09 フェル
魔術師の集落から逃げ出した後、町まで戻ってきた俺はアルの元へと駆け込んだ。
アルはそんな俺に嫌な顔ひとつせず、すぐにカウンターを閉めて対応してくれた。
「俺達に出来る事はないな」
酒場の二階。
顔色の悪い姉さんを寝かせたアルは俺に向き直ると、絶望的な事を言う。
「そんな……っ、こんなに辛そうなのに……っ!」
「フェルは、ルナの身体の事は知らないのか?」
「身体……?」
姉さんの身体の事……?
そういえば、エトが何か言っていた気がする。
「ルナはな、成長しないんだ」
「成長……しない?」
「俺はあまり頭が良くないから上手く説明出来ないが、身体が変化しない、と言った方が良いな」
俺が大袈裟に首を傾げると、アルは困ったような顔で頭を掻きながら唸り声を上げた。
「人の身体というよりは物に近い。何をしても成長しないし、栄養補給なんて出来ないし、怪我したら自然治癒も出来ない」
「じゃ、じゃあ……」
「これ以上俺達には何も出来ない」
視界が少しだけ暗くなったような錯覚。
あんなに血を流してたのに、何もしないで見ている事しか出来ないのか。
このまま放っておいたら死んでしまうんじゃないのか、と気が気じゃなかった。
「……平気……少し疲れただけ」
「ね、姉さん」
意識を取り戻したらしい姉さんが声を発した。
平気だとは言ってはいるけど顔色は悪いままだし辛そうだった。
「……止血が早かったから……本当に平気よ」
そう言うと、姉さんは何かの魔法陣を自身の身体に展開、発動すると先程より少しだけ顔色が良くなって見えた。
「これで大丈夫」
「ほ、ほんとに大丈夫か!?」
「えぇ」
あわあわしている俺の顔を見て姉さんは小さく笑う。
とりあえずは何とかなったらしいが、もしあの場にエトが居なかったら本当に姉さんは助からなかったかもしれない、と考えると少しこわかった。
「それにしたってルナ、また無茶したんだろうけど子供は子供らしく俺を頼ったらどうだ」
「私は子供じゃないのだけど」
「少なくとも周りへの影響も考えずに突っ走るのは大人のやる事とは思えんな」
「……貴方はいつもお説教ばかりね」
眉間に皺を寄せて口を尖らせる姉さんの姿にアルも安心したのか豪快に笑う。
なんだか仲良さそうに話す二人に俺が割り込むのもどうかと思って、こっそりと部屋から抜け出した。
廊下の窓から見える空は既に暗くなっている。
そういえばエトの奴は大丈夫だろうか。
いつもの居場所へ戻ってきた安心感からか、今日あった色々な出来事が全て夢だったのでは無いかと少しだけ思ってしまう。
あの場所に居た誰もが、命を奪う事を当たり前のようにしていた。
魔術師達も、レアさんも、……エトも。
俺の生きていた世界ではそんな事無かったからこそ、あの場所で見た事が信じられなかったし、納得なんて出来なかった。
同じ生きている人同士なのに、どうして奪い合えるんだ、と。
そうして思い返していたら、気分が悪くなってため息を吐いた。
ふと、気晴らしに森へ星空を見に行こうかと思った。
空いっぱいに光る星を見ていたら、きっとこんなもやもやした気分なんてちっぽけなものに思えるだろう。
ほんの少しだけなら、そう思って酒場を飛び出した。
当たり前だけど、夜はやっぱり道が暗くて少しだけ不安を感じた。
やめとけば良かったかな、なんて。
エトは、来たりしてないだろうか。
最後に見たあいつはレアさんが付いていたとはいえ、かなりぼろぼろだった。
ひと目、元気な姿を確認したかった。
まぁ、流石にこんな時間に来るわけないか、と苦笑いする。
森の広場。
その辺りまで来ると、突然誰かの笑い声が聞こえてきて、びくりと身体が強張った。
明るい時ですら人が寄り付かない場所で、こんな暗い時間に人なんているのだろうか?
しかも、笑い声だなんて……っ。
お化けなんかが少し苦手な俺の頭の中は嫌な想像ばかりがぐるぐると回っていた。
悲しいかな、こわい癖にそれがただの聞き間違いである事をどうしても確認したくなる。
そうして辺りを警戒しながら広場まで出ると、何かが切り株の傍の地面に横たわっているのが見えた。
恐る恐る、なるべく音を立てないように近付いて行くと、星明かりに薄く照らされたそれが見えてくる。
星の光を反射して青白く光るそれはいつもの白、と言うよりは銀色にも見えた。
「……エト?」
「う、ひゃぁ!? ……ふぇ、ふ、フェル!?」
俺がほっとしたのに反して、そいつはだいぶ驚いたらしい。
らしくない情けない悲鳴を上げて飛び起きたのはお化けなんかではなく、元気な姿を見たいと願った人物、エトだった。
つまるところ、先程俺を驚かせた笑い声を上げていたのはこいつらしい。
慌てた様子で手に持っていた何かをポケットにしまって、俺の顔を凝視する。
元気そう、には見えるのだが起き上がった姿はよく見ると傷だらけのぼろぼろで、こんな所でゆっくりしていて良いのか疑問だった。
「お前なにやっ……ってぇ!!?」
問いかけようとした矢先、突然耳を劈く音と同時に痛みが走り、視界が振れた、かと思いきや満天の星空に変わる。
仰向けに倒れている俺にはお構い無しにエトは寄ってきて、俺の身体の至るところを手のひらで確かめるように叩いていた。
どうやらさっきも叩き倒されたらしい。
「いぃたたたたたたぁぁ!?」
「い、生きてる」
あまりにも遠慮なくばしばしと叩くもんだから結構痛い。
俺の声が聞こえてるのか聞こえてないのか、エトはぽかんとした顔で驚いている。
さっきから喋っているというのに、こいつには俺が死んでいるように見えるのだろうか。
「当たり前だっつーの! って言うか前々から思ってたけどエトは手加減ってのを……」
「生きてて、良かった」
なんだからしくない、というか素直な言葉が聞こえてきて、言葉を失ってしまった。
エトの事だから無事生還した事に対する嫌味でも言われるかと思ったのだが、もしかして存外嫌われてるわけでは無いのだろうか。
それにしても、誰かさんを思い出す台詞に少しだけ頬が緩んでしまった。
こいつは普段からこれくらい素直だったら少しは可愛げも出るんじゃないか?
「俺の心配より、お前は自分の心配しろよ。すげーぼろぼろじゃんか」
「心配なんかしてない」
「……いや、そこじゃなくてな」
そこかよ。
素直かと思えば、妙な所で意地を張る。
じろりと睨みつけてくるが、俺の言いたい事はそこじゃない。
「なに」
「だから、なんでそんなに傷だらけなんだよ」
「あ、忘れてた」
忘れるものなのか疑問だ。
こいつは戦闘やら魔術やらは出来る癖に、それ以外には本当に無頓着みたいだ。
エトが少し手振りすると、展開された魔法陣がいくつかエトの身体を包み込んで、傷や汚れが徐々に消えていった。
魔術ってのは本当に便利だな。
それにしても、最後に見た時とほぼ変わらない程の傷だらけに見えるけど、一体こいつは何をやっていたんだろうか。
「まさかあれからそのままここに来たとかじゃないよな」
「ちゃんと帰ってから来たよ」
ますます疑問だった。
レアさんと一緒に居た筈なのに、なんでぼろぼろだったのか。
色んな可能性を考えてみたけど俺の頭では嫌な想像ばかりが浮かぶ。
少し前にこいつの立ち位置を考えた事があったけど、やっぱり良くないのだろうか。
しかし、エトは嫌がる素振りを全く見せないし、それどころかレアさんの事が好きみたいだし結局は想像の域を出ないのだが。
「そっちはどうなの」
「……そっち?」
「お姉さん」
「あぁ」
考え事をし過ぎていたらしく、一瞬エトが何の話をしているのか理解出来なかったが、どうやら姉さんの事を気にしているようだ。
なんだか今日のエトは珍しく他人の事ばかりを気にしているみたいだ。
……そうだ、ちゃんとお礼が言いたかったんだ。
「少し落ち着いたよ」
「そう」
「お前のおかげだ、ありがとな」
俺の言葉にエトは一瞬きょとんとした顔をした後、眉を寄せて視線を反らした。
「生きてて、良かったね」
「おう」
意地を張ったり、素直だったり、忙しい。
本当に、エトが居なかったらきっと俺も姉さんも死んでいた。
俺の頭じゃ上手く伝えきれないけど、本当に、本当に、本当に感謝しているんだ。
「フェルは、」
「ん?」
不意に、エトは空を見上げる。
らしくない顔で嬉しそうに微笑みながら星を見つめるその姿が、いつか見た少女と重なって見えた。
どことなくソルに似ていると思っていたけど、知れば知る程こいつはスーシャの方が近いような気がした。
「過去をやり直したいって思った事、ある?」
「ぅえっ!?」
唐突に変な事を聞かれて、一気に現実に引き戻された。
こいつはいつも突然明後日の方向へ話題を持っていくか ら、頭が痛くなる。
それにしたってなんて質問だ。
頭の良くない俺にする話じゃないだろうに。
「……うーん、エトってたまに難しい事聞くよな……」
「まぁ、天才だからね」
減らず口は相変わらずだけど、真っ直ぐ俺の目を見つめて、俺の言葉を待ち望んでいるようだった。
熱く語れるようなものでもないけど、無下にも出来ないよな。
「後悔してる事はいっぱいある、な」
後悔だらけの人生だ。
兄貴の事、ソルの事、スーシャの事。
今日だって、姉さんやエトの事。
俺がもっともっとしっかりしていたら、もっと良い結果になったんじゃないのか、自問自答の日々だ。
いつか見た少女のように、空へ手を伸ばした。
カミサマに届くかな、と笑った少女は果たして届いたのだろうか?
……俺にはやっぱり届かないものとしか思えなかった。
「でも、やり直したいなんて思わない」
エトはきょとんとした顔で首を傾げる。
「だってさ、色んな人に出会って、良い事があって、嫌な事があって、いっぱい泣いて、後悔して、そうして今があるんだ」
首を傾げたまま、けれどもしっかりと俺の目を見つめて聞いているようだった。
上手く、伝わるだろうか。
「そのどれか一つでもやり直したら、そんなの俺じゃないし、みんなにもエトにも会えなかったかもしれないじゃん」
取り戻したいものが無いと言えば、嘘だ。
今でも兄貴やスーシャやソルに会いたくて会いたくてしょうがないんだ。
最初は兄貴から始まって、姉さんとアルが集って、偶然スーシャに出会って、そこから更に偶然ソルとフロラとエトに繋がって……。
ほんの些細な繋がり方だったけど、今の俺に大きな影響を与えた大事な人達。
愛されて、幸せで、失って、泣いて。
笑って、怒って、傷つけ合って、仲直りして、守れなくて、失って、泣いて。
俺はその全部を引っくるめて、みんなが、この世界が、大好きだった。
「俺、エトに会えて良かったって思ってるよ」
なんて、と付け足して、少し恥ずかしい台詞を冗談っぽくなるように笑って誤魔化す。
くさい、なんて笑われてしまうかもしれないけど、それでも嘘なんかじゃない俺の心からの言葉だ。
その言葉を聞いてエトが何を思ったのかは分からないが、俺の目を見つめたまま目を見開く。
その目が、なぜだか今にも泣いてしまいそうに見えた気がして、顔を覗き込んだ。
「エト? おーい」
何かまた、失言してしまったのだろうか。
声をかけた瞬間エトは、はっとして次の瞬間には冷めた目でこちらを睨む。
「……くっさ。てゆーか気持ち悪い」
「……言うと思った」
あまりにも冷たい目で見るもんだから、恥ずかしさを堪えて素直な気持ちを言ってしまった事を後悔した。
今日は素直なエトじゃないのかよ。
なんだか俺だけ恥ずかしい思いをした事に納得行かなくて睨み返してやる。
「……そーいうエトはどうなんだよ」
「…………さぁ」
「人に聞いといて自分は答えないなんてずるいだろーが!」
「僕はフェルみたいにポエマーじゃないからわかんなーい」
「うぎゃぁぁぁ! 聞いてきたのお前じゃん! お前じゃんかぁぁ!」
ぽ、ぽ、ポエムって、そ、そんな、つもりじゃ……っ!!
見事に返り討ちを食らってしまった。
先程自分が言った言葉を思い返してなんだか恥ずかしいようなむず痒いような気持ちが溢れてきて、堪らず地面をのたうち回った。
こ、こんな、こんなむかつく奴に、言うんじゃなかった……っ!!
本当に人生ってのは後悔の連続だ、と泣きたくなった。
「じゃあ、僕は帰るから」
不意に、エトは立ち上がる。
なんだ、もう帰ってしまうのか。
もう少しくらい……居ても良いのにな。
「ぅぅぅ、って、もう帰るのかよ」
「脳天気なフェルは暇そうで羨ましいよ」
「……」
普段ならかちんと来てしまうような嫌味な笑顔。
けれどこいつは帰ったら何をするんだろうかと考えると、少しだけこわくなった。
帰って欲しくないと思った。
ここに居て、ばかな話をして、たまにむかっと来て喧嘩して、それだけじゃ駄目なんだろうか。
ちゃんと、こいつと話をしなければ。
「ありがとう、エト」
「はぁ?」
「お前が居なかったら、俺も姉さんも生きてなかった。本当にありがとう」
「……」
エトは首を傾げる。
なんだか言葉が上手くまとまらなくて、頭がぐちゃぐちゃになってしまう。
「……だけどさ、お前、もうあんな事、やめろよ」
助けてもらったのにこんな事を言うのはおかしいのかもしれない。
けど、言わずにはいられなかった。
もう止められなかった。
「あんな、人殺し、もうやめてくれ! あんな簡単に奪って良いものじゃないし、……おんなじように、生きてる人なんだぞ!」
エトの表情が少しずつ不機嫌なものへと変わっていく。
偉そうに言っているけど、本当は、俺はそんなに良い子なんかじゃない。
本当に本当の、利己的な理由だ。
同じ感情を持って生きている人が死ぬところを見たくないだけ。
それを奪うエトを見たくないだけ。
人殺しなんてしてほしくないだけ。
「お前だって、あんな、ぼろぼろで、死にそうだったじゃないか……っ」
そして何より、そんな事で傷付いてほしくないだけだ。
姉さんだって心配だったけど、俺はエトの事だって心配だった。
あの時、上手く助けに割り込めたけど、
もしもあの時、俺が気づかなかったら?
逃げ出していたら?
そう考えるとどうしようもない恐怖に包まれた。
次第に、エトの姿がぼやけてくる。
弱虫じゃないなんて言っておきながら、この体たらくは笑われてしまうだろうか。
それでも、もうこんな事やめて欲しいと思った。
エトの手を掴むと、びくりとその肩が揺れる。
「……お前さ、もしかして、本当は……」
これは、ただの感だ。
エトはたまに、よく分からない行動や言動や感情を突然見せたりする。
それら全てにあいつなりの意味があるとしたら?
よく分からないからと、放っておいても良いのか?
「……っやめてよ!!!」
「っ!」
今まで感じた事がない程の強い力で突き飛ばされた。
これは、本気の拒絶だ。
尻餅をついた俺には目もくれず、今にも泣きそうな顔で震えながらエトは自身の腕を必死に擦り続けていた。
この反応は、もしかしたら当たっているんじゃないのか?
だとしたら、もしそうなのだとしたらこいつはなんの為に……?
いや、それよりもこいつの戦いの……、最悪の結末が頭を過ぎる。
あくまで全て俺の勝手な想像でしか無いんだけど、今までのエトを見ていたらそうなるとしか思えなくて、こわくてしょうがなかった。
不意に、怯えた顔と目があった瞬間、エトは踵を返して駆け出した。
「あ、エト!」
俺も慌てて立ち上がって、呼びかけたけどエトはこちらへ目を向ける事は無い。
そのまま走りながら魔法陣を纏って空へ昇る。
「エト! 待ってくれ! エト!!」
どれだけ叫んでも止まってくれる事なんてなくて、あっと言う間に星空に紛れて見えなくなってしまった。
俺以外誰もいなくなった静かな森で、一気に脱力してへたり込んだ。
あいつの状況は俺が思っているよりも、ずっと救われないものなのかもしれない。
そして、恐らくあいつはそれをちゃんと分かっている。
分かっていながら、目を反らしているんだ。
今まではそれで良かったのかもしれないけど、このまま放っておいたら取り返しのつかない事になる。
俺の頭ではどうすれば伝わるのか全然思いつかないけど、次あった時にまた話してみよう。
それでもだめだったら……、もっともっと話すんだ。
きっと俺達、ちゃんと分かり合える筈だ。
だって、会えて良かったって言った事は嘘じゃないんだから。




