夢
ドクン、ドクンと、早いテンポでうるさいくらいに心臓が鳴る。
すっかり日の暮れた12月の暮夜は、いっそ優しいくらい寒い。それなのに、いつも以上に体の芯は熱い。硬い指先は冷えきっているのに、乾燥して霜焼けのようになってしまった頬は焚き火のように火照って痛い。
正面を見るのが気まずくて、視線を窓の外に向けた。
「すげぇ……」
そこにあったのは、光の粒。思わずそう表現してしまうほど爛々と煌めく星々。砂金をこぼしたみたいにバラバラで、それでも何万年、何億年とそこに佇む。幾億の星、星、星。
普段は雑多な街の光で掻き消されてしまうそれらの希薄な光は、街から少し離れた場所にあるこの観覧車の中には、まるでオーケストラやミュージカルのような華やかさと力強さを伴って、俺達の眼に映った。
南の方の空に、オリオン座を見つける。ただ、元々俺に特別星の知識があるわけではなく、星の数も多くて、俺ではとてもじゃないが他に星座が見つけられない。
星空への意識が薄れて、また正面へと意識が向かい始めて、焦りが脳をよぎった時、
「わぁ、本当に綺麗……」
本当に心の底からそう思ってるみたいに呟いた葵の声は、しかしこの狭いゴンドラの中ではまっすぐに俺の耳へと届いた。
俺から見て正面に座る葵は、空に輝く星々を、それに勝るとも劣らない綺麗な顔をほころばせて見ていた。僅かに紅潮した頬は、彼女の無邪気な興奮を裏付けるもので、まだ少しあどけなさを残す顔は、星の輝きに釘付けのキラキラした瞳によって、より幼く見える。
それでも彼女の慈しむような、でもしっかりとした芯を感じさせる優しい眼差しは変わらない。
「まずあれがオリオン座でしょ?それからあれが冬の大三角だから、あれがおおいぬ座で、あれがこいぬ座。えーっと……多分あれがみずがめ座。すごい……こんなに沢山星を見たの初めてかも……」
「……葵って星が好きだったんだな」
「えっ!?……あ、えっと……その…………意外?」
「いや、意外って言えば意外だったけど、なんかすごくしっくりきた」
「しっくり?どういうこと?」
「えっ?それは……えっと……なんていうか……雰囲気!そう、雰囲気。静かに星を眺めてそうな感じがする」
「私むしろうるさかったと思うんだけど」
「それはほら………………ね?」
さっきまで緊張して、沈黙を守っていた俺が馬鹿みたいに話が弾む。
相変わらず心臓は早鐘を打って、声が喉に引っ掛かりそうになるものの、俺の眼前にいる葵は、良く笑って、優しくて、知的で、それでいてどこか抜けてる部分があるただの女子。そしてここはただ遊びに来ただけの遊園地で、俺と葵は仲の良い友達で、この観覧車から見る星なんかとんでもなく綺麗で、相変わらずこの曖昧な距離感は、ドキドキして、楽しくて。心地よくて。
でもそんな曖昧な時間は続けてはいけなくて。
「あと何分で下に戻るかな?」
その一言を聞いた途端、一際大きく心臓が跳ねて、言葉に詰まる。
そうだ。そうだった。俺は葵に伝えなきゃいけない事があったんだ。
それを自覚する度に、胸が痛くなるような事。
それを少しでも言葉にしようとすれば、誰かに押さえつけられたみたいに動けなくなるような事。
この優しくて冷たい星空の下で、伝えなきゃいけない。
言うなら今しかない。いや、むしろ今がいい。今じゃないと駄目だ。ここで言わなきゃ、いつまでも変わらない。
「なあ葵…………話があるんだ」
「……ソラ?」
「お、俺は……」
一文字一文字が喉に引っ掛かって、目眩がするくらい緊張する。
「俺は……」
呼吸が上手くできない。口と鼻のどちらから息を吸っているのか、それとも吐いているのか。
「俺は、ずっと前からーーーーー」
なんとなく、今日はいつまでも忘れない日になるだろうと思った。
人生の大きな転機になるだろうという確信があった。
あのありふれた悪夢から抜け出せるような気がした。