その少女は天使を求め
ネーベルたちと別れた一週間後、ミナと呼ばれたその少女は右腕を抑え、片足を引き摺りながら砂漠の岩場を移動していた。足跡と足を引き摺った一本の線が残り、ぽたりと垂れた汗は砂に触れると蒸発していく。
いくら小柄な女の子とはいえ空中で受け止めてそのまま着地するなんていうことは無茶だ。ネーベルの前では平気なふりをしていたが、日常的な行動に支障をきたすほどのダメージだ。
すでに水筒の中身はなくなり、痛み止めの薬もない。唯一の武器であるワイヤーもいつも通りの方法で動けないために乱暴に扱って千切れて使い物にならない。ナイフも研がなければ使い物になりはしない。
まだ戦えというのなら、意識を無理やりに切り替えて自己暗示で痛みも疲労も忘れて戦える。それでももう限界が近い。
見渡す限りの砂の海、目玉焼きができるほどにジリジリと照り付ける日の光。黒い服は光を吸収して熱量を蓄えていく。いっそ脱いでしまいたいがそんなことをすればひどい火傷を負うだけだ。
喉が渇きすぎて痛みを発する。
白い肌はとっくに赤く染まり、日の光にさらされる顔はひりつく痛みを訴える。
自分でも分かる、もう限界というやつが近いのだと。
それでなお無理をして歩き続け、半分ほど砂に埋まった小屋と井戸を見つけた。
駆け寄って蓋のない石造りの井戸をのぞき込み、真っ暗で底が見えなかった。千切れたワイヤーを結び合わせて水筒に括り付けると井戸に投げ込む。水の音はしない、引き上げてみると濡れてもいない。
空を見上げると燦然と輝く太陽がすべてを焼き尽くすように自己主張していた。
少し休もう。
そう思って小屋の入り口を見れば砂に埋まってしまっていて、どうみても入れる様子ではない。
このまま干からびて死ぬか……そんなことを思えば砂を踏む足音が響く。
「ようやく見つけたぜ、嬢ちゃん。悪いことは言わねえ、一緒に来い」
しっかりと砂漠用の装備に身を包んだ男たちが少女を囲む。
「……ぁ…………」
言い返そうとすれば声がでない。
奴隷になり、声を奪われ、抵抗することもできずに好き勝手に体を弄ばれ、逃げ出してみれば味方なんていない。思えばそう、最初から味方なんていなかった。
そしてそれを意識すれば体に焼き付けられた奴隷の証が存在感を増していく。
決して消えることのない魔法で焼き付けられたその印は、体中を動き回って永遠に縛り続ける。
「なんだぁ? 怖くて声も出ねえか」
そう言ってケラケラ笑った男の顔めがけて砂を蹴り上げ。
「てめぇ!」
掴みかかってきた男の頭にハイキックを入れて一撃で昏倒させると無理をして走り出す。
ネーベルたちを助けに入る前に偶然遭遇した連中だ、一般人と魔法使いの混成グループを襲って物資を奪い、大人の女性だけでなく子供にまでも不埒なことをしようとしていたために容赦なくワイヤーで首を切断して大半を殺したが、やはりそういう連中はしつこい。
捕まってしまえばどうなるかは容易に想像がつく。
「やっちまえ!」
「ひぃひぃ言わしてやるこんのメスガキがぼっふぅ!?」
生かして捕らえる気か、不用意に飛びかかってきた男の股座を蹴り上げて崩れ落ちたところにかかと落としを入れる。
使える手札にある武器は己の体だけ、いかに囲まれずに各個撃破できるかが重要になってくる。捕まってしまえばそれまでだ。もうこの体に汚れていないところなどどこにもない、それでも好き勝手されるのは御免だ。
「……っ」
殴っても蹴っても痛む体では余計に負担を受ける。
この体は脆い。あの天使に奪われたものを取り戻さなければ本来の戦い方もできない。
本気で皆殺しにするか、と。日よけの上着を脱ぎすてベルトを緩めてワイドパンツを下す。半袖の黒いTシャツに黒いクロップトパンツと黒いハイソックス。
上一枚を脱いでもその下にまだ普段着として通用するものを着ているのは砂漠だからだ。
「やる気か?」
革のグローブを付けた拳を握りしめ、すっと目を閉じて体を伏せ、弾丸のように砂を蹴って一気に距離を詰める。低い姿勢から足払いを掛け、体勢を崩した男の首を圧し折って手をグーにして顔面を払い飛ばす。
致命的な負荷を承知の上で限界ギリギリの運動能力を引き出す。どのみちこれが終われば動けなくなる。
「こいつ……」
「一人でよくやる」
「いったい何人、この女になんにん殺された……!」
大地のエレメント。
砂が浮かび上がり凝縮されて男たちの手に剣が作られていく。
「はっはぁーーーっ!!」
どこかから声が聞こえた。しかもとてもよく通る声だ。
突然のことに男たちが周囲を警戒するが……。
「美少女がピンチの時! 正義のヒーロー参上ってなぁっ! 斬って斬って斬り刻めっ、旋風刃!」
強風が砂を巻き上げ、風に紛れた刃がすべてを容赦なく斬り刻んでいく。それは少女も例外ではなかった。
言っていることとやっていることとがおかしい、なんて思いつつも回避行動をとるが強風のせいで満足に動けずギリギリで当たる。
脱ぎすてた服が消し飛び、着ている服も削り取られていく。終いにはその綺麗な黒髪も首のあたりでスパッと切断され。
「…………、」
強風が止んだ。
雨が降った。
水、ではなく血肉の雨が途切れることなく大地を叩く。
当たり一面、血煙と赤い雨粒しか見えない。激しいその雨音は少女を赤色に染めていく。
ほぼほぼ裸体で真っ赤に染まり、ただただ無表情でその乱入者に向かっていく。
「やあお嬢さん、お怪我はありませんか?」
その言葉に返事は一つ。
胸の前で拳をポキッとならして顔面にグーパンチ、側頭部にハイキック、急所に膝蹴り、トドメに後頭部に踵落とし。
崩れ落ちたかと思えばまた起き上がってきたため首に腕を回してごきゅっと。
そしてなおも死なない。
なんだこの人間は? なんて思いながら人を壊すためのポイントに連続して攻撃を加えていくが。
「この天城采斗、そう簡単に折れはせんぞ!」
その後、少女は体力の限界まで攻撃を加え続けたが、もとから無理をしていたこともあり三分ほどで崩れ落ちた。