07
「ご、ごめんね……泣いちゃって……」
「ううん、俺こそ心配かけてごめん。もう大丈夫か?」
「怪我人に心配されなくてももう平気だもん」
「……大丈夫そうだな」
なんという減らず口。
未だ目は赤いものの、とりあえずはいつもの調子に戻って一安心だ。
なんて思っていると、スーシャが立ち上がる。
「それじゃあもう遅いし、私は帰るね。ちゃんと安静にしてるんだよ!」
「おう」
勢い良く扉から出ていくスーシャ。
その次に、ばたばたという音が遠ざかっていくのが聞こえた。
あの喧しさ、今度注意してやろうかなと思う。
そうして騒がしいスーシャも帰ってしまい、一気に静寂に包まれ少しだけ寂しさを感じる。
明日もソル達が来てくれると言ってたし早々に寝てしまおうと瞼を閉じた瞬間、ばん、と扉が突然開いた。
「うわぁっ!?」
静寂だった分、心臓が跳ねる。
音のした方向の扉に目を向けると見慣れた青い長髪。
姉さんが仁王立ちしていた。
「ね、ねね、姉さん!? なんでここに!?」
「アルに聞いてきた」
淡々とした答えが返ってくる。
スーシャと違って静かに来るもんだから、心臓止まるかと思った。
「どこか怪我したんでしょう?」
「え、あ、あぁ、背中……ぎゃあっ! いたたぁっ!」
俺が言い終わる前に、姉さんは背中に手を伸ばして確かめるように押してきた。
悶絶している俺を気にする様子は無い。
「分かった。治癒するから大人しくしていなさい」
「え、治癒って……魔術か? 俺、跳ね返しちゃう体質なんじゃ……」
「平気よ」
姉さんは片方の手を俺の頭上にかざす。
淡い光の魔法陣が浮かび上がった、かと思いきやその魔法陣が弾けて光の粒になり消えた。
「少し、コツが要るの」
今度は俺の身体に向けて両手をかざす。
発光、魔法陣が展開。
少しずつ、少しずつ身体の痛みが引いていくのを感じた。
「姉さん、すげー……」
「まだ大人しくしてて」
再び頭上に手をかざされる。
発光して魔法陣が展開。
瞬間、俺に吸い込まれるようにそれは消えた。
「もう良いわよ」
「姉さん、ありがとな!」
勢い良くベッドから床へ着地。
さっきの辛さが嘘のように全然痛くない。
嬉しくなって全身を軽く動かしていると、そんな俺を姉さんは訝しげに見つめていた。
「……姉さん? どうかしたか?」
「跳ね返す体質……なんて、誰に聞いたの?」
「え」
いつものように無表情、の筈なのだが目が鋭い。
こんな目をする姉さんを初めて見た気がする。
一体なんなんだろう?
たしか、体質の事を教えてくれたのはスーシャだ。
なんでこんな事を知っていたのかは分からないが、ここで姉さんに聞けば分かるのだろうか?
……でも、ここでスーシャの名前を出してしまっても良いのか?
ただならない雰囲気に、何故かそう思ってしまった。
「言いたくないなら良い」
黙って悶々としていると、姉さんがふいとそっぽを向いた。
そして、部屋の隅に置いてあった椅子をベッドの近くに引き寄せて腰掛ける。
「安静」
ベッドをぽんぽんと叩きながら姉さんは俺に手招きする。
先程までの雰囲気は微塵も感じなかったので、大人しく従う事にする。
「その人物に気をつけなさい。恐らく普通の人では無い」
「なにそれ? どういう事?」
「何かあったらすぐ私に言いなさい」
無視された。
姉さんは昔から必要最低限の事しか喋らない。
俺の事を一番に考えてくれているのは分かるから、俺もそれ以上は聞かない事にしている。
最も、聞いた所で答えてくれた試しは無いが。
それにしても気になるのは姉さんの、普通の人では無い、と言う言葉だった。
俺が魔法道具に触れた時の態度。
ソルと会った時の態度。
気になる事は色々あるけど、スーシャが何かを隠しているのは分かっていた。
何を隠しているのかはさっぱりだが。
それでも俺を助けてくれたり、気遣ってくれたり、笑ってたり、泣いてたり、それら全部が嘘だとは思えなかった。
だから俺は、馬鹿なのかもしれないけど信じているからスーシャに会いに行っていた。
信じられるならそれで良いなんて思っていたけど、スーシャの事を俺はもっと知るべきなのかもしれない。
もっと知りたいと思った。
「……って言うか、そんな事分かっちゃう姉さんこそ何者だよ」
「姉」
「……そうだけど、そーじゃなくって!」
「……保護者?」
「もういいや……」
姉さんは難しい顔で首を傾げている。
天然なんだろうか、これ。
どちらにせよ、今はいくら問い詰めた所で欲しい答えはくれなさそうだ。
「ふぁ……」
不意に欠伸が出る。
そういえば、今日は色々あったんだよな。
思い出すと身体が疲れて、一気に重たくなったような気がした。
「もう寝なさい」
「うん……姉さん、おやすみ」
顔の近くに姉さんが寄ってきて、頭を撫でられる。
心地良くて目を閉じると、俺はすぐに意識を手放した。
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窓から射し込む光に目を覚ました。
「……もう……朝……?」
疲れからだろうか、全然寝た気がしない。
起き上がり辺りを見渡すと姉さんはどこにも見当たらなかった。
もう帰ったのか。
ベッドから降りて扉を開け、廊下を歩くと静まり返った空間に自身の足音がよく響いた。
酒場へ降りていったが、だいぶ早い時間らしい、まだ店は開いてなくてがらんとしていた。
カウンター席に目をやると、そこに突っ伏した状態でアルが眠っているのが見えた。
「ばかアル、風邪ひくぞ」
カウンターの裏に常備してある膝掛けを引っ張り出し、起こさないようにそーっとアルにかけてやる。
身じろぎしたが、よく眠っているようだ。
さて、こんな早く起きちゃってどうしようかな。
ちょっと早いけど、森に行こうか。
あまり意味は無いがアルに向かって「いってきます」と小声で言い、起こさないようにそーっと出ていく。
そして、静かな町を駆け出した。
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「う〜ん……」
町外れの森。
いつもの広場へ足を運ぶと、また奇妙な光景が目に飛び込んだ。
スーシャがうんうん唸りながら、切り株の上に立って空に手を伸ばしているのだ。
「スーシャ? 何やってんだ?」
「ひぇあぁぁっ!?」
声を掛けた瞬間、スーシャは切り株から物凄い勢いで飛び退いて転がっていく。
もうこの大袈裟過ぎる反応も俺たちの間じゃお約束だ。
「ふぇ、フェルくん!? 早いね、じゃなかった!! 怪我は!?」
「あー……と、姉さんに治してもらった」
「姉さん!? あれっ!? お姉さん居たの!?」
スーシャは物凄く動揺しているみたいだ。
なんだか少し悪いことしてる気分になってきた。
「えーっと、義理の姉さん。俺の事拾ってくれた人なんだ」
「へ、へぇ……私はてっきりあるさんがそうなのかと……」
ぽかんとした顔のまま俺の側に寄ってくると、多分確かめようとしているんだと思うが、ばしばしと背中を叩いてくる。
むしろそれが痛いのだが……スーシャはお構い無しである。
「ほんとに治ってる……」
「コツが要るとか言ってた」
「……へぇ」
難しい顔で俺の顔と身体を交互に見ている。
が、すぐにいつものようにふにゃりと笑った。
「まいっか、元気になったんだもん! ほんとに心配したんだから!」
「おう、ありがとな。……ところでさっきの変な行動はなんだ?」
「へ、変って……」
俺の疑問の言葉にスーシャの笑顔が一転、引きつったような微妙な顔をしていた。
もしかして自覚が無いのだろうか。
「変だろ」
「む〜、はっきり言うなぁ……」
眉間に皺を寄せ、ぷいっとこちらに背中を向ける。
そして、先程と同じように空に向かって手を伸ばした。
「カミサマに、届くかなって」
なんちゃって、とスーシャは振り返って笑う。
やっぱり変じゃないか。
つい、笑ってしまった。
「わ、笑うなぁ!」
「だって変だし」
「変って言うなぁ〜!」
よっぽど変と言われる事が嫌だったらしい、涙目で俺の身体をぺしぺしと叩く。
これが、まさにこの態度が嘘だとは思えないんだ。
気をつけろと言われたけど、そんな事気にする必要なんてあるのだろうか?
もういっそ、昨日姉さんに言われた事を直接聞いてしまう事にした。
「ところでさ、スーシャって普通の人じゃないのか?」
「え? ……えぇ?」
当たり前だけど、スーシャはぽかんとした顔で固まった。
難しい事は苦手だからそのまま聞いてみたが、我ながら意味が分からない。
スーシャの事を笑えないくらい、俺もよっぽど変だ。
「えぇと、昨日姉さんが言ってて……その、俺の魔術を跳ね返す体質の事、スーシャが知ってるから……えぇと」
上手くまとまらなくて頭をがりがりと掻いた。
どう言えば伝わるんだろう。
「俺の体質、なんで分かったんだ?」
「あぁ……う〜ん」
やっと通じたらしく、今度はスーシャが頭を悩ませていた。
「え〜っと、わかるから?」
悩ませた結果出てきた言葉がこれらしい。
なるほど分からん。
つまりどういう事なんだろう。
そういえばスーシャは説明下手だったっけ……俺も人の事は言えないが。
「魔法粒子とかそう言うの色々感じ取れるから……かな? 生まれつき」
「え? えぇっ? な、なんだそれ……まほ……え?」
「魔法粒子、知らないの? ……あそっか、魔法道具使った事無かったんだっけ」
なにやら専門用語みたいなのが出てきた。
まほう、りゅーし?
意外そうに聞いてくるので頷く。
もしかして、常識的な知識なのだろうか。
「うぅ、なんて説明したら良いんだろ」
再び頭を抱えて唸りはじめる。
そろそろ知恵熱でも出すんじゃないだろうかと心配になるほど険しい顔をしていた。
「ざわざわ〜っていうのが、そこらへんにあるの!」
「よし、ソルとフロラに聞こう」
「むむむ」
予想通りの回答をあしらうと、スーシャは頬をめいっぱい膨らませてこっちを睨んでくる。
ざわざわ〜ってなんだ。
そんな説明で分かる奴が居たら教えてほしいもんだ。
「まぁむつかしい話はお兄達に任せるとして、私はフェルくんのお姉さんこそ何者なのか気になるけどなぁ」
何か考えながら、こっちをじっと見据える。
そんな目で見られたって答えなんて持ってないのだが。
「俺だって知りたいくらい。……会ってみるか?」
「う〜ん、気にはなるけどやめとく。なんかこわいもん」
「はは、正解かもな。姉さんすっげー怖い目してた」
「ひぇぇ……」
笑う俺とは対照的に、スーシャは青い顔で震え上がる。
スーシャと姉さん、お互いに気にしているみたいだけど仲良く出来る感じじゃなさそうだ。
仲良くしてくれた方が俺としては嬉しいんだけどね。
「そうだ、もうひとつ」
「ん?」
スーシャに聞きたいことがまだある事を思い出した。
二人きりのうちに聞いてしまおう。
「ソルとの事なんだけど」
「うん?」
色々気になる事はあるが、一番気になっている事だ。
なぜ、嘘をついたのか。
「ソルの事、忘れてないだろ? 家族が居ないって言ってたのはどういう事なんだ?」
ソルと出会った日を思い出す。
二人を見たスーシャはほんの少しの間だが、尋常じゃない程に驚いていた。
俺の後ろのフロラかソルのどちらか、となると、ソルを見てその反応をしたと考えるのが妥当な気がした。
「意外かも。フェルくん、結構目敏いんだね」
意外とはなんだ。
それはさておき、否定するつもりは無いらしい。
「スーシャがわかりやすいだけだよ」
「そうなのかなぁ」
あはは、と乾いた笑いをひとつ漏らすと、初めて見るような虚ろな表情。
どこか遠くを見ているようで、その目は間違いなく俺を見てはいない。
「どういう事なのか私にも分かんないけど、家族は居ないよ。今も」
「それって、どういう……」
「あれ、フェル? お前なんでここに居るんだよ!」
言葉を続けようとして、誰かが割り込んでくる。
声のした方へ顔を向けるとソルとフロラが歩いてくるのが見えた。
「お兄おはよ〜! 見て見てフェルくん全快だよ〜っ!」
先程の表情はどこへやら。
スーシャはいつものように笑って、ソルとフロラに向かい手をめいっぱい振る。
それを見ながら、溜息をひとつ吐いた。
結局これは上手くはぐらかされたのだろうか。
謎は深まるばかりだけど、これからゆっくり時間をかけて知っていきたいと思った。