第九話 舞台
世界は、舞台である。
舞台は演者によって彩られ、裏方により引き立てられ、観客による喝采で一つの物語が完成する。
演者がいなければ、物語が始まらず。
裏方がいなければ、物語の良さを失くし。
観客がいなければ、物語さえ語られることはない。
どれも必ずなければいけないものだ。
演者は物語にとって成すべきことを成し、裏方が成すべき目的がある演者を助け、観客が演者を語る。
演者は踊り、歌い、奏でる。
周囲を魅了していく。
物語に動かされる演者は、人でなければならない。
人が求めるものは、自らの欲求を満たす物。感情移入があってこそ物語の色が増す。演者に自己投影するからこそ、喜怒哀楽を示すのだ。
故に、そこに演者の意志はない。裏方にも意志があるわけがない。意志を持ったところで待っているのは、物語の破綻であるからだ。観客ですら意志はない。舞台に立つ権利はなく、ありのままの結果を傍観者として眺めているだけだ。
だが。
仮に。もし、意志を持つものがいるならば。
それは、第三者の立場にある、
語り手だけであろう――――――
◆◆◆
「なんだこれ?」
少女が聞く。少女の視線に気づきながらも、金属の球体は料理に集中している。
手慣れたようにお玉ですくい、条件反射のように答えた。
「コーンスープです」
「いやいやいやいや、それくらいオレにも分かる。そういうことを言っているんじゃなくて、何でコーンスープがあるんだよ。突然呼んだと思ったら飯て。ICチップの回収はどうした?」
外での昼食、というなんともシュールな構図だった。
外だからシュールではなく、背景がシュールである。
建物は絶賛倒壊中。
設備は絶賛復旧中。
ここが世界というのなら、滅亡寸前中。
少女が言わんとしているのは、昨晩まで死の淵にいた奴が呑気に何しているんだと言いたかった。
既にテーブルや椅子をこしらえて、スプーンやフォーク、ナイフが準備されている。ヴァニーはいそいそと20枚ほどのお皿を置いていた。
「お腹が空きましたので、昼食の用意をさせていただいております」
「そんな身体でか? お前は食べなくても生きていけるだろうが。いや、まあ大方予想はつくんだけどな」
少女の目線はヴァニーの方へ送る。
当人は小さなテーブルにお皿を並べていた。こちらの様子に耳を傾ける様子はない。
「人の形だけに人の生活を強要される。人の姿であるから外形は保ったままでなければならない。人という存在に縛られないとあいつも生きていけないのな」
少女は自身の掌を見つめて握りしめる。
「かつてワイユー博士が私に言った言葉ですが」
「あん?」
「人が狂えば人類に、意志を失くせばモノになるとおっしゃっていました」
「そーかよ」
わざとぶっきら棒に少女は言った。興味がないということではない。興味がなかったら、無視をすれば良いだけだ。けれども、少女はしない。
「狂う、意志という意味が私にはわかりません。どういうことなのでしょうか?」
「知らん」
少女は理解しているが言わない。
意地悪をしている訳でも優しさでもない。どうせ少女の意見を言ったとして、納得できないだろうと感じた。
金属の球体は、モノだ。意志を持たず、個性を持たず、行動の意味を持たない。
常にあるのは、肯定と否定と賛否の三択。それ以外の受け答えは存在しない。0か1かしかない極端な人類の遺産だ。
「それ、熱くないのか」
少女は話題を変えることにした。金属の球体の厨房ともいえる調理風景に移行させる。
料理の鍋を幾つも重複させながら、料理に取り組んでいた。実験街『リスク』とはあると思えない大きなカセットコンロ。その上にはアルミ鍋、ステンレス鍋、フライパン。おそらく金属の球体の自前のものだと少女は仮定する。
「否定。現在、耐火膜を展開しておりますので問題ありません」
金属の球体の側面からだけでなく、上面からもアームが出ていて4本の腕を器用に使っている。それぞれのアームが全く別の作業をしているので、宛ら料理人が4人いるかのようだった。
「耐火膜って、こう、全体の表面が赤くなったりするやつじゃなかったか?」
少女は金属の球体の仕組みを曖昧ながら把握はしていた。少女が知っているのは、様々な耐性の膜を付与することにより、ICチップの負荷を小さくすることと。もう一つは、膜の上に重ね掛けすることによって、重複の耐性を持てるということだった。
金属の球体の全身は赤みかかっておらず、白色の膜でコーティングされていた。
「肯定。しかし、今は耐火膜だけを展開していません。私が料理で使う上での耐性膜を付与しています。重ねての膜の付与をするよりか、異なる膜を展開した方が都合が良いのです」
都合が良いというのは、いちいち膜を展開する工程が怠いということではない。金属の球体のエネルギー効率の問題だった。
一つの耐性を追加していくのではなく、あらかじめその対応に相応しい耐性を起用することでICチップにかかる負担が弱くできる。
「私には耐料理モードを使用している為、白色に見えるのでございます。耐性が増えていくことにより、色も変わります。一番耐性が多い色は透明でございます」
「そこまで聞いてねえわ」
「照れます」
「褒めてねえよ! けど耐料理モードって。そんな機能もあるのな。初めて知ったわ」
少女と金属の球体は、料理して食べるということはしない。
太陽光や大気の成分を主に利用して稼働してきた。総じて見る機会というのはそう多くない。
「てか、材料は何処から取ってきたんだよ」
「実験街『リスク』にて調達しました。使える食材などが転がっていましたので、ヴァニー様の許可を得て使用させていただいています」
「色々と種類があるんだな」
少女がよく見ると、金属の球体の周辺には缶詰やその他真空容器が置かれていた。食材という名の効率性を重視した産物共々が開封されている。
トントンと、包丁が立てる音。グツグツと、煮ている音。静かにフライパン返しを数回行う。
匠の技、とまではいかない。金属の球体はレシピ通りのデータや調理法がインプットされているだけなので、その限りでしかないのだ。
どれもこれも良い香りが少女の嗅覚器に伝わる。伝わるといっても、人と同じ機能でニオイが嗅細胞に吸着することによって感覚が伝わるということはない。少女もまた自律コミュニケーション型AIであり、データの数値でしか判断できなかった。人類が決めた良い香りに値する数値が高いだけに過ぎない。少女のICチップが判定しているだけである。
常に嗅覚だけではなく、味覚等の感覚はデータの数値から見た結果なのである。
さて、オレも何か手伝うかな、と少女が袖まくりをして、
「何か手伝えることはあるか?」
と金属の球体に問いかけた。
「ありません」
まさかの一刀両断だった。思わず、少女がズッコけそうになる。
「即答かよっ!」
「では料理の経験でも?」
「……どうもすみませんでした」
少女はおずおずと引き下がる。
金属の球体の言い分が最もだと、歯がゆさを感じながらも袖を元に戻す。やる事もないので、金属の球体の様子でも見守ることにした。ヴァニーの手伝いも考えたが、その選択肢は省く。少女はヴァニーを苦手としていたからだった。
「ヴァニー様を避けておられるのですか?」
「チッ」
そういうとこが嫌いだ、と金属の球体の指摘にバツを悪そうにする。舌打ちして、唇を尖がらせた。足で地面を軽く蹴っていて、八つ当たりをしている素振りをする。
「マスターはとても分かりやすくて助かっております。言葉よりまず行動に示していただけますのでね」
「ぶっ壊されてえか、この野郎」
少女自身も自分の性格は理解していた。
表情につい出てきてしまう。売られた喧嘩は買い、煽られた言葉に怒りを覚える。隠したいと思っても、行動に出てしまうのは悪い癖だった。
「やはりマスターは、ヴァニー様と似ている部分があると共感したからそんな態度なのでございますね。およよ、それでは私がヴァニー様に頼んで……」
「うっせ、バカ。お前はオレの親か。見てろよこの野郎」
少女は早歩きでヴァニーの方に向かう。
ヴァニーはビクついて振り返る。急に後ろから距離を詰めてきた少女に戸惑いを覚えているのだろう。笑顔で取り繕っていた。
いざ正面で顔を合わせると、少女はむず痒さを感じた。
「え、えーと。金髪さん?」
「んと、えっとだな。その」
視線が左右にいったりきたり、いったりきたり。
いったりきたり、いったりきたり。
モジモジそわそわ。ドキドキアセアセ。
「……………………ヘタレウスノロ」
「聞こえてんぞぉ! そこの球体ゴラアアァ!」
「大丈夫ですよ、金髪さん。気をつかわないで下さい」
ヴァニーの作られた笑顔にハァと大きな息を吐く。
「その笑顔やめろ。イライラする」
「す、すみません」
「ったく、……ヴァニー」
少女は初めてヴァニーという単語を口にする。特別な意味はない。呼ぶために製品番号でだらだらと言うのが怠いからだと心の中で言い訳をしていた。
それでも、ヴァニーには意味があったようで目を大きく見開く。
「歌は好きか?」
「歌、ですか?」
唐突な歌という単語。
少女の言いたいことが掴めないようだった。次の言葉を待つ。
少女が言う前に横から声が入ってくる。
「マスターは歌うことが得意でして。どうかヴァニー様に聞いていただけないかと提案しているのだと私は思います」
「ちょっ!? オイコラ゛ァァ! ななな、何言ってんだお前ぇ!」
「ヴァニー様。マスターはとても不器用で照れ屋な方でして、こんなことでしか話すきっかけが考えられない方でございます。ご容赦を」
「───ッッ!」
少女でも自分の顔が真っ赤になっていくのを感じた。
金属の球体に対しての悔しさ半分、怒り半分と言った具合で、頬を膨らませて涙目になっている。
図星、と誰もが言わなくても明らかだった。ヴァニーは少女と金属の球体を交互に見合わせて、最後に視線を少女へと戻る。
「金髪さん、あの」
「……なんだよ」
「昨日は助けていただいてありがとうございました。金髪さんの歌、是非聞いてみたいです」
「お礼言うのおせーよ、バカ野郎」
す、すみませんとヴァニーは表情を曇らせて、顔を俯く。少女は「じょ、冗談だからそんな顔すんな」と歯切れが悪そうに言う。
ヴァニーは顔を上げると、少女は八重歯を光らせて口角を引き上がらせていた。
「なら、聞かせてやる。オレに惚れるなよ」
ここは、舞台。
舞台は演者によって彩られ、裏方により引き立てられ、観客による喝采で一つの物語が完成する。
演者がいなければ、物語が始まらず。
裏方がいなければ、物語の良さを失くし。
観客がいなければ、物語さえ語られることはない。