第十九話 魔王ヘカトンと呪われし勇者
「何を、してるんですか……」
「あぁ? 見てわかんねーか? 喧嘩だよ喧嘩」
「喧嘩って……うぇ……なんだこれ……」
かろうじて絞りだした質問に、呆れたような表情を浮かべたグラムが答えた。
アンタの喧嘩は相手を真っ二つにするまで終わらないのか、殺しておいて喧嘩も無いだろう、そもそも殺す必要があったのか、と色々頭に浮かんだが、そんな思考は目の前で起きている異常な光景に打ち払われてしまった。
唐竹割りで真っ二つになったダリアからは、真っ赤な血と体液とピンク色の内臓がどろりどろりと漏れ出して地獄にも相応しい小さな血の池を生成していた。
しかしよく見ると、断ち切られた切断面や内臓はアメーバの如くうぞうぞと小さな触手を無数に伸ばしては蠢き、ぐちゅぐちゅと生理的嫌悪感を誘発させる音を立てながら手を取り合うように少しずつお互いを絡ませ始めていた。
「おの、れ……久しぶりに、会う、たのに……随分と思い切り、やってくれたの……」
「ひぎゃあ!! しゃ、喋った!」
「そりゃあ、なぁ」
いくら俺が戦場で数多の死体を見てきたといっても、死体が喋る事なんて一回も無かったし、あってたまるもんか。
なのに今目の前の明らかな死体だったものは徐々に結合してゆき、毒々しい色の脳漿を撒き散らしているダリアの表情が憎々しげに歪んで辿々しく喋りだしたのだ。
それはまるでタチの悪いホラー映画のワンシーンのようで、俺は思わず悲鳴に近い声を上げてしまった。
「だからよぉ、前に言ったろ?」
「な、なななにをですか」
「不死身だって」
「あ……」
そういえば出会った当初にそんな事を言っていた。
当時はそんな事がある訳が無いと、誇張表情だと決めつけていたが、なるほど、グラムが本当に不死身であれば頭部を爆散されても生きていた事に納得出来る。
とても信じられる事ではないが現実に起きてしまっているのだから認めなきゃならないだろう。
けど、けどな? ダリアさんまで不死身だとは一言も聞いていない。
「ほ、ほほんと本当に不老不死なんですか? ダリアさんも??」
「しつこいガキだなお前も。本当に俺もダリアも不老不死なんだっつーの。だからこんなの挨拶みたいなもんなんだよ」
「はぁ……ダリアさんの事は聞いてませんけどね!」
「そうだっけか?」
「そもそもダリアさんとは初対面ですよ? なんで俺が知ってる事になってんですか。バカですか? 脳内完結型ですか? ほんとなんなんですか」
「てめっ……! バカだと!?」
「普通の子供がこんなスプラッター見たらトラウマものですよ、一生闇を抱えて生きなきゃいけないんですよ? あなた本当に五百年生きてるんですか?」
「ぬぐ……生意気なガキめ……」
「ぐふっ……こん、な、はした、ない、姿を、見せる、など……我は恥ずかしい、ぞ」
内臓やら脳漿やらを派手にぶち撒けておいてはしたない恥ずかしいと思えるのはこの世でダリアさんだけだろう。
普通はぶち撒けたらそのままお陀仏なんだから。
「よし! 我、復活じゃ!」
「おせーんだよ。サクッと治せサクッと」
「うるさいわい。お主と違うて大幅な損傷は再生に時間がかかるのじゃ」
眼を細めてグラムを睨みつけるダリアはため息混じりに首を振り、腰を捻ったり伸びをしたりとストレッチのように体を動かしていた。
ダリアさんの首からコキコキと小気味良い音が鳴り、癒着に不備が無い事が伺える。
ダリアさんは時間がかかると言うが、真っ二つになった身体が結合するのに一分もかかって無いと思う。
まぁ爆散した頭部が瞬時に再生するグラムもグラムだが、二人共早すぎやしないか。
ここだけ完全に世の理から外れている。
「さて、少年よ。挨拶がまだじゃったの」
「は、はい。マオウ・ダリアさんですよね」
羽織ったマントを翻し、仁王立ちになるダリアを見上げながら俺は少し後退した。
別に威圧感があるからとかじゃない。
俺の身長は大体百二十センチくらい、対してダリアさんは百七十センチはあるモデル体型。
尚且つメロンのような大きさの柔らかそうで豊かなおっぱいがダリアさんの顔を隠してしまうので、少し下がらないと顔が見えないのだ。
「んー……ちと、違うの。我の名はダリア・ヘカトンケイル。魔王ヘカトンケイルである!」
「魔王、って魔の王と書いて魔王ですか?」
「さよう。巷では吸魔護封の魔王と呼ばれておる」
「王様だったんですね」
「ボッチだがな」
「貴様まだ言うか!」
「事実を言って何が悪い!」
また始まったよ。
二人の事は置いといて、何か引っかかる。
覚えているような忘れているような、とても些細な事。
呪い……勇者……魔王……ヘカトンケイル……。
罵り合う二人を横に、うんうん、と唸る事数分。
「あぁ! そうだ!」
俺はある事を思い出した。
そう、幼い頃に毎晩読んで貰っていたあのおとぎ話の絵本だ。
「どうしたのじゃ?」
「んだよ、いきなりでけぇ声あげて」
胸ぐらを掴み合いお互いの顔面を握り潰そうといがみ合っていたダリアとグラムが声を揃えて睨むように俺を見た。
その眼光の鋭さに若干タマヒュンするが、冷静を装って続ける。
「あの、おとぎ話の魔王ヘカトンと呪われし勇者って知ってますか」
「なんだそりゃ」
「ようわからぬが…….魔王ヘカトンとはこの我の事じゃな」
何言ってんだこいつ? みたいな顔で見ないで欲しい。
「俺、小さい頃よく読んで貰ってたんですよその本。まさか、というか二人は本人ではないのですか?」
俺の質問を理解するのに時間がかかったのか、二人は目を合わせたり明後日の方向を見たりと忙しく目を動かした後、グラムが全てを思い出したかのように声をあげた。
「懐かしいなぁ! そうだよそうそう! それ、俺達の話だ! 大分昔に書いたから忘れてたぜ! いやー読んでる奴に初めて会ったぜ!そーかそーか!」
「……我が悪者の話か……言われて思い出したわ。ある事無い事書きよってからに……」
グラムは嬉々として俺の背中をバチンバチンと叩き、ダリアは恨めしそうにグラムを睨みつける。
一発叩かれる毎に背中の骨がミシリと嫌な音をたてる。
折れてはいないが打撲レベルにはなりそうな衝撃に顔を歪めながらも口が動くのは止まらなかった。
「あれ! あれ凄い面白くて毎晩読んで貰ってました! 書いたった言いましたけど本当にグラムさんが書いたんですか?! 著者はシャリオって名前だった気がするんですけど……」
「だっはっはっは! そうだろ?おもしれーだろ!? 本当に俺様本人が書いたんだからな! あ、ちなみにシャリオってのは偽名だ!」
「偽名も何もお主の剣の名前じゃないかえ。アイテールも不憫じゃの、あんなヘンテコな書物に名が乗るとはのう……」
「いいじゃねぇか! どうせアイテールに知られる事も無いんだしよ。アイツは人間の書物なんざ欠片も興味無いからな」
「アイテールって精霊王の事ですよね。剣の名前って?」
「さよう、シャリオという名はそもそも——」
「待て待て待て。そっからは俺に喋らせろ、てか俺の剣だ、俺が話すのが当然」
「何を言うか! あの剣にさんざ辛酸を舐めさせられた我こそが」
「じゃあグラムさんで」
ここら辺で止めないとまた派手な喧嘩に発展しそうなので話をぶった切る。
二人は不死身だから何してもいいんだろうけど俺は普通の人間だ、巻き込まれたらシャレにならない。
「そーかそーか! ならば教えてやろう! シャリオってー名前はこの俺様の剣から取ったんだ」
「はい」
「……」
場に沈黙が流れ、グラムの誇らしげな頷きがやけに場違いに見える。
ダリアさんとグラムの顔を交互に見るも、ダリアさんはで俺を見下ろして困ったような表情を浮かべ、深いため息を一つ吐いた。
ダリアさんが人差し指と親指で眉間を押さえている所を見ると似たような事はよくあるみたいだ。
「お主、よもやそれだけか……?」
「なんだ? 性能やらなんやら説明しろっつーのか?」
「いや……そういう訳ではないのだが……もっとこう、あると思うのじゃが」
「……まぁ、そうだな。俺の剣の名は精王剣グランシャリオと言う。アイテールから貰った生きた剣なんだよ、生きてるって言っても喋ったりするような類じゃない」
ダリアに突っ込まれ渋々といった雰囲気で語り始めたグラムは、いつものチンピラ然とした喋りでは無く、真剣味を帯びた抜き身の刃を思わせる鋭いもの。
始めは剣の性能やらアイテールの愚痴やらを語っていたが、次第にそれは俺に語りかけるわけでも無い、独白に似た独り言のように変わってゆき、淡々と言葉を紡いでいった。
いつの間にかグラムの手には黒曜石のような輝きを放つ十五センチほどの刀身を持ったナイフが握られている。
金で縁取られたグリップの中心には赤、青、緑の宝石が一つずつ縦に埋め込まれ、それが光を反射して静かに輝き、複雑な紋様が刻まれたハンドガードがグリップを覆う。
シンプルだが、繊細で美しい細工はただのナイフでは無い事を現している。
グラムは手の中で残像を残しながらクルクルと回る美麗なナイフを見つめ、己の過去とも言える剣にまつわる内容をポツポツと吐露していった。
精王剣グランシャリオは剣というより精霊寄りの気質を持っているそうだ。
グラムの意思により様々な形態に変化させる事が可能であり、今グラムが握っている美麗なナイフもそれだ。
普段はナイフ形態にして持ち歩いており、老人の姿の時は常に手にしていたねじくれた杖へと変わる。
ナイフにする原因は長剣は「デカくて邪魔だから」だそうだ。
精霊王アイテールが作り上げ、加護を与えた至高の一振りで神具の一つとして数えられる剣。
ダリアを両断したあの長剣が本来の形であり、岩や鋼でさえ断ち切る異常な斬れ味を誇る。
一刀振り抜けば風を裂き、大地を削るその圧倒的な破壊力で向かう所敵無し、悪しきを断つ救国の勇者に相応しい剣なのだそうだ。
本人の語るものなので多少誇張表現が混じっているとは思うのだが、自信たっぷりに語られると全て真実なのかとも思ってしまう。
剣を語るグラムの顔は誇らしげで楽しそうで、何よりも嬉しそうに無邪気な笑顔を浮かべていた。
「だがよ、アイテールもここ二百年音沙汰無し、大戦の事、昔の事、技術、脅威、そんなん覚えてる奴らも皆死んだ。だからこのグランシャリオの名で少しでも、過去を刻んでおきたいと思ったのさ」
「書いたのは絵本だけじゃ無いって事ですか?」
「あたりめーよ。まぁ危険な技術なんかは俺の中で留めてるが、それ以外だったらほれ、ナゼナニシリーズ、あれも全部俺が書いたんだぜ」
「は?」
「待つのじゃ、ナゼナニシリーズは我も協力しておろう、何故そうやって何でも己の手腕とするのじゃ」
「てめーには文才の欠片もねーだろうが」
「何じゃと?!」
「まぁまぁ二人とも落ち着いて……本当にナゼナニシリーズもグラムさんが書いたんですか?」
「お前も本当に本当にってうるさい奴だな。もう少し人を信用したらどうなんだ」
「す、すいません……」
ナゼナニシリーズは確か数百種類にも及ぶシリーズ展開がされてる書籍のハズだ。
魔法、法術、アイテム、薬草、毒、世界地理、エトセトラetc……。
魔法や法術、アイテム系に関しては家庭用から本格的な魔道書まで網羅している。
俺も未だにお世話になっている書籍の一つでもある。
そんな膨大な知識量を持つグラムに対して俺の中から脱帽と畏敬の念が湧いてくる。
この世界の製本技術がどうなっているか詳しくは知らないが、パソコンなんて無いこの世界で一冊の本を書き上げるという事は並大抵に出来る事じゃないのは分かる。
ましてや数百種類のシリーズ展開ともなれば気が遠くなるような作業のハズだ。
「暇人よのう」
「ぬぐっ! う、うるせぇ、そりゃあ……まぁ、なぁ……」
言っちゃったよ!
気付いていたけど言葉にしなかった事をアッサリとこの人は言っちゃったよ!
「けどよ、不老不死なんて身体してんだ、時間は腐るほどある。俺があくせく書いて、それを読んでくれる人がいて、世界がマトモに動いてくれるんなら、別にいいじゃねーか。あんな大戦はもうたくさんだから、な」
「…………そう、じゃな……」
「あの時は楽しかったな」
「……あぁ、そうじゃな……」
「本当に、楽しかったんだ……」
「うむ……」
なんだかグラムが滅茶苦茶良い事言ってる。
さっきから俺の中であんたの株が急上昇中だぞ、下手な女子ならもう堕ちてるぜ旦那。
話している間に昔を思い出したのか、ダリアさんとグラムは何も無い中空をぼんやりと見つめ、過去に浸っているようだった。
何故二人が不老不死になってしまったのか、五百年に何が起きたのか、二人の関係はなんなのか、世界に流通しているナゼナニシリーズはどのように複写されていったのか、疑問は尽きる事が無いが、想い出に浸る二人にそれを投げかけようとは思えなかった。




