第五話 「余裕です」
少女は寝転がっていた。
仰向けに身体を向けて、大の字になっている。天井は暗い。それどころか、全体に暗闇が訪れている。時計塔の時間に合わせて、夜を再現していた。
少女は星座を見る。その星座は当然作り物。輝きはするものの、実体はない。実験街『リスク』は建物の中での存在であるが、外の世界そのものを高度に再現している。
「凄いと思わないか」
思わず賞賛してしまう。
キュルキュルとした音が近づいてくる。振り向かなくとも、誰が来てたぐらいの予想はできた。
「どうした?」
黒い球体の影。
少女の傍へと寄ってくる。
「何か考え事ですか、マスター」
「いや、なんでもねーよ。ただ昔の事を思い出してた」
影の正体。
金属の球体、製造番号445500998番自律コミュニケーション型AI、YU-タイプAだった。少女は上半身だけ起き上がらせる。金属の球体の上から下まで品定めをするかのように見た。
球体の頭上から電球が生えており、周囲を照らしている。また左右側面から車輪が出てきていた。先程の音はここから出ていたのだろう。
眩しかったわけではないが、少女は目を細めた。
「お前……そんな物まで搭載してんだな」
身体を起こして、半ば呆れ顔、半ば皮肉。
「何事にも準備は必要かと。この道は綺麗に舗装されているので、小回りが利くよう車輪にしました。それにこの電球は最小限ですので、望むのであれば巨大な光を照らすことも可能です。マスターとは性能が違いますので」
金属の球体は真面目に答える。わざと最後の一文を強調している。少女の内心は穏やかではない。いつもの事なので無視を決め込む。
「それで? お前からわざわざ来るのは珍しいな。周囲の偵察か?」
「いえ、お食事のご用意が出来ました。ヴァニー様が私共とお食事を希望しております」
「お前が作るのか?」
「肯定。正確には、私がもう作り終えました」
タイプA。全てにおいて対応できるALLから取られた名称。
主にできないことはない。料理だって簡単にこなし、家事手伝い何でも屋。敢えてできないことを挙げるのなら、生命を生み出すことができない。
と金属の球体はそう自称している。
少女や金属の球体は一日程度の食事では異常をきたさない。その為、必要がないと分かっていながらもヴァニーの誘いにうーんと言葉を濁す。
「お前は? 行くのか」
「肯定」
「なら、いいわ。二人で楽しんでくれ」
少女は一言そう言って、もう一度寝転がる。
少女に星座の知識はない。しかし、話は終わりだと言わんばかりにそっぽを向いた。キラキラと輝く、作り物の空を眺めている。
「私がいることに不都合でも?」
「んー?」
「今のマスターの様子は変だと私は解析します」
「……」
何も言わない。
金属の球体は無意識に分かっているのだろう。感情というより、違和感で察している。少女が理解されているというより、人間と照らし合わせて、解答を得ようとしている。
「マスターのボイスコントロールが以前よりも低く感じました。仕草もいちいち普段と違うと私は判断しました」
ほら、やっぱりと。
少女は薄ら笑う。
「ならオレと同期でもしてみるか?」
同期という言葉の意味を少女は理解していた。だからこそ、冗談交じりに言う。
製造番号が445500000以降の遺産が持つことが出来る能力。
能力といっても、互いの情報を共有することができるというもの。同期により、視覚や記憶、次のどうするかまでの考え方を知ることができる。
金属の球体にとって、少女の考えを知るには十分な提案だった。
「やめときます」
数秒も経たず即答。少女は一瞬ではあるが、言葉を詰まらせてしまう。
「……意外だな。お前ならやるって言うかと思った」
「肯定。私なら実行に移すでしょう。全てはワイユー博士の教えです。それに、」
金属の球体は続けて言う。
「マスターも本意ではないのでしょう?」
少女は肩を震わせる。声を漏らして笑う。
「何が可笑しいのでしょうか? 理解不能」
「ハハハ。お前じゃ、一生理解できないだろうな。ありがとな。心配して来てくれたんだろ。オレは大丈夫だから、行ってこいよ」
ヴァニーの方へ行くように手で促す。少女の手が向いている方向には、小さな明かりが点いていた。
少女と明かりの方向へ交互に見て、やがて動き出す。キュルキュルと車輪の音は明かりへと向かっていく。少女は金属の球体を最後まで見送った。
改めて少女は空を見上げる。
偽りの空。この満天の夜空も、瞬く一つ一つの星でさえも偽物。
それ故に美しく輝く。
少女が立っていたかつての舞台。何故だか夜空と重なって見えた。
偽りの舞台。あの拍手喝采の観客も、少女を照らしていたスポットライト。
それ故に思い出は美しく輝く。
あくまで、それは人類の話。少女はそうではない。脳裏に必ずあの火災がよぎる。
忌まわしい記憶だった。
少女は目を閉じる。必要性はなかったが、一刻も早く忌まわしい記憶を忘れたかった。
……。
…………。
……………………。
「マスター」
少女はふと目を開く。視界には金属の球体が傍にいた。
思ったより明るい。朝なのだろうかと少女は時計塔を見たが、その時刻は深夜2時を指し示していた。
「? どうした?」
金属の球体は何も言わず、視線だけある方向へと向けた。
少女の瞳に映ったのは、明るい街。周囲は暗いというのに、一部の周辺が目立っていた。
電灯があるから明るい訳ではない。街がそれを教えてくれる。幾つもの箇所から煙が噴き出ていた。
加えて炎。火の粉が空中に散らばっていた。次第にこちら側にも火の手が回る。
大火災が実験街『リスク』に起こっていた。
「火事だと? これは一体……?」
「突如として火災が発生しました。一時的にスリープモードへ移行していたので、火元や発生時刻は不明。私の火災探知機により、強制緊急モードに移行し強制起動。現状に至ります」
要するに金属の球体も状況を計れていない、ということらしかった。少女は急いで立ち上がる。
「出口の確保は?」
「問題ございません、確保済みです。それよりも問題が一つ浮上しています」
金属の球体の言いたいことがすぐに分かる。
ヴァニーの姿がどこにもない。
「ヴァニーはどうした?」
「炎が蔓延していない場所の周辺を探しましたが見当たりません。炎の中に取り残されているかと」
少女が話している間にも炎は広がっていく。
建物が崩れる音がする。メキメキと音を立てて、壊滅していく。思ったよりも火の回りが速いのか、少女の頬に熱さが伝わってきた。一刻の猶予もない。
「もしかしたら、先に外へ出てるんじゃないか?」
「否定。ありえません」
金属の球体は断言する。
「製造番号321110933番生命型ホムンクルス R-タイプHは、ここから外に出ることはできないからです。ここは、フラスコ。即ち、この街の死はそのホムンクルスの死を意味します」
ホムンクルス。
フラスコを媒体に動くことが許された遺産。言ってみれば、フラスコ内でしか生きてはいけない。
外に出ることができないというのは、実験街『リスク』がフラスコそのものであることを意味していた。
「なら消火できねーのか?」
「賛否。消火はできるが、時間がかかります。その間にホムンクルスの肉体が死ぬ可能性が大と私は推測します」
「フラスコがあれば、復活できるだろう?」
「否定。フラスコがあればホムンクルスは蘇らせることができます、が。あれは、特殊。生命型ホムンクルスです。人とフラスコを媒体にしている為、肉体の死はフラスコの死と同義でございます」
通常のホムンクルスの場合、肉体の損傷は問題にならない。フラスコが命の役目を果たしている為、フラスコ本体が無事ならば何度だって復活できる。対して生命型のホムンクルスの場合は事情が異なる。フラスコ本体が肉体をも媒介している為、復活や再生ができない。
つまり、ただ消火するだけでなく、ヴァニー自身も助けないといけない。
少女は燃えている街を見る。瓦礫の山と化した炎の塊、建物が崩れたことにより足の踏み場も悪くなり、広がり過ぎた煙により視界も不良。この状況下でホムンクルスを探さねばならない。そして、見つけても広がった後の消火活動がある。
無理だ。誰もがそう思う、少女もそうだった。
「あなたは無理でしょう」
金属の球体が一歩出る。
少女は唇を噛みしめる。金属の球体の言う通りだった。少女は、過去の出来事の一件で火が苦手になってしまった。したがって、適切な判断ができないと踏んでいるのだ。
少女に痛覚はなく、何度も再生できる。だけど、それではヴァニーは助からない。
「行くのか。たかが一日会ったような奴だぞ。それでもー」
少女は言い切る前に、
「私は、感情を持ちません。プログラミングされた性格と、ワイユー博士の教えのみで行動しております。そして、その理念に私は従うだけです」
少女にかつての記憶が蘇る。
金属の球体と初めて会った日。
あの忌まわしい記憶。炎の中で壊れた製造番号445500999番自律飛行型AIを抱えて、言っていた。
『私は、人と、人類と、遺産を、助けるだけです』
そして、少女は今に至る。
「帰ってくるよな?」
少女は言う。恩人は、現状の解析をする。
製造番号321110933番生命型ホムンクルス R-タイプHの発見率97パーセント。
製造番号321110933番生命型ホムンクルス R-タイプHの生存率93パーセント。
製造番号321110933番生命型ホムンクルス R-タイプHの救助率88パーセント。
製造番号445500998番自律コミュニケーション型AI、YU-タイプA生存率67パーセント。
製造番号445500998番自律コミュニケーション型AI、YU-タイプA損傷率100パーセント。
解析を終えて、静かに言った。
「余裕です」