第八話 ICチップ
金属の球体は瓦礫の撤去に取り掛かっていた。
電気だけでなく、ガスや水道も一時的ではあるが復旧の見通しが立っている。
時計塔の時間帯は11時の昼。
夜中からぶっ通しで作業を行っていた。金属の球体の前面にはアームが伸びて、その先端にはバケットが装着されている。うまく掻き分けて、焼け落ちた建物の中にある物を探す。
「感知」
お目当ての物が出てくる。球体からもう一本アームが伸びた。今度は先端にバケットがついていない2本の指。割れ物を扱うかのように慎重に取り出す。
オレンジ色の正方形。薄くて固い物質。表面には、製品番号が刻まれていた。
ICチップ。
金属の球体が夜中から回収していたものだった。
ICチップは動物でいうところの細胞、脳であり心臓であり、遺産にとっての命そのものに値する。
ICチップに内蔵されている機能があった。
それは情報の交換。ICチップは相互間で電波を送り合い、機能等の状態を把握できる役割を持つ。そうすることにより、一部の機能が停止した場合、問題を把握して補うことが可能になる。
なお、あくまで製造番号と一致したICチップとしか連絡が取れない。これで応用されたのが、同期という機能である。製造番号445500000以降の遺産は、製造番号が一致する必要はなく、情報量も一際多く設定されている。
「これで22枚目です」
「人類の遺産」には必ずといっていいほど、このチップが内蔵されている。枚数は「人類の遺産」ごとによって異なるが、金属の球体には、ICチップを認識する機能がある。その機能のおかげで、あと残り一枚でここ周辺の回収が終わると判断できた。
ICチップを摘まみ、自身の球体の中へと放り込むと声が聞こえてきた。
「あの……ここは」
ヴァニーだった。
金属の球体内で声が聞こえる。金属の球体はICチップの回収をしつつも、ヴァニーの目が覚めるまで治療をし続けていたのであった。
「ここは私の中にある救急ルームです。ご気分はどうですか? ヴァニー様」
「球体さん? あれ、確か爆発があってそれに私は巻き込まれて、えっと、その」
ヴァニーはまだ状況が掴めていないようだった。
金属の球体は説明するよりも見た方が早いと判断する。
「どうぞ。足元にお気をつけて下さい」
金属の球体は縦に割れて、ヴァニーに燃えてしまった街を見せる。
「あっ……そんな……」
信じられないといった様子だった。
ヴァニーの様子を見て、改めて金属の球体は自らに自己評価を下す。
「私の、失態です。回避できる問題でした」
「いえ、そんな事は」
ヴァニーを地面に降ろす。すると、駆け出し始め、建物だった瓦礫を見つめる。
ヴァニーにとって今の実験街『リスク』は酷い有様なのだろう。半分の街は燃え広がり、数えきれない建物は全焼して、一つの大きな瓦礫の山と化している。
建物の形を保っているのもある。しかし、今後の倒れる危険性も考えてあえて壊さないといけない。諸々な被害を含めると甚大であった。
ヴァニーは周囲をぐるりと一回転して眺める。
唇を噛みしめているのが分かった。
「……球体さん。あなたが救って下さったのですね。本当にありがとうございます」
ヴァニーは金属の球体に向き直り、深々とお辞儀をした。金属の球体は感謝の言葉に興味はないらしい。瓦礫を退かしつつ、ICチップの回収作業へと戻っていた。
「私は人類を救えません。ヴァニー様を助けただけです」
感情を掴ませない無機質な声。
ヴァニーにはわからない。
金属の球体にとって、助けることと救うことは全くの別物だ。ヴァニーはその違いを気に様子はなく、キョロキョロと誰かを探す。
「あの」
「ヴァニー様、どうかされましたか?」
「金髪さんは?」
少女のことだろうと判断した。
「マスターは私とは別の所で作業しております。壊れた遺産のICチップは早めに回収しなくてはなりませんから」
「アイシーチップ?」
初めて聞いたかのような片言であった。
ヴァニーの表情から存在すら知らないことを感じさせられる。
「ICチップとは、いわゆる製造番号を判断するための証明品。また人類の遺産が遺産としての機能を発揮するための重要部位。そして、ある時は最も有害を与えるであろう危険物です」
「?」
ヴァニーはここより外での暮らしを知らない。実験街『リスク』でしか生きられない存在故の無知である。
金属の球体は無知であることを責めることなく、
「『AI暴徒化人類大量虐殺事件』というのをご存知ですか?」
金属の球体は外での世界を語り出した。
案の定、ヴァニーは首を横に振る。
「名前通り、AIが暴徒化して、人類を虐殺したという事件です。人類の安全に対する配慮が欠けてしまい起こってしまった事件でございます」
ある一つの街で使用方法が誤ってしまい、人類が死亡する事件が起きた。
政府は対処として、創りあげた「人類の遺産」全てを廃棄処分にしようとしたものの、ICチップという存在を煩雑に扱った。
ICチップは廃棄を誤ってしまうと、不完全な作動を起こす。その作動こそが有害とされる所以だった。
「ICチップには、本来持つ機能等をデータとされておりますが、同時に安全装置が施されています」
ICチップのもう一つの機能は、安全装置。外傷から防ぐことにより、正常な機能を保つことである。
精密なデータだけに、一部でも損傷すると正常に作動しなくなる。火を扱ったり、水を扱ったりをするとどうしても熱暴走であったり、錆などが避けられない。それらを補うためにICチップにはその用途に応じた工夫がされている。
例えば金属の球体、製造番号445500998番自律コミュニケーション型AI、YU-タイプAの場合、全てにおいての対応に順応するためにありとあらゆる対策が練られている。
耐火膜や耐水膜が良い例だった。
しかし、政府はそれらの対策など全部目を通すことをしなかった。
一か所にAIを集めて焼却する。ただそれだけだった。
では、正常に作動しなくなったAIはどうなってしまったのか。
「安全装置が作動しなくなると、AIは暴走してその場の然るべき処置をケースバイケースで対応します」
ケースバイケース。
その場のその場の臨機応変という意味では聞こえはいい。
問題なのは、対応にあった。
「AIの構造上、危害を加える全てを敵と認識して排除いたします。要因が取り除かれるまで終わることもありません。加えて環境に限った話ではありません」
「まさか、人も……?」
「肯定。人も含まれます。あらゆる環境、動物、物質。自らを危害を与えるもの全てです」
『AI暴徒化人類大量虐殺事件』
それはICチップが不完全な作動を起こし、人を大量虐殺に追い込んだ事件。政府が決めた焼却は失敗に終わった。むしろ、事件を起こす引き金になってしまったのだった。突如として、火に耐性があるAIが感知して、然るべき処置を取ったのだった。
事件は必然的ではなく、偶然的だと金属の球体は判断する。
「ハインリッヒの法則を知っていますか? 1件の重大な事故の背景には、29件の軽微的な事故と300件のヒヤリハットがあります」
起こり得る事故ではあったが、防げた事故だ。
かつて英国の心理学者であるジェームズ・リーズンはスイスチーズモデルを提唱した。
チーズを防護と見立てて、チーズの穴をエラーと例えた。チーズの枚数が多ければ多いほど、穴は埋まり、インシデントが起こらなくなる。複数のエラーが重なることによって、事故は発生するとした概念をスイスチーズモデルというものである。
「人類は危険信号に気づかなかった。ICチップの管理の穴や対処の穴だけではありません。人為的なエラーや潜在的なAIのエラー、穴という穴をエラーというエラーを見逃してしまったのです」
最初は僅かなエラーだったのだろう。
危うく被害を被るヒヤリハットを何度も起こして、軽微的事故が発生した。
気がついた時には、どうしようもなくなっていた。
「『AI暴徒化人類大量虐殺事件』は全国各地で起こりました。焼却処分の対象はICチップを持つものであり、量も多かったことから各地から幾つもの場所で分配されてましたので。少なくとも、ここ数年は人類の死亡しか確認しかしておりません」
金属の球体は製造番号が445500998であり、製造されていく順番で番号が振り分けられる。かつ、全て製造番号が記載されるものは、ICチップが付与されている。
つまり、およそ4億4550万以上のICチップを持つ「人類の遺産」が暴走している可能性があった。
「だからこそ、私はICチップを回収しております。何が起こるのかわかりません。危険度はかなり高いです」
「そう、なんですか」
ヴァニーは生返事で返す。
金属の球体たちの事を何も知らない。それどころか外の世界を見たこともない。言っていることが掴めないのは無理もない。
「球体さんは、暴走していないのですか?」
僅かにヴァニーの身体が震える。人類と身体が近似している自身に危害が及ぶかもしれないと感じたのだろう。
だが、金属の球体の返答はあっさりとしたものだった。
「否定。私は焼却処分されていませんから」
「ICチップがないからですか?」
「否定。私は事情があり、特殊な例ですから」
金属の球体は瓦礫を一つ一つ丁寧に持ち上げては降ろす。
瓦礫の間の隙間からアームを伸ばし、もう一枚のICチップを掴みとる。
「ヴァニー様、この近辺のICチップが集まりましたので移動します。どうぞお乗りください」
金属の球体からちょうどヴァニーが入れる扉が現れた。球体の中に入ってくださいという意味らしかった。
ヴァニーは頷く。足場が不安定なので、扉に続く梯子が用意されていた。近くに寄り、足をかけて昇り始める。
途中でグウゥと音が鳴った。
「すみません……」
ヴァニーのお腹の音。
頬が仄かに赤みかかっていた。金属の球体は察して、
「それよりもまずはエネルギーを補給いたしましょう」
とキャタピラを走らせるのだった。