第十話 宣告
少女は空を見る。
空は外の世界に忠実に再現された色。透き通る青色。
雲が四散され、流されている。一つ一つの動作がリアルさを引き立てていた。天気が良い、とはいえない。昨日の出来事の灰などの不純物が台無しにしている。黒い粒らが不動の状態で天井に付いていた。雲は動くのに、黒い粒は動かない。かなりの違和感がある。
実験街『リスク』の天井は、景色をスライドして映すタイプのものなのだろうかと少女は思ってみる。
なお、投影機は見当たらない。少女の予測でしかない。左から右へと、決められた方向へ雲が移動している。
「料理作りすぎだろ。何日分あるんだよ」
偽りの空の下で、少女は頬杖をついた。
少女らは出された料理をひときしり食べ終えると、小言を並べていた。
前菜、スープ、魚介、肉、デザートと、コース料理の数々。少女や金属の球体は消化器官を持たないが、胃や小腸や大腸に相当する機能を持つため、何ら問題はない。そうは言っても、エネルギー摂取の限界はあるので、まだ鍋のなかに残った大量の料理は消費できそうになかった。
長テーブルと椅子を使っているのは、ヴァニーのみ。席の配列では、ヴァニーと向かい合う位置で金属の球体がいた、少女はその隣で扱いづらそうにカップを弄っている。
「3日分といったところでしょうか。残していても仕方ありませんので、全て使わせていただきました」
「食材は腐ってもなかっただろ? わざわざ全て使う必要がなかったんじゃないか」
「いえ」
意味ありげに少女の言葉を否定する。
それで話は終わりだ、と金属の球体はヴァニーの方へと向き直る。金属の球体は、光沢を輝かせる物体だ。四方八方と、顔と呼ばれるものはない。けれども少女から見て、向き直ると判断できた。僅かにコーンスープがかかっている。一瞬、笑いそうになった。
「ヴァニー様」
「はい。なんですか」
「お味のほうはいかがですか?」
「とっても美味しいです。作っていただきありがとうございます。感謝の言葉しか出ません」
「そうですか。それは良かったです」
「あ、ちょっと待ってください。動かないで下さいね」
ヴァニーは身を乗り出し、ハンカチを取り出す。花柄の可愛らしい刺繍がついたハンカチ。
金属の球体についてたコーンスープを拭いてあげていた。
世間話でも始めそうな和やかな雰囲気だった。
少女のおかげでより表情が緩くなったように思える。
少女の歌は、ヴァニーが絶賛していた。
『綺麗な歌声でした! 私なんかではどんな感じに表現すれば良いのかわかりませんけど。正直、感動しました! 気持ちよさそうに歌っている姿も凛々しいし、何よりビブラート? って言うんですかね。音を伸ばすときの声の出し方も素敵で! あとサビの急に高音になるパート! あの緩急をつけた歌い方がものすっごい良くて、こっちも気分が高揚するというか―――』
褒められるというのは、今も昔も悪い気はしない。
少女は度重なる褒め殺しをくらい、身が悶えそうであった。気分を変えて、カップの中の紅茶を啜る。
「はい! 取れましたよ」
「ありがとうございます。ヴァニー様」
横目でちらりと金属の球体らを見つめる。
金属の球体はヴァニーと会話を弾ませていた。その空気の中、疎外感を少女は感じていた。
こいつはどうするのだろうか、と少女はふと思ってみる。こいつ、というのは金属の球体の事だ。
少女は、金属の球体と同期を行っていないので考え方を知ることはない。利害関係の一致で付き添っているだけである。金属の球体の目的はわからない。
金属の球体はこの実験街『リスク』に留まることが目的である可能性もある。人類たるヴァニーが、正しく使っていくのが幸せなのではないか、と変な想像を膨らませていた。
考えるだけ無駄、か。
少女は顔を左右に振り、雑念を振り払う。少女はただ自分が成すべきことを成すだけだと気を引き締める。
「ヴァニー様、一つ宜しいですか?」
「はい、何でしょう?」
少女はもう一度紅茶を口に含む。
「あなたはもう時期死にます。残り3日で亡くなられると存じます」
少女は紅茶を噴出した。噴き出した飛沫がまともに金属の球体にかかる。
「きゃあ! どうしました! 金髪さん!」
ヴァニーは少女の方に注目が向き、目を丸くして驚く。
「汚いですよ、マスター。女性としての嗜みを持ってください」
「いやいやいや、待て待て待て。今、何て言った? ヴァニーが死ぬって!? 冗談だろ?」
少女はヴァニーを見る。
怪我一つもない身体。3日で死ぬように思えない。白銀の髪が揺れるその姿は、これからも美しく輝いていくだろうという眩さがあった。
少女自身、聞き違いかと困惑していると、
「否定。マスター、冗談ではございません。ヴァニー様はもうじき活動停止、人でいうところの死亡に値する状態になられます」
金属の球体の断定。
その発言は、詰まるところのヴァニーに対しての余命宣告だった。
肝心のヴァニーは慌てている様子はあるものの、「球体さん、今拭きますね」と慌てるベクトルが違っている。
金属の球体に駆け寄り、背伸びしながら一生懸命に拭くヴァニー。その様子は他人事のようだった。
「ヴァニー、驚かないのか? それとも冗談だと思っているのか?」
少女の問いにヴァニーは手を緩めない。ただ、微かに微笑む。
「いいえ。知ってましたから。私はここの管理人ですからね」
とだけ答えていた。
感情的になっている少女の様子に、金属の球体が一つ確認する。
「マスター、ICチップを持ってきていますか?」
「あ? なんだよ、いきなり」
「今、それを出してもらえますか?」
「……わかったよ」
金属の球体はICチップの捜索を少女にお願いしていた。
実験街『リスク』の全体図を復元して、ICチップがある場所を特定。それらを詳細に記載された地図を少女に渡していた。少女はICチップや生体反応を認識したりする機能は持たない。捜索や探索が不向きであった。
少女は言われるままにICチップを取り出す。納得がいかない様子ではあったが、金属の球体に手渡した。
全部で17枚、金属の球体の持ち分と合わせると40枚である。
「結論から言いますと、ICチップを失い過ぎました」
金属の球体が捜索に割り出したICチップは機能を停止したもの。あるいは機能を損傷したもの。
そして、ICチップは脳であり、心臓であり、なくてはならないものだ。
ある程度の損傷ならICチップが機能代償として役割を担う。
「一部の損傷でしたら、問題はありませんでした。別のICチップが代用を務めればここまでの影響が出ることはなかったでしょう」
「もうどうにもならないのか?」
「肯定。まずICチップを復元できる者はいません。その上、残り僅かなこの時間で40枚ものICチップを制作するのは不可能です。よって製造番号321110933番生命型ホムンクルス R-タイプHにおいて、死亡を宣告いたします」
金属の球体ははっきりと言う。
無神経にもほどがある。死を宣告されたヴァニーが一番穏やかそうだった。
「球体さん、金髪さん」
ヴァニーが交互に金属の球体と少女を見つめて、
「お願いがあります。どうか聞いてくれませんか?」
「否定」
「まだ何にも言ってないだろうが」
聞く耳を持たないといった具合に金属の球体は乗り気ではない様子だった。
金属の球体は食器の片づけを始めてしまう。皿を一枚一枚重ね合わせて、その場から去ろうとする。
「お、おい! 何処行くんだよ!」
少女が呼びかける。金属の球体は歩みを止めることはしなかった。
「食器を洗いに行きます。暫しの間、ご歓談をお願いいたします」
20枚の使用済みの食器皿を抱えて、金属の球体はそそくさと行ってしまう。
少女は溜息を吐くしかなかった。
「すまん、ヴァニー。こいつに悪気はねえんだ」
「気にしていませんよ。それに、私が言いたいことがわかっていたようでしたので」
ヴァニーは含みのある言い方をする。少女は気にはなったが、追及することはなかった。