それぞれの落日
09 それぞれの落日
サンソワン侯爵は目算を誤った。
カンブルース公爵側は、フランジーヌ嬢が侯爵の地元プルヴィエの邸宅で保護されている事を突き止めていた。
コートリュー伯爵暗殺に伴う令嬢誘拐に失敗した隠密部隊エイドロンの隊員達は、その後自力で令嬢の逃亡先を捜し、
結果をヴィシューズマン伯爵に伝えていたのである。
その功績で、ヴィシューズマン伯の秘密組織ランジュ・デ・テネブルは王都に立ち寄る必要がなくなり、故郷を出て
四日後にはプルヴィエ潜入を果たす。
彼等の攻撃は、既に秒読み段階に入っていた。
サンソワン侯の特殊部隊ノレンス・ヴォレンスの隊員は13名。
隊長のシュールミューロは、これを三つに分けて交替でフランジーヌ嬢の護衛任務に当たらせていた。
その夜の当直は、ネルヴィ、フリックフラック、パンゴラン、ミスティグリーという4名。
邸宅の中で、フランジーヌ嬢の部屋を監視出来る位置に陣取って終夜警備を続ける。
ネルヴィは、小柄で童顔、見た目は少年のようだが血の気が多く、遊び感覚で人を殺せる冷血漢。
「なあ、今日でもう何日目だっけ・・・。
俺飽きちゃったんだけど、帰って寝てていいかな」
フリックフラックは黒い長髪で細身の優男風。
手先が器用で、潜入と破壊工作のエキスパート。
「うっせ、黙ってろ。
シュールに言いつけんぞ」
「あ、お前なに食ってんだよフリック、俺にもくれよ」
「黙ってろっつってんだろ、ただの胡桃の実だよ」
「くれ」
「もう全部食った。
パンゴに貰ったんだ、欲しけりゃヤツに言え」
「パンゴ、くれ」
パンゴランはゴツい体型ながら無口で無愛想。
トラップの専門家で防御戦闘の達人。
「・・・・ない」
「くそ、使えねぇデブ」
ミスティグリーは、黒髪ショートカットのスレンダーな女性。
夜目が利き、動きの俊敏さは随一。
「あんた達、呑気でいいわね。
窓の外見て、守備兵に動きがある」
「いかん、お前のケツ見ると無性に撫でたくなる」
「フリック、触ったら殺すよ」
彼等の他に、邸宅の敷地周辺と建物の周囲には領兵部隊が配置されている。
その兵達が通常と違う動きを見せたと言うが、月のない深夜に加え、木などが邪魔で普通ならほとんど見えない。
ミスティグリーが指示を出す。
「ネルヴィ、全員招集よ、敵が来た」
「班長は俺だぞ、お前が命令するな」
「あんたなんも見えてないでしょ、いいから早く」
「でもよぉミス・ナイスヒップ、領兵の斥候からは合図がねぇぞ」
「フリック、あんたそんなの当てにしてたの?
敵もプロよ、簡単に合図なんか出させないって」
「なんてったっけ、ランジュ・デ・テネブル?
ダーク・エンジェルなんて格好つけやがって、全滅にしてやるよ」
「本当に全滅させたら1回だけお尻触ってもいいわよ」
「マジか、じゃ出動」
「待ちなさいって、あたし達は守備よ。
迎撃はシュール達がやるから任せておけばいいのよ」
「じゃあ、ケツ触れねぇじゃん」
「それは残念」
☆
密かに潜入を始めた敵が、防御の第一陣と交戦に入ったようだ。
だが、物音は一切聞こえない。
シュールミューロを始め全隊員が揃ったところで、分担の指示が飛ぶ。
「ミスティ、本当に敵なんだな。
旦那が言っていた予定より随分早いぞ」
「自分の目で確かめたら、表に来てるから」
「分かった。
フルーとポラトゥーシュは敵の偵察、正確な数と布陣、状況を知らせろ。
リューロン、フラムロール、ヴァンダンジェットは姫の移送準備。
アルドとフリック、パンゴランは防御に回れ。
残りは俺と行く、散れ」
彼等が行動を開始して間もなく、偵察のフルーから第一報が届けられた。
「敵、第一陣突破。
数は12、動物がいる、数は6」
「動物だと?」
シュールミューロが報告に疑問符を付けた時、邸宅の周辺に配置されていた領兵達が一斉に騒ぎ出した。
夜目の利くミスティグリーが、その騒ぎの実態を目撃する。
「狼よ、狼が襲ってる」
敵の中に動物使いがいる。
狼を嗾けて守備兵達を混乱させている間に邸宅に接近、潜入する作戦のようだ。
そこへ、ポラトゥーシュから報告。
「敵、第二陣突破。
右翼5、左翼3、中央4」
「テューリー、ミスティ、犬を始末しろ。
ネルヴィは右、スパーダサンは左、真ん中は俺がやる」
更にフルーから報告。
「後方に敵影。
数8、4バイ4で裏の窓に接近」
「やっぱり別動隊がいたか、そっちはアルドとフリックに任せろ。
前を片付けたら裏の支援に行くぞ、本隊はそっちから来る」
二人の偵察が完璧に敵の状況を報告してくれるおかげで、彼等は全く無駄なく効率的な迎撃態勢が取れた。
狼の集団を使って守備を翻弄する作戦は、意表を衝かれて慌てた領兵達には大きな効果を発揮したが、動物的嗅覚と
俊敏さを合わせ持つテューリーと、暗視と聴覚に優れるミスティグリーには意味を成さなかった。
テューリーはたちまち4頭の首を掻き切ったし、ミスティグリーは2頭を手懐けてしまった上に、それを操っていた
敵兵を探し当てて始末してしまった。
左翼の3人を相手にしたスパーダサンは、木陰や草むらに潜んでじわじわ接近する敵兵の、その更に後ろに回り込み、
背後から静かに一人ずつ仕留めていく。
音も立てずに各個撃破する、ゲリラ戦における攪乱戦法の教科書のような暗殺術を見せた。
右翼の5人を一人で相手にするネルヴィは、太刀、小太刀、ナイフといった刃物類を巧みに使い分け、まず最小限の
行動範囲で、分散する敵を投げナイフと小太刀を使って3人を倒す。
残る二人に策は要らない。
彼は少年のように小柄なので、敵はつい間合いを少し詰めてしまう傾向がある。
太刀を持つ右手を後ろに、半身で立つ彼を見て油断するからではない。
確実に仕留めようとするためである。
それこそが彼の思う壺で、敵が一歩踏み込んだところを長い太刀で一振りすれば、間を詰めた敵に逃げる暇はない。
中央を担ったシュールミューロは、動物使いをミスティグリーが始末してくれたので、残りの3人を相手にした。
敵は、揃って同時に斬りかかってきた。
対する彼は、足元の砂を蹴り上げて相手を攪乱し攻撃のタイミングをずらしてから、二刀流を駆使して防御と反撃を
並行する。
3人を処理するのに1分もかからない。
☆
前方の陽動部隊を殲滅した彼等は急ぎ邸宅へ引き返し、建物の背後から来る本隊の迎撃に加勢する。
初めにきた4人編隊2組8人の敵のうち、二人は事前にパンゴランが仕掛けていたブービートラップにかかって死亡、
更に一人はバンジステークに嵌った。
罠を用心した残り5人は一旦退き本隊と合流、総勢14人を再編して3班に分け、時間差で攻撃を再開した。
既に一戦交えたシュールミューロ等は、敵の力量を把握出来ていたので、恐るるに足りぬと分かっていた。
特に、ネルヴィとテューリーの二人は、まるで水を得た魚のように、邸宅の後方の林の中を自由に駆けずり回っては
敵を斬り倒していく。
トラップを警戒しつつゆっくり前進していた敵兵達は、この突出した攻撃に為す術なく混乱に陥って、態勢を崩され
撤退を余儀なくされる。
しかし、彼等に退路は残されていなかった。
スパーダサンとミスティグリー、フリックフラック等によって後方を遮断され、包囲されてしまっていた。
後は、ネルヴィ達に暴れたいだけ暴れさせておけば、勝手に残存兵を掃討してくれる。
最後に、ポラトゥーシュが敗残兵の有無を確認して、迎撃の任務を終了する。
ポラトゥーシュは、隊員達の中で最も高い夜行性動物並みの暗視能力を持つ偵察要員である。
アイドル的存在の小柄な少女ではあるのだが、普通の人間には感知出来ない僅かな光にも反応する眼球を持つせいで、
日中の太陽光は網膜を焼いてしまう危険性があり、昼の間は黒い布を巻いて目を覆い隠して過ごしている。
その状態で、普通に物が見えるのだ。
こうして、襲撃部隊を全滅させた彼等は、すぐさま次なる行動へ移る。
潜伏先が特定された事がはっきりした以上、ここにフランジーヌ嬢を留め置くのは危険過ぎる。
2次攻撃、3次攻撃を回避するためにも、早急に別の場所に転居して貰わねばならない。
移転先やルートは前もって確保しているので、速やかに移送任務に入った。
この、フランジーヌ嬢奪取作戦に参加したランジュ・デ・テネブルの隊員は29名。
部隊の全隊員だった。
☆
翌朝、知らせを聞いたシトルーユは、自らの判断の甘さを悔いた。
ヴィシューズマン伯の情報収集力を見誤っていた。
「なんという失態だ。
痛恨の極みだな」
フランバールが取り繕う。
「しかし、ノレンス・ヴォレンスが見事に対応してくれました。
これも、閣下が早くから彼等を動員した成果ではないかと思うのですが」
「結果オーライで済まされる問題ではない。
こんなミスは二度とあってはならない」
「申し訳ありません、肝に銘じます」
「君が謝罪する理由はどこにもないよ。
それにしても、シュールミューロはよく即応してくれたものだ。
迎撃の別働隊を編成するよう指示したばかりだったからな。
これは、間違いなくボーナスの請求が待っているな」
「ところで閣下、ルーエイはどうしましょう」
「そうだな、これで彼の力を借りる必要がなくなったな。
彼には、当初の予定通りトゥルネブーレ公の監視の方へ移動して貰おう」
「畏まりました」
☆
同様の知らせは、カンブルース公ベリトルを激怒させた。
彼は、即座にヴィシューズマン伯に説明を求める使いを出す。
使者が持ち返った手紙は、支離滅裂で全く要領を得ない申し開きに終始していた。
ヴィシューズマン伯本人も、自慢の秘密組織を壊滅させられて動揺し、混乱しているのが容易に連想される内容では
あったのだが、貴族らしからぬその文面を見て、ベリトルは彼を見限った。
その場には、一人の男が同席していた。
ラファール・スフィレンという名のその男は、公爵の隠密部隊エイドロンの隊長である。
彼は、トゥルネブーレ公デニュエを失脚させるべく目論んだベリトルの指示で身辺を調査し、その報告のためにきて
いたのである。
「ルバールはもう駄目だな、使い物にならん。
優秀な秘密組織を持っていると言うから当てにしたものの、所詮は田舎者の空威張りだったか。
君はどう思うね、ラファール」
「私の口からはなんとも、会った事もない者の評価は出来ません」
「同じ不出来な部下を持つ者として、通ずるものを感じているのかね」
「そうではありません・・・」
「まあいい。
君等はそんな事にはならないと信じているし、そうであって貰わねば困るよ」
「はい。
身命を賭して」
「今回の事で、サンソワンがコートリューの娘を匿っている事がはっきりした。
あの若造が裏で色々と工作していたとはな。
コートリューと繋がっていたとは知らなかったし、そういう事をするなら国王擁護派の急先鋒クランカン侯以外に
ないと思っていたからな。
まあ、一本槍なクランカンに裏工作の才覚があるとは端から思ってはおらんが、サンソワンとなると話は違う。
親譲りの枢機卿が何様のつもりだと思っておったのに、ヤツは若造のくせに妙に勘の鋭いところがある。
目障りになる前に、ヤツにも消えて貰うとするか。
だが、その前にやっておくべき事があったな。
報告を聞こうか、ラファール」
「トゥルネブーレ公に関しましては、最近ファンファロン子爵が接触したと情報が入っております」
「ほお、女色に溺れるだけではないという事か」
「子爵の接近の動機が読めぬうちは、今暫く様子を見る必要があろうかと思います」
「小僧が動いてくれぬ事には、告発のタイミングもままならぬからな。
そのまま監視を続けてくれたまえ。
サンソワンの方にも目を配っておかねばならぬから、数名を配置して貰おうか」
「はっ」
☆
そのトゥルネブーレ公デニュエが、誰もが予想しなかった行動に出たのは、そろそろ秋の虫の声が聞こえてきそうな
季節に差しかかった深夜の事だった。
彼は、唐突に馬車で外出した。
向かったのは、宮廷内に幾つかある林の一つ。
デニュエは、そこで人と待ち合わせをしていた。
ファンファロン子爵シュノーク。
深夜の林に呼び出した彼を、ほとんど会話もないまま、デニュエは突如ナイフで刺した。
突然の暴挙に慌て、その場を逃げ出そうとして倒れたシュノークに馬乗りになり、子爵の身でありながら公爵である
自分に対して無礼を働いた報いだと、何度も繰り返し叫びながら、何度も刺した。
ほぼ暗闇に近い状態で断定は出来なくとも、その声の調子や身振り手振りなどからは、強い妄執と強迫観念に囚われ、
精神的に病んだような狂気じみた様子が窺われる。
デニュエの宮殿を監視していたルーエイは、馬車を走って追いかけ、梢の陰からその現場を目撃した。
「あーあ、殺っちまった。
こんな所まで走らせやがって、こんなくだらん見せ物に払う金はねえぞ。
リル、お前にはどう見える」
「人間同士で分からないものが私に分かる訳ないでしょ。
それとも、悪魔に取り憑かれたとか思ってる?」
「知らん、そう見えなくもないが」
「人間はなんでもすぐ悪魔のせいにするけど、そうじゃない時もあるのよ」
その後、デニュエは、事切れたシュノークをその場に残し、馬車に乗り込んだ。
馬車は宮殿には帰らず、別の場所へ向かった。
そこは、パルフレニエ侯爵家の別邸。
ルーエイが辿り着いた時には、その館の主人であり、デニュエの恋人でもあるアンマンシェ男爵夫人アンミエーレは、
血で赤く染まったシーツの上で静かに横たわっていた。
デニュエは、その横で服に返り血を浴びたまま、ナイフを手に茫然と立ち尽くすのみであった。
兄王子の暗殺を目論んでいたはずの彼が、何故にこのような凶行に及んでしまったのか。
文字通り血迷ったとしか言いようがないのだが、正体を失っても王宮へ乗り込むのを自重するだけの分別は残されて
いたという事か。
何も映さなくなったアンミエーレの瞳は、天井を見つめたまま涙を流していた。
☆
翌日、トゥルネブーレ公デニュエは、殺人の容疑で逮捕された。
続