09
昨日から、不思議と俺はスーシャの事ばかり気にするようになってしまっていた。
いや、もしかしたら前からそうだったのかも。
俺の方が弱いはずなんだけど、意外とうっかりしてて、天然なところとかが危なっかしく思えて気になるのだろう。
彼女の纏う独特の雰囲気はマイペースさがなせる技なのか、何かを隠しているせいなのかは分からないけど、放っておいたらどこかへ消えてしまいそうで不安だ。
旅人だからいつ居なくなってもおかしい話じゃないけど、ただ少しでも一緒にいて、ばかな事していたいなと思った。
そんなわけで俺は今日、早起きをするのである。
「あれ、フェルくん。今日も早いね」
「おー」
早朝、町外れの森。
相変わらずスーシャは朝早くからそこにいた。
「いつもこんな早くからここに来てんの?」
「うん、私良い子だから早起きなの」
ふにゃっと笑って、どうだと言わんばかりに胸を張る。
自分で良い子だと主張するなんて相変わらず変な奴だ。
「じゃあ俺も良い子?」
「え? ……う〜ん」
きょとん、とした顔の後に難しい顔。
なんでそこは悩むんだ。
「わっ」
突然立ち上がったスーシャに胸ぐらを掴まれ、眼前まで引き寄せられる。
お互いの吐息が触れるほどの距離で顔をじっと見つめられ、心臓が跳ねた。
が、対するスーシャはいつものように気にする素振りは見せない。
「悪い子」
「な、え、何!?」
「私の言う事聞かないで魔法道具触っちゃうから悪い子!」
「おま、な、なっ、なんだそれ!」
スーシャは俺の胸元から手を離すと、そのまま俺の左の頬に触れる。
そこから熱が伝わって、顔が熱く感じた。
「真面目な話だよ、フェルくん。本当にもう魔法道具は触っちゃ駄目」
「え?」
「魔法道具、本当にフェルくんの身体に良くないの。本当の本当に危ないんだよ」
スーシャは深刻そうな表情で俺を見据えていて、その真剣な空気に飲まれる。
そういえば、魔法粒子を感じ取れるとか言ってたっけか。
スーシャにはこの世界が、俺が、どんな風に見えているんだろう?
「つまり、俺の身体ってどうなってんの?」
「すっっごく変!」
「えぇ……」
詳しい説明はあまり期待出来ないとは思っていたけど、ある意味ひどい言われ様だ。
スーシャは難しい顔で、うんうん唸っている。
どうやら適切な言葉が浮かばないようだ。
「と、とにかく! 触るのは危ないんだよ!」
「危ないって言われてもなぁ」
「左目、なんか変になってたりしてない?」
「え……っ」
どきり。
思い当たる事が一つある。
たまに左目で見える、きらきらしたものの事だ。
それが見えるようになったのは最近だ。
そして、魔法道具を知り、触れたのも最近だ。
確かに時期は合っている。
何か関係あるのだろうか?
俺、危ないのだろうか?
「何もないなら良いけど……」
「いや、その、たまにだけど変なものが見えるんだ」
少しの不安を感じて、素直に話す事にした。
スーシャは俺の言葉を聞くなり真剣な表情で何かを考えるように、自身の顎に手を添えた。
「変なもの……?」
「きらきら光るっつーのかなぁ? スーシャやソルの武器の攻撃する場所が光るっつーか……」
「え……っ」
スーシャがぎょっとした顔で驚いている。
そして、頬に添えていた手を左目の方へと移した。
「……どうなるかは私にも分からないけど……ほんとに危ないんだよ。だからもう魔法道具、触っちゃ駄目」
スーシャの表情は今にも泣いてしまいそうだった。
俺の為にそんな顔、してほしくないんだけどな。
「……わかったよ」
俺が頷いたのを確認すると、ふにゃりといつもの笑顔に戻る。
瞼に触れていた手がゆっくりと離れ、今度は頭をわしゃわしゃと撫でられる。
「よしよし、良い子良い子!」
なんだかばかにされてるような気がする。
っていうか今度は良い子なのか。
その基準はものすごく雑みたいだ。
「俺、悪い子じゃなかったのか?」
「ふふん、スーシャ様の言う事聞く子はみんな良い子なの!」
いたずらっ子のような顔で笑う。
めちゃくちゃだし、言ってることが悪党っぽい。
「じゃあ俺悪い子になる!」
「えぇ! な、なんで!? 駄目だよぉっ! 言う事聞いてよぉっ!」
先程の余裕の笑みはどこへやら、慌てて俺の腕に縋り付いてわぁわぁ喚く。
その変わりようが面白くて笑うと、今度は、笑うなぁ、と怒りながら地団駄を踏む。
こんなスーシャが、いくら見ていても飽きないのだ。
「心配してくれて、ありがとな」
「してないもん!」
「朝一番で言ってきたけど、そんなに俺の事心配だった?」
「むっ! ち、ちが……!」
スーシャの顔が一瞬で真っ赤に染まり、視線が右に左に泳ぎまわっている。
本当にわかりやすい奴だ。
「む〜……き、昨日……聞く機会……逃した……からだもん……心配なんて……」
赤い顔のまま、口を尖らせて小さな声でぼそぼそと喋る。
否定してるつもりなのだろう、全く出来てない事に本人は気付いているのだろうか。
「否定してないぞそれ」
「う……ぐ、むむ、か、かばぁ〜!!」
耳まで真っ赤な顔の涙目で俺の身体をぺしぺしと叩き始める。
つい楽しくて、ちょっとからかいすぎたかもしれない。
「ははは、悪い悪い。でも本当にありがとな」
「……うん」
頭を撫でてやると、頬を膨らませてはいるが大人しくなった。
そしてまた、悲しそうな今にも泣いてしまいそうな表情を見せる。
「フェルくんみたいなの、初めて見たんだよね。もしなんかあったらどうしようって……治す方法もわかんないし、私なんも出来ないし、どうすればいいのか分かんないから……っ」
スーシャは自身の髪の毛をぐしゃりと握り締め、俯いた。
今までずっと心配していたのだろうか。
どうしてこうも赤の他人を自分の事のように心配出来るのか。
ほんとにばかだ。
「……ごめんね」
「別にスーシャが謝る事じゃないだろ」
「……でも、ごめん」
スーシャと言う人物はふにゃふにゃよく笑う癖に、意外と後ろ向きらしい。
呆れて溜息をひとつ吐いた。
「うるさい!」
「ふひゃ……っ!?」
俯いているスーシャの両頬を摘んで、引っ張って無理矢理上を向かせる。
少しばかり潤んだ瞳と目が合った。
「どうなるか分かんないなら大丈夫かもしれないじゃん。勝手に人の事決めるなっての」
「いひぇひぇ」
「俺が! 死ぬって! 言いたいのか!?」
「……」
睨みつけてやると、スーシャはぽかんとした顔。
頬を引っ張ってるせいもあり、ひどく間の抜けた顔だ。
「ほら、笑顔笑顔」
無理やり頬を持ち上げて笑顔っぽくしてみる。
「うん、間抜けな笑顔だ!」
「ううぅ……っ!」
スーシャは眉間に皺を寄せて、もがき始める。
だいぶご立腹らしいので、手を離した。
「間抜けゆ〜なぁ! フェルくんが引っ張るからだよぉっ!」
「うん。で、俺が死ぬって言う気か?」
「え……っ、……う、ううん!」
怒った顔に問いかけてみると、ぽかんとした表情へ変わる。
が、すぐさま首を思いきりぶんぶんと振る。
「ならなにも問題ないな!」
「え、えぇ……め、めちゃくちゃだよぉ。ま、万が一とかさぁ」
ふんぞり返って見せると呆れた顔で溜息を吐かれた。
めちゃくちゃで何が悪いのか。
後ろ向きになるよりずっと良い。
未だ不安げに俺を見つめるスーシャの頭をぐしゃぐしゃと撫でてやる。
「俺、死なないよ」
「……」
「だからお前も心配したり落ち込んだりする必要なんて無いからな!」
「……」
無言。
頑固か。
「無、い、か、ら、な!」
「わ、は、はいぃ」
威圧して無理やり頷かせてやる。
心配性と言うのだろうか?
こうやってちゃんと言って聞かせないと駄目なんだろう。
「げんろんだんあつだぁ……」
「俺の言う事聞かないスーシャは悪い子だからな。悪い子は言論弾圧」
さっきのスーシャの言葉を返してやると、うんうん唸っては悔しそうに顔を歪めた。
俺の勝ちである。
「フェルくんって結構強引だよね」
「スーシャって結構後ろ向きだよな」
「む〜……」
頬を膨らませ、怒った顔になる。
が、すぐさま噴き出した。
「……あはは、フェルくんには敵わないなぁ」
お腹を抱え、心底おかしそうに笑っている。
周りの空気すら変えてしまいそうな、柔らかい笑顔だ。
つられて、俺も笑う。
「スーシャはやっぱり笑っている方が良いな」
「……」
いつだったか貰った、スーシャの言葉。
それでも本当にそう思ったのだ。
その言葉にスーシャははっとしたような顔で俺を見た。
「スーシャの笑った顔、大好きなんだ」
「へ、ぇ……」
「……あ」
自然と口から出てしまった自分の言葉に固まる。
俺、今なんて言った?
顔が徐々に熱くなってきた。
確かにスーシャの笑顔は好きだけど、これじゃあまるで……っ!
「あ、ち、違、違う! 別に特に深い意味とかは無くて! その、ただ、癒される笑顔だって!!」
「……ふ〜ん」
慌てて手を左右に振りながら否定する。
落ち着かないせいで逆に言い訳っぽくなっている気がする。
一方スーシャは何かを考えているらしく、顎に手を添え明後日の方向を見ている。
「フェルくん」
「な、なんだよ」
「顔、赤い」
「っ!!」
そしてスーシャはにやりと笑いながら自身の顔を指差して、俺を見据える。
こういう事をスーシャが指摘してくるとは思わなくて激しく動揺してしまう。
「風邪、かな」
「お、お、お……」
「だめだよ、体調管理はちゃんとしなきゃ」
「お、う、お、お、おう……」
俺の心境を知ってか知らずか、動揺している俺に対してスーシャはふにゃりと笑う。
言い訳する必要があったのかなかったのか。
なんというかいつも通りスーシャはマイペースで、俺だけがしどろもどろしているみたいだ。
スーシャは俺の事、どう思ってんのかな。
少し、気になった。
「……でね」
ぽつり、不意にスーシャが何かを呟いたのが聞こえた。
「え?」
「死なないでね」
「……おう」
「約束」
未だ不安は残るのか、スーシャは縋るような顔で俺を見つめる。
心配させたくなくてめいっぱい頷いてみせると、彼女は小指を立てて俺の方へと突き出した。
約束のおまじない、指切りをしたいらしい。
俺も黙ってそれに自分の小指を引っ掛ける。
「嘘ついたら…………なんか酷い目に合わせる!」
「漠然としてんなぁ」
呆れて俺が噴き出すと、スーシャも釣られるように笑い出す。
そして、お互い指を離した。
「俺、簡単には死ねないな」
「うん! 約束破ったら酷い目に合わせるよ! すっごい酷い目だよ!」
「おー、こわ」
スーシャはじっと俺を睨むけど、その雰囲気のせいかちっともこわくない。
とは言え、反故にするつもりもないが。
こうして俺はスーシャと、死なない、なんて変な約束を交わしたのだった。