01
田舎のちょっぴり質素な建物群の中、そこに一際目立つ立派な建物があった。
そこは冒険者専用の酒場。
静かな町でもその扉を開くとわいわいがやがやと喧騒に包まれる。
その酒場に入るや否や、俺は真っ先にカウンターを目指した。
「おぉ、フェル。今日も元気そうだな」
カウンターにはきっちり制服を着こなした色黒の男が立っていて、俺を見つけると面倒見の良い笑顔を見せる。
彼の名はアルバート。
この酒場の店主で、俺との付き合いは結構長い。
「よぉ、アル。今日はどんなクエストがあるんだ?」
彼は俺の言葉を聞くと、待ってましたと言わんばかりに分厚い沢山の紙が綴じ込みされている本のような物を取り出した。
「これなんか簡単だぞ」
「えー、報酬が少ないような……」
「じゃあこれはどうだ?」
本のような物……クエスト帳を二人で覗き込みながら、こうしてああでもないこうでもないと言い合うのがいつもの日課だ。
アルバート――アルは酒場を経営しながら何でも屋をやっており、そのお客さんから頼まれた難易度の高い仕事を別の人へ紹介してくれるクエスト屋でもある。
紹介料とやらで報酬を多少持ってかれてしまって泣きを見る事もしばしばあるけど、大人の事情と言う奴なのだろう、詳しい事はあまり気にした事は無い。
クエストにも種類があって、未知の区画を探索しに行ったり、薬や防具の素材を採取したり、荷物の配達等様々だ。
たまにモンスターと出会う事もあって、絶対の安全が保証出来ないような仕事がクエストとして用意される。
そしてそう言う、時には危ないような仕事をこなして生きている人は冒険者と呼ばれていた。
「これとか良いじゃん!」
「……お前にはまだ難しいんじゃないか?」
クエスト帳の下の方に目をやると報酬がかなり良さげな依頼を見つけて、その項目を指差す。
が、アルは良い顔をしない。
「お前は討伐クエストなんてやったことないだろう」
クエストの中でも飛び抜けて難易度が高いのがモンスターの討伐クエストだ。
モンスターと出会うこともある、なんてものじゃなくて、モンスターを確実に相手にしなきゃならないから当然と言えば当然である。
「そんなこと言ってたらいつまで経っても強くなんてなれないって! それに報酬も良いしな!」
「報酬しか見てないだろ」
アルは呆れた顔でため息を吐いた。
その通りなので返す言葉も無い。
黙ってじっと睨むと少し考え込む素振りを見せて口を開いた。
「……全く、無茶だけはするんじゃないぞ」
「分かってる分かってる」
場所:町外れの森
内容:スペクターの討伐
渡された依頼内容のメモと地図を見ながら頭に浮かんだ疑問を呟いてみた。
「何でこんな所にスペクターが……?」
スペクターとは、確かお化けのようなモンスターだ。
墓地とか曰く付きの場所ならともかく、特に何も無い普通の森に何故そんなモンスターがいるのかが謎だ。
「まぁ行ってみてからだな!」
「楽観的すぎないか? 普通とは違う状況なんだから、警戒は怠るなよ? 手に負えないと思ったらすぐに……」
「分かってるって! 行って来まーす!」
心配が過ぎる忠告に苦笑いを漏らす。
いつまでもアルに心配されるようなただの子供でいるつもりは無いんだから、快く見送って欲しいものだ。
手を振ってカウンターから駆け出した俺にアルは不安そうな表情で手を振り返した。
目的地の町外れの森は、そこまで遠くない。
酒場から歩いても半時間くらいで着く距離だ。
森の入り口に立って辺りを見回してみるが、やっぱり普通の森だ。
草木以外何も無いこの場所には誰も用が無く、人が寄り付かない場所。
木々が鬱蒼と生い茂り、道もあまり整っていない。
つまり助けを求めても誰も来てくれないし、逃げるにも大変だという事だ。
「……よし、行くか」
覚悟を決めて、なるべく音を立てないように歩を進める。
何の変哲もない森とはいえ、これは討伐クエストだ。
しかも相手がお化け。
ほんのちょっとだけ、こわい。
そうして辺りを警戒しながら森の中を進んでいくが、鳥の鳴き声と風が木々を揺らす音が森に響くばかりだ。
……やっぱりどう見てもお化けが出るような雰囲気ではない。
そうしてしばらく歩いていると、開けた場所に出た。
「……ぇ……っ!」
お化けなんてどこにも居ないじゃないかと安心してきた矢先、森の緑とは明らかに違う色を見つけて心臓が跳ねる。
広場と呼んでも良さそうな開けた場所の中央、大きな切り株に人がこちらに背中を向けて座っている。
華奢な出で立ちと風が揺らす髪の毛から、恐らく女の子だろう事が窺える。
驚いたけど他にも人がいた事にほっと胸を撫で下ろし、その背に近寄った。
「よ、よお。こんなところでどうしたんだ?」
「ふひゃあぁっ!!」
そいつは身体全体をびくりと揺らして、あまりにも奇妙な絶叫を上げた。
後ろから声をかけたのは失敗だったかもしれない。
ぎょっとした顔でこちらを振り返る少女にちょっとした罪悪感を感じた。
「ご、ごめん! 驚かせるつもりじゃ…」
「……あ」
俺が言い終わる前に、その少女はぼんやりした様子で立ち上がり俺に腕を伸ばした。
何がなんだか分からないまま、少女の吐息が顔にかかる。
「っ!」
「わわっ」
慌てて密着していたその子の肩を押し返すと、少女はそのまま体勢を崩して地面に座り込んだ。
一体何をしようとしていたのか、傍から見たら……と考えると顔が一気に上気する。
「なっ、な……っ!!」
心臓の音が自分でも分かるくらいにばくばくとうるさい。
そんな俺の心境を知ってか知らずか、少女はゆっくりとした動作で立ち上がる。
「きれいだったから……」
「え?」
「そのきらきらな金色の髪と翠色の目が綺麗だったからつい。びっくりさせてごめんね〜」
今までの雰囲気ががらりと変わって、申し訳無さそうに顔の前で手を合わせてふにゃっと笑い出す少女。
肩より少し長い空色の髪の毛と、それより深い青色の瞳。
柔らかい笑顔が印象的な女の子だ。
「お、俺の方こそごめん!」
俺が想像したような他意は一切無さそうだった。
冷静になってくると、驚いたとは言え女の子を突き飛ばしてしまった事が恥ずかしく思えてくる。
軽く頭を下げたままちらりと女の子を見ると、今度は真剣な顔で俺をじっと見つめていた。
「な、なに?」
「それ、痛い?」
言いながら少女は自身の左目を指差して首を傾げる。
恐らく、俺の左目の傷の事だろう。
俺の左目には幼い頃から傷があって、その機能を失っていた。
どうも十年くらい昔に事故で受けた傷らしいのだが俺自身は覚えていないし、あまり気に留めてもいないものだ。
「いや、かなり昔の怪我だしもう痛くも痒くもないけど……」
「そっか、良かった〜」
女の子はにっこりと嬉しそうに笑った。
なんで出会ったばかりの俺の、こんな古傷を気にするのやら。
マイペースというか、不思議というか、掴み所が無い感じだ。
出会ったばかりなら、普通お互い自己紹介し合うものだろうに随分と回り道だ。
「あ! っと、俺はフェルって言うんだけど、君は?」
「……」
危うく少女のペースに乗せられる所だった。
自身の名を名乗り手を差し出すと、少女はぽかんとした顔で俺の手を見つめる。
「握手握手!」
いつまで経ってもだらりと下げられていた少女の手を無理やり取って、両手で握りしめた。
少女はその一連の流れすらもぽかんとした顔で眺めていた。
「よろしくな!」
「……」
彼女はそのまま、間の抜けた表情で俺をじっと見ていた。
え? この反応……なに?
もしかして、俺がおかしい?
「えーっと……もしかして迷惑だった?」
「え!? っうぇぇぇっと! 全然そんなことないよ! す、スーシャだよ! よろしくね!」
「そっか。よろしく、スーシャ!」
少女……スーシャは慌てて俺の手を握り返すと、にっこりと嬉しそうに満面の笑みを浮かべている。
ふにゃっとした柔らかい笑顔がすごく魅力的な子だと思った。
「スーシャはこんなところで何してんだ? もしかしてクエスト?」
「クエスト? ここでそんなのあったんだ……」
「じゃあなんで……?」
「あはは、この場所が好きなんだ。昔よくここで遊んでた……から……」
笑っていた筈のスーシャの顔がみるみるうちに口を半開きにしてぽかんとした表情で固まった。
俺を捉えていた視線は俺の後ろへと向けられている。
嫌な予感しかしないけど、彼女の視線を追い掛けるようにゆっくりと振り返ると視界が暗く染まった。
すぐ目の前に大きな影。
「うぎゃあぁぁぁぁっ!!」
「うわぁ、大きい〜」
こんなに近くに異様な奴が居てもスーシャは動じないらしい。
そいつからスーシャが見えないように手を広げながら立ち、少しずつ後ずさりすると目の前にいたものの全体が見える。
トサカのような髪型にクチバシのようなモノをつけている大男だ。
強烈な印象とは打って変わって、足はうっすらと透けていてよく見えない。
「お、お前が、すぺ、すぺぺっ、スペクターだなっ!」
びしっと指差してかっこよく決めるつもりが、驚きすぎたせいで妙に上擦った震え声が出た。
……かっこつかないな、俺。
「お、お前に恨みはないけど覚悟しろよ!」
腰に付けているホルダーから使い慣れている短剣を取り出して鳥男……で良いのか分からないが、そいつに切っ先を向けた。
刃物を向けられても鳥男が怯む様子は一切無い。
それどころか、突然手をこちらに向けてゆらゆらとゆっくり揺らす。
その姿はまるで、おいでおいでをしているようにも見えた。
「こ、こわっ!」
「……」
背筋がぞわりと寒くなる感覚。
スーシャはこわがって居ないだろうかと後ろを見ると、真剣な顔で鳥男をじっと見据えていた。
何か気になるのだろうか?
それにしても向こうが襲ってくる気配が無いとは言え、いつまでもこんな状況でいる訳にはいかない。
そう思って右手の短剣を握りしめ、足に力を込めて踏み込んだ。
「……?」
ほんの一瞬だ。
空中の何も無い場所が光ったような、そんな気がした。
「ちょっと待ったぁ〜っ!」
なんだろうと思った次の瞬間、スーシャの声と硬質の金属がぶつかり合う音が響いた。
何が起きたか理解する前に腕に強烈な衝撃が走る。
「い゛……っ!?」
「この勝負、私が預からせてもらうっ!」
「は、はぁ!?」
いつの間にやらスーシャが俺と鳥男の間に立ち、どこから取り出したのか刀で俺の短剣を受け止めていた。
そのままスーシャは不満気な顔で短剣をちょいちょいと指差した。
「最近の若者は血の気が多いなぁ〜! ほら、これ下げて!」
「え、は、はぁ……」
どうやら短剣を仕舞えと言うことらしい。
文句を言った所で聞いてくれなさそうな雰囲気っぽいし、止めたからには理由があるんだろう。
大人しく従う事にした。
と言うか、若者、と言っていたけど年は同じくらいにも見えるのだが……。
このスーシャと言う人物は態度も発言もどこか変わっているし、細かい事を気にするだけ無駄なのかもしれない。
「……」
一方鳥男は俺達のやり取りを、先程と変わらず手をゆらゆらさせたまま見ていて襲って来ないようだった。
「なぁに? ついて来てって事?」
「あ、おい!」
スーシャは相手がモンスターなのに臆する事なく近づいていく。
鳥男はその様子を確認すると、やっと繰り返す動作をやめ、踵を返して奥に歩き出した。
「スーシャ、こ、怖くないのか?」
「襲ってこないから平気だよ〜」
へらへら笑いながらスーシャは鳥男の真後ろを着いて行き、俺も慌ててそれに続く。
襲って来ないとは言え、倍以上の体格差のモンスター相手に、なんでああも普通に振る舞えるのか。
なんか、数歩くらい後ろにいる自分が情けなく思えてきた。
そのまましばらく鳥男に着いて歩いていく。
すると草木が無造作に生え散らかる道の、木が倒れている場所でそいつは立ち止まった。
そして、頭を俯かせる。
「これって……」
恐らく鳥男が見ている先、こいつの足下。
横たえる木の近くには無残にもぐちゃぐちゃになっている鳥の巣。
それと、同じようにぼろぼろの雛達だったものが散らばっている。
少し離れたところに親鳥だったものであろうものもあった。
「……この雛さん達を弔ってほしいのかな?」
スーシャが鳥男の方を見ながら問いかけると、そいつはこくこくと頷くような仕草を見せた。
「そっか、分かった」
頷くとスーシャは雛達と親鳥を拾い集めて腕の中に抱きしめた。
服が土と鳥達の血で汚れても気にする素振りは無い。
「ごめんね、フェルくん。穴掘ってくれるかな?」
「え、お、おう!」
不意に声をかけられて慌てて頷いてみたけど、穴を掘るような道具なんて持ち合わせてない。
もうこれで良いか、と腰のホルダーから短剣を取り出して地面に突き立てた。
「うぅ、こういう使い方するものじゃないのになぁ…」
「あはは、頼んじゃってごめんね。でも、私はそう言う使い方の方が好きだけどなぁ」
「……?」
穴を掘る手はそのまま、スーシャの言葉に首を傾げた。
地面に突き立てて、抉るように土を退かしていく、これの方がスーシャは好きらしい。
やっぱり、変な女の子だ。
「……そのくらいで良いかな。ありがとう、フェルくん」
「お、おう」
スーシャはお礼を言うと俺の掘った穴の近くへ跪き、鳥達をそこへそっと寝かせるように並べていく。
それが終わると、同じようにそっと少しずつ土を被せていく。
気付けば俺もスーシャも土と泥で大分汚れていた。
そうして出来上がった不格好なお墓の前で二人で手を合わせると、鳥男は俺達に感謝を伝えるかのように頭を下げた。
それから背中を向けたかと思えば、空に飛ぶようにすうっと消えていった。
討伐しにきたモンスターに感謝されるなんて妙な状況だ。
「なんか、変な感じ」
「これ、クエスト達成だよね? おめでと〜っ!」
「ぎゃあ! おまっ、お、引っ付くな!」
安堵の溜息を吐いた瞬間、ふにゃっと笑ったスーシャは心底嬉しそうに俺に抱きついて来た。
最初の時のように他意は一切無いのだろうか?
今まで歳の近い異性に全く縁が無かったおかげで、そう言うものの耐性が無い俺には堪ったもんじゃない。
慌ててスーシャを引き剥がして、何か気を反らせるものは無いかと探す。
「そ、そういえばよく分かったな、あいつの言いたい事」
熱くなった顔を少し反らして無理やり話題を変えると、スーシャは困ったように笑った。
「ううん、全然分かんなかったよ。ただなにか理由があるのかなって」
「理由?」
「フェルくんをすぐ襲わなかったからね」
そう言えば、あの時俺の真後ろに居たんだっけ。
そこからゆっくり振り向いて、驚いて……、と確かに害意のあるモンスターなら、そこまでの隙を見逃すのはおかしい。
ただの変な子かと思いきや、意外とよく見ていたらしい。
「まずは冷静に周りを見て状況を理解する事が大事なのだよ! ……なんてね」
「なんだよそれ」
妙に芝居がかった声でいたずらっぽく笑う彼女に、どこか落ち着くような懐かしさを感じた気がした。
と、同時に強く惹かれるような、そんなよく分からない不思議な感覚がした。
それを誤魔化すように呆れた声で溜息を吐くと、彼女は照れ臭そうに笑った。
「親子の絆ってやつ?」
「え?」
「あのスペクターさん、自分の事は二の次で雛さんの事しか心配してなかったよ」
「……」
「スペクターに成っちゃうくらい大好きだったんだねぇ」
日が暮れ初め、赤みがかった空を眺めながらスーシャは笑う。
ちらりと横顔を窺うと、どこか違和感のある妙な笑顔で彼女は笑っていた。