第六話 ビッグマウス
「貴重なお話をたくさん聞けて良かったです。それではこれで」
「かまわんかまわん!これから会う機会も増えるじゃろうて、村の子供達とも仲良くな」
「はい」
満面の笑みで手を振る村長に一礼し、村長宅を後にする。
朝早く出掛けたハズなのに、村長の長話のせいで昼飯を食いそびれ、日も傾き始めている。
村をぐるりと回ってみたかったから朝早く起きて来たというのに……村長の名前すら思い出せなくなるぐらい話が長かった。
「ふぅ……ったくよぉ八割自分の昔話か自慢話じゃねーか。まぁ俺の境遇が分かっただけでも良しとするか……」
固まった背骨をゴキゴキと鳴らし、ニ、三度深呼吸をして気を取り直してから俺は村の散策へと歩き出した。
地図に書かれたランドマークを頼りに、青果店から始まり、雑貨屋、肉販店、店と名の付く所は全て覗き、店主に初めましての挨拶を交わしていった。
「聞いた?最近魔物の様子がおかしいんだってよ?やぁねぇ」
「聞いたわ聞いたわ。アメリ家の旦那さん、いきなり襲われたんでしょう?やぁねぇ」
「こういう時の巡回戦士なんじゃないの?ほんとやぁねぇ」
「噂じゃこの村の近くに魔力狂いが出来てるって話よ」
「「「やぁねぇ」」」
ベンチに座り、肉販店の店主から好意で貰ったサンドイッチを頬張って遅めのランチをしていると、少し先に溜まっている女性達からそんな会話が聞こえてきた。
どうやら主婦同士の井戸端会議のようだ。
魔力狂い、マナが一定の箇所に異常滞留し悪質な瘴気へと変化した領域の事。
人がこの領域に長時間留まると肉体内のマナが瘴気により浸食、暴走、意識の喪失と肉体の異常変質が極めて短時間で行われ殆どが死に至る。
魔物の場合はその変化を受け入れて、新たな種として再誕するのが殆どである。
尚、その原因は未だ不明である--か。
手にしたナゼナニ大辞林を静かに閉じ、早く帰ろう、と思った瞬間だった。
バルトルめ、何が大した事も起きないだ。
しっかり起きてるじゃないか!
いや待て、噂だと言っていたな。
噂は尾もヒレも付いて膨らむのが世の常だ。
どうせ大袈裟に言ってるだけだろ。
長時間いたら死ぬとかチェルノブイリ原発事故の汚染区域並じゃないか。
そんな現象がご近所さんとか嫌な事この上無い
。
口を揃えて「やぁねぇ」なんて言ってる場合じゃ無いだろ。
避難しろ避難。
それともハングオーバーなる現象は日常的に起きる事なんだろうか?
だとしたらこの世界は危険が日常的という事だろうな。
少し、俺の中の認識を改めなければいけないな。
「うし、帰るか!」
サンドイッチを平らげ、やぁねぇやぁねぇと連呼している主婦達を尻目に帰路へとついた。
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「うわ!これ治生草じゃん!こっちのは魔蓄草?楽しいいいい!でもここ何処だああああ!
」
とまぁ、俺は全然帰って無かった。
むしろ森の中で超絶迷子中である。
帰り道が全く分からない。
村の中心部から家までの途中に一本曲がる所がある。
行きはバルトルに近道を教えて貰った為、そこを通る事は無かった。
それがアカンかったんや。
俺は曲がる所を間違えた挙句、この知らない景色は本来通る道だったのだ、と思い込んでズンズンと森の中へ入り込んでいったのだ。
地図にもそう書いてあんじゃん!
と思ったが、よくよく見てみると縦横間違えていた事が発覚した。
もうね、唖然ですよ。
やらかした事実に気付いた時は森のかなり奥まで進んでおり、どうにもならない状況だった。
急いで来た道を戻ったが一向に道が開ける事は無かった。
代わりと言ってはなんだが、天然の治生草や魔蓄草、甘露草等、錬金術に使用する植物が見つかった。
資源が見つかったからと言って迷った事に変わりは無いが、偶然見つけた喜びはじわじわと顔を出す不安を抑え込む抑止力にはなってくれている。
日が暮れるまえにどうにかしてこの森を抜けなきゃ色々とマズイ。
「まず、マッピング……だな」
森で一番怖いのは方向感覚が狂う事だ。
人間という物は視覚を頼りに生きる動物で、視界を奪われるととたんに方向感覚を失ってしまう。
目を閉じて歩いてみると分かるが数メートルも真っ直ぐ進む事が出来ないだろう。
森で迷うのは目印となる物が無く、木か草しか無い風景が続く為、視界を奪われる事と同意義になるからだ。
頭の中で進んだ道を描いていき、地面に転がっている手頃な石を拾い、三メートル間隔ごとに木々に線状の傷を付けて進んでいく。
始点の木に付ける傷を一本の線とし、二番目は二本、三番目は三本、というように線を増やしていくのだ。
こうする事により始点からどのくらい進み、戻って来てしまった時にはどの辺りかが分かるようになっている。
「地図上じゃそんなに大きい森じゃないんだけどなぁ……」
広げた地図に目を落としながら茂る草を掻き分けていたその時、不意に地面が小刻みに揺れ始めた。
地鳴りのような、地滑りが起きる前兆のような低く細かい振動だ。
(やばい!)
直感的にそう思った時にはもう遅かった。
硬く踏みしめていた足元の地面が突然柔らかみを帯びてずるりと動き、俺の足を引き込みながら勢いよく流れ出した。
(くっそ!またか!また落ちんのか!だがまだだ!まだ終わらんよ!)
崩れた土砂は草木を根こそぎ巻き込んで流れてゆく。
暴れた木々が転がり、踊る礫が俺に次々と襲いかかってくる。
とっさに土塊造型を発動し、土砂の流れを抑えようとしたが、初級魔術でどうにかなる事じゃないらしく、俺のマナが作用した一部は形を変えるのだがすぐさま流れる土砂がそれを呑み込んでしまう。
堰きとめる事が無理と悟るや否や、致命傷を避ける為身体の周囲にある土全体に働きかけ、身体に覆わせて即席のボディアーマーを構築する。
デザインなんて物は無く、土の全身タイツみたいになってしまったが贅沢を言っている場合では無い。
本来山で地滑りが起きた場合、流れ着く大体の場所が谷であったり川であったりするものだ。
川であれば然程危険では無いんだが、谷の場合--。
「やっぱりかああああ!」
押し寄せる土砂の勢いが止んだと思えば、軽い浮遊感を感じ俺はそのまま谷底へと落下した。
だが幸運な事に、谷の深さは精々十メートル程であり落下の衝撃も即席で作り出したボディアーマーと、先に落下していた土砂のお陰でほぼ無傷だった。
「いっててて……」
なんで森の中に谷があるんだよ、とか雨も降ってないのに何で地滑り起きるんだよ、とかそもそも平地の森で土砂崩れとか聞いた事ねぇよ、とか突っ込みたい気持ちを抑え、現状を把握しようと周りを見渡した。
「なんだぁ……ありゃ……」
どうやら俺が落ちたのは深さ約十メートル、幅二十メートル、長さ数百メートルの大規模な亀裂のようだった。
無理やり地面を引き裂いたような、そんな感じだった。
土砂に巻き込まれたのだろう、鹿に似た動物の首が直角に折れ曲がり、息をしていない事は明確だった。
俺の視線はその先、息絶えた鹿の胴体に食いついている異形の生物に固定されていた。
ワニのような巨大な顎を持つ巨大なネズミ、と言えば良いのだろうか。
夕日を浴びてギラギラと光る単眼は顔の大部分を占め、胴体から伸びた鳥のような三対の足が気色悪さを倍増させている。
アレに似たような動物はナゼナニ魔物大図鑑で見た事があった。
ビッグマウス、身体と同程度の顎を持ち、死体や腐肉を好んで食べる雑食性の魔物である。
体長は大きい個体でも三十センチ、群れを成して森の中で生活しており、森の掃除屋として有名な個体である。
しかし目の前にいるのはどう見たって体長一メートル以上はある。
単眼、六足、巨大な顎、特徴は全て一致する。
もしあれが本当にビッグマウスならば--。
「ちぃっ!!」
突如背後に気配を感じ、振り返りもせず横に飛ぶ。
同時にガチン!と鋼鉄を打ち鳴らしたような音が響く、そこに目を向けると俺のいた場所には今しがた見ていた巨大な顎が出現しており、その牙には真っ赤な液体がべっとりと付着していた。
巨大な顎からクチャクチャと肉を食むような音が俺の耳に明瞭に響いてくる。
「ファースト……エイド」
右手を左肩に乗せ、初級法術であるファーストエイドを発動させて応急処置を試みる。
見ないでも分かる。
ズグズグと痛む左肩を右手で抑えるも、吹き出す血は止まらない。
剥き出しの肉を触るあのねっとりした感覚が脳内を活性化させていく。
「テメェ……俺の腕、返せよ……」
アドレナリンが大量に湧き出ているのか、腕を食い千切られてはいるが、激痛というほどの痛みは感じない
あの場で振り向いていたら確実に丸齧りだったろうな。
「駄目か……」
腕を肩から食い千切られたのだ、ファーストエイド如き初級法術では一瞬傷は塞がるものの、すぐに傷口が開いて血が吹き出てくる。
意識はいい年のナイスガイだが肉体的には二歳のベイビーだ。
これ以上血を流したら遅かれ早かれあいつの餌食だろう。
「たゆたう清浄なる癒しの源よ、我の言葉を指標とし……ええとなんだっけ……めんどくせぇ!キュア!」
後半の詠唱を端折ったがなんとか術は発動したらしい。
傷口を覆う光の量が増し、肉が盛り上がって傷口を塞いでいくが予断を許さない状況に変わりは無い。
今出来る事はヤツが腕を食ってる間にさっさとずらかる事だ。
「「キキキキキ」」
俺の思考を嘲笑うように、ガラスを引っ掻いたような不快な声がステレオで聞こえてくる。
(右に一体、あれはさっきのヤツだな、それに左からも新手が来たか、どうする…)
クレイクラフトでもう一度ボディアーマーを形成する。
今度はある程度圧縮を高くし、強度を増した状態まで持っていく。
あまり圧縮すると重すぎて動けなくなるからな、このぐらいがベストだ。
以前、対爆スーツみたいなアーマーも作った事はあるのだが、重すぎて歩く事すら出来なかった。
全身タイツから上下のスウェットに進化した感じだなコレ。
「っしゃあああ!これやるよ!」
左から迫る魔物に、大きく振りかぶって手に握り締めた石を全力で投げつける。
石はそれなりの速度で飛んで行くが、憎らしい事に魔物はあっさりと避けて見せた。
俺は投げつけると同時に地面を蹴っており、咀嚼中の魔物と左の魔物との間を抜けるつもりで全力で足を動かす。
距離にして十メートルも無い。
「もういっちょだオラァァァ!」
今度はすぐに生成出来る小石を散弾のように生成し投擲、魔物を牽制する。
丁度俺の腕を喰った魔物の背後を通り過ぎようとした刹那、背後から強烈な衝撃が身体を貫き、俺は大きく吹き飛ばされた。
「ゴフッ……!!ぅぐ……ッかはっ!」
軽く数メートルは吹き飛ばされ、全身を強打した俺は咳き込みつつも強制的に吐き出された酸素を取り込もうと必死に呼吸を繰り返す。
(……尻尾かよ……)
クラクラする頭を押さえて振り返ると、長縄のような尻尾を大きく振る魔物の姿が目に入った。
(いってぇ……アバラ何本か逝ったんじゃねーかこれ……)
すぐさまファーストエイドを掛け、痛みを緩和させる。
(チッ……どうしてもお掃除したいみたいだな……)
カチカチと牙を打ち鳴らし、どこに潜んでいたのか俺の周囲には計十五体の巨大ビッグマウスが円を描くようなフォーメーションで迫ってくる。
(クソが……前はエグゼスに殺されかけて今年はコレかよ……民族の特殊性もそうだがワンダってのはトラブル続きの人生なのか?)
「ブシャアアアアア!」
(そうそう、あの時もエグゼスがそんな声だして飛び掛かって来ましたよ……って……ウソだろ……)
「オォォォォオ!!」
「「「ギギギギギ」」」
夕日を背に、文字通り黒い体毛を風になびかせ上方から飛んで来たエグゼスがビッグマウスの一体に躍りかかり、限界まで伸ばした鋭利な爪を振り下ろした。
落下の慣性を利用した爪の一撃は強烈であり、その一撃でビッグマウスの首を掻き切り、あっさりと命を奪った。
エグゼスは屠った獲物を一瞥もせずに、次の獲物の首筋へと食らい付き、これも一撃で喉を喰い千切りビッグマウスを地に沈める。
突風のようなエグゼスの襲撃に狼狽えながらも、やっと事態を理解したビッグマウス達が目標を俺からエグゼスへと切り替え、次々とエグゼスへ襲いかかっていく。
ビッグマウスはその大きな顎でエグゼスを捉えようとするが、エグゼスは紙一重でそれを躱してビッグマウスに致命傷を与えている。
一体屠り二体屠り、ビッグマウスは抵抗虚しく尽く血を吹き出して倒れていく。
対してエグゼスはその黒い体毛を返り血でべったりと濡らしているものの、かすり傷一つ負っていないようだった。
「すげぇ……ゔぐ……いててて……」
どうしてエグゼスがここにいるのか、何でたかがペットがここまで強いのか、あの馬鹿でかいビッグマウスはなんなのか、疑問が尽きる事は無いが、落ち着いた事により左腕の傷口が焼けるように熱く、激しい痛みが意識を刻む。
絶えずファーストエイドを掛けてはいるが、ぶり返す痛みは集中力も体力も削ってゆく。
今加勢に入ろうとしても邪魔なだけだろうし、むしろ優先的に食われて終わるだろう。
切り立った崖を支えにし、ふらつく足に鞭打ちながらゆっくりと立ち上がる。
ファーストエイドを中断すれば身を裂くような激痛で意識が飛びそうだ。
(逃げなければ……けどどうやって……)
周りを見渡しても登れそうな道は無く、逃げこめるとすれば左手数メートル先にある俺一人通れそうな程の小さな穴だけだった。
背中を崖に押し付けたまま、横ばいで穴まで移動して中を覗いてみる。
どうやらこの大規模な亀裂の影響で開いた穴のようだ。
この中に篭って入り口をクレイクラフトで塞ぎ、更にクレイクラフトで地上に向かって掘り進めれば完璧だ。
「こい!エグゼェェェス!」
脱出経路を脳内でシュミレートし、戦闘中のエグゼスに声を掛けるべく力の限り声を大にして叫ぶ。
エグゼスも丁度最後の一体を葬った所だったようで、一度体を大きく震わせ身体中に張り付いたビッグマウスの返り血を振り落としてから、軽やかな足取りで俺の隣に戻ってきた。
「アゥゥゥウ……」
未だ興奮が冷めないのか、荒く息をしながら俺の後を追って穴へと入る。
クレイクラフトで空気穴を少しだけ開けて入り口を塞ぎ、倒れるように地面に転がった俺はポケットから治生草を取り出して口に突っ込んだ。
地滑りに巻き込まれる前、サンプルにと少し摘み取っていたのが功を奏した。
治生草は生で食べると強烈な苦味があるのだがこの際贅沢は言えないし、生で摂取する事により加工後より数倍の治癒力促進が見込めるのだ。
「おつかれエグゼス……少し、寝るよ……」
ただ、治生草を生で食した副作用として強烈な倦怠感と眠気があるのだが、今はその副作用に身を委ねるとしよう--。