12
すっかり暗くなった森は、昼に見るのとは違って少しだけ不気味だ。
真っ暗でもスーシャは戸惑う素振りすら見せずに歩を進めていく。
彼女はこわくなったりしないのだろうか。
そう思いながら、カンテラを持つスーシャの後ろを離れないよう歩く。
「大丈夫? 今からでも帰って良いんだよ?」
暗い森に戸惑っているのを気づかれたのだろうか。
なんだか恥ずかしくなって慌てて取り繕う。
「大丈夫だって!」
「頑固だねぇ……」
ふいとそっぽを向くと、小さな苦笑いが響いた。
こんな声ですら響いてしまう程に静かな森はやっぱりこわくて、何とか気を紛らわすために話を振ることにする。
「スーシャは人が苦手なんだっけ? 町とかにはそんなに寄らないのか?」
「用事が無い限りはあんまり、かなぁ」
「今まで街とか村とか……そんな風に人に近づかないような生活してたのか?」
「……うん」
「それってさ、寂しくないの?」
「……」
返答は、無い。
そうこうしているうちに、いつもの広場に到着した。
スーシャは広場の隅の方へ歩いて行き、木を背もたれにして腰掛ける。
俺もそれにならって隣に腰掛けた。
こないだスーシャは良い子だの早起きだのと言ってたが、よく言うよ。
ほぼ住んでたんじゃないか。
俺が座ったのを確認するとスーシャはカンテラの明かりをゆっくりとした動作で消した。
町と違って明かりが一切無い森なので、目を閉じたかのような暗闇に包まれた。
「暗っ」
「あはは、上見てみなよ」
隣から、いつもの笑い声が聞こえた。
声に従って顔を上に向けてみると、おぉ、と思わず感嘆の声を漏らしてしまう。
視線の先、そこには数え切れない程の小さな光の粒が暗い夜空を綺麗に彩っている。
それらひとつひとつがきらきら輝いていて、まるで宝石のようにも思えた。
カンテラを着けたままだと明るすぎて、こんなにしっかりと見る事は出来なかったかもしれない。
「綺麗でしょ。目が慣れてくるとね、結構明るいんだよ」
「へぇ……」
隣に視線を向けると、目が慣れてきたのかスーシャの姿が薄ぼんやりと見えた。
嬉しそうに微笑みながら、いつか見た時のように空へ向かって手を伸ばしている。
淡い光に照らし出されたその姿は一枚の絵のようで純粋に、綺麗だ、と思えた。
「どうしたの?」
「え、あ、いや」
無意識のうちにじっと見つめていたらしく、指摘されて急に顔が熱くなる。
別になんて事は無い、いつものスーシャの変な行動のひとつだと言うのに俺は一体何やってんだか……。
そんな自分をなんとか誤魔化そうと慌てて口を開く。
「え、えっと、それ、く、癖なの?」
「それ? ……って、これ?」
スーシャは首を傾げながら空に伸ばした手をもう片方の手で指差した。
「そ、そう、それ。こないだもやってたな」
「え? ……あ〜……覚えてたんだ」
「あんな奇行忘れないって」
「そんな変かなぁ」
スーシャは頬を掻きながら、苦笑を零す。
「なんだろなぁ……つい伸ばしちゃう感じ?」
「なんだそりゃ」
「私もわかんないや。でも、伸ばしたら届くかもしれないよ」
「届くかもって……空に?」
「うん」
俺の問いかけに、スーシャは満面の笑みで大きく頷く。
その態度は冗談なのか本気なのか分からない。
やっぱり変じゃないか。
「……フェルくんは、」
「ん?」
「……フェルくんはさ、いつも届く所に来てくれるよね」
「……?」
「フェルくんが来てからは全然寂しくなかった。いつも楽しくて、ありがとうって思ってる」
スーシャは頬を少し染めて、照れ臭そうに笑う。
面倒かけてばかりだと思ってたけど、感謝されていたらしい。
その言葉が嬉しくて嬉しくて、どうにかなってしまいそうな程に心臓がばくばくとうるさくて口が上手く回らない。
「いや、えと、俺、何もしてないけどさ、スーシャの役に立てたのなら、その……嬉しい」
顔が熱くなる。
な、なんなんだよ。
大した事言ってないのにものすごく照れてしまう。
きっとスーシャの比じゃないくらい顔が赤くなっていそうだ。
「何もしてなくなんかないよ。いっぱい色んなもの貰ったよ」
笑顔だったスーシャの表情が一転、目を伏せた寂しそうな顔になる。
「ちょっとフェルくんに甘え過ぎちゃったね。……ごめんね、いつも、ごめんね」
俯いたまま視線は下を向いているが、どこか遠くを見ているように思えた。
スーシャの「ありがとう」はあんなに嬉しかったのに、不思議と「ごめんね」はつまらない気持ちになった。
なんで、謝るんだよ。
スーシャが何を謝っているのか分からないけど、甘え過ぎているのか?
そうだとして、甘え過ぎる事がそんなに駄目な事なのか?
俺はスーシャの「ありがとう」がもっと欲しいし、喜んでいる姿がもっと見たいんだ。
こんな顔させたいわけじゃない。
俺は、もっと、もっと。
もっとスーシャの。
あれ?
これって。
もしかして……俺、……好き、なの……かな。
スーシャの事。
不思議な事に、もやもやした霧が一瞬で晴れたような、そんな感覚がした。
ただこの人ともっと……出来るならずっと一緒に居たい。
この人をもっと笑顔にしてあげたいと思った。
こういうの、きっと好きって言う事なんだろうな。
「……どうしたの? 大丈夫?」
しばらくぼーっとしていたらしい、スーシャが心配そうに顔を覗き込んできた。
俺の胸中なんて知らないんだろう、少し近い距離に心臓が跳ねた。
不思議な事に、気付いてしまうと今度は何かが溢れてしまいそうで堪えるのが大変だった。
「だ、大丈夫! 少しぼーっとしてただけだ!」
「本当に大丈夫? 調子悪いならやっぱり帰った方が……」
不安げな表情から本当に心配してくれているんだろうけど、少しだけむっとした。
「大丈夫だってば……そんなに俺と一緒に居るのが嫌なのかよ」
「えぇっ!? えっと、全然嫌じゃないよ! そんなんじゃなくて……」
ああでもないこうでもないと顎に手を当てて、難しい顔をしながら言葉を選んでいる様子だ。
ああもう、こんな事言って困らせたい訳じゃないんだけど……なんでこうも上手くいかないのか。
「……フェルくんはさ、……ええと……なんで……私に会いに来てくれるの?」
スーシャは苦笑しながら、膝をぎゅっと抱きしめた。
笑ってはいるが膝を抱えるその腕が微かに震えている。
スーシャは怖がっている、のか?
何を?
「なんでって、そんなの大した理由なんて無いよ。ただ一緒に居たいからだ」
あれ? そうだったっけ?
それでも何故だかそんな理由が頭にすっと浮かんで来たから悩む事無く答えた。
が、数秒後に顔が再び熱くなる。
何言ってんだ俺は!
まるで、こ、こ、こ、告白、みたい、じゃないか!
いや、す、好きなんだけど!
「うわぁ! いや、違うんだ! 違くないけどえっとえっと!」
「……あはは、変なの」
一瞬驚いた後、嬉しそうな顔をしたかと思えばすぐに消え、悲しそうな顔になった。
「ねぇ、フェルくん」
「な、なんだよ」
「もし……、もし私が……」
「スーシャが?」
スーシャの言葉が途切れる。
しばらく待ってみるが、俯いたまま黙り込んでしまった。
「……何でもない!」
「はぁ!?」
少しの間黙った、かと思ったら今度はいきなり大声をあげながら立ち上がった。
なんなんだこいつは。
「何でもないってなんだよ! すげー気になるやつじゃんそれ!」
「あはは、ごめん。途中で何を言いたかったのか忘れちゃったよ」
「えぇ……」
先程の悲しげな表情はどこへやら、頭を掻きながらへらへらと笑っていた。
『もし私が……』
一体、何を言いかけたんだろうか?
忘れた、なんて本当なのか?
……本当……に?
「なぁ、スー……」
「いつまでもフェルくんに甘えてばっかじゃ駄目だね。私ね、そろそろ旅人に戻ろうかと思ってるんだ」
「……え……っ?」
立ち上がって、星空を見つめたままスーシャは言う。
がつりと頭を叩かれたような、そんな衝撃。
スーシャは旅人なんだから、当たり前だ。
分かっているんだけど、なぜだか俺の頭は酷く混乱していた。
そんな心境を知ってか知らずか、スーシャは続ける。
「フェルくん最初は頼りないなぁって思ってたけど、飲み込みがすっごく早くて、どんどん強くなっちゃってびっくり。ただちょっと油断しちゃう癖があるみたいだけど、まぁ大丈夫だよ!」
俺に振り返って、星空を背景にふにゃっと笑う。
「きっともう、私なんか必要ないね!」
なんて言えば良いかわからなくて、ただただぼけっとスーシャの顔を見つめていた。
きっと間抜けな顔をしているだろう俺の顔を見て、スーシャは苦笑を零す。
「まだいつ旅に出るかは決めてないけど、近いうちに行こうかなって思ってるんだ」
「嫌だ」
スーシャの横に立ち上がり、腕を掴んだ。
なんて言えば良いんだろう?
なんて、頭の中ではああでもないこうでもないとぐちゃぐちゃ考えていたけど、口を突いて出たのはなんとも身勝手なものだった。
スーシャは掴まれている方と反対の腕を持ち上げて、その手を見つめて困ったように笑う。
「駄目」
そして、その手で俺の掴んだ手を優しく解いた。
俺は行き場を失ったそれをきつく握りしめる。
「なにが駄目なんだよ? スーシャだって一人で旅してて寂しいって思ってたんだろ?」
「……それは」
「そのくせ一人になろうとするし、説明は一切ないし、やってる事めちゃくちゃなんだよ!」
「ふぇっ!? え、えっと……」
「隠し事ばっかり! おまけに自分勝手にやりたい放題だし! あとは……えっと……」
「……ふぇ、な、なんか、ご、ごめんなさい……」
かっとなって色々言っていると、いつの間にかスーシャは俺から少しだけ距離を取っておどおどしていた。
どこにも行って欲しくなくて、なのにどこかに行こうとするスーシャにむかついて熱くなり過ぎてしまった。
「あ、ごめん言い過ぎた」
「……や、あの、こっちこそ、ごめんね……」
熱くなりすぎた事を謝ったら、スーシャは再度謝ってきた。
ああもう。
俺、またスーシャに謝らせてる。
そんなつもりじゃないのに、でもこれだけは嫌なんだ。
「と、とにかくスーシャが旅に出るの嫌だ! 反対!」
「えぇ……わ、私が旅に出るも出ないも私の勝手じゃん!」
「う、ま、まぁそうだけど、嫌だ!」
「なにそれ! フェルくんだって自分勝手!」
「そっちこそ、意地っ張り!」
謝り合いから一転、今度は罵り合い。
スーシャがじっと睨みつけてくるので、こちらも睨み返した。
雰囲気も何も一切無く見つめ合う。
好きな人相手に何をやっているんだろうか、俺は。
「……ぷっ、あはは」
少しの間見つめ合っていると、突然スーシャが噴き出して楽しそうに笑う。
「な、なんだよ」
「あはは、ごめん。喧嘩してる筈なのになんだか嬉しくて、それがまた面白くなっちゃって」
スーシャはお腹を抱えてその場に座り込む。
笑われて少しだけむっとしたけど嬉しそうな笑顔の前ではそんなものどうでも良くなってしまった。
嘘でこんな顔出来るとは思えないし、寂しいってのは本当だと思う。
多分だけど、俺の事も嫌っていないように見える。
なんで人と距離を取ろうとするのだろう?
苦手だから、よく分からないから、それで済ませてしまうには彼女の態度は明らかに頑なだ。
何か、他に理由があるんじゃないだろうか?
「……甘えちゃ……駄目。私はもう……大丈夫だよ……」
不意に、うっかりしていると聴き逃してしまいそうなか細い声が隣から聞こえた。
「スーシャ、なんでそんな……」
スーシャの方へ視線を向けると膝を抱えたような体制のまま横たわって、小さな寝息を立てていた。
いつの間に寝たんだ、こいつ。
そんなに疲れていたんだろうか。
あまり意味はないかもしれないけど俺の着ていた上着を脱いでスーシャにかけると、小さく呻き声をあげて身じろぎするが、すぐに規則正しい寝息を立てていた。
近くの木にもたれかかるように腰掛けて寝顔を眺めてみると、気持ち良さそうというか、幸せそうというか……。
何かを隠してて、思い悩んでいるような奴には全然見えない寝顔だ。
甘えちゃ駄目、か。
俺にはよく分からない事だ。
どこが甘えているのか、どうして駄目なのか。
俺だってスーシャに甘えているところは沢山あるだろうし、けれどそうやって助け合って生きていくのはそんなに駄目なことなのだろうか?
全然分からない。
スーシャがよくやるように右手を空に伸ばしてみると、満天の星空に手の形の黒い影が出来た。
どう頑張ってみても、届きそうには思えなかった。