02 フェル
立ち止まるのはやめようと決意したまでは良いが、何から始めたら良いのか分からない俺は、結局あまり変わらない日常を過ごしていた。
それでもまぁ何か始めないと何も変わらないよな、どうしたもんかとここしばらく悩みながら森へ足を運ぶ。
ここへ来るのも未だに残る日課である。
いい加減ここに来るのをやめるべきなのだろうか。
そうして悶々としながら広場へ着くと、見覚えのある白髪が地面にうつ伏せになって横たわっていた。
数日前に出会ったよく分からないけど多分悪い奴じゃないと思う少年だ。
また寝てるのかな、と思って近付いてみると異常に気付いた。
「……っおい! 大丈夫か!?」
彼が着ている服が血に濡れたように赤黒く染まっていた。
もうだいぶ乾いているらしいが、何があったのだろうか?
慌てて声をかけながら揺すると間の抜けたうめき声が聞こえた。
「うぅううぅ……むにゃ……ん。うわっ……っ!?」
「うぉわっ!?」
揺すっていると突然そいつはぎょっとした顔で起き上がったかと思えば、すぐさまぼんやりした顔で俺の事をじっと眺めた。
「……もしかして、今寝てた?」
「うん」
思いきり脱力した。
心臓に悪過ぎ!
紛らわしいし、地面にそのまま寝てるし、色々とおかしい所が多すぎる。
「元気そうだけど……本当に怪我無いのか!? すっごい赤いけど!」
「うっわ! ほんとだきったな!」
「今気付いたの!?」
俺の指摘にそいつは自分の服を見て、心底驚いた顔をしていた。
色々おかしいとかそういう次元じゃ無いのかも。
怪我してないって事で良いのだろうか?
とはいえ怪我しててもフロラが居ないから治せないけれど。
「心配して損した。だいたいどこでそんな汚れ……うわっ!」
そいつがおもむろに立ち上がると同時に足元から魔法陣が展開され、みるみるうちに赤黒い汚れが粉の様な形に変わって消えてしまった。
俺は多分間の抜けた顔をしていたんだろう、そいつは俺の顔を見てにやにやと笑っていた。
「すごいでしょ? 僕、魔術師なんだよ」
「……」
「ねぇねぇ、魔術師って聞いてどう思った? 嫌い? それともこわい? ねぇ、どお?」
呆気に取られて言葉を失った俺の顔を覗き込んでは、何が可笑しいのかけたけた笑っていた。
突然魔術を発動させて人の事を驚かせて、その顔を見て笑うなんて随分と意地の悪い奴だ。
「別に。俺の知ってる魔術師は優しいのばっかだから嫌な感情とかそういうのは無いけど、それが何だよ?」
「え、あ、そう……」
何故かそいつはぽかんとした顔をしている。
俺はそんなにおかしい事は言ってないと思うのだが。
「ぶっ! 間抜けな顔してるぞ!」
「し、してない!」
ここぞとばかりにさっきのお返しをしてやる。
飄々とした奴だと思っていたけど、からかってやると意外にむきになって食って掛かってきた。
「弱虫フェルのくせになまいきなんだよ!」
「弱虫弱虫って、今の俺はそんな言動してないだろ」
「うがー!」
うがうが言いながら真っ赤な顔に涙目で地団駄を踏む様はただの負けん気強い子供だ。
やっぱり俺が思ってた通り悪い奴じゃないんだろう、こいつは。
「お前、名前はなんて言うんだよ」
「……無いよそんなの」
名前を聞いてみたところ、そいつの怒っていた顔から表情が消え、自身の腕を抱きしめるようにして擦っていた。
聞いてはいけない事だったのだろうか。
それにしたって名前が無いってのは一体どういう事なんだろう?
「名前が無いなんてそんなのあるかよ」
「あるんだよ。うっさいな」
眉間に皺を寄せて、つまらなそうに口を尖らせる。
この話題を早く終わらせたいらしいが、呼び名が無いのはやり辛いのでそうもいかない。
「じゃあさ、昔の俺やスーシャはお前の事なんて呼んでたんだよ」
「……」
俺の言葉に一瞬はっとした顔をしてそいつは黙り込んだ。
そして視線を四方八方へ彷徨わせる。
挙句、頬を少し染め、それを誤魔化そうとしているのか口を尖らせたつまらなそうな顔で小さく呟いた。
「…………えと」
「エト、か」
「お前らが、勝手にそう呼んでた」
「そうか。よろしくな、エト!」
握手しようと手を差し出すとそいつ改めエトは、ぽかんとした顔でそれをじっと見ていた。
なんだかどこかで見たような反応で少し可笑しくなってきて笑うと、エトは眉間に皺を寄せて睨んできた。
「そもそもずっと昔に僕ら知り合ってたじゃんか。そっちが勝手に忘れただけで」
「だーかーらー! 改めてよろしくの握手だよ!」
無理矢理手を掴んで握手してやると、不思議そうな顔で繋がれた手をじっと見つめていた。
本当にどこかの誰かさんを見ているような気分だ。
ほんの一瞬、エトの表情が緩んだように見えたが、すぐさまはっとした顔で眉間に皺を寄せ、手を振り払われた。
「ってゆーか、きもい! こないだのかわいい子とならともかく、何が悲しくて弱虫フェルなんかと手を繋がなきゃなんないのさ!」
「う、ひどい……」
スーシャと似てるかも、なんて思ったけどエトに慈悲はないらしい。
まぁフロラはかわいいから気持ちはよく分かる。
分かるだけに何も言い返せないのである。
「そうだそうだ! あのかわいい子は今日はいないの?」
「フロラなら今日は酒場で仕事してるぞ」
「そっか、残念。フロラちゃんかぁ、かわいい子は名前もかわいいなぁ」
こいつ、フロラの話をしている時だけ瞳がきらきら輝いてやがる。
せっかくお互い名前を知り合ったと言うのにこの扱いの差は少し悲しい。
というかこいつ、前にフロラに叫ばれ平手であしらわれてる癖に懲りないなんてすごい精神力だ。
「つーかエト、お前スーシャと、その、そういう関係、なんじゃ……? い、良いのかよ、そんな取っ替え引っ替え……」
「へ? なんであの子と僕が?」
「いや、なんか、こないだすごい怒ってたし……日記とか言ってたし……」
「……あー」
エトはそういえばそうだっけ、と独り言を呟いて頭をぼりぼりと掻く。
「僕はあの子とそういう仲じゃないよ。僕はあの子の、……お、お兄ちゃんなんだ!」
「え?」
今度は俺が疑問符を飛ばす。
ソル以外にも居たのか?
あいつからそんな話、全然聞かなかったけど。
むしろ家族は居ないと否定していたような気がする。
それでも何故か妙に納得してしまうのは、スーシャとソルの要素をエトが両方持ち合わせているからだ。
「ぼ、僕の事はどーでも良いよ! それよりフェル! お前こそあの子にそういうちょっかい出すのは駄目だからね!!」
「ちょ、そ、そそ、そういうちょっかいってなんだよ!? な、な、な、なんの話だか、わ、分かんないって!!」
突然、何故かスーシャとの、そういう関係を否定されてしまった。
え、お、俺の、そういうの、全部ばれてる!?
顔が一気に熱くなるのを感じて慌ててとぼけて見せてもあまり意味が無いらしく、エトは相変わらず不機嫌そうに睨み付けてくる。
「日記見れば分かるよ! ばか!」
「わ、わ、分かんねーよ!!」
そんな分かるものなのだろうか。
スーシャは一体どんな日記を残してくれたんだろう?
俺の事、なんて書いてあったんだろう?
うぅ、気になる。
「とにかく駄目だからね! 近付くのも駄目!」
「は、はぁ」
似てるかと思いきやスーシャのような慈悲も、ソルのような寛容さも、エトには全く無いらしい。
そもそも近付くも何も……。
そこまで考えて、思考停止。
そういえばエトはスーシャが生きていると信じて探しているんだっけ。
本当の事を言っても前の時のように怒らせてしまうし、黙って普通に振る舞うと言うのもなんだか複雑な気分だ。
「あ、そうだ。日記で思い出した」
「どうし……ひぎっ!?」
突然エトは何かを思い出したらしい。
どうかしたのか聞こうとした俺の言葉を無視して、俺の左の頬を雑に掴んで引っ張った。
こいつは手加減を知らないのだろうか?
物凄く痛い。
文句を言おうと口を開くと、掴んでいた頬からぱっと手を離す。
そして今度は俺の右手をじっと眺めていた。
「すげー痛かったんだけど、いきなりなんなんだよ!」
「あ、ごめん」
表情はそのままで目線すらこちらへ向く事のない謝罪。
謝る気など更々ないようだ。
こ、こいつ……。
「僕に出来る事、無いけどなぁ」
「何がだよ」
こいつはやること成すこと全部突然だし、勝手に納得して話を進めるし、説明も一切無いし訳が分からん。
悪い奴では無いが、かなり自分勝手だ。
「僕が言うのも変かな? でも、よくこんな身体で今まで生きてたね」
……身体?
もしかしてエトは、俺の体質の話をしているのか?
スーシャも俺の身体が変だって言ってたっけ。
「俺ってそんなやばいの?」
「まだやばくないけど、やばくなる」
全然分からなくて首を傾げると、エトは真剣な表情で俺の顔をじっと見る。
「これでやばいの止めてるっぽいね」
「……分かるように言えよ」
眉間に皺を寄せた俺を、エトはきょとんとした顔で見る。
が、すぐに馬鹿にしたように鼻で笑った。
こ、こいつ……いちいちむかつくなぁ……っ。
「おばかなフェルにも分かりやすく言うと、フェルの身体は魔法粒子を取り込む性質があるみたい。それでどうなるかは分からないけど、あんまり良くない」
「え、お、おぉ」
「で、多分だけどそれを食い止める為の魔法式がお前の中に仕込まれてる。ちょっと複雑過ぎて天才の僕でもどんな式なのかいまいち分からないけど」
「は、はぁ……」
「粒子だけならこんなに複雑にならない筈だけど……」
説明を頼んだけど、なんだかよく分からない。
なんでそんな妙な事になってるんだ、俺?
とはいえ昔から何か変わったような事があるわけでもないから、いまいち実感が沸かないのだが。
つーかこいつ、しれっと天才を自称した。
「もう一つ、……は別に良いか」
それより、とエトは眉間に皺を寄せて不機嫌そうに俺の右腕を掴んで持ち上げる。
「……あの子と手、繋いでたんだ……」
「え゛っ!?」
なんで突然そんな事!?
悪い事なんてしているつもりも無いのに、ぎくっとしたような気分になった。
つーか魔術師ってそんな事も分かるの!?
魔術師すごい。
「まぁ、良いや。それで、粒子を取り込むのを基本的には防げてるんだけど、問題なのはこの手だね」
眉間に皺を寄せて俺の事を睨みつけているエトの手の力が強まり、俺の腕がぎりぎりと嫌な音をたてている。
良いや、って全然良くないじゃねーか。
「防止の式があっても、右手で直接触るとこの手を伝って取り込んじゃうみたいだね。どうしても治したいってんなら腕を切るか両腕を切るか左目を取るかついでに足も……」
「おい」
後半思いっきり私怨じゃんか!
ややこしいがなんとなく俺の体質のことは分かった。
けど、エトのスーシャに対する溺愛っぷりはどうにかならんのだろうか?
いずれ取って食われそうな勢いだ。
「まぁ、そういうわけで僕に出来る事は無いよ」
エトは俺の右腕からぱっと手を離すと眠たそうに欠伸をひとつした。
「空気中のを取り込むくらい悪化してないからまだ平気だけど、魔法道具は触らないようにね」
「ふーん……」
自身の右手を眺めてみるが、至って普通の手にしか見えない。
俺がどんな状況なのかは魔術師にしか分からないけれど、魔術師には俺がどんな風に見えてるんだろうか?
「てゆーか、天才の僕にもよく分かんない式を構築した魔術師の方が僕は気になるけどね」
難しい顔で腕を組んで俺の顔をじっと睨んできた。
分からないと言いつつ天才を自称するのはどこからくる自信なのやら。
それはさておき、エトの言う魔術師に一人、心当たりがあった。
「多分だけど……姉さん、かな」
「へぇ、あれ? でもフェルは人間じゃん」
「義理の姉な。俺の事拾って育ててくれたんだ」
「……そう」
エトは呟きながら複雑そうな顔で俺の顔をじっと見た後に、自身の前髪を見つめては髪の毛を指にくるくると絡ませて遊ぶ。
とても、つまらなそうだった。
「帰る」
「え、もう帰るのかよ」
その手悪戯も飽きたのか、ため息をひとつ吐くと俺に背中を向けて歩き出した。
「僕は脳天気なフェルと違って忙しい身なの」
「一言多いっての! ばかエト!」
脳天気言う必要ないだろうが!
むかついたから思いきり怒鳴り散らしていると、歩いていたエトが足を止めて顔だけこちらへ振り返った。
もしかして怒った?
少し身構えてみせると、けたけたと笑い出した。
「ねぇ、フェルはその魔術師の事、すき?」
その魔術師、とは姉さんの事だろうか。
まぁ、俺の知っている魔術師に嫌いだと思うような人はいないから答えは一つなのだが。
「おう、好き」
「そう」
エトは顔を前へ向き直してしまって、表情が分からない。
「スーシャも好き」
「……それは駄目」
駄目か。
少しだけ笑った。
「エトもむかつくけど好き」
「……そう」
そのまま立ち止まり、少しぼんやりとしたかと思いきや、再び顔をこちらへ向けた。
「……またね」
無表情。
だけど、なんとなく俺達の間の空気が柔らかくなったような気がした。
すぐさまエトは前へ向き直り、そのまま振り返る事なく歩いて行った。
「またな!」
その一言が嬉しくて、めいっぱい大声で、めいっぱい腕を振った。
振り返ってはくれないけれど、聞こえてると良いな。
こないだは「大嫌い」なんて怒鳴られたけれど、かなりの前進だ。
やっぱり、エトは良い奴だった。