第五話 はじめてのおつかい
日がな一日、午前中は肉体的なトレーニングと午後は魔術の座学と実技の検証、そして物品製作。
エグゼスと戯れ、庭でスピードを競えばボロ負けする。
腹いせにちょっかいを出すとエグゼスも負けじと前足を使い器用にパンチで返される。
躱し躱され、次第に熱を帯びて取っ組み合いに発展する。
夜は家族で団欒を満喫し、寝る前にルルイエ劇場を楽しむ。
そんな生活を続けていた俺はあっという間に二歳になった。
魔法の練習に熱を入れ過ぎて何度か魔力枯渇も経験した結果、俺にはそれなりの魔力総量を持っている事が分かった。
同世代の友人も居ないので比較対象が無いのが残念ではある。
ルルイエに、仕事場である村の学校には何歳から行けるのだろうかと聞いた所、三才からだと言われた。
後一年か、この二年も長いようであっという間だったしきっとすぐにその機会は訪れるだろう。
***
「ふぅ……今日はこれくらいにしておくか」
ドラゴリウム家の庭にある少し寂れた物置小屋、ここが現在の俺の秘密基地だ。
一年前のあの日、俺はレックスに作業場の融通を頼んだ所、快くこの物置を譲ってくれた。
それからというもの、天窓から差し込む陽光を頼りに、俺はここで日が沈むまで勉強と作業に没頭していた。
埃っぽい室内の中、額に浮かぶ汗を拭い、床に並べた製作品達を見る。
この一年の間に土塊創造の精度も上がり、かなり精密な物まで作れるようになっていた。
色々な試行錯誤を繰り返した結果、土塊創造に似た魔法で、砂粒遊操というものがある。
これは子守や幼児の砂遊びなどの時、母や父が使う事を目的として構築された魔法なんだが、これも土塊創造の要領で操作する事が可能になったのだ!
単純に土がイケるなら砂も余裕っしょ、という短絡的な考えだったのだがアッサリ出来てしまった。
問題は土よりも流動性が高く、かなり集中しないと上手く形にならない所だった。
ただ砂粒遊操が出来ただけなら取り立てて騒ぎはしない、俺は砂粒遊操の新しい利用法を思い付いたのだ。
元々砂は岩石が石になり石が細かく崩れて出来た物だ、逆を言えば砂が固まれば石になり石は岩石になりうる訳だ。
とはいえ砂が石になるには長い長い年月が必要になる。
そこで俺はマナで強制的に砂を圧縮し、岩にする事に成功したのだ!
勿論無詠唱でだ。
また圧縮する砂の量で岩石の強度も増していく事も確認済みだ。
そんな努力と工夫の積み重ねにより判明した事実、どうやら魔法の詠唱とは源となる物質を指定し、その物質に宿るマナに働きかけ、任意の対象へ指向性を持たせる事を狙いとしているようだ。
これが判明した時は真理を解き明かしたような高揚感が胸に踊り、全能感が心を満たした。
しかし俺は知っている。
一時の高揚感に溺れ、技術を磨く事を忘れた兵は戦場にてあっけなく命を散らすという事を。
過去にそうやって散っていった部下が何人も居た。
彼等と同じ過ちはするべきでは無いのだ。
試験的に行う研究結果が良い方向に転び、「俺は天才なのでは」という邪悪な考えが頭にチラつく度に、首から下げている弾丸を握りしめ心を正すのだった。
お守り代わりとして首から下げている弾丸は一番最初に作った弾丸の模型であり、それをリリンに頼んでネックレスにしてもらった物だ。
この世界には無い形状のようで、リリンはそれを不思議そうに眺めていたが、庭で見つけた、と苦し紛れの嘘をついてみたら、首を傾げながらも納得してくれた。
魔術の研究と創作の傍、ナゼナニシリーズの一つである"ナゼナニ錬金術〜家庭で出来る!お母さんの為の初級錬金術〜"も並行して読み進めているが、この世界の錬金術はいわゆる化学的な分野の位置付けでもあった。
しかしこの世界独自の世界観とマナという存在から、似て非なる分野となっている。
この本に記載されているのは薬草の調合法だったり、虫除け魔物除けといった家庭向け薬品の調合法のみだったが、色々と刺激のあるいい本で、俺もいつか錬成してみたいと思わせるには充分だった。
「あ…….もうこんな時間か……」
外から夕暮れを告げる鳥の声が聞こえる。
と同時に小屋の扉が短くノックされ、遅れてレックスの執事然とした声が聞こえてきた。
「ノワール様、ルルイエ様がご帰宅になられました」
「あぁ、うん。今行きます」
開いていた錬金術の書を閉じ、ざっと室内を見回してから小屋を出る。
「勉学の方は捗っておりますか?」
「うん、とても面白くて時間が足りないくらいだよ」
「ほっほ……まだ幼いのに頼もしい事ですな、将来は国指錬金術士か大魔導か、いやいや剣を極め世に名を馳せる剣聖となるやもしれませぬな」
「ほっほ……それは言い過ぎかと愚考ながら進言致しますな」
「おや、私の真似ですかな?これはしてやられました」
「ふふ」
「ほっほっほ」
沈みゆく夕陽を背中に、俺とレックスは笑いながら仲良く手を繋いで家へと戻った。
***
「ねーねー、ノワールももう二歳になったじゃない?それでね、ちょっと明日お使いに行ってきて欲しいんだよね。どう?イケる?」
ソテーした肉にフォークをぶっ刺しながらルルイエがいきなりな事を言い出した。
「え、ちょっと意味がわからないんだけど」
「だからーお使いよお、つ、か、い。そんな流暢に喋れるのにお使いも知らないの?」
「いや、知ってるよ。知ってるけど僕まだ家から出た事すら無いんだけど、それに大体どこへ行かせる気なのさ」
「今言わなかったっけ」
「今の会話の流れでどこにそんな単語が有ったのか是非教えて欲しいのですが」
「奥様、向かい先を仰ったのは私にですよ」
カゴに入った白パンを手に取りながらリリンが口を開き、そのままパンに齧り付いた。
「えっへっへ……だそうだよ?」
「だそうだよ?じゃないわ!で、リリン、僕はどこに行かされるんだい?」
「ふぉんふょうふぁんのほほろへふよ」
「飲み込んでから喋れよ!全然分かんねーわ!何でパン丸ごと口に入れてんだよ!千切れよ!口の中の水分が可哀想だわ!」
「ほっほっ……今日もノワール様のツッコミはキレッキレですなぁ」
「で、結局何処に行けばいいの?」
目を丸くして口をモゴモゴと動かすリリンに一通り突っ込んだ俺は、脱線しそうになる話題を戻そうとルルイエへ話を振った。
「村長さんのトコだよ。お母さん明日は用事が有ってそっちに行けないの、だから代わりにノワールに頼もうかなって」
「ふぅん……まぁ村の中心部なら目と鼻の先だし、行ってみたいとも思ってたから引き受けるよ」
「ありがとノワール!さすが私の子だね!未知の道を進み、数多の困難に打ち勝ち男を磨く!堪らないね!」
「お母さん。今、未知と道をかけた?」
「えっへっへっへ」
俺が指摘すると嬉しそうに顔を緩ませて、だらしない声を出して笑い出すルルイエを見ながら、俺の心は一抹の不安とこの世界を歩く第一歩への期待で落ち着く事は無かった。
翌日--。
「はい、これがお届け物よ。絶対に開けちゃダメだからね?地図は持った?魔物に遭ったらこの薬を使うのよ?それと……」
「分かったって!そのくだり何度目だよもう……そんな心配ならレックスかリリンに行かせればいいのにさ」
支度を始めてから耳にタコが出来るくらい聞かされたセリフを遮って荷物を受け取る。
「うぅう〜……色々あるのよ、大人にはね……子供の成長を見守るのも、親の務め……あなた、私は頑張ってるよ……」
「おーい、帰って来てよー。父さんの幻影は見えないよー」
涙目になり、遠くを見つめだしたルルイエの手を揺すって現実へ呼び戻す。
村長への届け物は小さな木製の箱が一つと小さな包みが二つだけだった。
なにやら重要な物品で、今日中に届かないとマズイんだそうだ。
昨日も村へ行っていたハズのルルイエが言うにはそうらしいのだが、話の流れ的に矛盾してる気がする。
なら昨日渡せば良かったじゃないか、と突っ込んだ所、今日じゃないと意味が無いんだそうだ。
ワケが分からない。
「じゃあ、行ってきます」
下ろし立ての靴を履き、初めて着る一張羅に身を包んだ俺は荷物を入れたカゴを肩から下げて、出発の挨拶と共に振り向いた。
「ぎをづげでねぇぇええ!」
「うぉっ!?お母さん何で泣いてんの?!ちょっ!僕の袖で鼻拭かないでよ!」
び、ビビった……。
振り向いたら顔面汁まみれのルルイエが俺を抱き締めて、ついでに鼻水を俺の一張羅の袖で拭った。
「ぶへへ……おばもりだよー」
「あ、ありがと……」
「行ってらっしゃいませノワール様。村長様に宜しくお伝えください」
「坊っちゃま、今度リリンが遊びに行きますって伝えて下さいね」
「わかった。それじゃあ」
鼻をすすりながら手を振るルルイエと深々とお辞儀をして見送ってくれるレックスとリリンの非対称ぶりに軽く笑みを浮かべ、ドラゴリウム家の門を後にした。
目的地であるウルガ村は大人の足で徒歩三十分ほどの距離だ。
正確に言えば我が家もウルガ村の範囲内に位置しているのだが、いかんせん家同士の距離が離れ過ぎており隣の家ですら徒歩五分はかかる。
そんな村の中心部に村長は居を構えている。
まぁ長だしな、当たり前か。
ルルイエの部屋からでも村の中心部は見る事が出来たので、場所は大体わかっていた。
だがやはり自分の足で歩くとなるととても新鮮で心がウキウキしてくる。
この辺りには凶暴な魔物も大して生息しておらず、せいぜい野ウサギか大型でも野生馬クラスしかいないので安心して歩く事が出来る。
唯一気を付けなければならないのは、クラッシュボアぐらいなものだ。
クラッシュボアは強靭な足腰と岩石すら砕く太い角が特徴的な猪で、どの世界でも猪は危険だというのは変わらないらしい。
しかもクラッシュボアは基本森の中に住んでいるので農道を歩いていれば問題は無い。
昨日の夜の時点で"ナゼナニ魔物大図鑑"でこの辺りに生息する魔物は調べてあり、予習はバッチリである。
"ナゼナニ大辞林"も持って来ているので、気になる動植物もこれで調べる事が出来る。
「いやぁ……気持ちいいなぁ……」
整備されたとは言い難い農道のような道をただただ歩く。
それだけなのにとても清々しい。
お、あそこで草を食んでいるのはグラスディアーじゃないか。
ワイルデイキャットを追っかけてる群れはウインドッグ達か……。
「はぁ……のどかだ……」
そよそよと髪を揺らす追い風が気持ち良い、風に乗り、緑の香りが鼻をくすぐる。
平和的過ぎて涙が出そうだ。
今は実りの時期なのだろう、そこかしこにある畑には風にそよぐ麦や、豊かに実った野菜達が日差しをめいいっぱいに受けていた。
牧歌的な風景をこれでもかと楽しみながらもくもくと歩き続けるとチラホラと人の姿も見受けられるようになってきた。
すれ違う人には挨拶を交わし、見知らぬ子供は俺を好奇の目で見てくる。
「やぁ、こんにちは。ルルイエちゃんとこの坊主だな?一人で散歩かい?」
「初めまして、ノワールと申します。こんにちは、今日は母様の言いつけで村長さんの所へお届け物をしに参りました」
「ほー……村長んとこに……なるほどな。礼儀正しい出来た子だ、ウチのガキに垢でも舐めさせてぇわ。俺はバルトルってんだ、よろしくな」
「はい、宜しくお願いします、バルトルさん」
バルトルは村にいる数少ない戦士で村の巡回役なんだそうだ。
タンクトップから覗く腕は丸太のように太く、日を浴びた褐色の肌はテラテラと輝いておりそれだけで屈強な戦士なのだと分かる。
「ただまぁ、特になーんもねーから基本暇なんだ。今度ウチのガキとも遊んでやってくれよな。あ、勿論ルルイエちゃんも一緒にな」
「はい、分かりました。バルトルさんは母様の事がお好きなんですね」
「ばっ!ばか!そんなんじゃねぇよ……ただ女で一つで、なぁ?ほら、わかんだろ?」
言わんとする事は分からないでもない。
レックスとリリンがいるとは言え、食い扶持の大半はルルイエが稼いでいるのだ。
だがバルトル曰く、ルルイエは村のアイドルのような存在なんだとか。
ルルイエも中身は少し残念だが、外見はかなりの美女だから村の男達が夢中になるのも分かる気がする。
軽く世間話をした後、バルトルと別れた俺はバルトルに教えてもらった村長宅への近道を歩き、ものの五分程で到着した。
「こんにちは、ノワール・ドラゴリウムです。村長さんはいらっしゃいますか?」
扉に取り付けてあるノックを軽く打ち、挨拶をすると、まるで待っていたかのように勢いよく扉が開いた。
「おー!君がノワールか!待っていたよ!ささ、入りたまえ」
「こんにちは、ではお邪魔します」
出迎えてくれたのはたっぷりと髭を蓄えた頭頂部が眩しい初老の男性だった。
この人が村長だろうか?
見た目は凄く村長っぽい。
「ワシが村長のトーマスじゃ!いやはや!無理を言ってすまなかった!これは今日じゃないと駄目だったのでなぁ!かっかっかっ!」
やっぱりこの人が村長なんだな。
俺はリビングのような場所に通され、巨大な魔物らしき物の毛皮を引いた床に座り込む。
トーマスが持って来た焼き菓子を口に運びながらやや興奮気味のトーマスから話を聞く。
この村には子供が二歳になると、こうして村長の所へ一人でお使いに来させる事が習わしなんだとか。
ルルイエから俺の話を聞いており、早く会いたくて仕方なかったらしい。
「流石はワンダ族よのう……眉目秀麗とはこの事じゃて……」
ん?
なんだ?
知らない単語が出て来たぞ?
「ワンダ、族?」
「なんじゃ、知らんのか。お主らの民族の事じゃよ」
「すいません、母様からは何も……」
「ならばワシが教えてしんぜよう、ワンダ族とはな……」
この後脱線と昔話を繰り返し長々と続く話に俺は聞く人を間違えたな、と少々後悔したのであった。
結局の所、ワンダ族とはジプシーのような民族で、定住地を決めず、季節やその時の気分で住む場所を決める流浪の民の事だ。
ワンダ族の男女は総じて紫がかった黒髪が特徴の美男美女であり、伴侶にしたい民族ナンバーワンなのである。
女性は心優しく素直であり、常に気配りを怠らず男を立てる、尚且つ肉体的にもグラマラスであり男性を夢見心地にさせるのだ。
男性は屈強な身体と挫けない心を持ち、女性に優しく、弱者を助け、自己犠牲と博愛の精神に溢れる、女性と同じく肉体的にもボンバイエでありその魂不屈と称される程の絶倫なのだ。
一方、そんな完璧に近い人種を放っておかない奴らもいる。
奴隷商や奴隷狩り等の人身売買を生業としている人種である。
ワンダ族は奴隷としての価値も非常に高く、その人気はハイエルフと同等とまで言われている。
貴族や王族、ひいては高級娼館からも引く手数多の優良物件な為、拉致が横行し詐欺や襲撃など、奴隷に落とす為の様々な罠を掛ける非人道的な奴らもいる。
古くからワンダ族はそういったトラブルに巻き込まれ易く、傾国の美女と謳われた王族の妃も元は売られた娼婦だったという逸話もある。
定住地を持たないのは過去にそういった経験があったからだと指摘する論者もいるという。
(随分と難儀な人の元へ生まれ落ちたもんだ。しかし話なげぇなこいつ)
村長の話は止まる事を知らず、俺は適当に相槌を入れながら、何杯目のお代わりか分からないお茶のお代わりを村長の世話役に頼むのだった。