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エミナンス・グリーズ 3  作者: 降下猟兵
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オスタンタトワール事件


 08 オスタンタトワール事件



 盛夏の宮廷に、一つの些細な噂が広がり始めた。


 シャテリー・リュブリシテ・ド・オスタンタトワール侯爵夫人の、不倫疑惑に関する噂だった。

 カンブルース公ベリトルの妹である26歳のシャテリーには、以前から夫・マローとの不仲説が囁かれ続けていた。

 結婚して4年になるが、侯爵の領地に足を踏み入れたのはたった一度だけで、ずっと宮廷内の侯爵家の宮殿で生活し

 続け、社交界に入り浸っている。

 子供がいないため、不仲の噂が立つのは致し方ない部分もあろうが、不倫という噂は初めてだった。


 とはいえ、これは宮廷内で飛び交う無数の噂の一つに過ぎず、同様の噂は他にも飽きるほど流れ日々更新されるので、

 初めのうちは特段に注目されるような事もなかった。

 これを問題視したのは、兄のベリトルだけだった。

 噂が事実だったからではない。

 理由は不倫相手にあった。

 アングローセ・ド・トロンペリー男爵という、22歳の独身の若者だった。

 彼は、ソングクルー伯爵の甥に当たり、伯爵領内のトロンペリーという都市の市長という肩書きを持つ男ではあるが、

 常に王都の宮廷内に住み、仕事は全て側近や官僚任せにしているような道楽者である。


 名義だけで中身は無職というこの手の人物は、宮廷内には男女を問わず多数いる。

 それ故に、ベリトルは初めほとんど意に介さなかった。

 他に優先すべき問題を抱えていたせいもあり、暇を持て余した妹のちょっとした火遊び程度にしか考えなかった。

 それが、何気なく部下に不倫相手の身辺調査をさせた結果、出てきたソングクルーという名に引っかかった。


 ソングクルーといえば、父親が死亡した後に息子のアルナークが家督を継いだのは、まだ3ヶ月そこそこ前の事だ。

 その2週間後、上級領主のコーシュマル公爵が事故死して、親族同士の見苦しい覇権争いに発展した。

 ここへきて初めて、ベリトルは国の北東部で起こったこれら一連のお家騒動に疑問を抱く。

 そして、それらの事象の全てが、一人の人物の利益に繋がっている事に気が付いた。

 エーグレファン伯ロスリーである。


 ただし、ベリトルがこのロスリーという男を本当に危険な人物だと理解するまでには、まだ時間が必要だった。

 この時点では、ただの辺境の若き野心家という程度の認識でしかなかった。


 ☆


 シャテリー夫人の不倫疑惑が波紋を広げるのは、それから暫くしてからの事だった。

 夫のマローは思いの外寛容な人物で、取り立ててこの件で彼女を糾弾もしなかったし、謝罪も求めなかった。

 夫婦仲が冷め切っていたと言えばそれまでなのだが、宮廷では、夫の無欲とも言えるその姿勢が高く評価された。


 一方、当事者であるシャテリーは、不倫が明るみになった事に大いなる不満を抱いていた。

 噂が拡散されたのは、誰かがバラしたからに他ならない。

 その発信元を特定して、懲罰をくれてやらねば気が済まぬ。

 脳天気で何の特徴も魅力もなく、ただ真面目なだけのつまらない夫の方に世間の同情が集まり、いかにも自分が若い

 ツバメを弄んだ悪女であるかのような話が流布してしまっている事に、激しく苛立ち憤慨していたのだ。

 夫に嫉妬しているとも思われるが、本人にその自覚は微塵もない。

 漫然とした結婚生活の中での、唯一と言っていい密かな愉しみを奪われてしまった事に憤っていた。


 噂の源泉探しは簡単ではない。

 一番に疑うのは、日頃から夫人の身近にいる者達になる。

 ただ、侯爵家の宮殿には平常時でも百人にならんとする使用人が働いている上に、茶会を催すなどの際には実家から

 メイドや職人が追加で多数派遣される。

 愛人と逢瀬を重ねた別邸に出入りが許される者は限られるとしても、個人まで特定するのは困難だ。

 他にも、出入り業者や贔屓の商人、庭師なども含めると、その中から張本人をあぶり出す作業が難航するのは必至で、

 考えただけでげんなりさせられる。

 アングローセとは噂の露見以来会っておらず、そうした体の火照りも、彼女の心身を不安定にしている要因なのかも

 知れない。


 その矢先、当のアングローセが死出の旅路へと出発してしまった。

 宮廷のソングクルー伯爵家の館の敷地内にある納屋で、梁に縄を掛けての縊死だった。

 発覚した不倫を清算する自殺、と捉えるのが一般的な見方であると思われるのだが、そこは宮廷である、人妻に手を

 出した事への贖罪と考えた者はほとんどいなかった。

 むしろ、自分が消え去る事で二人の許されざる愛は永遠不滅のものとなる、などという歌劇の脚本の如き根拠のない

 動機の方が、ある種の説得力を持って広まっていったのである。

 噂好きのご婦人方達は詩的で情緒的な解釈が大好きな、夢見がちなロマンチストばかりなのだ。

 完全に悪女評が定着し居心地の悪くなったシャテリーは、宮廷を離れ自領の邸宅に引き籠もらざるを得なくなった。


 ☆


 そんな、不倫の果ての悲劇の話が宮廷内を駆け巡る中、トゥルネブーレ公デニュエの宮殿を訪れる一人の若者がいた。

 シュノーク・バンキスト・ド・ファンファロン子爵と名乗って面会を要求した彼は、応接間へ通されるなり、公爵に

 対し人払いを願い出た。

 デニュエとシュノークはこれが初対面ながらも、お互い頭の片隅に聞き覚えのある名前同士ではあった。

 共通の知人がいたからだ。


 デニュエは、面会には応じたものの、シュノークが何の用件で来たのかは全く予想もつかなかった。

 その19歳のニタニタした軽薄そうな青年の顔を見れば尚のこと意図が読めない。

 シュノークはラルグ伯爵家の次男で、宮廷に出入りし始めたのは今年に入ってから。

 その名を耳にしたのも、つい最近の事だったと記憶している。

 ファンファロン子爵というけったいな称号も、実家の飼い犬の名前から取って付けたと揶揄されるくらいに、威厳も

 権威も持たぬ若さだけが取り柄の男である。

 そんな男の話とは一体何だろう。


 席上で、出し抜けにシュノークが口にした名前に、デニュエはドキリとさせられた。

 「アンマンシェ男爵夫人、アンミエーレ」

 宮廷の好色殿方達を食いまくっている事で知られる21歳の美女の名前だ。

 彼女には、常に男絡みの問題が付き纏う。


 「ご存知ですよね。

  もしかして、閣下も筆下ろしは彼女のクチですか」

 「馬鹿を申せ」

 「そうですか、それは大変失礼致しました。

  彼女は、私のような新参の若造には、社交界の入り口としてはこれ以上ない傾城けいせいでしてね。

  友人達も、皆一度は彼女の門をくぐる事を憧れてやまぬと申す解語の花なのですよ」


 デニュエは、努めて冷静を装った。

 「卿は何が言いたいのかね。

  ここであのご婦人をどんなに賛美したとて、卿に何の得があるのか知らぬが、私にそれを通訳しろとでも言う気か」

 「とんでもない。

  そんな畏れ多い事、私如きがどの面下げて閣下にお願い出来ましょう」

 「ならば何用だ。

  そもそも、あのご婦人とは知り合いであり良き友人でもあるが、卿が考えるような俗っぽい仲ではない」


 「そうでしょうか。

  聞けば、彼女はほぼ毎日のようにこのお屋敷に通っておいでの様子との事ですが、毎度毎度お茶やらカードやらに

  興じるがためだけにお呼び立てしている訳でもありますまい。

  閣下に絵を描くご趣味でもあれば、そのモデルかと納得する者もおりましょうがね。

  誰が考えてもそれ以外の、彼女にしか為し得ないお務めがあるものとご推察致しますよ」

 「だったら何だと言うのだね」

 「私が申し上げたいのは、娼狂よねぐるいもたいがいになさいませという事でございます。

  彼女を最初に寵姫として召されましたパルフレニエ侯ゴンズ閣下は、1年と持たずに天上あそばされたと聞きます。

  最近話題のトロンペリー男爵の例もありますれば、閣下も同様の憂き目に遭わぬが肝要とお考えになりませんか」


 「それは忠告か、それとも面詰か」

 「忠告、とご理解いただいて差し支えないかと存じます」

 「言っておくが、私は彼女を呼びつけた事など一度たりともない。

  彼女が自らの意思で行動しているだけの事。

  私にどうしろと言ったところでどうなるものでもあるまいよ」


 シュノークはデニュエに対し、アンミエーレとは一定の距離を取れと、暗に彼女と別れろと仄めかして立ち去った。

 どうやら、彼女を独り占めされていると感じ、気分を害しているようだ。


 デニュエはそれをあっさり突き放したが、一抹の不安を心の中に抱いた。

 兄のラサント王子暗殺計画も思うに任せず、精神的にも追い詰められつつある時に、その焦燥感を癒やし解き放って

 くれる天使の如き存在として降臨してくれた彼女を、何を以て手放さねばならぬのか。

 彼女自身もそれを望んでいないのは質すに及ばずだ。

 国王の息子である公爵に対し、正面から無礼を働いた非常識な愚か者には、征討に値する相当の理由がある。

 自分は、何も後ろめたい事はしていないのだから。


 ☆


 トゥルネブーレ公爵の宮殿を訪問した若者は、そこを密かに監視していたルルートの目に入っていた。

 彼女は、帰路についた男の後を尾行し、その結果を預かっていたタミヤのハトに託してフランバールの元へ送った。


 ハトは寄り道もせずに真っ直ぐに、僅か10分後には主人の頭の上に留まった。

 「あ、ハトさんが来たです、お帰りですよ」

 「誰からだい」

 「ルルちゃんですよ」


 その時のタミヤは、フランバールの側に付いて情報センターと化していた。

 各自、個々バラバラに散って活動しているメンバーが得た情報は、彼女を経ずして、こうも短時間で集約される事は

 まず不可能だ。

 「デニュエ閣下を訪ねた男はラルグ伯の館に帰った・・・」

 報告を聞いたフランバールは、事態の新たな展開を知る。


 カンブルース公と袂を分かったトゥルネブーレ公に、今度はエーグレファン伯が接触を図っている。

 これは何を意味するのか。

 知らせを聞いたシトルーユも興味を掻き立てられた。


 「デニュエ閣下も気に入られたものだ、相当に使い道を見積もられたね。

  南部の伯爵達に動きはないかい」

 「はい、ベシュデメル伯爵家を除き、ほぼ国王陛下支持派で占められておりますので、特に注意すべき点はないかと」

 「ベシュデメルは鳴りを潜めたままだし、他の家々もデニュエ閣下の奸計は知らぬのだろうから当然か。

  通い妻の方は相変わらずなのかな?」

 「どうも、その男爵夫人が二人の橋渡し役のように思えます。

  トゥルネブーレ公とエーグレファン伯の派閥を直接繋ぐパイプ役となると、候補は自ずと絞られます。

  今はまだ確証はありませんが、夫人に政治的野心がないとは言い切れません。

  監視をつける意味はあろうかと思いますが」

 「美人局かあげまんか。

  そうだな・・・、ルーエイはどうしてる」

 「プリムローズ宮の監視任務に就いていますが」

 「彼にちょうどいい役なんだがな、異動して貰うか」


 二人が対策を話し合っているところへ、新たにカラスがタミヤの元へ舞い降りた。

 「今度は誰からだい」

 「ベルちゃんですよ」

 「ベルエールは、フィンクと共にカンブルース公の地元デグーの邸宅を監視しているはずですが・・・」


 ベルエールの報告によると、デグーの邸宅はかなり警備が厳重で、領兵の護衛部隊が24時間態勢で警戒している。

 一昨日、そこを一人の見慣れない人物が訪れた。

 不審を抱いたベルエールは、男が邸宅を出た隙を見計らって、フィンクの悪魔エイルニルスを取り憑かせた。

 その結果、男はヴィシューズマン伯ルバールで、カンブルース公ベリトルからコートリュー伯の娘フランジーヌ嬢を

 捜索、拉致するよう依頼されたと分かった。


 「やはり、カンブルースはフランジーヌ嬢を狙っていたか」

 「保護しておいて正解でしたね」

 「全くだ。

  あの美しい貴婦人が、あんな奴等の餌食になるかと思うと虫唾が走る。

  一刻も早く安心させて差し上げたいものだな。

  しかし、カンブルースはなぜ自分の隠密部隊を動かさない。

  同時進行で何かやっているか」

 「今のところ、そういう動きはないようです」

 「そのヴィシューズマンとかいうのが来るのは、いつぐらいになるかな」

 「伯爵の領地からだと、この王都までは早くて四日後くらいになろうかと」

 「だが、奴等はまだ姫の居場所を特定し切れていないはずだ。

  捜索は王都から始まるとして・・・、ルーエイの異動は少し待つか。

  彼に敵の頭数を幾らか減らして貰おう。

  それからシュールミューロに連絡、警戒強化の指示と共に、ゲリラ部隊を編成してルーエイから引き継ぐ用意を。

  守備中隊には斥候の配置と、予備の中隊にも出動待機の指令を」

 「畏まりました。

  いよいよ来ますか」

 「これで、我々が色々と動いている事がカンブルースに知られてしまうな。

  あまり矢面に立ちたくはないが、まあ、それはそれで是非に及ばずなのかな」


 「ところで閣下、ルーエイの報告にあったゾルクロース帝国の保安警察の方はいかがなさいますか」

 「別に。

  何も考えていないよ」

 「黙認して良いと」

 「諜報活動でもしているなら大問題だが、それなら自分から身分を明かす事は決してないし、犯罪者を取り締まって

  くれるというのだから、こちらが邪魔をする道理はない」

 「違法な越権行為になりますが」

 「構わないさ。

  彼等が己が任務に成功しようがしまいが我々が痛む事は何もない。

  むしろ、成功してくれた方が、こちらとしては助かるのだからね」


                                             続



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