02
鳥のさえずりと、窓から差し込む光の眩しさに目を覚ました。
上半身を起こしてぼんやりした思考が目覚めるのを待っていると、部屋にひとつある扉からこつこつと音が鳴る。
「フェル、ご飯よ」
「ふぁい……」
ぼんやりする頭のまま目をこすりながら部屋を出て、階段を降りていくと美味しそうな香りが漂ってくる。
降りた部屋の中心の大きな机の上、そこにはパンと湯気が立ち上る野菜のスープが並べられていた。
そこに青色の長髪、同じく青色の瞳の小柄な少女が表情の無い顔でこちらをじっと見ながら座っている。
その向かい側の空いた席に腰を下ろし、声をかけた。
「姉さん、おはよう」
「おはよう」
この人は義理の姉のルナさん。
十年前、唯一の家族である兄を亡くしてひとりぼっちになってしまった俺を引き取って育ててくれた、感謝してもしきれない恩人だ。
見た目が童顔を通り越して完全に幼い少女なのがいつ見ても気になる人だが、十年前からもこんな様子で一応は俺より年上らしい。
「いただきまーす!」
「いただきます」
スープに口をつけると温かくて美味しい。
家族の贔屓目無しにしても姉さんの料理は美味しいと思う。
「フェル、討伐クエストやったの?」
「おう! ……って言っても俺何もしてないけど。他の人に助けてもらったんだ」
不意に姉さんは昨日のクエストついての話題を持ち出してくる。
恐らく昔からの仲のアルに聞いたのだろう。
結局、昨日のクエストは無関係なスーシャに頼りっぱなしだったなぁ。
「そう。早く一人で出来るようになりなさい」
「う、分かってるよ……」
「私がいつ居なくなっても良いように、ね」
昔から姉さんはこういう事をよく言う。
いつも無表情で冗談なんだか本気なんだか分からないもんだから、そのうち本当に居なくなりそうでちょっとだけ怖くなる。
「じゃあ俺なんも出来ない!」
「……」
つまらない事を言った仕返しにと、こっちもわがままで言い返してやると姉さんの眉間に少しだけ皺が寄った。
恐らく俺の言葉にむっとしたのだろう。
その表情がおかしくて噴き出した。
「ぶ! 変な顔!」
「むぅ……」
姉さんは口を尖らせ、俺を睨みつけた。
こんなやり取りをしていると、ただの小さな女の子に見えてしまうような姉だ。
「ごめんごめん、言いすぎたよ! ごちそうさまっと、行って来まーす!」
「……行ってらっしゃい」
食べ終わった食器を台所へ持って行って、そのまま外へ続く扉へ向かおうとすると小さく手を振って俺を見送る姉さんが見えた。
さっきまで怒ってたくせに、なんだかんだで優しい。
それに笑って手を振り返しながら、扉を開けて外に飛び出した。
「今日は何しようかな」
独り言を呟いてみたものの、やる事なんてクエストしかない。
しかし足は酒場に向かう事なく、昨日の森の方へと進んでいってる。
特に理由なんてなくて、ただ……なんとなくだ。
なんとなく。
頭の中に浮かぶ空色を振り払って、同じ言葉をぐるぐる繰り返しているといつの間にか森の入り口に着いていた。
スーシャ、いるだろうか。
いや、いなくてもいいんだけど。
再び悶々としていると、いつの間にか広場に着いていた。
……大丈夫か、俺。
スーシャはと言うと…………居た。
昨日と同じようにこちら側に背中を向けて切り株に座っている空色。
何故だか居てくれた事にほっとした自分の妙な思考を、頭をぶんぶん振って追い出した。
そうして出来るだけ冷静に声をかける。
「よ、よお」
「ぬわぁぁっ!!」
瞬間、スーシャは身体をびくりと揺らし、また変な声を上げた。
その声に驚く形で俺も同じように身体をびくりと揺らす。
「……び……っくりしたぁ……」
「わ、悪い」
スーシャは胸の辺りを抑えて引きつった顔で振り返る。
まさか声をかけただけでこんなに驚くとは思わなくて申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
と言うかこの流れ、昨日も見たような。
「は〜っ、フェルくんどうしたの? こんな所で」
スーシャは溜息をひとつ吐いて落ち着いたのか、昨日と同じように俺に向けてふにゃっと笑いかける。
それに言葉を返そうとして、ふと気付いた。
そういえば俺、何しにここへ来たんだろ?
言い訳を探すように思考がぐるぐると回る。
「……つ」
「……?」
「強くなりたい……から、会いに来た」
「……どゆこと?」
スーシャは苦笑いしながら首を傾げる。
思い返すのは、昨日の出来事。
女の子に頼りっぱなしで怯えていた情けない俺だ。
「スーシャってさ、結構強いだろ?」
「……あはは〜」
クエスト中、俺とモンスターの間に素早く割り込んできた事や、俺の攻撃を簡単に受け止めていた事から恐らく戦い慣れしていると思った。
それを問うた瞬間、ほんの一瞬スーシャの表情が無くなったかと思えばすぐに元のへらへら笑いに戻る。
「……まぁ、フェルくんよりは」
「うぐっ」
男なのに自身よりも華奢な女の子を守る力も無いとはっきり言われたようで、少しへこむ。
本当の事なので反論のしようもないけど。
「だ、だからさ、俺を鍛えてくれよ!」
と言う訳で、昨日ほんの少しクエストを一緒に過ごしただけの彼女に勇気を出して頼み込む。
女の子にこんな事を言うのはおかしいのかもしれないけど、生憎プライドなんてものは無い。
「え、やだ」
「結論はやっ! もっと悩めよ!」
頭を下げようとした瞬間に無慈悲な返答。
あまりの早さに思わず突っ込んでしまった。
「そのままで充分だと思うけど……なんでそんなに強くなりたいのかな?」
「……それは」
スーシャはじっと俺の目を見つめる。
なんだか嘘をついても見透かされてしまいそうな気がした。
何となしにこの場所へ来てしまったけど、強くなりたいと思っていたのは本当だし、女の子の後ろで怯えていても充分だと俺は思えない。
少なくとも、俺の兄貴はそんな事しなかった。
「兄貴みたいになりたい」
「……」
「俺の兄貴……って言っても事故でもういないんだけど」
「……事故……」
思い出すのは、とても大きな背中。
どんな時でも余裕のある笑みを浮かべて、すぐ泣いてしまう幼い俺を助けてくれた頼もしい姿。
幼かった俺には何でも出来るように見えたその人が神様のように思えた時もあった、それくらい大きな存在だった。
「すっげー強くて頼もしい兄貴だったんだ!」
「……へぇ」
「あんな風になりたい! ……って思った!」
「そっかぁ」
スーシャは眉尻を下げて、困ったように笑う。
もしかして、雰囲気を暗くしてしまったかもしれない。
よくよく考えたらあまり親しくも無い人間の身の上話をしたって困らせてしまうだけだ。
その独特の雰囲気のせいか、妙な距離感のせいか、どこかスーシャは他人という程離れてるようには思えなくてついこんな話をしてしまった。
「あ、ご、ごめん。つまんない話だったな」
「……鍛えても良いよ」
「え」
「だから、鍛えても良いよ」
「ほ、ほんとか!」
「まぁ私は戦うのがあんまり好きじゃないから期待に添えないと……」
「うおお、ありがとー! ありがとー!」
「……あはは」
何度も何度もお礼を言いながらその場ではしゃぐと、それを見たスーシャは苦笑いを浮かべる。
最初の即答から、もっと嫌がるかと思ったけど意外とあっさりと了承してくれたようだ。
まぁ、俺としては万々歳だが。
「フェルくんは魔法道具とか持ってないの?」
「魔法道具って言うと……魔術ってのが使えるってやつだっけ? ……持ってないや」
「持ってないなんて珍しいね」
歴史とか難しい話は興味が沸かなくてあまり詳しくないけど、どこかの国から流れてきた技術……だったっけか。
理屈は色々あったと思うけど、確か不思議な現象を起こす道具だったと思う。
かなり便利な代物らしく、今じゃ持ってない人の方が珍しい。
姉さんが使わないから俺も欲しいとは思わなくて、全く触れずに生きてきた。
「持ってる方が便利なんだけどなぁ。例えばこれとか」
言うとスーシャは腰のホルダーから短めの棒のような……取っ手だろうか?
それを取り出し、俺の目の前に掲げてみせる。
「これ、魔法道具?」
「そうだよ。見てて」
かちり、という小さな音が聞こえた。
瞬間、スーシャが持っていた取っ手のような物から、光が伸びて、細長い刀身を形作る。
「うおぉ……!」
初めて見る魔法道具に思わず感嘆の声が漏れる。
どうやら昨日の刀はこれだったらしい。
「使い手の望む武器を具現化してくれるスグレモノってやつだよ〜」
「すごいな! 俺もそれ使ってみたい!」
「うん、良いよ」
スーシャから渡された取っ手のような物まじまじと眺めてみる。
こんな小さな物が一瞬で武器になるなんてすごい世の中だ。
ふと、親指が掛かる所に小さな出っ張りのような物がある事に気付く。
それを押してみると、かちり、と先程と同じ小さな音がなった。
しかし、何も起きない。
「あれ?」
もしかして、間違えたのか?
けれどそれ以外に変わった所が無くて、どうすればスーシャみたいに上手く使えるんだろう?
困って彼女の方を見ると、何故かぎょっとした顔で俺をじっと見つめている。
目が合った瞬間我に帰ったのか、はっとした顔ですぐさま取っ手のようなそれを俺の手から奪うように取られた。
「な、なんだよ……」
「あ、ご、ごめん。……けどフェルくん、あんまり魔法道具使わない方が良いかも……」
「どういう事?」
「何ていうのかなぁ……た、体質に合ってない……って言うの……かな?」
歯切れが悪すぎる。
四方八方に泳ぐ視線は怪しさ満点だ。
「体質ってなんなんだよ? なんでそんな事分かるんだよ?」
「えっとえっと、えと、その……!」
「怪しい。何か隠してるだろ?」
「か、かくっ、か、隠してなんか、な、なな無いよ!!」
こいつ、分かりやす過ぎる。
じっと睨み付けてやると、慌てたスーシャは俺から距離を取った。
そして、かちり、と魔法道具を構える。
「ほ、ほら! 手合わせしようよ! じ、実力を見たげる!」
「えー、なんだよそれ。めっちゃ誤魔化してる」
「誤魔化してない! ほ、ほら早くしよ!」
話してくれる気は無いらしい。
けどまぁ無理を頼んだ手前、これ以上問い詰めるのはちょっと気が引ける。
鍛えてくれる気満々みたいだし、これはこれで良いか。
腰のホルダーから短剣を取り出し構える。
誰かを相手に戦うのなんて初めてで、緊張してきた。
「んじゃあフェルくんからど〜ぞ」
「お、おう!」
足に力を込め、駆け出す。
スーシャはじっとこちらを見据えて動かない。
間近まで迫り短剣を上から振り下ろした瞬間、硬質の金属がぶつかり合う音と、右手に衝撃。
刀で受け止められたようだ。
痺れる右腕を無視して一旦腕を引き、斜め下からの斬撃。
大きな金属音。
スーシャは動くことなく刀の角度を変えるだけで俺の攻撃を受け止め、その度に大きな金属音が森の中に響いた。
次から次へと思いつく限りの斬撃を繰り出していくが、涼しい顔であしらわれてしまう。
スーシャが強いのは分かってたけど、動かなくてもあしらえてしまえる程に俺との差があるらしい。
「今度はこっちから行くよ」
瞬間、一際大きな金属音が響いた。
今までは受け止めているだけだった俺の攻撃を強めに打ち返されたらしく、俺の体がその勢いに押し返され後方へ体勢を崩してしまう。
ふと、一瞬。
何か光るものが見えた気がした。
「そこ!」
「っ!」
体勢を崩した俺をスーシャは見逃してくれるわけも無く、攻撃を繰り出してくる。
こんなあっさり負けるなんてかっこ悪すぎ!
一か八か、そのまま後方への勢いを殺さず後ろへでんぐり返しするように転がる。
すぐさま顔を持ち上げると上手く行ったらしい、スーシャの射程から少しばかり届かない距離に居た。
砂まみれだけど、ちょっとした意地だ。
「まだだよ!」
「っぉわ!」
空振りしてもスーシャの勢いは止まらない。
更に一歩踏み出し、次の斬撃を繰り出してくる。
瞬間、真っ暗な筈の左目に光る何かが見えた。
きらきら光るものが集まり、弧を描くようにこちらに伸びている。
驚いてその光から少し後方へ距離を取ると、スーシャの刀が先程の光る軌跡を寸分の狂いもなくなぞっていくように見えた。
「なんだ……っ!?」
休んでいる暇もなく、またきらきら光るものが集まって曲線を描いていく。
同時に感じる左目の熱。
光の届かない場所に身体を反らすと、またスーシャの刀は光を狂い無くなぞっていく。
どういうわけだか分からないが、これはスーシャの攻撃の軌道らしい。
ならば先程までと同じように光に当たらないように動けば良いのだろう。
縦向きの斬撃の光。
右へ身体を反らす。
横に一薙ぎする光。
後ろへ距離を取る。
これでかわしていくのはなんとかなりそうだが、このままでは埒が明かない。
反撃……してみるか?
光が集まる。
身体をほんの少し反らすだけ。
光の軌跡のぎりぎり、最小限の回避と同時に姿勢を低くして前に踏み込む。
狙いは一つ、あの刀。
懐へ踏み込むと同時に、持っていた短剣をくるりと逆手に持ち替える。
そしてスーシャの刀の持ち手に下から俺の短剣の持ち手を思い切りぶつけ、魔法道具を打ち上げた。
「……っ!?」
乾いた音と共にスーシャの魔法道具が宙を舞う。
普通に打ち込んでも叩き落とせなさそうだから、下から打ち上げる事を咄嗟に思い付いたけど上手くいった。
まさか今までばか正直に打ち込んで来た素人が、かわしながら懐に入って武器を打ち上げるなんて予想外だろうと思っての不意打ち……のつもりだ。
これで、どうだ!
「……へ?」
思った矢先、短剣を持っている方の腕を強く引かれた。
「おわ!」
それと同時に足に強い衝撃。
そのまま体勢が崩れて、視界がぐるりと一回転。
浮遊感と背中に衝撃を受けて、気付けば視界は綺麗な晴天でいっぱいだった。
「惜しかったね〜」
ふにゃっと笑ったスーシャが晴天を背景に視界に割り込む。
そこでやっと仰向けに倒れていた事に気付いた。
スーシャはにこにこ笑いながら、いつの間にか俺から奪った短剣を倒れている俺の首の横へ突き立てた。
「私の勝ちぃ!」
「……負けたぁ」
また俺の短剣が地面に……なんて奴だ。
身体を起こして、地面に刺さったそれを腰のホルダーに戻した。
「やっぱりスーシャって、すっげーな! 女の子なのにこんな強いの、すっげー!」
「……あはは、フェルくんだって凄いよ。発想? 度胸? なんか色々、びっくりした」
「そうかぁ? こういう戦闘? 初めてでさ、全っ然上手くいかないんだなぁ……」
スーシャは地面に転がっている魔法道具を拾いながら照れ臭そうに笑う。
軌道が見えていたからそれなりに出来ていただけで、あの妙な光が無ければすぐにやられていただろう。
そう考えると、褒められても複雑な気分だ。
そういえば左目の熱は既にひいているけど、結局あれは何だったんだろう?
「……フェルくん、もしかしたらすぐにうんと強くなるかもね」
不意に、スーシャが独り言のように呟く。
彼女の表情を見ると、昨日見たような妙な笑顔をしていた。
その笑顔がどこか悲しそうに見えたのは、俺の気のせいだろうか。