第一話 終わっている世界
世界は、終わっている。
誰も知られず終末を迎え、全てが忘却に包まれようとしている。
これは重大で大変なことなのだと人類は騒ぐものだが、その人類すら存在する気配はない。
そんな状況下で一人の少女が目を瞑り、横たわっている。太陽の元に身体を晒しながら、芝生の上で休憩をしていた。
金髪を肩まで伸ばし、プラスチック製のカチューシャが紅く輝く。長い眉毛や、キメ細やかな白い肌には芝生の草が乗っていた。風が吹いて、少女の顔に付着してしまったが取る様子はない。
終わっている世界には相応しくない紫を基調としたブレザー、青のスカート。スカートの縁に白いレースが縫い込まれていて二重構造になっている。これらの服装は少女の趣味であり、可愛いから着ていた。
少女は呑気にも欠伸をする。この状況が日常であるからなのか、周りを気にした様子はない。終わっている世界に対して、少女自身では些細な問題にならない。今は日の光を当たりながら、のんびりとしている。
世界が終わっているといっても、少女の生命の危険があるわけでもない。
これからも太陽は少女を照らし、またある時は雨をも降らすだろう。心地よい暖かい季節から寒い季節に巡り、湿度が高い日や低い日だって少女に与え続ける。
世界の終わりなんて、そんなものだ。
と少女は語る。
終わった世界なんて大したものではない。昔のイメージ的に老朽化した建物と、砂埃なんかも溢れかえってるという概念があった。加えて、緑もなく砂漠で覆われているなんてものもある。参考文献として少女は読んだが、軽く流した程度である。文献をその辺に投げ捨てて、
仮にそんなものがあったのなら、それは世界の終わりではなく、地球の終わりだ、と付け加えて。
「マスター」
聞きなれた声が少女の耳に届く。無機質な声、感情が全くこもっていない。金属の球体が少女の視線上方にいる。マスターと呼んだのは、この金属の球体である。ちなみにマスターというのはあくまで少女の呼称であった。
そういう体。賛否つけがたい真実。申し訳ない程度の呼び名。
少女はマスターではないが、訂正することはない。
「ユー、か」
「否定。マスター、私は製造番号445500998番自律コミュニケーション型AI、YU-タイプAでございます」
「お前か」
金属の球体から声が聞こえる。
少女は金属の球体の長ったらしいを嫌うので、お前やこいつなどと呼んでいる。
キュイキュイと変な機械音を軋ませながら、少女の元に近づく。大きさは少女の頭ぐらいのサイズ。一見すると、ただの金属の塊ではあるが、その性能は未知数で時に凄まじい。今も、球体の底から義足らしいものを出てきて二足歩行していた。不規則ながら、一歩一歩と芝を踏みしめている。
少女がユーというのは、精密なロボットの名称だ。人がいなくなり、辿り着いた先は少女であるが故に、少女をマスターと呼ぶ。
人は、ロボットを多数製造した。だが、そのロボット達は人という拠り所がなくなることでこうして、人類の遺産として残っている。
「マスター、休憩は十分だと私は提唱します」
「不十分だ。オレはまだ寝たい。眠い」
「否定。早く進むべきだと再度提唱いたします。さもなくば、ありとあらゆる機能を全面的に駆使し、その上でマスターの生存の危険が脅かされないよう絶妙なバランスでの威嚇射撃、遠隔射撃、または打撃での応戦を開始するとともに、必要とあらば催眠の考慮を吟味した精神攻撃も厭わない所存でございます。ハヤクシロ、ウスノロ」
「うわーお、このロボット。口悪りぃ」
少女は棒読みで言う。こう見えて機械といえども、独自のブラックユーモアと個性を持ち合わせている。
ロボットであれば、人間が与えられた命令に服従しなければならない。ロボット工学の三原則ではあるが、そのような原則がありつつも、平然とそんなことを言っていた。
はたして、ユーがロボットではないのか、はたまた少女が人間ではないのか、そのどちらかあるいは両方なのかもしれない。
と少女は心の中で思う。
少女は精一杯身体を伸ばす。
何やら金属の球体から不可思議な音を立て始めた。攻撃態勢の準備をしているのだろう。くわばら、くわばらと唱えつつ、立ち上がる。
「しょうがねぇなぁ。オラ、とっとと行くぞ」
「肯定。今日の目標は、この先ずっと先にある街でございます」
不可思議の音は消えて、金属の球体は変形し、義足からキャタピラへと切り替わる。一定の動作で街のある方へと進む。
ゴゴゴゴ、ゴゴゴゴ。
キャタピラが音を立てて走っているのを追いながら、少女はついていく。少女は最初こそ機械音が気になっていたものの、ずっと聞いているせいであまり気にならなくなっていた。
「どれくらいかかるんだ?」
「不明。私のメモリにあるデータに一部不備があり、正確さに欠けます」
「おおよそでいいよ」
「今のペースで換算すると、夕方には到着する予定です」
「そか」
少女は頷いて、芝生の上に歩き続ける。整備もされてもいない為、所々足に引っかかって歩きにくい。
隣を見ると芝刈りを行いつつ、キャタピラで進むというシュールな構図になっていた。
少女は空を見上げて、
「ユー、それいいな。オレも欲しい。なんか疲れなさそう」
「否定。燃料を消費しています」
ユーの燃料は、決まったものはない。無機物であるなら何でも燃料になる。
有機物は燃料にならないということではない。燃料不足が著しい時は魚を燃料にしたこともあったほどだった。
少女はユーの方を見つめる。
楽そうに芝生を越えているのを見ていて、一つ提案した。
「なあ、ユー。ユーの上に乗っていい?」
「ふ」
ロボットに鼻で笑われる。
正確にいえば、ロボットに鼻はないので、少女自身がそう解釈した。
「マスター。あなたはもっと一人前としての自覚を、と私は謹んで申し上げます」
「と、言いますと?」
「あなたは一人前のレディーでございます。一人前は一人前らしく一人で歩くべきだと私は分析します」
確かに。少女は人の性別から見て、女性という分類になる。年齢も16歳になり、一人前といえば、一人前ではある。
だけど、それだけだとも少女は思ってしまう。
「と、言いますと?」
「あなたは、十分に美しいと私は自負いたします」
少女は顔が赤くなっていくのを感じた。少女にとって意外な返答がきたので、言葉が詰まってしまう。視線を逸らし、表情を見えないようにする。じわじわと耳まで熱が帯びていた。
「ふ、ふん! 正直言って、ちょっとしか嬉しくないな!」
そう言って吐き捨てる少女だった。
然れど、満更でもなさそうである。指で髪を弄らせながら、口元の緩みが隠しきれていない。
「性格こそ難はありますが、顔はとても整っていらっしゃっる。胸も絶壁ではございますが、年齢も16歳になられてもいる。周囲に人がいないからではなく、普段から身につけておくべきかと私は心配を呈しております」
「なるほどな。オレは喧嘩を売られているわけか」
上げて、落とされた感覚に近かった。
事実とはいえ、少女は内心苛立つ。今の発言で嬉しさの気持ちがだだ下がりになってしまったのは言うまでもない。
「まぁ、俺はまだまだ成長期だから何の問題も―――」
「成長は見込めません。諦めてください」
即答だった。
何の躊躇もない。
「最後まで言わせろよ! せめて最後まで希望を持たせろ!」
「諦めてください」
「二回言うなぁ! ったく、失礼な奴だ」
「諦めてください」
まだ言うかッ! この野郎!
と少女は睨みつけても、反応しない。金属の球体は動きを止めるだけだった。
はあ、と少女は溜息を吐く。
ゴゴゴゴ。金属の球体はキャタピラで再び動き始めた。少女の歩幅に合わせてゆっくりと。速度と動きを変えていることに少女は気づいている。自分のペースに合わせてくれる、気遣い。そういうとこは律儀であった。
あまりのストイックさに、少女は肩をすくめて呆れた。同時にいつも通りで安心する。
少女は、終わっている世界で生きている。だから、少女は自身ら以外で会話をできるものを知らない。その為か心の中では満たされているのかもしれない。
もし、自身が一人だけがこの世界に取り残されていたら?
少女は怖くて想像もできなかった。
果たして、人類は生きているのか、いないのか。
人類の遺産になり得るのか、否か。それを確かめる為に、ここに歩いている。隣でキャタピラを走らせているこの機械もそう思っているに違いないと少女は思った。
「なあ。本当にこの世界は終わっていると思うか?」
少女は話題を変えつつ、
「賛否。判断するには早計だと私は断言します」
「なんでだ?」
「質問を質問で返すようで申し訳ありませんが、そもそも、終わっている世界とは何でしょうか?」
終わっている世界。
水が枯渇して、生物も飢え死に、植物も育たず。猛毒ガスが充満、積もり積もった産業廃棄物。地震と雷、噴火の災害。
そんな世界を少女は想像するが、すぐ振り払う。
終わっている世界とは、そういうものではない。
環境の終わり、生命の終わりが世界の終わりだというなら、この世界は何なんだという話になるからだ。仮にそうだとするならば、あくまで環境や生命は、世界が終わっている原因になった一因の可能性でしかない。
「絶賛地球滅亡中ってわけでもないしな。第一、世界とか何なのかと考えてみると、世界が終わっているのってクッソ曖昧だな」
「肯定。曖昧さについては同意いたします。つまり、そういうことなのです」
「どういうこっちゃ」
「世界とは、自分を中心としたそれ以外の物事であると私は推察します。独善的な解釈と、偏見で成り立っています。その世界を構築するのは、」
「人類?」
「あるいはその人類に近いもの、人類の知識を共有した私たちロボットも含まれます」
世界を世界と認識しているのは、人類しかいない。ならば、世界が終わっていると認識するのも人類しかいない。
終わった世界ではなく、終わっている世界だと言うのもそういうことである。今、この世界は人類にとって終わった世界なのか、終わっている世界なのかを判断する材料がない。
だからこそ、早計だとロボットは言った。
「世界が終わった、と確信できたらお前はどうする?」
「……」
答えない。
結論がまだ出ていないといったところだろう。
「私は……」
「あーあー、分かった分かった。いいよ、答えなくて。俺もお前に同じ質問されたら答えられなかっただろうし」
ロボットは人類なしでは生きてはいけない。
人類がネジを巻いて初めて稼働するものだから、それ以外の存在意義なんて見いだせはしない。
少女はその事を重々承知している。
「注意。マスター」
「お?」
目の前には獣がいた。涎を垂れ流し、こちらに近づく。
グルルと威嚇をして、出てきたのは狼だった。待ち伏せていたのか、ぞろぞろと集まってくる。
正面を数えるなら、4匹。マスター達の後方にも3匹唸り声を上げている。
「どうする?」
少女達はお互いに背を向ける体勢で狼の方へと向いた。
「否定。その質問は無意味でございます」
「だな」
「あなたは私の後ろを頼みます。私は正面を」
「りょーかい」
狼は少女と距離を取る。仕留めるなら、同時に勢いよく確実にするつもりなのだろう。
一方、少女は武器を出す素振りはない。ポケットに手を入れて、不敵な笑みを浮かべている。2匹が少女の背後に回り込むが、気にした様子はない。
狼から見れば、隙だらけの獲物だった。
「どうした? 早く来いよ。俺は逃げも隠れもしねえよ」
少女は目の前にいる1匹のみに視線を注ぐ。
やがて、じりじりとお互いに見つめ合い、
「オオオォ――――――!!」
狼の咆哮。咆哮が攻撃の合図となり、助走をつけて走る。首筋を狙いに三方向から牙を剥いた。
少女は抵抗することなく、首筋に牙が差し込む。
「オオォ?」
牙は首筋にめり込み、肉を引きちぎるつもりだった。しかし、牙は少女の皮膚を貫いたまま抜けない。血の一滴も流れず、当の本人は口端を吊り上げているだけだ。
狼達は必死で抜こうと試みる。手足が地面につかない為、力が伝わらない。ジタバタと暴れると、かすかな膨らみに触れた。
ふにふに。
少女の胸の感触が手に当たる。
ふにふに。
ふにふに。
……。
…………。
狼は苦笑した。
「どういう意味だ! ゴラ゛ァァ!」
少女は腕で狼らを掴み上げて、地面に叩きつけた。3匹の狼は悲鳴を上げて、動かなくなる。
「失礼な奴らだぜ。全くよ」
首筋につけられた穴がみるみると塞がっていく。その事実は、少女もまた人類ではない事を明示していた。
マスターと呼ばれるその少女。
正式名称は、製造番号445500997番自律コミュニケーション型AI、Y-タイプヒューマン。
少女もまた、人類の遺産の一つである。