素晴らしきかな日曜日
02 素晴らしきかな日曜日
カンブルース公爵が病に倒れ、世を去ったのは、その年の初夏、7月の初めの事だった。
先代国王アンギーユ1世の弟に当たるカンブルースが65年の生涯を閉じたのは、世間的には急な出来事と思われた。
彼が心臓に不安を抱えていた事は、家族以外には伏せられていたからだ。
ただ、病状の悪化速度が思いの外速かったのは、家族としても予想外だった。
家督を継いだ長子、ベリトル・デグランジェ・ゴードリヨールは、即座に一族の引き締めを計り、弟のフランガル伯
オーレリと、妹のオスタンタトワール侯夫人シャテリー・リュブリシテ、それからベリトルの息子のフロールーズを
召集した。
今後の方針を話し合う、家族会議のためである。
新当主となったベリトルは40歳。
妻と息子が一人いる。
父親から帝王学を学び、若いうちから秘書として多くの政務にも携わってきた。
政治的野心も高く、現在は政府の工部尚書として、国内各地の王室関連施設等の建設と保守管理を統括している。
「父上が亡くなられてしまった今、今後我々がどうすべきかを確認しておきたい」
「兄上のお好きにどうぞ。
私は従いますよ、兄上のご決定ならば」
「それは、不満があっても我慢するという意味か、オーレリ」
「深読みし過ぎですよ兄上、私は政治には興味がないと申し上げているのです。
ですから、兄上がなさる事に何を差し挟む余地がありましょう」
その弟、オーレリ・リボード・フランガルは31歳。
所領を持たず、フランガル伯爵の称号だけを持つ宮中伯。
未だ未婚で独身。
甥であるベリトルの息子、18歳のゴードリヨール伯フロールーズを伴って、日々宮廷内のご令嬢の方々と浮き名を
流しては、刹那の享楽生活を謳歌している。
政治には無関心で、ほとんどを宮廷内で暮らしている。
「お前はどうなんだ、シャテリー」
「わたくしも、オーレリ兄様と同意見ですわ。
どうぞ、ベリトル兄様のご随意になさって下さいませ」
「侯を呼ぶべきだったかな」
「わたくしの夫の意見など聞く必要はありませんわ。
父上に頭が上がらなかったのですから、ベリトル兄様にも喜んで服属する事でしょうし、そうさせますわ」
妹のシャテリー・リュブリシテは26歳。
オスタンタトワール侯爵家に嫁いではいるものの、生活はもっぱら宮廷で、領地に入る事はほぼない。
完全なる政略結婚で子供はおらず、夫との不仲説も絶えず囁かれ続けている。
ベリトルの息子フロールーズは、ゴードリヨール伯爵の称号を持つも、所領のない宮中伯である。
よって、彼の生活の拠点は、宮廷内の公爵家のプリムローズ宮のみとなっている。
父親よりも叔父のオーレリの方からの影響を強く受け、今は勉学そっちのけで遊び歩いている。
オーレリやフロールーズのような、領地を持たない称号だけの宮中伯というのは、実はけっこう多くいる。
領主の弟や妹、或いは子息であったり異母兄弟が名乗る場合がほとんどで、それらは聖職や軍職に就くのが一般的と
なっているが、中には彼等のように宮廷内の宮殿の管理人くらいしかやらない者もいる。
宮中伯が名乗る称号は、領内の地名だったり祖先の名前だったり、その家に関係していると分かるものであれば特に
決まりはないが、誰でもが自由に名乗れる訳ではなく、国王の認可が必要になる。
☆
生前のカンブルース公爵は、息子のベリトルを次期国王にすぺく画策していた。
娘を侯爵家に嫁がせたのもその一つで、傘下の貴族以外にも支持を広げんとする多数派工作であった。
また、次男のオーレリにも幾度となく縁談話を工面したが、オーレリは悉くそれを拒絶した。
その工作の最たるものが、現国王の次男であるトゥルネブーレ公爵と、協定を結び密約を交わした事だった。
通常であれば、次期国王は序列通り長子であるラサント皇太子が継ぐ事になり、弟のトゥルネブーレ公デニュエには
回ってこず、せいぜい国王を護衛する近衛師団の師団長の座にしか座れない。
僅か数年の生まれの差で、まるで別格の扱いを受ける事に不条理を感じたデニュエは、密かに宮廷で貴族達の支持を
取り付けるべく裏工作に乗り出す。
弟が王になるには、兄を亡き者にするしかないのである。
しかし、暗殺となれば余程信頼の置ける者にしか打ち明ける事が許されないため、計画には慎重を要し、期待通りの
感触は得られずにいた。
彼の周囲には、国王支持派の取り巻き貴族ばかりだったので、自分を擁立してくれそうな反国王派の貴族との安易な
接触は難しい。
加えて、その過程の中でカンブルース公との対立構造が生まれた事で、更に進捗を遅らせた。
ここで、そうした水面下の動きを知る者達を驚愕させたのは、両者が手を結び密約を交わすという、禁じ手とも言う
べき大胆な方策に打って出た事だった。
カンブルースの発案とされるその密約とは、まず、国王アンギーユ2世を暗殺すると同時に、ベリトルが政府全体を
掌握し実権を握る。
そうなると、王子ラサントは自動的にその地位を追われる事になり、それでも抵抗するようなら斬首すればよい。
その上でベリトルが玉座に座り、政権を安定させた後にデニュエに譲るという、お伽噺のようなものだった。
デニュエは、手を汚す事なく野望が実現出来るとあって、喜んでその提案に乗った。
彼が愚かなのは、仮にこの猿芝居が実現しても、現在40歳のベリトルが死亡するまで玉座は空かぬという初歩的な
計算が出来ていない事にある。
譲位に関しての詳細な擦り合わせがないまま合意してしまったが故の、齟齬によるものであった。
新しい政権が安定するまでの数年間だけ待てばいいと、勝手に思い込んでしまったのだ。
しかも、このクーデター計画には、近衛師団や国軍の動向を制御するための方策がほとんど示されていない。
彼等がいち早く皇太子守護に動けば、内戦状態に突入してしまうのである。
カンブルースにとって、これはデニュエに謀叛の動きありと政府に通告して排除させるまでの場繋ぎの措置に過ぎず、
準備が整い次第行動を起こすつもりでいたので、どんなに穴だらけの空論だろうが一向に構わないのである。
デニュエが血気に逸って無謀な簒奪を敢行し、その結果として王室の警備態勢が今以上に強化されてしまうのを未然に
防ぐのが目的だった。
ただ、彼の心臓が、そこまで持ちこたえてくれなかった。
家督を継いだベリトルは、このふざけた密約の中に、のっぴきならぬ問題が潜んでいる事に気が付いた。
労せずトゥルネブーレ公を失脚させられるのは歓迎すべき事だが、配下の伯爵達に累が及ぶ可能性が否定出来ない。
たとえ直接関与しておらずとも、連座的に責任を負わされてしまう立場の家があるやも知れぬ。
その懸念が払拭されない限り、デニュエを謀反人として告発出来ないと判断したのである。
父親の死亡後、密約の確認と速やかな履行を要求してきたトゥルネブーレ公に対し、ベリトルは距離を取り始める。
上記の懸案事項に加え、肝心要のアヴァリス神父が失敗してしまった事が、計画に暗雲を垂れ込ませる要因となった。
彼は、国王の在位5周年の祝賀行事が終わるまで待った後に判断すると返信した。
それでは、半年以上待たねばならぬ事になる。
業を煮やした短気なデニュエは、独断で動く事を決意する。
敵対勢力は来年までは手出ししないという確約を得たも同然だからである。
かくて、カンブルース公爵家とトゥルネブーレ公爵の蜜月は、僅か2ヶ月足らずで幕切れを迎える事になった。
無論、これらは両家の中枢を成すごく一部の者しか知り得ない極秘事項である。
☆
その、絶対機密の内部情報を知る者が、外部にいた。
サンソワン侯シトルーユその人である。
彼は、コンパルス・フェブラルドから得た噂を確認するため、特務情報機関エミナンス・グリーズの工作員を密かに
潜入させ、情報収集させていた。
もし、この二つの公爵家が結託していたら、政治的な大派閥を形成し、最大の地方勢力となっていただろう。
サンソワン侯でさえも謀叛を阻止するのは不可能で、この両家の決別がどれほど彼を喜ばせたかは論ずるに値しない。
報告を聞き終えた彼は、安堵のため息と共に背中を椅子の背凭れに深く沈め、アンサンシュール男爵に語った。
「これで、せっかく君の部下達が得た情報も無駄にならずに済みそうだ。
アヴァリスという神父が悪魔の復活を成し遂げていたら今頃どうなっていた事か、考えただけでぞっとするな。
全てが後手に回るどころか、我々は何も出来ぬまま天国への階段を上る事になっていただろう。
カンブルースの方が先に旅立ったというのは、これも神のご加護なのかな」
「悪魔を使って国王陛下の暗殺を目論むなど、常人の考える事ではありませんね」
「自分の病状を鑑みて出した結論なのだろうな。
哀れな男だが、悪魔に憑依されずに済んだだけでも救いなのかも知れないな」
「もっと哀れなのは、デニュエ閣下の方なのではありませんか」
「そうだな、カンブルースに踊らされた挙げ句、謀叛の張本人に祭り上げられるのではな。
惨めとしか言いようがない」
「しかし、デニュエ閣下は単独で事を起こす構えのようですが」
「今の我々にそれを止める手立てはない。
王宮の周辺警備の警戒レベルを上げるよう、近衛に要請しておくか」
「我々の方から密告してはいかがですか、一方の勢力の力は確実に削ぐ事が出来ます」
「君は断頭台行きのチケットが欲しいのかい?
それは非常に危険な考えだよ。
国王陛下のご子息を告発なんて、畏れ多くて私には出来ないし、なにより、まだ死にたくはないのでね」
☆
数日後のとある日曜日の朝、噂の運び人、コンパルス・フェブラルドが再びグリヨン宮を訪れた。
「おやおやコンパルスさん、日曜日も仕事とは精が出ますね」
「せっかくの安息日につきますれば、ご不興を被ります覚悟にて参上つかまつりまして、誠に申し訳ございません」
「不興などとんでもない。
私はあなたに閉ざす門は持っていませんよ、謝罪には及びません」
コンパルスのもたらした情報は、夏の朝の爽やかな空気を一変させた。
「先月お亡くなりになられました、コーシュマル公爵様に関しましてでございますが」
「それがなにか?」
「どうやら事故ではなさそうな臭いが致しまして・・・」
「それは聞き捨てならないな。
公は鹿狩りの流れ矢に当たったと聞きましたが」
「先日まで、手前は北のスパラクスという町に出向いておりましたのですが、そこで聞いた話でございます。
あそこは、ゾルクロース帝国にも国境が近い故、かの国の人々も多く見受け、取り立てて珍しくはございませぬが、
そこで向こうから来た商人仲間が妙な事を申しまして、危険な人物が我が国に入っていると申すのでございます」
「危険と言っても、どの程度かにもよると思いますが」
「盗賊、殺人鬼、といった類の危険でございます」
「ほお」
「調べましたところ、アロガンツ・ガウケルビルトとクルムパート・ラウネという名の二人を中心としました複数の
男達が、町外れの森の中の山小屋に住み着いているらしいと分かりましてございます。
彼等はゾルクロースで無数の強盗殺人に関与したとして指名手配されておりまして、それ故に我が国へ逃れてきた
ものと推察されるかと存じます」
「それは大変だな。
その情報は領主も掴んでいるのかな?、教えてやったら感謝されるだろうか」
「ご冗談を申されますな、閣下」
「だが、領主が知っているなら放ってはおくまいよ。
それだけの危険人物だ、捕まえて引き渡せば隣国にも恩を売れるし、第一のさばらせておく事に何の得もない。
いつ領民に牙を剥くか分かりませんからね」
「それが、我が国に入国しましてからは、一度も殺人や強盗など悪さをしておらぬと申しまして」
「彼等はいつ入国したのでしょうか」
「それは存じておりませんが、どうやら国内にも仲間がおると分かりましてございます。
オーバン・セレラートという、こちらも国境付近を荒らし回っていた盗賊でございます」
「なるほど、国境を挟んで跳梁していた両国の盗賊同士が手を結んだか。
で、それとコーシュマル卿の死が関係しているという事実があるのですか?」
「実は、公爵様が亡くなられたその日、鹿狩りが行われた山に入った者がいると分かった次第でございます。
その山は、ラルグ伯爵様のご所領の専用猟場でございましたので、部外者が入れないのはもちろんでございますが、
万一に備えて、地元民や猟師には、事前に付近の山も含めて広く入山禁止の通達が出されていたそうでございます。
ですので、土地の者ではないのは確かだと、目撃した農民が村長に申し上げたそうでございます」
「それが盗賊一味だと」
「その前後、オーバン・セレラートなる男はスパラクスの街角から姿を消していたと、贔屓の酒場の主人が述べたと
伺っております」
「そいつは、コーシュマル卿に何の恨みがあったのかな?
就職活動を邪魔された意趣返しとか」
「彼等には、雇用主がおりまする」
「それは」
「エーグレファン伯爵様にございます」
「素晴らしい!
なんという日曜日だ。
やはり、あなたとの会話はいつも新鮮な驚きに満ちていて飽きる事がない。
私は、いつでもあなたの来訪をお待ちしていますよ」
シトルーユは、子供のように目を輝かせていた。
☆
翌日の午後、机上の冷めたコーヒーカップに手をかけようとした時、ドアのノックが鳴り、アンサンシュール男爵が
執務室に入ってきた。
その目は、なにやら緊張感を漂わせており、仕事の手を休めたシトルーユの気を引いた。
「こちらをお届けに参りました」
「これは?」
「コートリュー伯爵からの手紙だそうでございます」
コートリュー伯爵といえば、先だってトルフィニヨン島で非業の死を遂げたアヴァリス神父が籍を置いていた教会が
ある、セルヴォランを領都とする領地の支配者だ。
カンブルース公爵家の傘下であり、サンソワン侯爵家とは敵対関係にある。
その伯爵が、なぜにシトルーユに宛てて文をしたためるのか。
手紙を受け取った彼は、そのヒントを得ようと裏から表から便箋を眺め回した。
「伯爵家の封印もないし、これは政府が使うただの普通便箋だぞ。
本当にコートリューなのか?」
「午前中、所用で王宮へ出向いた際、伯爵家の使いと申す者から直に受け取りました」
「確実に私宛てなのだろうな」
「サンソワン侯爵閣下にと、間違いなく申し添えられましたし、私も念押しして確認致しました」
手紙の内容は、これまでにシトルーユが得た情報をほぼ再確認させると言っていいものだったが、一部新たな、それ
でいて正確な事実を告げるものだった。
直接関与した、或いは最も近しい位置で、計画の推移を目の当たりにしてきた者が記した言葉である。
カンブルース公の真の目的は、国王の暗殺ではなく、ラサント王子の方をターゲットにしたものだった。
王子が死亡すれば、次期国王の候補はその弟のトゥルネブーレ公の方に移る訳だが、若輩者を失脚へ導くのは造作も
ない事で、放逐するに足る算段は整っていた。
つまり、王子さえ暗殺してしまえば、次の国王は息子のベリトルが継ぐ運びとなるように流れを作る事が出来る。
その計画の全ての核心は、アヴァリス神父の悪魔復活にあった。
誰からも疑われる事なく王子を暗殺するには、悪魔の力が不可欠だったのだ。
トゥルネブーレと密約を交わしたのも、アヴァリスが悪魔を服従させるまでの時間稼ぎでしかなく、それが万事成就
していれば、その時点でこの計画の成功は約束されたも同じだったろう。
それ故に、アヴァリスの失敗が招いた衝撃は、周囲の予想を超えるものだった。
彼の病状が急速に悪化し始めたのもちょうどその頃で、精神的な落胆が拍車をかけたのは否めない。
彼は、息子ベリトルに全てを託してこの世を去った。
コートリューは、ベリトルから計画の続行を告げられ、引き続き支援を要求されたが、前向きに返答する気にはなれ
なかった。
その原因は、ベシュデメル伯爵にあった。
ベシュデメルは、トルフィニヨン島でのアヴァリス死亡の報を受けると、関係者の誰にも事前に一切相談する事なく、
1年前のアラルの連続死事件の犯人はアヴァリスとマルフラの両神父だったとして、一方的に発表してしまった。
死人に口無しよろしく、罪をなすり付けたのだ。
これは、コートリューには到底受け入れられないものであった。
お膝元の、セルヴォラン司教座教会の司祭が、事もあろうに殺人犯だったという汚名を着せられて、黙っていられる
はずがない。
彼は、ベシュデメルに抗議し発表の訂正を要求すると共に、ベリトルに事態の収拾を依頼したが、先代の蒔いた種でも
ありベシュデメルの財力を見逃せないベリトルはそれを黙殺した。
コートリューは、連続死事件の真犯人に心当たりがあった。
カンブルース公の領兵の一部に、暗殺などの特殊任務を専門とする、裏でエイドロンと呼ばれる隠密部隊がある事を、
風の噂に聞いていた。
アラルでその部隊が活動したという確固たる証拠はないにしても、状況的に確率はかなり高い。
もちろん、それが公にされる事は絶対にないと分かっているが、であればこそ、公爵には善後策を期待していたのに、
公爵はそれを無視してベシュデメルの味方をした。
これにより、コートリューのカンブルース公に対する忠誠心は一気に冷めてしまった。
「これは興味深いな、事実だろうか・・・」
「確認する必要がありそうですね」
「よくぞ、伯は私に情報を提供してくれたものだ。
公が亡くなって決心が付いたのかな。
私がその辺りの情報に通じている事を見抜いている」
「閣下に善処を期待しての事と思われますが」
「敵に見込まれるとは光栄だね。
いずれにしろ、カンブルース家は世代が替わっても危険な事に変わりはない。
隠密部隊の存在は前回の任務の報告でも指摘されていたが、具体的にエイドロンという名を知ると真実味が増す。
また、彼等に働いて貰うとするか」
シトルーユは、再びエミナンス・グリーズの召集を決断する。
続