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第一話 輪廻転生のセカンドライフ

(あれ……?)


 どれくらい時間が経ったのかは分からないが、俺はおぼろげながら意識を取り戻した。

 だが相変わらず俺を囲むのは全てを飲み込む黒一色の世界だ。

 意識を失った原因である、潰されそうな程の強烈な圧迫感と閉塞感の正体に疑問を抱きながらも、身体を動かそうとしたのだが、どういうわけかまったく動かない。


(ないわー……力が入る感覚すら無いとかどういう状態なわけよ)


 あるはずの四肢がピクリともしない。

 ある事は"解る"んだがな。

 まるで四肢が、というよりは全身が麻痺したかのような感覚、指先ですら反応しない。

 確認しようにもこの暗闇の中、いつのまにか付けていたヘッドライトも消えており、どうする事も出来なかった。


(うーん……困った……まさに八方塞りってヤツだな)


 我ながらうまい事言ったもんだ、と自己満足と言う名の現実逃避をしていると、突然臀部に叩かれたような衝撃と何かが破裂するような音が耳に響いた。


(いてぇな! なんだぁ一体……)


「——! ————?! ……————!」


(声? どこから……っていてっ! いてえなおい!)


 臀部から生じた衝撃が両の頬からも伝わってくる。

 それが何回もだ。

 分かる事は、俺は今猛烈に引っ叩かれているという事。

 聞き取れない言葉で聞こえてくる声は若めの女性、そこには若干焦りの色が滲んでいた。

 


(くそっ! いい加減にしやがれ!)


 何度も尻と頬を叩かれ、イライラが限界に達した俺は文句の一つでも言ってやろうと口を開く。


「うぁ……あぅあぅ……」


(声が……!)


 これは別の意味で衝撃だった。

 意識を失うまではしっかりと発声していた。

 過去にレディキラーとも呼ばれた低めの渋い声でしっかりと独り言を呟いていた。


 そんな(ナイスガイ)のベリーナイスな声が阿呆みたいに気の抜けた、まるで幼児が発するような声に様変わりしていたのだからそりゃもう混乱する。


「——!? ——! ————!!!」


 先程から聞こえていた声は、焦りに染まった声から一転、喜びの声一色に染まっていて泣いているような嗚咽も混じっている。


(まさか……死ななかったのか? あんだけの距離を落下したというのに? いや、元々落ちた距離は大した事無くて意識不明の重症くらいで収まったのか? ならあの暗闇は?)


 目紛しい思考の波に呑まれる中、ふと自分の身体に僅かだが力が入る事に気付いた。

 どうやら俺はショックと混乱で無意識に拳を握りしめていたようだ。


 だが元々の力は思うように入らず、精々卵を掴むくらいの力しか入っていない。

 まるで赤子だな。


「————!」


 さっきからずっと聞こえてくる謎の声は、どうやら俺の挙動に対しての反応だというのがうっすらと理解出来る。


 周囲に視線を彷徨わせるも、視界に暗幕が降りているかのようで、その暗幕の向こうで光が灯っているような、そんな薄暗さ。

 暗くはあるが、意識を失う前の暗闇より数倍はマシだろう。ぼんやりと淡い光が遠く光っているのを見つめていると、ふっとある考えが頭を過ぎった。


(俺、もしかして目瞑ってない……?)


 それが事実であればなんという初歩的なミス。

 目を瞑って暗い暗いと騒ぐなんてメガネを額に掛けて「メガネ何処だ?!」と騒いでいるようなもんだ。


 ナチュラルでやったとしてもかなり恥ずかしいじゃないか。

 俺は決して天然ボケではないのだから。

 ならばここは意を決して瞼を開こうではないか。

 もし目を瞑っていたなら、の話しだけどな。


 しかしまたしても問題発生だ。

 開けようとする瞼にもうまく力が入らない。

 目を閉じて眼球を限界まで上に向けている、そんな感覚。

 かなり強く瞼に力を入れてみる。

 するとどうだろう、開かない開かないと思っていた瞼が、目を瞑っているなんて、と勘繰った瞼がだ。

 まるで長い間放置された古城の門のような重厚さを感じさせながらゆっくりと開いてゆくでなないか。


(うぉまっ! 眩し!)


 薄く開いた瞳に、堤防が決壊したかのような勢いで光の波が押し寄せた。

 しばらく闇しか感じていなかった俺の瞳には、この光の強さは苛烈であり瞼を開ききる事を戸惑わせるほど。

 あまりの眩しさに顔をしかめ(たつもり)、光の波に慣れてきた瞳が完全に開ききる。

 瞳の中で暴れていた迸る光の奔流は、穏やかなオレンジ色へと静かに変わり、戸惑う俺を優しく俺を出迎えてくれた。


(どこだ……? ここは……知らない天井だ……)


 どうやら俺は生き延びたらしい。

 天井には無機質な冷たい光を放つ蛍光灯ではなく、カンテラに灯された炎のような、柔らかな光が灯っていた。

 俺は上半身がやや起こされた状態で寝かされているらしく、目線を少し落とすと部屋の隅にも天井の明かりと同じような物が二つ左右対象に置かれていた。


 その明かりに照らされ、俺の目の前にニュッと現れたのは紫がかった黒髪の利発そうな女性の顔だった。


「-----!---〜!!」


 心配そうに俺を覗き込んでいた女性は俺と目が合うと、ニッコリと微笑んでくれた、目頭には涙の粒が溜まり頰の動きに合わせてほろりと溢れ落ちた。


(美人だなぁ……救急のナースかな……俺の為に泣いてくれるなんて……なんて素敵な女性だ、目元の泣きぼくろがセクシーだぜベイベー)


 惜しむらくは女性の言葉が解らない事だろう。

 ここは……俺が登っていた大雪山が存在する現地の病院だろうか、室内の様子から少なくとも先進国の病室で無い事は判断出来る。


(こんなべっぴんさんがいるなら少しはココの言語も勉強しとけば良かったぜ……ん? 言語?)


 そこまで考えて、俺はある重大な、そして絶望的な事実を思い出した。


「あーあぅあ……」


 やはり、喋れない。

 いくら目の前の美人ナースに称賛と感謝の言葉を投げかけようとしても、俺の口から出るのは[あ、い、う]の三つのみであり、その全てが赤ん坊の声のようにハッキリとしない呻きのような声しか出ないのだ。


(あぁ……そう、いう事、か……)


 多分、いや確実に俺の言語機能は麻痺しているんだろう。

 落ちた時のダメージで脳がやられたんだ。

 全身に僅かしか力が入らないのも脊髄か頸椎が折れて神経が傷ついた事によるものだろう。


 全身麻痺、言語機能も麻痺。


 笑えない。


 その事実を認識して全身から力が抜ける、元々大した力は入っていないので、さして変わりはしないが。

 虚脱感と絶望感と悔恨の思いがごちゃ混ぜになって俺の心を侵食してゆく。


(死ねなかったのか……)


 元々死ぬつもりなんてこれっぽっちも無かったさ。

 だがこんな生きてるか死んでるか解らない状態になるなんて思いもしなかった。


 死ねたのなら。

 ひと思いに死ねたのなら元妻と子供達に全てを託せた。


 なのに。


 今の俺は確実に、介護生活無しでは生きられない状態だろう。

 恐らく元妻にも遅かれ早かれ連絡が行くと思われる。

 彼女が遠いこの地まで来るなんて事は到底考えられないが……。


 また彼女に負担を強いてしまう事になりでもしたら、と考えると胸が潰されそうな程苦しかった。


 そう考えてしまうと、頭の中に悪い想像ばかりが浮かび、胸の中に混沌とした様々な思いが満ちて涙が溢れそうになる。


「うぁ……あぁあ……うぇぇぇえええ!!」


 ……前言撤回。

 俺は意図せず歳甲斐もなく号泣していた。

 俺の中では泣きそうになっていただけなのだが、気付けば俺はガキのようにビービーと泣いていた。


 俺はもう壊れてしまったんだろう、湧き上がる感情の抑制が出来なくなっていた。

 だが不思議と、歳甲斐も無く美人の目の前で泣く、という行為も恥ずかしさは皆無だった。


 目の前の女性は微笑みを絶やさぬまま一言二言呟いた後、俺の頭にそっと手を乗せ、慈しむようにゆっくりと撫で続けてくれた。


「もっと泣きなさい。元気に泣くのよ」


 女性の撫で方はまるでそう言っているかのようで、 その手は全てを包み込むような大きな慈愛で溢れていた。


 身に湧き上がる不安や虚しさ、後悔や悲しみ、絶望といった込み上げる全てをぶちまけるように俺は泣いた。


 しばらく泣き続けた後、俺は突如強烈な睡魔に襲われた。

 しかし頭のどこかで鎮静剤でも打たれたのだろうな、と冷静に考えている俺もいた。

 泣き疲れて寝るような歳でもない、ならば必然的にその答えに辿り着くだろう。


(まぁ、いいや……寝よう……)


 起きていた所で良い事がある訳でも無いだろうし。

 俺はやや不貞腐れながらも、襲い来る睡魔に抗う事はせず静かに瞳を閉じて再び意識を暗闇に流していった。




***




 あれから一週間が経った。


 そして一週間の中で分かった事がいくつかある。


 まず一つ目、俺はどうやら無事に死んだ。

 無事に、と言う言い方もどうかとは思うが死ねたものは死ねたのだ。

 全身麻痺に言語障害、物を考えるのみの肉塊に成り果てたワケでは無かったのだから、喜びもひとしおである。


 そして二つ目、なんとビックリ俺は赤ん坊になっていた。

 普通これが最初に来るのでは? と思うだろうがそれほどまでに全身麻痺うんぬんが嫌だったと思ってくれればいい。


 宗教的な言葉を借りると輪廻転生、のようなモンなんだろうか。


 身体は赤ちゃん、しかしその頭脳はレディキラーのナイスガイ。

 それが今の俺だ。

 記憶を持ちつつ生まれ変わる、こんな事があるのだろうか。

 実際俺がそうなんだからあるんだろう。


 そう考えてみるとだ。

 僅か六歳足らずで世を席巻した天才子役や、幼い頃から勉学に優れ十二、三歳で博士号を取得する天才的な頭脳を持つ子供、みたいな人間は結構な比率で世界に存在していた。


 そんな人達も、もしかすると俺みたいに前世の記憶を持ちつつ生まれ変わってきた人間なのかも知れないな。


 ただ問題が一つ……。


「——、——〜〜♪」


 俺の新しい母親——だと思われる人物が、俺のいるベビーベッドの側で年季の入った揺り椅子に座り、鼻歌を歌いながら編み物をしていた。

 陽に焼けた健康的な褐色の肌、紫がかった艶のある黒髪はアップにされ、毛先を肩に流している。

 磨かれた琥珀のような美しい大きな瞳の目尻にはアクセントのように泣きぼくろが一つ。

 俺が今までみた中でトップクラスの美人が優しく歌う様は、窓から差し込む陽の光も相まって、さながら匠の描いた絵画のようだ。

 

 こんな美女が自分の母親なのだから最高の一言に尽きる。

 だが……問題なのが、今ひとつ母親の発する言語、というよりは発音やイントネーションが生前聞いた事の無いものだという事だ。

 世界は広いようで狭い。

 仮に閉鎖的な部落の言語があったとする、しかし言語的にはある程度有名な言語と共通する所があるのが普通なのだ。

 部屋に置かれている家具やインテリアなどから、そこまで文明が育っていない地域だと察する事が出来る。


 ひょっとすると赤ん坊である俺の頭脳がそこまで育っていないのだろうか? なんて事も考えた。

 赤ん坊になるのは俺の記憶の中で二回目だが、初めて時の記憶なんてもはや無い。

 むしろある方がおかしい。

 闇雲に考えても答えは出ないので、言語についてはいずれ解決するだろう、と半ば諦めている。

 まぁ色々と混乱する出来事ばかりだったが、今はこうして赤ちゃん生活(セカンドライフ)をゆったりと過ごしている。


 赤ちゃんになったおかげか羞恥心も無くなり、下の方も躊躇いなく解き放つ事が出来る。

 羞恥心と同時に性欲も無くしてしまったが、今は困る事も無いし特に足らない事だ。


 性欲が無い、それは授乳という赤ん坊一大イベントの際に発覚した。

 よくよく考えると母親に欲情ってのもおかしな話だし、俺赤ん坊だし。授乳の時に一々発情していたら身が持たないだろうし。


 俺の新しい母親は贔屓目に見無くてもかなり美人だと思う。

 様々な異国の綺麗所を見てきた俺が言うのだから間違いない。


 そんな美人の乳を無料で吸えるのだから赤ん坊も捨てたもんじゃない。

 乳を吸ってもムラムラのムの字も無い、胸も股間も高鳴らない。

 

 だが、おっぱいと言うのはやはり至高だ。

 神が創った人類のパーツの中で不動のナンバーワンといえばそれはおっぱいだ。

 男がおっぱいを好きなのは母の面影を見ている為だ、とどっかの誰かが言っていたがまぁ、あながち間違いでは無いと思う。


 と、元気におっぱいを吸いながら思う今日この頃だった。


 今日は天気も良く、暖かそうな日差しがさんさんと室内に入り込み、開け放たれた窓からはそよそよとくすぐるような柔らかな風が肌を撫でて気持ちが良い。


 今母は俺を抱きながら窓辺に立ち、瞳を閉じてそよ風と陽光、鳥の囀りを楽しんでいる。


 一方俺は窓から見える和やかな景色の一部、遥か彼方のとある風景を目にし、ナンバーワンでオンリーワンのおっぱいを吸うのも忘れてアホみたいに口を開けて呆然としていた。


 天候は良好で吸い込まれそうなコバルトブルーの青空に、燦々と輝く太陽が登り、刷毛で掃いたような雲が所々に薄く伸びていた。

 だが驚く事に、窓から見通せる景色の遥か彼方に、天を貫く大樹がそびえているのだ。

 天と地を繋ぐ巨大な軸にも見える馬鹿でかい樹、アレを大樹と呼ぶべきなのか、それとも巨木と呼ぶべきなのか、イヤしかしもっと大きな樹の例えを俺は知らない。

 超巨大樹とでも言えば良いのだろうか。

 遠目からでも分かる太すぎる幹は雲を突き破り、天を貫いている。枝葉の欠片も見えないそれは雄々しくそそり立ち、その存在に圧倒され、漂う雲も避けて通っているように見える。

 もちろん高さだけじゃない、横幅の広さも桁違いだ。

超巨大樹の麓の山がささやかながら存在を主張しているが、超巨大樹に比べれば豆にも等しい。

 遥か彼方にあるハズなのに半端じゃないほどの存在感を発していた。


 あの非常識をぶっ飛ばす非常識さ、俺の知る非常識だったらこう言うだろう「お前がナンバーワンだ」と。


 そんな非常識な超巨大樹から目をそらすように家の庭まで視線を移すと、一人の初老の男性が濃紺の燕尾服に身を包み、色とりどりに咲き乱れた花壇を丁寧に手入れしているのが見えた。

 あの人は名前こそまだわからないがこの家の執事のようだ。

 何度か母の代わりにオシメを変えて貰った事がある。


 今見える範囲には居ないが我が家にはメイドさんも一人いる。

 少しのほほんとした柔らかい雰囲気の人だった。

 母の寝室が俺の部屋でもあり、メイドさんはこの部屋を掃除しに来るたびに俺の頬をツンツンしたり、幼児特有のぽっこりお腹をプニプニしたり、顔に頬ずりされた。


 一度母に目撃された時はペコペコと謝っている様子だっだが、母は何を思ったのか一緒になって俺の事を弄り倒してくれた。


 どうやら俺が反応して「あぅあぅ」と言う姿が堪らないらしく、声を発する度に二人で悶えているのだから幸せな事だ。


 邪険にする訳にも抵抗する事もまだ出来ないので、基本的にされるがままなのだが。


「くぁ……あぅ……」


 暖かな日差しを浴びて、たっぷりと乳を飲んで満腹になるとすぐさま眠気がやってくる。

 この眠気との付き合いも慣れたものでどんなタイミングでやってくるのかも予測出来るようになった。

 特に抗う必要性も無いので、未だ視界の隅に映る巨大樹のデカさに心を奪われたまま、俺は導かれるように眠りについた。

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