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エミナンス・グリーズ 3  作者: 降下猟兵
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揺籃


 01 揺籃



 5月のとある静かな夜。


 「父上、まだお休みにはならないのですか」


 書斎のドアを開けて入ってきた息子の声に、初老の父親は、手にしていた書類から目を離して椅子に凭れ、拡大鏡を

 外して目頭を指で摘んで疲労を癒やす。

 「アルナークか。

  なあに、この書類に目を通したら寝るつもりだったさ」


 「無理をされますと、またリュウマチが悪化しますよ。

  政務が滞ってしまわぬよう、自重するのも領主の務めですよ」

 「息子に説教されるとは、いつの間にワシはそんなに年を取ったのだろうな」

 「説教をするつもりなんてありませんよ。

  私はただ、そろそろ山中暦日無しの隠者暮らしをと、お薦めしているだけです」

 「またそれか、もうその話はよせ。

  まだまだお前に家督を譲る気などないと、何度も言っておるではないか。

  ワシもそこまで耄碌はしておらん、動けるうちは働くさ」


 「そうですか・・・。

  ですが父上、世間は日進月歩で動いているのです。

  素速く対応出来ねば波に乗り遅れてしまう事もありましょう」

 「若いエーグレファン伯に感化されたのであろうが、向こうとこちらでは事情も違う。

  世代交代までつき合う必要などありはせぬ。

  伯は若いが故に野心を剥き出しにしておられる、あれではコーシュマル卿のご不興を買うても致し方あるまい。

  お前には、まだそこが見えておらん。

  上ばかり見て足元を疎かにするようでは、直に前も見えぬようになる」

 「コーシュマル公は政治には無関心な割りには、下の者にはなにかと干渉してきますからね」

 「そうは言うておらん。

  下々の者にまで目配せをするのは、支配者として当然あるべき姿ではないか」

 「エーグレファン伯にはそれがないと?

  伯と父上はそんなに深いつき合いがないでしょう」

 「断言するには及ばぬが、ワシにはそんな風に見えてならん。

  今は、もっと腰を落ち着けて勉強すべき時節なのではないのかな。

  これは、お前にも当て嵌まるのだぞ。

  まずは勉強だ、もっと社会というものを知らねばならんし、他にも吸収すべき事は多い。

  そこに時間をかける事を、ワシは決して無駄だとは思わんよ」

 「もう手遅れですよ、父上。

  父上にはそろそろご退場いただかねばなりません。

  事態は、父上が考えておられるよりも速く動いているのです」

 「ア、アルナーク・・・、お前・・・」


 北東部の山麓にある、木々に覆われた瀟洒な邸宅の、古びた書斎で起こったソングクルー伯爵家の家督相続。

 これに端を発し、物事が混沌とし始める。


 ☆


 この2週間後、コーシュマル公爵が趣味の鹿狩りの最中、流れ矢に当たって死亡する。


 当主の突然の死に、公爵家内は上を下への大騒ぎになった。

 問題はその後で、葬儀が終わるなり、相続を巡って親族同士が内紛を始め、骨肉の争いが展開される事態になった。

 配下の伯爵達をどれだけ味方に出来るかで命運が決まるため、当主の座を狙う者達は、派手なパーティーや催し物を

 連日連夜繰り返し、権力に物を言わせて湯水の如く金を使った。


 コーシュマル公爵家は、現国王の祖父の親族に当たるが、代替わりした現在は一貫して政治への不介入の姿勢を貫き、

 政府とは常に一定の距離を置いてきた。

 そのおかげで、現政権には大きな影響を及ぼす事はないと思われていた。

 しかし、公爵家の財力を度外視したかのような浪費振りに、政府周辺からも次第に先を危ぶむ声が出始める。

 無視出来なくなった政府が、勅命として度の過ぎた出費を抑えるよう通達を出すに至り、出口の見えなかった泥試合

 にも翳りが見え始めると、急速にその求心力を失っていった。

 こうして、公爵家の影響力が日々低下していく中で、配下のソングクルー伯爵家で新たに領主となったアルナークは、

 以前から懇意にしていたエーグレファン伯爵への接近の度合を深めていく。


 エーグレファン伯爵は、国の北東端部に最大の領地を持つ辺境伯で、ソングクルー伯爵領と隣接する。

 現当主、ロスリー・アーロンド・オリブリウスは29歳。

 宮廷での発言力や存在感は高くはないながらも、国境を接する隣りのゾルクロース帝国に太い人脈を持つとも言われ、

 更に、領内の山脈に眠る莫大な地下資源の恩恵で、財力の方はすこぶる高い。


 一般に、辺境伯は国境線を守るという重責を担うため、他の伯爵家よりも一段高い地位にあり、財政的にも優遇され、

 公爵家の支配を受けない。

 以前に名前の出たクルトワーズ伯爵家もロジェ伯爵家も、位置付けは共に辺境伯である。

 エーグレファン伯領には、国軍師団の駐留に加え、自治軍と名付けられた領兵の軍部隊が存在し、非正規軍としては

 国内最大規模の戦力を有している。

 故に、彼が宮廷で政治的な活動を始めたら、その影響力は絶大だろうとも噂される若き領主である。


 ☆


 「コーシュマル家はもう終わりだ。

  家は残るが力は尽きた。

  彼等の下に付くのは、余程の忠義の者だけだろうな。

  けいの選択は決して間違っている訳ではないと、すぐに証明されるだろうさ。

  で、そっちはどうなってるんだい、アルナーク」

 「順調さ、何の問題もない。

  今少し時間は必要だが、卿を失望させるような事にはならないと約束するよ。

  果報は寝て待てと言うだろ」

 「果報ねえ、では期待して待つ事にしよう」


 「時に、卿はまだ結婚は考えないのかい?」

 「ああ、そうだな、あまり考えた事はないな。

  今はそれより楽しい事があるんでね。

  むしろ、誰かに利用される懸念を思えば、今は時期じゃない」

 「コーシュマル家が卿の財力を当て込んで、そんな話を持ちかける計画もあると聞くよ」

 「そう、それだよ、私が一番嫌いなのは。

  婚姻を政争の具に使うのは否定しないが、自分がその渦中に放り込まれるのはご免だな」

 「でも、相手は公爵家だぞ。

  労せず公爵位が手に入るのなら、悪い話でもないと思うんだがね」

 「落魄れた貴族の爵位に興味はないよ。

  それに、我等の取り組みが成就すれば、公爵位など完全に無意味になる」

 「確かに、それもそうだ」

 「卿も未婚だろ、気をつけたまえよ。

  今はまだ喪中だから問題ないだろうが、女に現を抜かすと足元を掬われる」


 その日、ソングクルー伯アルナークは、エーグレファン伯の領都スパラクスの邸宅を訪れて、ロスリーと面会した。

 彼は、自分と同じ二十代でありながら、既に国内最大の領地と軍事力を掌握し、意のままに動かしているロスリーに、

 大きな尊敬と憧れを抱いていた。

 朴訥として洒落っ気のない27歳の青年は、そのロスリーと肩を並べて働く事に至上の喜びを感じていた。

 それがために簒奪までしたのだから。


 アルナークが馬車で帰路に着くのを窓から見送ったロスリーの執務室へ、横の控え室から別の男が現れた。


 「あの男と親しくする事に、何かメリットでもあるんですか、閣下」

 「もちろんさ、手駒は多いに越した事はない。

  彼は十二分に役立ってくれるはずだよ。

  卿はあの男が気に入らないのかい?」

 「いえ、そうではないんですが・・・。

  なんと言いますか、調子に乗ってるというか、そんな感じに見えてしまって」


 「卿はまだ若いね。

  彼は自分の父親を手にかけた男だよ。

  そこまでして伯爵の地位と自領の決裁権を欲した男さ、無下に扱ったら罰が当たる。

  卿に真似出来るかい、未だ子爵の身で父親の脛を囓っている卿に」

 「私は、今の生活に不満はありませんからね」

 「まあいいさ、卿には宮廷でどんどん遊んで貰わねばならないからな。

  今の卿は私にとっても好都合なんだよ。

  コーシュマル傘下の伯爵達は色々悩みどころだろうし、せいぜい掻き回してやればいい。

  期待しているよ、シュノーク君」


 19歳のシュノーク・バンキスト・ド・ファンファロン子爵は、ラルグ伯爵家の次男で、茶色の長い頭髪を靡かせて、

 宮廷内でこの世の春を満喫するかのように道楽に明け暮れる放蕩息子である。

 ラルグ伯爵家は、過去の領主の過大な浪費や家督相続の混迷などから、家自体が力を失ってしまい、領地にも主たる

 産業がなかったため、その政務は隣接するエーグレファン伯爵に頼るところが多く、実質的にはエーグレファン領と

 然して変わらない状態がずっと続いている。

 お互い遠縁の親戚関係にあるものの、その力関係は主従に等しいと言っても過言ではない。


 ☆


 夜になって、執事が新たな来訪者を告げにやってきた。

 「ロスリー様、セレラートが面会を求めて参っておりますが、いかがなさいますか」

 「オーバンか・・・、通していいよ」

 「畏まりました」


 「よお、久し振り」

 「暫くは来るなと申しつけたはずだが。

  謝礼もお望みの通り払ったんだ、今更足りないとか言い出すなよ。

  それとも、夕食に招待していたのを忘れたのは私の方だったかな」

 「相変わらず嫌味なヤツだ。

  そんな事で来たんじゃねぇよ、あの長い白髭のじいさんだ」

 「ヴィスラール・トルスガランの事かね?」

 「あいつは何者だ?

  気持ち悪くていかん、見る度に背筋が寒くなりやがる」


 オーバン・セレラートという男は、ざんばらの黒髪に無精髭、薄い唇に野心的な目をして狩人のような薄汚れた服を

 着た、とても貴族の邸宅に出入りが許されそうもない無骨な無頼漢だった。

 明らかに、堅気な仕事をしている風体ではない。


 「背筋が寒くなるか、無理もない。

  ただの老いぼれでないのは気付いているようだね。

  彼は希代の魔術師だ。

  若い頃は司祭だったと聞く。

  下手に手を出すと呪い殺されるから気をつけたまえよ」

 「なんであんな白長眉を使ってんだ、あんた。

  もしや、俺達とあのじいさんを組ませるつもりなんじゃねぇだろうな。

  山の中も走れねぇ、あんなのと一緒なんてこっちから願い下げだ」


 「組ませるかどうかは、これからの推移次第だね。

  それよりも、この際だから一つ提案なんだが、君等のグループの名前ね、あれ変えるつもりはないのかな?」

 「カヴェルン・ブルーが気に入らねぇってのか。

  これは俺達みんなで決めたんだ、変える気はねぇよ」

 「ガウケルビルトやラウネも同意したのかね?」

 「当たり前だ、全員で決めた」

 「青の洞窟なんて、洒落が過ぎていて盗賊らしくもない。

  もっと迫力のあるのとか、威勢のいいのとかあるだろうに」


 「まさか、もう俺達に仕事を回さねえつもりだってんじゃねぇだろうな」

 「君は意外と小心だね。

  そんな事に気を揉む必要はないよ。

  君等の力量はちゃんと評価しているし、君等には君等に適した仕事がある。

  コーシュマルの凋落を立派に演出してくれたじゃないか」

 「あんなのはお安い御用だ。

  俺達は鹿狩りよりも人間狩りの方が得意かもな」

 「おかげで公爵家はガタガタだ。

  見るも無惨な有り様だよ、君にも見せてやりたいくらいだ。

  もちろん、それで終わりではないよ。

  こっちの地固めが一段落したら、また声をかける事になると思うから、それまではゆっくり構えていてくれたまえ」


 「次はどいつだ?、カンブルースか、クランカンか」

 「畏れ多い事を。

  やたらと口にするものではないよ、育ちがバレてしまう」

 「今更いい子を気取る気はねぇよ。

  どっちだ、腹ん中はもう決まってんだろ。

  公爵だろうが侯爵だろうが、どっちだって構わねぇぜ、いつでも殺ってやるさ」

 「まあ、どこを攻めるにしても、いきなり本営を攻略出来るほど簡単な相手ではないだろうからな。

  それに、一方を攻撃したらもう一方を利する事にもなる。

  カンブルースとクランカンが仲が悪いのは知っているが、どっちサイドにも付く気はないんでね。

  その辺りは、じっくり考えながらやるさ」

 「フン、期待して待ってるぜ」

 「君の出口は裏門にある事を忘れないでくれたまえ」


 コーシュマル公爵家の零落が鮮明になるにつれ、国内の勢力図に変化が現れ始める。


                                             続



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