王になる者の妻に必要な物
私はこの国の王妃をしておりますイザベラと申します。
私はいま自然と逸るこの気持ちをどう抑えればいいのか悩んでいます。なぜなら今日は、全寮制の貴族学園から三年ぶりに息子が帰ってくる日なのです。
「イザベラ様。もう間もなくクリストファー様がお戻りになられます。謁見室に向かう準備を」
「わかりました」
私は王妃として恥ずかしくない様身形を整えると謁見室へと向かいます。ああ、三年ぶりに会うクリストファーは王子としてどれだけ成長していることでしょうか。会うのがとても楽しみです。
「父上、母上。ただいま戻りました」
「うむ、良くぞ戻った」
「元気そうで何よりです……ところで、そちらの女性は?」
城へと戻ってきたクリストファーは隣に見たことのない女性を連れていました。立ち居振る舞いや身に着けている物を見る限りどこかのご令嬢のようですが……。
「彼女はアンジェリーナ・アルノー子爵令嬢。私の婚約者です」
「ご紹介に預かりました。アルノーの娘、アンジェリーナと申します」
「こ、婚約者!? マチルダ公爵令嬢はどうしたのですかっ!?」
マチルダ公爵令嬢はクリストファーの元々の婚約者です。多少気の強い性格ですが、見目麗しく頭もいいという王太子妃としてふさわしい女性でした。幼い頃から王家と付き合いがあり、私とも仲の良い娘だったのですが……。
「マチルダ公爵令嬢との婚約は破棄して参りました」
「なっ!?」
夫は驚いて開いた口が塞がらなくなってしまったようです。
「勝手に婚約を解消するなんて……何があったのです?」
「私はアンジェリーナに出会い本当の愛を知ったのです!!」
クリストファーの話を聞くと、幼少より婚約者として接してきたマチルダの事が元々苦手だったようです。そんな時に学園で出会ったアンジェリーナにコロッと落ちてしまったということでしょう。なんと浅墓な……。
婚約破棄もアンジェリーナが嫌がらせを受けていて、それがマチルダの仕業だという話を聞いたからだとか……。我が息子ながら浅慮にも程があるというものです。
しかし、破棄してしまったものは仕方ありません。
「わかりました。貴方とアンジェリーナ子爵令嬢との婚約は認めましょう」
「本当ですかっ、母上っ!」
「私もクリストファー様をお支え出来る様、頑張ります」
「ただし、王位を継ぐものとして、王族に嫁入りする者として、一年間の教育を受けてもらいます」
勝手なことをしなければすぐにでもクリストファーを王にしても良かったのですが……とりあえずはこのアンジェリーナという娘を教育してみることにしましょうか。
それから一年、彼女には王族としての身だしなみ、言葉遣い、心構え、他者との付き合い方や多少の政治知識など様々なことを教えました。
付き合ってみるとアンジェリーは少し世間知らずではありましたが、真面目で優しく物腰の落ち着いたとても良い娘でした。物覚えも悪くなく下級とはいえ貴族だったのも手伝ってか、予定より早い十ヶ月で王太子妃としてなにも問題のない教養を身につけることもできたのです。
ですが、そんなアンジェリーナだからこそ教えなければいけないものがありました。王になる者の妻にこそ必要なものが。残りの二ヵ月でそれを教えるのは難しいものでしたが、彼女はそれまで以上に必死に学ぶことでそれすらも乗り越えます。
こんなにも愛されているなんて、クリストファーはなんて幸せ者なのでしょう。
そうしてとうとう結婚式の朝がやってきました。
「これまで良く頑張りましたね。今の貴方にならクリストファーを任せることが出来ます」
「イザベラ様……ありがとうございますっ」
「ふふ。お義母様と、今日からはそう呼んで頂戴」
「……はいっ、お義母様」
「さあ、今日は貴方とクリストファーの人生最高の日です。気を引き締めるのは明日からにして、思いっきり楽しむのですよ」
「はいっ!」
アンジェリーナが部屋を出て行くと入れ替わりで夫がやってきました。何か心配事でもあるのか表情が沈んでいます。
「こんなめでたい日にそんな暗い顔をして、どうしたんですか、あなた?」
「いや、すこしな……。アンジェリーナはどのような感じだ」
「文句の付け所がないくらいですわ」
「そうか、それなら心配はいらないか……」
どうやら、教育のことで何か悩んでいるようですね。
「クリストファーになにか問題が?」
「問題……と言えば問題か。なんというか、有事の際に国よりもアンジェリーナを優先しそうでな」
「アンジェリーナは私に似ていますから大丈夫ですよ」
「イザベラに? なるほど。だったら心配するだけ無駄だな」
「ふふふ、もちろんです」
結婚式が始まりました。アンジェリーナはその優しい性格で、以前から国民達に好かれていたようで、式は自然とお祭り騒ぎとなったようです。
そうして恙なく式を終えると今度は初夜が待っています。後からアンジェリーナに聞いた限りだと
「綺麗だよ、アンジェリーナ」
「私、恥かしいです。クリストファー様」
と、なんとも初々しい甘い夜になったようです。
特別な一日も終わり、朝がやってきました。この日からは王太子夫妻として本格的に政務に励むことになります。
「起きて下さい、クリストファー様」
「うぅん……おはよう、アンジェリーナ。君は今日も綺麗だね。このまましばらく眺めていてもいいかな?」
「何を言っているのですか? 今日から政務が始まるんですよ? 早く起きて支度をしてください」
「……え?」
クリストファーがアンジェリーナによって無理やりベッドから追い出されます。どうやらアンジェリーナは私が教えたとおりにやれているようですね。
執務室では二人とも黙々と書類仕事に取り組んでいます。
正午を過ぎると、まだ休む様子のないアンジェリーナに比べてクリストファーは手が止まっていました。
「なあ、アンジェリーナ。そろそろお昼にしないかい? お腹がすいてしまったよ」
「そうですね。もう少しで一段落着くので少しだけ待っててもらえますか?」
「少しってどれくらいだい?」
「そうですね、四半時といったところでしょうか?」
執務机に突っ伏すクリストファー、それを見たアンジェリーナは
「なんでしたら先にお食べください。私も終わったら向かいますから」
「そうかい? それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」
クリストファーはがっかりした様子で部屋を出て行きました。多分、王太子になるということが自分の想像と違ったのでしょう。歴代の王にもそう感じた方は多かったようなので仕方のないことなのでしょうね。
少し時間はずれたものの、二人で楽しく昼食を食べた後は執務の続きです。何か予定がない限り王太子の一日はこのように過ぎていきます。
アンジェリーナは言わずもがな、楽しい昼食でやる気を取り戻したクリストファーも頑張ったおかげで、規定の時間は超えましたが翌日に残すことなく仕事を終えたようです。
「やっと終わった」
両腕を上げて体を伸ばすクリストファー。まだ初日ですから大層疲れたことでしょう。仕事に慣れるまでは辛抱ですね。
「お疲れ様です。クリストファー様」
「お疲れ様、アンジェリーナ。てっ、もう外は真っ暗じゃないか! はぁ、しょうがない体を洗って寝るとしようか」
確かに世間一般ではもう就寝の時間です。しかしそこは王族、夜は夜でやらなければいけない事という物があります。
「あら、クリストファー様。まだ寝っては駄目ですよ」
「え? いや? もうこんな時間だよ? まだ何かやる事があるのかい?」
「ええ。跡継ぎを作りませんと」
そう言うと、アンジェリーナはクリストファーの腕を掴んで寝室へと引きずっていく。
「きょ、今日は疲れているから明日にしよう。ねっ、アンジェリーナ」
「これも王族の勤め。クリストファー様の妻になったからには立派に果たして見せます」
「ちょっ、アンジェリーナッ! あんなに恥かしがっていた昨日の君はどこへ行ったの!?」
クリストファーが喚き散らしていますが使命感に燃えるアンジェリーナの耳には入っていないようです。
「戻ってきてくれっ、僕のアンジェリーナァァァァァ!!」
「二人はこんな感じです」
「そうですか。その様子ならこの国の未来も安心ですわ」
私は今、マチルダ公爵令嬢と一緒にお茶を楽しんでいます。マチルダの仕業とされていたアンジェリーナへの嫌がらせは、調査の結果濡れ衣だと証明されたのです。因みに犯人は王妃の座を狙っていたとある伯爵令嬢。現在その伯爵令嬢は修道院で静かに暮らしていることでしょう。
「それにしてもアンジェリーナがきちんとした人物でよかったですわね」
「そうですね。クリストファーの相手は貴女しかいないと思っていましたが、それを努力で何とかしたのですから本当に立派な娘です」
「愛の力、ですわね」
そういって二人で笑い合う。私には気を許してお茶を飲める同姓の友人が少ないので、彼女とまたこうしていられるというのは本当に喜ばしいことです。
「私も新しい婚約者を探さないといけませんわね。私の魅力に気付いてくれる男性はどこにいらっしゃるのかしら」
「ふふふ、貴女はとても魅力的なんですから、きっと男性の方から寄ってきますよ。まったく、クリストファーは貴女のどこが不満だったのかしら」
そう私が言うとマチルダがとても楽しそうな笑顔を浮かべました。
「あの人は私の気の強いところが苦手だったみたいですわ」
「あら、それこそが王になる者の妻に必要だというのに」