕に早々に床で眠ろうとした。が、
「山髭様。私のことなら気にせずに此方へ」
女は寝台に腰かけると、男を寝台で眠るように誘う。
「おいおい。俺があんたを襲ったらどうするんだ?」
からかわれているのだろうと、近寄って軽い調子であしらおうとしたところ、女は男の顔を手のひらで挟み込んできた。
「おっおい!」
「私を襲うような方は、こんな優しそうなお顔はしていませんわ」
女は男の顔を十分に触ると、
「それに私、春を売って生計を立てておりますのよ?」
まるで見えているように、人差し指を男の唇に当てて、クスクスと微笑んだ。
「探している相手はあんたの恋人じゃなかったのか?」
男は思わずそう訪ねた。
だが女はにこりと微笑み、
「生活のためには仕方ありません。それに、その方はそんな事を気になさる方ではありませんよ」
男に身体を預けてくる。
「山髭様なら、お安くしておきますわよ?」
女は胸元を軽く開けながら、見えない瞳で男を見つめてきた。
その瞳の色は、美しい紫であった。
その夜。
男は女と肌を重ねた。
翌日。
男は女と宿を出ると、旅のための食糧を手にいれるために、女と共に市場を歩いていると、
「邪魔だ!退け!」
砦の兵士達が一人の男を囲み、街の人達を蹴散らすようにして歩いてきた。
その囲まれた男は、40を幾つか越えた小太りの男で、一番上等そうな服と剣を身につけていた。
男は一目で、その囲まれた男がこの砦の責任者だと理解した。
「あんなのに絡まれたら厄介そうだ。早いところ離れた方がいい」
男がそういって女を集団から離そうとすると、女はうっとりとした表情を浮かべ、
「見つけた…。やっと見つけた!」
歓喜の声をあげた。
その声は責任者の男にも届き、2人の前にやって来た。
「なんだ貴様ら?総督たるこの横膳様に何か文句でもあるのか?」
責任者の男は不愉快そうに声を掛けてくる。
女は、責任者の男が近寄ってきても、感激しているのか声をだせないでいる。
そこで仕方なく、
「いや、実は彼女が想い人を探していたのでたまたま同行をしていたんだ。で、その想い人がどうやらあんたらしいんだが…」
男が事情を話した。
すると、責任者の男は女に視線をむけ、
「誰だお前は?だがまあ…」
女の顔を眺めると、にんまりといやらしい笑いを浮かべた。
すると女は軽く頭をさげ、
「解らなくても無理は御座いません。御逢いしたのは私がまだ幼子のころでありましたから」
女には責任者の男のにやついた顔はわからないからか、嬉しそうに声をかける。
「御体に触ってもよろしいでしょうか?」
「ふむ、まあよかろう」
女のお願いに、責任者の男が許可を与えると、女は喜んで責任者の男の胸に飛び込んでいった。
「その声。この匂い。御逢いしとう御座いました横膳様♪」
「そうかそうか。では儂の屋敷に来るがいい。積もる話でもしようではないか、ん?」
責任者の男は女の尻に手をやり、身体を密着させる。
女はうっとりと責任者の男にしなだれかかっていった。
「まあ…見つかってよかったな。じゃあ俺はこれでな」
釈然としはしないが、好みは人それぞれだと理解し、女から離れる事にした。
「山髭様。ありがとうございました」
女から、嬉しそうな声をかけられながら。
翌日。
男は宿を引き払い、砦を後にするべく門に向かっていると、中央の広場に人が集まっていた。
男が、何だろうと思って人を掻き分けていくと、そこには。
責任者の男の首だけを手に持ったあの女が。槍や剣を手にした兵士達に囲まれていた。
女は、兵士達に囲まれていても、平然と笑みを浮かべ、男を見つけると近寄って話しかけてきた。
「あら。山髭様ではありませんか。お早う御座います」
女の服装は、昨日とは違って扇情的な物に変わっており、足や胸元があらわになっていた。
足は裸足で、髪は乱れ、責任者の男の首を持つ手は鮮血に染まっていた。
そして、額には二本の角が生えていた。
「今朝ぶりだな山女魚。そいつはあんたの想い人じゃなかったのかい?」
男はなんとか平静を保ちながら、首を持っている理由を訪ねてみた。
「ええ、想い人でございますよ。何万回殺しても飽き足らぬ、夢にまで見た想い人に御座います」
女は笑顔こそ浮かべているが、その声には底知れぬ怒りが込められていた。
「死ねっ!化け物っ!」
男との会話を隙だと思ったのか、兵士達が一斉に襲いかかった。
しかし、女が首を持ってないほうの腕を振ると、兵士達の首があっさりと吹き飛び、その手にはべっとりと血がへばりついていた。
それを見た街の人達は、直ぐ様蜘蛛の子を散らしたように逃げ出していった。
女はその鮮血を唇に塗ると、にっこりと男に微笑み、ゆっくりと眼を開けた。
その眼は、昨夜見た美しい紫色ではなく、黒地に金の光彩をした、人間ではない、鬼の瞳であった。
「成りたて…ではなさそうだな」
「はい。これで5人目。これで最後。ようやくです」
女は嬉しそうに天を仰ぐ。
「20年前。私の両親と姉はこの男を頭とした5人に、襲撃をされました。私と父が人質になり、母と私より10歳年上の姉は、助けてほしかったら身体を差し出せと言われてその通りにしました。しかし連中は、散々母と姉をなぶったあとに両親と姉を殺しました。そして戯れに私の眼をえぐりだし、その場に放り出していったのです。そのあと私は近隣の者に拾われ、妓楼に連れていかれました。そしてそこで、この眼をいただいたのです」
女は、魅了されそうな、嬉しそうな表情を浮かべる。
「生き残ったのなら役人に届けを…」
届け出せばいいだろうと言いかけたところで、男は言うのを止めた。
この首だけになった男が、砦の総督になっているということは、役人ということであり、訴えたところで握り潰され、逆に罪人にされてしまうということでもある。
女は艶っぽく男を見つめ、
「これで私の願いは成就致しました。後はこの瞳のくれた、力の代価を払うだけ」
カッと眼を見開くと、男に襲い掛かった。
男は素早く体をかわすが、頬には紅い傷が走った。
「代価は人間の魂。先ずは山髭様のものをいただくこととしましょう♪」
「随分と高額な代価だな」
男は短槍を構え、女を睨み付ける。
「女の我儘を聞くのは男の甲斐性ですわ」
「我儘の種類にもよるだろうがっ!」
女は爪を短剣のように伸ばし男の首を狙い、男は短槍で女の左肩から袈裟に斬りかかる。
そして
女の爪は男の首の皮を薄く斬るにとどまり、男の短槍は女の身体を見事に袈裟に切り裂いた。
女の身体からは噴水の様に鮮血が吹き出し、女は力なく自らの血溜まりに倒れこんだ。
男は女を見下ろすと、膝をつき、女を抱き起こす。
「初めから死ぬ気だったな」
「貴方様なら殺して下さると思っていました…」
そう微笑んだ女の身体が、次第に砂に変わりはじめていた。
「生きていれば、眼のせいで殺し続けるからか?」
女はその問いには答えず、
「眼をもらう前に、貴方様に出逢いたかった…そうすれば
…私の想い人は…」
女は総てを言い終わるまえに、砂に変わってしまった。
目玉の形をした紫色の石を残して。
男は短槍を持ち上げると、その石を粉々に打ち砕いた。
男は、砦の兵士達の処理を街の人間に任せ、総督の屋敷の中から女の元の服を探しだすと、砦に程近い丘に向かった。
服を埋め、木の板に山女魚と書いて女の墓とした。
そしてまた男は旅の空の下にあり、
「勿体なかったよな…いい女だったのに」
軽口を叩きながら、
「今ごろは家族で積もる話でもしてるか…」
女が安らかに眠れる事を祈った。
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