03
町外れの森の中、金属同士がぶつかり合うような音が続けざまで鳴り響く。
普段なら酒場に行くのだが、これが最近の俺の日常になりつつあった。
「……ちょっと休憩にしようか」
「うがー、つかれたぁーっ!」
休憩を言い渡され、待ってましたと四肢を投げ出して仰向けに倒れる。
あれから一週程、スーシャは約束通り俺に稽古をつけてくれていた。
手合わせも何回かやったが相変わらず軽くあしらわれてしまうばかりで、最初に見えたきらきらしたものはあれ以来見えていない。
俺、ちゃんと強くなっているのだろうか?
「う〜ん、フェルくんはもっとこう……どど〜んって感じでさぁ〜」
横になる俺の上から、得意気な顔でなにかを力説しているスーシャが見えた。
すぐに分かったことだが、スーシャは教えるのがどうしようもなく下手らしい。
強いのは確かなんだけど、口から出てくる説明は妙な擬音ばかりで何を言いたいのかさっぱりなのである。
なんだかなぁ、と溜息をひとつ吐いた。
「なんだかつまらなそうだねぇ」
「つまらないってわけじゃないけど……」
「クエスト行ってみる?」
「え、良いの?」
「うん」
どうしたもんかと色々考えていたが、クエストと言う単語を聞いてがばりと起き上がった。
強いスーシャとの手合わせではいまいち自分が成長したのか分からなかったけど、クエストならもしかしたらと言う期待に胸が膨らむ。
「じゃあ酒場に行こっか」
「おう」
差し出された手を取って立ち上がる。
修行と言えば、やはり討伐クエストだろうか?
ちゃんと出来るだろうか、期待と不安が入り交じった妙な感情で彼女の後を付いて行った。
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酒場の扉を開くと騒がしい喧騒に包まれる。
なんだか久しぶりのような気がする。
この酒場の店主、アルバートは相も変わらず俺を見つけると手を振り、声をかけてきた。
「おぉ、フェル。最近来ないと思ったら……お前もなかなか手が早いじゃないか」
「……へ?」
「やぁ、俺はアルバートだ。よろしくな、フェルの彼女さん」
にやにやと嫌な笑みを浮かべるアルの視線は俺を見ていない。
首を傾げてそれを辿ると隣のスーシャへ。
言葉の意味が分かって、顔が一気に上気するのが分かった。
「え、おまっ、おっ、俺達別にそんな関係じゃないよ!」
「あ、は、はじめまして! フェルくんの手とり足とり腰とりさせていただいてます! スーシャです!」
そこで自身が話題にされている事に気付いたらしいスーシャが少し慌てて、勢い良く頭を下げて自己紹介する。
瞬間、にやにやしていたアルの顔から瞬く間に表情が消えた。
「えっ、フェルお前本当に……いやお前達、流石にそういう、その、関係はまだ早……」
「わあぁぁっ! なんでそんな妙な自己紹介を! ち、違うんだ! ほんとに何でもないんだ!」
「え? えっと、えぇ?」
困惑しているスーシャを尻目に、何故かアルに必死で言い訳をする俺。
なんとなくそんな気はしてたけど、恐らくスーシャは天然ってやつなんだろう。
スーシャを見て盛大なため息を吐くと、アルは察してくれたらしい。
苦笑いしながらクエスト帳を取り出した。
「ま、それはさて置いて、用はクエストだろう?」
「あ、う、うん!」
ぱらぱらとクエスト帳を捲っていく俺の横からスーシャがそれを真剣な顔で覗き込む。
どんなのを受けるつもりなのだろうと流し見していると、不意にスーシャが指で捲る俺の手を止める。
場所:キラービーの巣穴
内容:はちみつの採取
「採取……クエスト?」
「うん、採取クエスト」
討伐クエストで修行でもするのかと思った俺はちょっと肩透かしをくらってしまった。
とは言えキラービーの巣穴って事は向こうの本拠地で、かなり危険そうだけど大丈夫だろうか?
キラービーって確か俺の顔ほどの大きさの蜜蜂だったような気がする。
話に聞いたことはあるけど実物は一体どんなものなのかさっぱりだ。
どれ程凶暴なのだろうか、少しだけこわくなってきた。
「キラービーは何もしなければ襲って来ないから心配する事は無いぞ」
俺の不安が表情に出ていたのか、アルが笑って説明してくれる。
まだ不安は残るけど、スーシャも居るんだしなんとかなるだろうと自分に言い聞かせる。
そもそもあんなに真剣な顔で見ていたし、このクエストを選んだ理由がある筈だ。
だから大丈夫な筈だ、うん。
「ねぇねぇあるさん、ここってこんなの売ってる?」
「君は未成年だろう」
「ち、違う、違うよ! ただ欲しいだけだよぉ!」
「……自家製でも良いならあるが……」
「くださいください!」
俺が悶々と考え込んでいる間にスーシャがアルと話し込んで、何かを受け取っていた。
スーシャの手に少し余るような小樽だ。
「……何それ?」
「企業秘密! さぁクエスト頑張ろ〜っ!」
「……?」
スーシャは不思議とやる気に溢れているらしい。
何かと思ってアルの方を見るといつもなら面倒見の良い笑みを浮かべているのに、今は何故か能面のようにも見える妙な表情をしていた。
「……いや、まさか、な」
「アル?」
「フェルくん早く行こうよ〜!」
「お、おう」
ぶつぶつと何かを呟いているアルを首を傾げながら見ていたら、外に続く扉の前でスーシャが俺を急かす。
アルの様子はおかしいし、スーシャは何を持っているのか教えてくれないし、
期待と不安はどこへやら、もやもやするような感情だった。
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キラービーの巣穴。
町から見て、いつもの森とは丁度反対側に位置する洞穴らしい。
そこが今回のクエスト場所であるキラービーの巣穴だ。
「うぅ、緊張してきた」
「あはは、あまり硬くなると上手く動けなくなっちゃうよ。落ち着いて落ち着いて!」
スーシャはモンスターの本拠地なんて意に介さず、へらへら笑いながら洞穴に入っていく。
アルが言っていた事が本当なら、ひっそりとはちみつを貰って、こっそりと出ていけば襲われるなんて事も無い筈だ。
それなら、あまりこわがる必要無いのかもしれない。
「フェルく〜ん、早く〜!」
「うぉ、お、おう」
いつの間にやら彼女は小さめのカンテラを正面に掲げて、暗闇の方へと遠慮なく進んでいく。
洞穴の中は地中という事もあって入り口の光以外は何も無く、カンテラが無かったら地面があると言う事しか分からない所だ。
どこからか反響して聞こえてくる羽音と、カンテラの明かりより先が見えない暗闇で恐怖が増してくるような気がして、出来るだけスーシャの背中から離れないように歩いた。
「この辺とかちょうどいいかも」
しばらく歩いているとかなり広めの場所に着いたようだ。
真っ暗闇のおかげか、小さなカンテラの明かりでもそれなりに辺りを照らしているというのに、それでも光が届く範囲に天井も壁も見えない。
ふと、スーシャは立ち止まると徐にカンテラを地面に置いた。
はちみつを採取する場所、にしては天井も壁も暗闇の向こう側で分からない。
「スーシャ、どうかしたのか?」
「んと、ちょっと待って……んあれ? あ……か……な……っ」
そこでスーシャは抱えていた小樽に手をかけて、左右に引き離そうとうんうん唸る。
それをやめたかと思えば、首を傾げて同じ事を繰り返した。
「……ど、どうした?」
「あ」
「っうぶぁっ!?」
「あ、あわわ」
一体何をしているのか気になって顔を寄せた瞬間、乾いた音と共に冷たい液体を俺にぶちまけた。
それがかかった場所から強めの甘い香りが漂ってくると、スーシャの顔色が分かりやすい程に焦りへと変わる。
「あっ、ご、ご、ごめん! こ、ここまでやるつもりじゃ……っ!」
「い、いや、別に良いけど……なにこれ?」
「あ、あの、あのっ、花酒なんだけど、あのっ、ごめん! ごめんだけど、フェルくん頑張って! すぐ戻るから、ここから離れないでね!」
「ちょ……おい!」
スーシャは慌てるように矢継ぎ早に叫んだかと思えば暗闇の向こう側へ走り去って行った。
明かりも持たずによく行けるなと感心していると、ふと先程の彼女の発言を思い出した。
ちょっと待て。
あいつ、なんて言ってたっけ?
花……酒……?
花。
「……まさか……」
途端にうるさく響く羽音。
それと同時に、出ていく前のアルの妙な態度とスーシャが慌てて走り去った理由を理解して、血の気が一気に引いていくのが分かった。
慌てて腰のホルダーに伸ばした手が空を切る。
視線をそちらへ落とすと短剣が、無い。
「なんでぇっ!?」
次から次へと、頭が追い付かない。
そんな事に気を取られているうちに、いつの間にやら周りはキラービーだらけになっている。
当たり前だが視線はみんな俺の方を見ていた。
鋭い羽音と、ひとつの影が迫る。
「うわぁっ!」
横に転がると、さっきまで俺の居た場所をキラービーが通り過ぎた。
休む間もなく他のキラービー達も突っ込んで来るのが見え、慌てて起き上がり前方に飛ぶ。
カンテラの明かりしか無い洞窟は酷く視界が悪く、瞬きしていると飛んでくるキラービーを見失ってしまいそうだ。
とにかく集中してかわしていくしかない。
右へ。
左へ。
前方へ転がる。
そうやってしばらく避けているうちに、キラービーの攻撃は直線的で意外とかわしやすい事に気付いた。
そうと分かればもっと消耗を押さえつつかわしていこう。
スーシャがいつ戻ってくるかも分からないしな。
集中。
身体を左に反らす。
頬を風が切る
後ろへ上半身を反らすと、キラービーがそこを通過。
きらりと鋭い牙が見えた。
あんなので噛まれたら、と嫌な考えが頭を過ぎる。
「っ!?」
瞬間、それに気が向いてしまったのか足が縺れた。
慌てて体勢を立て直そうとしていると、鋭い羽音。
一体どこから?
もうだめか、とこれから来るであろう痛みに身体を強ばらせた。
次の瞬間、暗闇の向こう側が一瞬強く光った。
「え……っ!?」
発光した場所から複数の火の玉が飛んできて、俺の周りの地面を這っていく。
凄まじい熱気と焦げた臭いが辺りを包み込んだ。
「フェルくん、ごめん! お待たせっ!」
周りにいたキラービーが慌てて散っていくのと同時に、火の玉は幻のように散った。
そして、俺を呼ぶスーシャの声。
「今のうちに逃げるよ!」
「お、おう!」
暗闇の向こうから走ってきたスーシャは身を低くしてカンテラを拾いつつ、俺の手を取って駆ける。
数匹、怯んでいないキラービーが逃がすまいと俺たち目掛けて鋭い羽音を響かせた。
「ほら、危ないよ!」
スーシャは駆け出す足を止めずに、顔をキラービーの方向へ向ける。
瞬間、スーシャの眼前が発光。
何かの紋様がいくつか描かれた円……魔法陣、と言うのだろうか?
それが一瞬展開したかと思えば先程と同じ火の玉がそこから発射されて、キラービー達の近くの地面を抉る。
逃げていくキラービーと、耳をつんざく轟音。
これ、魔法道具だろうか?
こんな事も出来るのか。
「す、げ」
「かば! 前見て走る!」
「お、おう!」
その凄さに視線を奪われていると、スーシャの叱責。
はっとなって前に向き直り、走る。
羽音が遠くなると、じわじわ明るくなってくる眼前の光に目が少しばかり痛んだ。
そのまま青空と太陽と草の香りに包まれる草原に飛び出して、スーシャに引かれるまま走り続けた。
「こ、こまで、来れ、ば……っ大、丈夫……っ!」
そうしてしばらく走ると、スーシャは草原に転ぶように仰向けに倒れた。
ぜぇはぁと息を荒げさせ、胸が大きく上下している。
その傍らで俺も立ち止まって呼吸を整えつつ走って来た道を見返すと、風が草を撫でる音のみの静かな草原。
キラービーは上手く撒けたようだった。
「はぁ……っ。……って、スーシャ大丈夫か!?」
一安心してスーシャに目を向けると、びっくりするくらい顔が真っ赤になっていて苦しそうだった。
見た限り怪我はして無さそうだが。
「平気、だけど……ぐぇ……っ、も、動けな……っ」
呼吸する度ひぃひぃと喉がなっている。
なるほど、走り過ぎて体力が尽きたらしい。
あれだけ強いのに意外だ。
「はは、体力は俺の勝ちだな」
「……むー……、それ以外は、私のが出来る子なん、だから……っ! ……あ、そだ」
呼吸を整えつつスーシャは、何かを思い出したように手をぽんと叩いた。
そして、がさごそ何かを取り出した。
「はい、これ」
「え」
手渡されたのはどこかに失くしたと思ってた短剣。
ただし俺の知っているそれとは違って、刃の部分がはちみつでどろどろだった。
「借り物」
「貸してないぞ」
やっと呼吸の落ち着いたスーシャが、ありがと、と悪びれる事無くふにゃっと笑ったもんだから思わず突っ込んだ。
他にもいつの間に持っていったんだ、とか、また変な使い方しやがって、とか、突っ込みたい事が多すぎる。
「おかげさまでばっちり採取出来たよ」
俺の心境など知ったこっちゃ無いと言わんばかりのスーシャは、はちみつの入った瓶をこちらに掲げて見せた。
クエスト達成出来たっちゃ出来たけど、訳わかんないままモンスターだらけの暗闇に置いてかれてこわかったし、酷い目に合うし、短剣どろどろだし散々だ。
盛大な溜息をひとつ吐くと、慌てたスーシャが申し訳無さそうに俺を見た。
「ご、ごめんね! あれでおびき寄せるつもりだっただけで、かけるつもりは無かったんだ。ほんっと、危ない思いさせてごめんね!」
「おびき寄せるつもりはあったのかよ!」
言動がどうもおかしいと思っていたら、ぶちまけた以外はわざとだったらしい。
呆れてスーシャを睨むと小さく呻き声を漏らしながら居心地悪そうに縮こまった。
「だってだって、なんだか最近集中出来てないみたいだったから、暗い場所で危ない目にあったら嫌でも集中出来るかな〜って」
「そうなのか? でもなぁ……」
「ご、ごめんってばぁ〜」
本気でこわかったんだけど、スーシャなりに考えての修行だったらしい。
とは言え、討伐クエストならもっとこわい目に合うかもしれなかった訳だし、俺にはこれで丁度良い修行だったのだろう。
いや、ちょっと怒っているけど。
「でも、最後らへんこんな暗い場所でモンスター相手に結構落ち着いて見極めてたし、フェルくんやっぱりすぐに強くなれるよ!」
「そ、そう……か」
ほんの少し、驚く。
どうやら置いていかれたかと思っていたけど、しっかり見ていたらしい。
と言う事はスーシャの到着が寸での所で間に合ったとように思えたけど実は見ていて、危なくなったから助けに入ってくれたんじゃないだろうか。
天然で教えるのが壊滅的に下手かと思いきや、案外良い師匠なのかもしれない。
褒められた事がほんの少し嬉しく思えた。