霧に包み込まれたこの世界で
あの日以来、世界は決して晴れることの無い霧に包み込まれてしまった。
霧は魔法生物である幻獣を形作り、大地を、空を、海を跋扈する。
怒りで顕現した、ネーベルの暴走した大魔法。ただ一人の天使を消し去るためだけに、数多の魔法使いから魔力を強制的に奪い取り発動された霧の檻。
「ねぇ、死んでよ。……ミナにあんな酷いことしたんだから、君が痛い目にあわないっていうのはおかしいだろう」
まるで台風の目とでもいうべき場所で、晴れた空に浮かぶ天使を見上げていた。
霧の中こそ得意なフィールドだが、天使が羽ばたくたびに霧が消え、宙を撫でるように指が動くたびに光の槍が砂漠の砂を巻き上げる。
勝ち目がない。そもそもの力に差がある上に、堕天しつつも光と闇、相反する力を同時に振るうあの悪魔のような天使には手の打ちようがない。
それでもネーベルは愚直に魔法を叩きこんでいく。
炎を、雷を、氷を、岩を、そのすべてをことごとく無効化され、魔法がダメならば物理で。
風で砂を巻き上げ、鋼鉄すら削り取る鑢の嵐を。
炎で熱してプラズマ化させた物質で、すべてを蒸発させる焦熱の空間を。
空間そのものを高圧縮して、世界に穴を穿つ破壊を。
それらすべては天使に届かない。
神光の砦。
神と光のエレメント。絶対の防壁を創り出す最硬の力。
薄く光る結界がすべてを遮断しているのだ。攻撃系統はもちろんのこと、癒しの力や恵み、補助系統のものすらすべてだ。こちらからは一切の干渉ができず、向こうからはできる一方通行の砦。
ミナはこれを破壊するための術を持っていた。ミナがいない今ではどうしようもない。
これは攻撃を続けていればいつか壊れる壁ではない。一般的な方法でやるならば、反対属性、且つより強い力で一気に仕掛けなければ、すべてのダメージは無いものとなるのだ。
「いい加減にしなさい。所詮、巻き込まれのあなたは弱いだけの足手纏いよ。ふふっ、あの子もあなたと居なければ死ななかったでしょうにねぇ」
「君が手を出したからだろ!」
空間が揺れ、その歪みで連鎖的に、限定的に世界が壊れる。
「……よく頑張った方だとは思うわ。消えなさい」
霧の中を高速で移動していたネーベルがつんのめって思い切り砂の中に埋もれてしまう。がばっと顔を上げてみれば霧が晴れ、突き刺すほどに痛い太陽の光が降り注ぐ。
「っ……すべて焼き払うつもりかい」
空を見上げてみれば太陽が二つ。片方は空に浮かぶ天使が作り出した巨大な火球だ。ミニチュア太陽とでも言うべきか、わざわざ断熱結界で包んでくれているからこそ、まだ地上が蒸発していない。
「あなた、邪魔なのよ。なあに? なんでそんなに必死に人間の振りしてる化け物に合わせようとしているの? もしかして怖いの? 純粋な人間が少ないから、下手したらどうなるか分からないから。一人ぼっちを引き入れようとして、あなたが一人ぼっちじゃないの」
「黙れよ天使」
「なに、怒ったの? 本気でキレちゃった? やだぁ~短気ぃ~」
「僕は――」
指に挟んだ札に魔力を通す。
「僕のためにいままでやってきたんじゃない」
それはミナがネーベルのためだけに時間を掛けて創り出した、天使に傷を負わせるための特殊魔法。
「みんなと約束したから……だから」
系統外の特殊魔法が、漆黒の弾丸が解放される。
たったの一発、されど一発。黒い軌跡を残して天使の肩を貫く。
「痛っ……やったわね」
お返しと言わんばかりに上空の太陽を包む結界が取り払われる。
瞬間的に輻射熱で白く光った大地は、瞬く間に昇華し始めた。溶けるなどという前に、圧倒的な熱量の前に消し飛んでいく。
だが、ネーベルの周りだけはやけに静かだった。まるで時が止まったかのように。
静かな世界に二人の砂を踏む音が響く。
「さて、と。あんのクソ天使、ここでちょっとばかし痛めつけてやらなまだ調子に乗るな」
「同感だ。オレも声を奪われるとかまではごめんなんでな」
ネーベルの両脇を通り抜けて前に出た二人。
黒く長い髪の少女。白く長い髪の少女。
「ネーベル……キリヤ、お前はよくやった。お前は復讐だとか負の方向には落ちるな」
「ミナ……?」
「悪いな、忘れてくれ」
寂しい笑顔と一緒に取り出された懐中時計。ミナの固有魔法を発動するための法機だ。
「待って……ミナ! それはやめっ――」
自分の命を、存在を代償に発動される禁断の魔法。
すべてが消えた。




