17
やっとここまで来たのに、なんであの化け物が出てくるんだ!
アタシだけではあの化け物に勝てない。
あのちびだけなら片手で捻る事が出来るが、問題はフェルだ。
フェルは何をしてもあれの前に立ちはだかる。
何も出来ないくせに。
フェルが立ちはだかると、あの化け物が出て来る。
ならどうする?
……あー、そうだ。
面倒臭いけど、死んでもらおうかな。
「すみません、ご迷惑おかけして」
「平気。貴女こそもう大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
「……」
朝。
昨日から放心していたフロラは姉さんの勧めで俺の家に泊まっていったのだが、話せるくらいには持ち直したようだ。
それでも痛々しい程に赤く腫れた目で力なく笑う姿は、とても大丈夫だなんて思えないのだが。
「フェルさん、ルナさん、ありがとうございました」
「ほ、本当に大丈夫か?」
「はい、それにこれからの事をちょっと一人で考えたいんです」
「でも……」
引き止めようとしたが、服を引っ張られる感覚。
そちらに目を向けると、姉さんは黙ったまま首を横へ振った。
一人にさせてやれ、という事だろう。
「あはは、心配していただいてありがとうございます。私は本当に大丈夫ですよ」
その様子を見ていたフロラが苦笑を零す。
心配で心配で仕方なかったけど、俺に出来る事はあまりなさそうだ。
こんな時ソルだったら、どうしたんだろう?
「なんも出来なくてごめん……。何かあったらいつでも協力するから言ってくれ」
「ありがとうございます。方針が決まったらまた連絡しますね」
フロラは俺達に一礼すると、宿屋の方向へ歩いていった。
「また」という言葉に少しだけほっとしている自分に苦笑を零した。
不意に、再び服が引かれる感覚。
目を向けると姉さんが俺の服の裾をくいくい引っ張っていた。
「貴方はどうするの」
「え、うーん……? ……アルのとこに行こうかな」
俺はこれから、どうすれば良いんだろう。
わからないから、とりあえず昔からの習慣になっているアルの所へ行こうと思った。
「分かっていると思うけど……」
「大丈夫だよ」
「なら、良いのだけど」
眉間に少しだけ皺を寄せて、じっと睨んでくる。
スーシャの事だろうけど心配は無用だ。
昨日、ショックだったとはいえ酷い事を言ってしまったから、今更会いになんて行けない。
スーシャは今、どんな顔をしているだろうか。
寂しくて泣いてるんじゃないだろうか、なんて。
……少し、ほんの少しだけ気になった。
「とりあえず、いってくるよ」
「……いってらっしゃい」
未だにじっと睨んでくる辺り、信用されてないのかもしれない。
若干の居心地の悪さを感じた俺は、少しだけ早歩きでアルの元へ歩き出した。
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「おぉ、フェル。大変だったみたいだな」
酒場のカウンターについた途端、会口一番にアルが苦笑しながら出迎えてくれた。
「もう知ってんのかよ。……もしかしてアルってスーシャの事とか姉さんの事とかも知ってたのか?」
「スーシャちゃんの事は昨日聞くまでは知らなかったけど、ルナとは付き合い長いからそれなりにはな」
なんだそりゃ。
姉さんの事、俺だけ知らなかったのかよ。
不満を伝えるつもりでじっと睨み付けると、アルは困ったように笑いながら水の入ったコップを俺の前に置いた。
「……兄貴と姉さんって仲良かったのか?」
コップの中の氷と氷がぶつかり合う様を眺めながら思い返す。
いつも冷静沈着な姉さんが、スーシャに対してすごく取り乱していた。
あれは、兄貴の事で怒っていたのだろう。
「昔からルナは不器用だからな。あまり感情を表に出さんし、よくわからん!」
「昔からあんな感じなのか」
「少なくともルカの方はあいつに入れ込んでたな。絶対に笑わせてやるとかなんとか」
「なんだそりゃ」
彼は心底可笑しそうに笑う。
アルの話から俺の知らない三人の楽しそうなエピソードが聞けて、沈んでいた気持ちが少しだけ明るくなった気がした。
「兄貴の事、大好きだったんだろうな。姉さん、すごく怒ってた」
「そうか、怒ってたか」
「うん、怒ってた」
アルは頷きながら、嬉しそうに笑う。
そう言えば、彼はスーシャに特に何も思わないのだろうか?
「アルは怒ってないの?」
「……そういうフェルこそ、怒らないのか?」
アルは複雑そうに苦笑いしながら、逆に質問し返してきた。
なんだか上手いことかわされた感じだが、アルの質問に俺は首を傾げた。
「俺は、……わかんない」
「そうか」
「確かに悲しかったけどさ、俺はその瞬間を覚えてないんだ。つい最近まで事故だと思ってたのにいきなり殺したのはスーシャだって言われても、なぁ」
実感が沸かないのだろうか。
もしもちゃんと覚えていたのなら、俺はどう思ったんだろう?
「……俺も、わからないな」
アルは後頭部をがりがり掻きながら、困ったように笑った。
「スーシャちゃんがどうして、どうやってルカを殺したのか俺には分からないし、あの子の見ていた世界がどんなものか俺達にはきっと分からないだろう」
「うん」
「ルカの見ていた世界はどうだったと思う? いつも笑っていたあいつの最期はどんな世界が見えていたんだろうか、想像もつかない」
「……」
「ルナの見ていた世界はなかなか辛そうだった、と想像したところで本当の所はどうなのか分からん」
「……」
「結局俺達は、自分の見ている世界でしか生きれないのさ。だから、わからない。それが俺の答えだな」
アルはどこか遠い場所を見ながら、懐かしそうに笑ってみたり、悲しそうに眉尻を下げたり、色々な感情がその顔に浮かんでは消え、を繰り返す。
もしかしたら、この件に関してはアルの方が混乱していたりするのかもしれない。
「……フェル。お前の世界のあの子はどう見えた?」
アルの言葉に、はっと目の覚めるような感覚がした。
そして、俺は目の前の水を一気に飲み干す。
それはきんきんに冷えていて、ほんの少しの頭痛と共に、頭がすっきりと冴え渡るような気がした。
「……つーかアルは姉さんになんか言われたんじゃないのか? 良いのかよ、助言みたいな事言って」
「まぁな、とはいえお前ももう立派な男だろ。自分の事は自分で決めると良いさ」
屈託の無い笑顔。
アルは兄貴とはまた違う雰囲気なのだが、どこか兄のようだと思えた。
「ありがとな。アルに話して良かったよ」
「いくのか」
「うん、いってくる」
「いってらっしゃい」
椅子から勢い良く飛ぶように着地、俺は走り出した。
目的地は、いつもの場所だ。
スーシャは、どんな奴だったっけ。
ふにゃふにゃよく笑う。
優しい。
少しやりたい放題なとこがある。
強がりの意地っ張り。
泣き虫。
大好きな笑顔。
怒って、泣いて、笑ってた。
あれは、嘘なんかじゃなかった。
俺の見ていた世界のスーシャは、本物で、確かにそこにあった。
現実は、スーシャの全てが嘘だったのかもしれない。
だけど、そんなの知ったことか。
俺が本当だと思ったものが、信じたいと思ったものが、俺の世界の真実だ。
ただただ前だけをみて走る。
止まってる時間なんて俺には無い。
届け、届け、届け。
森の広場、深緑色の中にぽつんと立つ鮮やかな空色を見つけた。
届け、届け、届いた。
「捕まえたぁぁぁぁぁっ!!!!」
「う、ひぇゃぁあっ!!?」
後ろから、ぶつかりそうな勢いで腕を掴んだ。
そしてそれに驚いたスーシャが奇妙な悲鳴をあげる。
そんなに時間は経っていないのに、このやり取りがとても懐かしく感じた。
「な、えっ!? ふぇ、フェル、くん!? なんで!?」
「良か……った。どっか、行ったんじゃないかって、ちょっと不安だった」
驚くスーシャを尻目に、荒くなった呼吸をなんとか整える。
「か、帰って! フェルくんまた……お姉さんに怒られちゃうよ!」
我に帰ったスーシャが慌てて掴まれた手を振り解こうとするけど、残念ながら離してやるつもりは無い。
「ばか! そんなん知るかばか! ばかスーシャ!」
「え、え、えぇっ!?」
「ごめん! 昨日、酷い事言って、ほんとごめん!」
「それは……しょうがない、から別に……」
「でも、ばか!!」
「ば……っ!?」
「色々黙ってた事は、まだ怒ってる! ばかスーシャ!」
悲しそうな顔をしていたかと思えば、ぽかんとした表情に変わり、次第にわなわなと震えながら眉間に皺を寄せた。
ころころ変わる表情も、久しぶりに見たような気がした。
「あんまりばかばか言うなぁっ! ばかって言っちゃいけないんだよぉっ!」
スーシャは頬をめいっぱい膨らませ、空いてる方の手でぺしぺしと俺の身体を叩く。
が、すぐに俯いてしまい、手の勢いが無くなっていった。
「……フェルくん……ごめん……ごめん……なさいっ!」
謝る声と、打ち付けたままの手が震える。
「ずっと、ずっと、ずっと、謝りたかった。でも、嫌われるって思ったら、こわくて、こわくて……ごめんなさい……っ!」
「そう、か」
ずっとスーシャは何かに怯えているような、何か後ろめたい事があるような感じがしたのはこれだろうか。
それにしたって結局一人で抱え込んで、本当にばかだ。
スーシャの色んな姿を見てきた筈なのに、疑ってしまった俺も。
「……この場所ね、よくフェルくんとカミサマと私の三人で遊んでたんだよ」
「昔の事は全然思い出せないんだよなー……って、カミサマ?」
「あ……えっと……ルーカスさん、の事」
「……随分大層なあだ名だな」
「あ、あはは……」
スーシャは昔を思い出しているのか、どこか遠くを見ながら悲しそうな、けれど嬉しそうに笑う。
俺達は十年前から既に知り合っていたらしい。
少しも覚えてないなんて、そんなもんなのかな。
ひどくもどかしく感じた。
「あの頃から私は何も変われなかったみたい」
スーシャは、力なく自嘲する。
「お兄、助けたかったなぁ……」
そして、片手を空に向かって伸ばし、か細い謝罪の言葉を漏らす。
いつか見たような虚ろな目に、涙をいっぱい溜めて空を仰ぐ彼女はとても小さく見えた。
「……謝って許される事じゃないけど、ごめん。俺、なんの力にもなれなかった……」
思い起こされるのは、現実離れしていた昨日の出来事。
果たして俺は何をしていた?
「無力は罪」と言っていたレアさんの言葉が重くのしかかって来る。
「そんなこと無い。あの時フェルくん達が居てくれたからこそ、私は今ここに立っていられてるから」
それに、と続ける。
「あの時、頭がぐらぐらしててね、魔術が上手く出来なくて、二人に斬りかかるお兄を見て、どうしようどうしようって思ったら、気付いたら、刀……持ってた」
自身の髪の毛をぐしゃりと握り潰した。
「一番最初に諦めたのは……私だったの……っ。……妹……なのにね」
俯いて、掠れた震え声。
それは小さな悲鳴のようにも聞こえた。
「ソル、最期に笑ってた」
「……え?」
後ろからソルを刺し、すぐに気絶したスーシャは恐らく知らなかった事だ。
俺の言葉にスーシャが顔を持ち上げると、目から溢れるものがその頬を濡らす。
きっとソルはスーシャがこんな顔をするのを望んでなんかいない。
「悪いって。けどこれで良い、って笑って言ってた」
「……っう、ぇ!!」
目を見開いたスーシャはその場に跪いて、えづいた。
ぼろぼろと涙を零しながら口元を抑えている。
ソルの最期の言葉をスーシャにはちゃんと伝えておきたかったんだ。
あいつは最後の最後まで、俺達を気遣って笑ったんだ。
「かばだ。ほん、っとに……変わらないなぁ……お兄は」
すぐさま目を乱雑に擦って立ち上がる。
少しの間空を見つめた後、俺の方へ向き直る。
「フェルくん、ありがとう」
「俺はなんにも……」
「ううん、ここに来てくれて本当に嬉しかった。本当に、本当に私は救われた」
スーシャは掴んでいた俺の手を優しく解くと、自身の手を重ねて指を深く絡ませた。
そして、もう片方の手で俺の後頭部へ手を伸ばす。
それはまるで恋人同士がするような何か。
「え、わ、す、スー、シャ」
右手から伝わる温もりと、すぐにでも抱き締めてしまえそうな距離。
一気に顔が熱くなって、頭がくらくらしてきた。
スーシャにも聞こえてしまうんじゃないかと思える程にばくばくと心臓がうるさい。
「ありがとう。もう私は一人でも大丈夫」
「……え……っ?」
スーシャは、歪んだ酷い笑顔で笑った。
瞬間、後頭部に視界が強く振れる程の衝撃。
一人……で……?
なんで……?
一気に膝の、身体の力が入らなくて、スーシャの腕の中へ崩れ落ちた。
「フェルくん、ごめんなさい」
心地よい香りに包まれて、暗闇へと薄れていく意識。
最後に聞いた声は、なんともスーシャらしいものだった。