Ally 3
俺の悪夢の権化。
夢に何度も出てくる、酷く笑ったマスクの人物がそこにいた。
俺はその時流石に思わず、落ちそうになった時よりも大きな悲鳴をあげた。
「ああああああああ!!!!」
「……ちょっとーー」
マスクはため息を吐きながら、俺の身体を引っ張りあげた。
「ーー五月蝿いですよ」
そう言いながら、俺を投げるように風除室に引き上げた。
そして俺の表情を見るなり、不気味にクククと笑う。
無理矢理とはいえ、この状況はどう見ても『助けられた』である。
こんな事が有り得るのか!?こいつの真意がわからない!
驚愕と恐怖心が入り混じって、俺は思わずこう言った。
「俺をどうする気だよ……!?た、食べんのか!?」
俺は息を呑み、一切の隙を見せないように、全身の神経を集中する。
そんな俺の言動と、強ばった表情を見たマスクの答えはーー
ハハハハハハ!!!
天を仰ぐような、大きな高笑いだった。
その不気味さがーー俺の恐怖心を煽るのには十分過ぎた。
俺は一瞬にして、背筋が凍り付く。
その瞬間ーー目まぐるしく思考が巡る。
視覚。聴覚。嗅覚……五感が探られる。
様々な情報を一気に脳に叩き込み、俺は何十もの策戦を同時に思い付く。中には『逃げる』算段もあるが、やはり手軽かつ勝率が求められるこの状況では、『殺る』が脳裏に浮かぶのは自然な事だった。
獲物が手に届く所にないーー
相手の額が、自分より高い位置にあるーー
状況項目が頭に浮かんでは、規則正しくシミュレーションされていく。
仮説の条件は整ったーー
頭に浮かんだ、最も効率を考慮した策戦はこうだ。
相手の『鼻骨を下から拳で打ち上げ、骨で脳天を突き刺し狙う』というものだ。
よしっ!いけるっ!これなら!
俺は拳に力を入れ、イメージを固めて立ち上がろうとしたーー
刹那。
マスク男は真っ先に、俺のイメージをぶち壊す台詞を吐き捨てるのだった。
「喜多川颯太ですね?私はーー貴方の”味方”になりに来たのです」
俺の身体がその瞬間、ピタッと動きを止める。
俺の味方!?何だいきなり……!?どういうつもりだ!?そんな言葉が信じられるはずないだろうが……!
不信感でいっぱいだった。
「騙されるかよ!ふざけんな!」
「だからずっと言っていたじゃないですか。ほら、『もうすぐそちらに行きますからね』って」
「そ、それがどうして味方になるってことになる!?」
俺は油断も隙も見せないように、このマスクから真意を聞き出そうと必死になった。
恐怖心と不信感で、声が少しばかり震えていたのは隠せているだろうか。
マスクが口を開く。それは更に俺を、絶望に突き落とす台詞だった。
「私の鼻骨を狙うとか、その変の人間なら思いもつかないでしょうね。流石です」
「!?」
俺を軽く遇うようにそう言った。
思考が読まれている……!!
そしてそれされも読まれているかのように、マスクはクスクス笑いながら言った。
「最初に言っておきますが、思考なんて読んでませんから安心してください。所謂コールドリーディングと言うやつです」
ふざけた事を言っているが、実際に俺の思考を当ててみせた。その瞬間、俺は直感するーー
こいつは頭がいい……!
何かこいつの裏をかく一手を考えないと!俺はこんな所で死なない……!
あくまでも戦って勝つ方法を模索していた。
「俺はお前なんかの言葉を信じる気は毛頭ない!お前のマスクごと、その脳天叩き割って家に帰る!」
俺がそれを言ったところでーー
「はぁ……貴方はまだーー」
マスクがゆっくりと台詞を吐き捨てながら、俺の表情を覗き込むように、腰を曲げてマスクを近づけて言った。
「ーー”帰る家がある”なんて思ってるのですか……?」
は……?
意味がわからない。
俺は当然聞き返す。
「どう意味だ……!?」
するとマスク男は、指をエントランスーーではなくなった漆黒の闇へと差し向けた。
「ないんですよ。家なんて何処にも」
「それはお前が、不思議な能力的な何かで消したんだろうが!」
「”消した”とは一体何ですか?」
「恍けるな!さっさとマンションを元に戻せ!」
「あのですね……マンション何て物は、最初から何処にもありはしないんですよ?」
話にならなかった。
まるで万引き働いた子供が、商品が最初からカバンに入っていたーーと言っている言い訳と同じだ。
俺はすかさずズボンポケットから、携帯スタンガンを取り出して威嚇した。俺ーー金になる頭脳を狙ってくる犯罪者は決して少なくない。そのための用心だ。
そうーーこのための用心だった。
「早く元に戻せ!気絶させる事は出来なくても、一瞬の怯みでお前の鼻骨を叩き折れる!」
「……どれだけ鼻骨を狙ってるんですか?」
マスクはゆっくりと、外へ通じるドアに向けて指差した。
「ヒントを上げましょう」
そして次のセリフは、かなり哲学的な内容だった。
「このドアの先は、一体何でしょうか?」
いや、かなり変人めいた内容だった。
当たり前というか、常識というか……
俺は首を傾げながらも、聞かれた質問にそのまま捻りなく答える。
「何言ってる……!?『外に出る』だろ……!?」
「いいやーー」
マスクはそう言いながら、俺の口を塞ぐように手を翳す。
「どうしてーー『外がある』って言い方しないんです?」
刹那。
俺の思考が凍り付く。
そして一気に膨れ上がる。
この二つ言葉の微妙な違いは、考え方によっては大いに違ってくる。言葉遊びの大きな違いはーー分詞構文にある。
エントランスに通じた筈の自動ドアーー闇の空間を見て連想する。
「マンションがあった……だけ!?」
「物事は全て”過去完了進行形”です。どんな人や物も、いつ生まれ、いつ死んでいるかは分かりません。それは空間も同じです」
俺は少し考え、やはり首を左右振って否定した。
「いやいや、そんなはずーー」
そこまで言った俺の台詞を、マスクが被せて言い返す。
「有り得ない。なんて、どうして言い切れるのですか?現にここには何も無いというのに?」
ああああああああ!!!
俺の脳裏を覆う恐怖が、頂点に達した。
狂っているのは一体何だ!?このマスクか!?それとも……!
俺はマスクを突き飛ばして、逃げるように外へ飛びだした。
逃げる。逃げる。
日がすっかり暮れていたが、もはや俺にはどうでもいい。
考えが纏まらない。そんな時ーー不注意。
角を曲がろうとした所で、中年男性とぶつかった。
「がっ!す、すいません!」
俺は染み付いた謝罪をすかさず済ませ、腰をついた男性を引き上げる。
「いや、こちらこそすまなかった」
けれど次の瞬間、それが俺の視界に飛び込んでくる。
男性にぶつかった部位ーー左肩がアルミホイルのように抉れ、色をメタルに変え、原型を忘れた形をしていたのだ。
当然そこまで強くぶつかってはいない。俺はこの通り無傷なのだ。それにぶつかっただけて、ここまで人間の身体は突然変異したりはしない。
なによりーー男性は自身の身体の変化に、まるで気づく素振りも見せず、それどころかその変異した肩で、先程落とした自身の鞄を持ち上げた。
「どうしたのかね?私に何かついているかね?」
何の変哲もない表情でそう言った。
気づかないのかよ自分の身体だぞ……!
鏡見る前に病院行ったほうがいいんじゃねぇかオッサン……!
俺は恐怖心を押し殺し、表情を殺して笑顔を作って言い返した。
「い、いえ。前を見て気をつけて歩きます。すいませんでした」
さっさとこの場を立ち去ろうと、背を向けて早足で歩き去る。
そして数メートル歩いたところで、足を止め恐る恐る振り返るのだ。
俺の表情が死んだ。
そこには先程の中年男性の姿は、跡形も無く消えていた。
「は、はは……消えたよおい」
これで確信した……!
人やトラックが歪み、空間が底無しの闇へと消えた。
おかしいのはーー世界の全て。
刹那。
代わりに聞き覚えのある声が、背後から俺を包み込んだ。
「今のおじさんは、貴方にぶつかるために生まれ、そして役目を終えたので消えました」
バッと振り返ると、先程の不気味マスクがそこにいた。
マスクは両手を上げ、俺にある話を持ちかける。
「いいのですか?私は貴方の知りたい情報を知っているかもしれないのですよ?貴方は賢い男です喜多川颯太。最善の選択をするのです」
確かに如何なる情報だろうとも、藁にもすがる思いだった。
けれどこのマスクに信ぴょう性は欠片もない。
凄まじい葛藤の中、野心家の俺はやはりそういう選択を選んでしまうのだ。
こいつをーー利用しよう。
「わかった……」
「おや?」
「お前の話を聞くことにする……!」
「それが賢い選択です」
俺はゆっくり立ち上がり、スタンガンをポケットにしまう。
それを見て、マスクは思い出したように自己紹介。
「私の事は、気軽に『アリー』と呼んでください。私は貴方の味方です。どうぞよろしく」
……Allyか。仲間とか同盟とか、そんな意味の単語である。あざといネーミングセンスだ。
なんて心に留めたところで、またメンタリストの真似事をしてくるだろうから意味無いのだろうけれど。
「……よろしくって思うならさ。お前のその、不気味なマスク取って素顔見せたらどうだよ?」
さぁどうするか……!
少しの沈黙の後、アリーはやはり拒否した。
「見ない方が、颯太さんにとってもその方がいいです」
話を逸らして、マスクの事はスルーされた。どこか意味深っぽく言えば、それっぽく話を変えられるとでも思ったのか……
見たくないと言えば嘘になるが、優先事項は他に山ほどある。
俺は先ず、先程感じたそれを開口一番に選んだ。
「考え憎いが、ここは俺の知っている世界じゃない……そうだろ?」
「えぇ……」
「ここは一体何だ?」
「ここは……何者かによって”用意された、造られた世界”です」
人間はどう転んでも人間だ。形が変わることは無い。どんなに酷い怪我をしても、そいつは怪我をした人間だ。そこから草が生えればそいつはもう人間じゃない。けれどここが造られた世界なら、あいつらが人の形をしていないのも説明できる。
ーー用意された偽世界……!?何者かによって……!?
誰が!?俺はそいつに拉致された!?
それはーー何時だ!?
何時から俺の日常が、ニセモノだったんだ!?
かなり飛躍した話だが、先程まで見せられた怪奇の数々……それなら納得がいく。
「けれどよかった救いがある。造った者がいる……つまり、元の世界が存在するって意味であってるよな……?」
それにもう一つの救いは、世界の急激な変化だ。
物事が歪に見えた事は過去に何度もあったが、立て続け、しかし変異が伴って起こったことは今まで無かった。その事から、この造り物世界が壊れ始めたことを表している。
「えぇ……そして貴方にはもう、この世界の正体の見当がついているはずですよ。喜多川颯太」
そして俺はアリーに言われるように、確信に変わった仮説を唱えた。
「”仮想現実”つまりここは、プログラムの世界だ」
仮説はいくつもある。
「この世界は、”光速に近付くと、時間の流れが遅くなる”という現象がある。宇宙飛行士が、地球に帰ってきたら何十年経っていた……っていうあれだ」
「アインシュタインの『相対性理論』ですね」
アリーも知っている一般常識。
別名ウラシマ効果とも呼ばれ、おとぎ話の浦島太郎に基づいて命名されている。
続いて説明する。
「……あれはプログラムを速く動かした時の、コンピューターの動作が重くなるそれとよく似ているーー」
そしてーー
この造られた世界を構築するプログラム。それに異常な負荷をかけることを恐れた管理人は、”速度に制限を設けた”
「だからこの世で最も速いものがーー『光』って事になっている」
この世界がプログラムーーそれだと全ての説明がつく。
「そしてここからが、ここが現実世界ではなく、仮想現実世界である『証拠』になる。
”今まで見てきたバグの数々が、ここが現実世界では無い事の証拠になるんだ”」
そして俺の仮説の答え合わせをするように……
アリーがくすくすと笑いながら、俺の問に頷いた。
「えぇ、その通りです。ここは仮想現実の世界です」
絶望的状況だが、世界の正体を知れてよかった。
何としてでもこの仮想現実世界から脱出する!それで、本物の和水佳奏にプロポーズするんだ!