始まりはいつも
「本当に一体どーなってんだ……?」
現在俺は光の無い真っ暗闇の中をなす術もなく紐なしバンジーを決行中だ。
これは比喩でもなんでも無く、本当に落下してるんだから笑えない。
落下による風圧で押し寄せる風が暴れ狂う龍のようにゴォゴォと唸りを上げて耳元を通過している事から結構な速度を出して落下していると思われる。
周りに目を向ければそこには満ち満ちた暗闇が広がっており左右上下全てが闇。
一応ヘッドライトを装着しているのだが、ライトの光は周囲の暗闇に吸収されてしまい、手元を照らすぐらいしかその機能を発揮していなかった。
落下しているにも関わらず、どうしてこんなに冷静なのかと言うと……前人未到の大雪山を一人で登山中、不意に地面が崩れ落ち、雪の下にあった巨大なクレバスに放り込まれてしまった事から説明しなきゃいけない。
この山は世界最高峰の標高を誇り、登頂成功率二十パーセントを下回る通称人喰いと呼ばれ、恐れられている凶悪な山だ。普通は十人でチームを組み日数をかけて挑戦する場所なのだが…… まぁ、正直調子に乗っていたんだと思う。
自信も有ったし体力的な問題も無く、この氷雪吹き荒ぶ大雪山も中腹を越える辺りまでは余裕だった。
登山前、現地ガイドにしつこい程注意されていた諸事項を反芻しながらも、俺は完全に油断と言う名の悪魔と仲良くなっていた。
注意の中の一つにこうあった。
登山ルートを外れるな。
だが俺は地図に載っているルートと現在地を見比べている時、あろう事か「あれ、こっちからの方が近いんじゃね?こっちから行くべ!」と迷断して道を逸れた。
しばらくは順調で「やっぱり現地でルートを模索した方が面白いよな!」とか思っていた。
そして、そんな事を考えていた矢先、雪で覆われていたクレバスの上に乗り、雪が崩れて漆黒のクレバスへ真っ逆さまだ。
馬鹿じゃないのか、と思うだろう。
今なら俺だってそう思う。
そんなこんなで俺が落下を始めてから少なくとも五分は経過している。
正確に言うと、いつまで経っても死の瞬間が訪れない事に気付き、腕時計で時間を確認してからなのでもう少し経っているとは思うのだが。
一瞬俺の過去がスライドショーのように脳裏をよぎり、これか! これが噂の走馬灯か! と若干興奮もしたが……死ぬ気配が無いと分かると走馬灯はまだ人生の半分も行ってなかったのにさっさとどこかに消えてしまった。
んで、その走馬灯がどっか行った事でパニックから一周回って冷静になったという訳だ。
今ココ。
……。
人生か。
人生って何だろうな。
人が生きると書いて人生。
分かるよ?
でも何のために生きるんだろうな。
金持ちになりたい、強くなりたい、何人もの美女をはべらせたい、美味しい物を食べたい、宇宙に行きたい。
自分の為、お金の為、女の為、エトセトラエトセトラ。
目的は人それぞれ多種多様に用意されてると思う、で、それを取捨選択して切って貼って無理やり嵌め込んでいく。そうやって人の人生は構築されていくもんだと思ってた。
過去の偉人は「死ぬ為に生きている!」とかドヤ顔で言っていたがんな事ぁねーだろうよ。
親のいない孤児として育った俺が、何と無く軍に入隊したのが十七の頃。
別段目的も無いまま厳しい訓練に明け暮れ、初めて人を撃ったのが十九の頃だったな。ちょっとした暴徒を鎮圧する際、俺の手で人の命を絶った。
感想は「こんなもんか」だった。
大気に溶ける銃声と共に消えてゆく命の火、命乞いをして生に縋り付くような人間の割にはあっさりしすぎて拍子抜けしたのが印象的だった。
射殺した奴は十代後半で俺と同じくらい、少女を人質に取り、手にしたマシンガンを乱射するヤク中の少年だった。
月日は過ぎ、初めて隊を任されたのが二十五の時。
確か紛争地域でのポイント制圧の任務だった。
敵からの奇襲に次ぐ奇襲を受けた俺の隊は、抗戦虚しく本隊と分断された。
孤立した俺達の必死の抵抗も大した戦果を上げず、飛び交う銃弾の中、一人また一人と部下が倒れ、結果俺の隊は全滅した。
かくいう俺も体のあちこちに銃弾を受け、瀕死の重症だった。
だが幸運な事に、撃ち抜いた銃弾は急所や重要な血管、内臓を尽く避けていたおかげで、救助に間に合い一命を取り留める事が出来た。
その後も紛争地帯に長期出張だったり、同盟国の軍備の視察で単身赴任だったり、テロリストの鎮圧に勤しんだりと身も心も休まる暇が無いまま歳を重ね、誰が呼んだか、不死身の死神の異名を付けられるほどだった。
そんな生活の最中、四十を過ぎた俺に運命的な出会いが訪れた。
背に流した金髪はシルクのような滑らかさで、瞳は磨き上げたエメラルドのように美しかった。
そんな彼女に鬱陶しい程の猛アタックを続けた結果、紆余曲折を経て妻として迎える事が出来た。
だが妻は結婚してから数年は協力的だったのだが、段々と心に積もる物があったらしく、ある日出て行く旨を書いた置き手紙を残し二人の子供と共に出て行ってしまった。
二人の子供にも恵まれたが、なにぶん忙しく殆ど相手をしてやれなかった。
誕生日やクリスマスなどの年間行事ですら顔を合わせる事が出来なかった。
恐らくだが子供達には父親として認識されていなかったんじゃなかろうか。
正直な話、妻と子供が出て行った時は銃で自分の頭を撃ち抜いてしまおうかと思ったぐらいショックだった。
妻が出て行った! となりふり構わず上官や部下に叫び倒し、テロリストをぶん殴って悲しみをぶつけてた結果、下された決定は三週間の自宅謹慎。
その三週間をフルに使い、見事に酒に溺れて出した答えが退役だ。
当時その話を上官に申し出た時は「その地位を捨てるなんてもったいない!」とかなり反対され、いい女を紹介してやるとも言われたもんだ。
戦闘に明け暮れていたおかげで勲章は売るほど授与されていたが、その時の俺には勲章の数なんて関係なかった。
入隊してから妻と出会うまでは金と女の為に、妻を得てからは家族の為に、命を削る戦場で駆け抜ける事が出来たし地位を上げればその分金だって入ってきたのだ。
その副産物が勲章だというだけの話。
だがその意味も無くなってしまったのだから退役と言う選択に間違いも後悔も無かった。
妻がいなくなったなら他の女を探せば良いじゃないか、と言う奴もいた。
違う、と思った。
妻は運命であり最愛であり俺の正義であり他の女とは一線も二線も違う存在だった。
それくらい惚れ込んでいたし気持ち悪いほどに気が合った。
例えば、山、と言えばゲリラ戦と言うように瞬間的に想像する内容も擦り合わせた合言葉のように一致した。
パンが無ければケーキを食べればいいじゃない、みたいに割り切る事など俺には不可能だった。
軍を退く事が揺るぎないものとなっていた俺は、しのごのとしつこく食い下がる上官に、階級章とIDを叩きつけおまけに銃を突きつけて事無きを得た。
それと同時に住んでいた家も引き払い、残った金と新調した道具やアウトドア用品類を車に詰め込んで当ても無い冒険の旅に出たのだった。
捨てられた悲しさを埋める為にあらゆる場所に挑んだ。
金が無くなれば傭兵としてまた戦場へ舞い戻った。
戦場で鍛えた勘と鍛え抜いた肉体を総動員して、例え困難と言われた場所も華麗に突破し、血に飢えた猛獣も逞しくねじ伏せてみせた。
元々軍隊よりもそういった冒険家業の方が肌に合っていたようで、誰も成し得なかった大密林の踏破も呼吸をするように自然に成し遂げる事が出来たし、何より楽しかった、本能が「コレだよコレ!」と叫んでいた。
いつ終わるとも知れぬ暗闇の中、過去に浸っていた俺は、場違いな事にこれからどうなるのか? という興奮にも似た熱いモノが胸の奥からふつふつと湧き上がっているのを感じていた。
九十九%死ぬんだろうけど、もしかしたら地下世界、なんてのもあり得るかも知れない。
誰も見た事の無い地下世界、胸熱じゃないか。
未知の鉱石や動植物、ひょっとしたら地底に逃げ込んで生き延びた過去の絶滅動物なんかも存在していたり……。
「ふぐたぉっ!? ……ふぶ……ぐぬぉ……」
(なん……だ?!)
そんな夢のような妄想をしていると、今までは自由度マックスの暗闇だったにも関わらず、突如身体が締め付けられるような感覚に陥った。
まるでドラム缶に押し込まれたようなそんな閉塞感に全身が軋む。
(く、苦しい……声も出無い……一体何だっていうんだ……)
現状がどうなっているのか自分の身体を確認しようにもこの暗闇でそれは叶わない。
ヘッドライトもいつの間にかどこかへいってしまった。
四方八方から押し込まれるように圧迫され、呻き声を上げる事も出来ない。
パニックになりそうな頭を必死で抑え、感覚を頼りに現状を把握しようと努める。
が……。
(ダメだ、全くわかんねー……)
つま先から頭のてっぺんまで全身のあらゆる箇所が正体不明のナニかにゴリゴリと押し潰されていくような感覚。酸素も薄くなってきているのか、意識も徐々に朦朧としてきている。
(やっぱこのまま……死ぬのかな……地底世界……無かったな……宿に置いてきた荷物……嫁に届くと……いいな……)
実は俺の荷物の中には、いつ不測の事態が起きてもいいよう、元嫁当ての手紙を常に入れてある。
まぁ手紙というよりは遺書と言っても差し支えないの無い内容に仕上げてる。
内容は……謝罪と祈り、貴女と子供を放ったらかしてごめんなさい。幸せを願ってます。
簡潔に言うとこんな感じだ。そりゃ勿論想いのたけはしつこい程書き連ねてある。
パーティでドレスを着た貴女はとても眩しくて素晴らしかった、なんて当時言えなかった事なんかも。
冒険者として世界を飛び回る間、何よりも大切だった元嫁を探さなかったワケが無い。
元嫁は探し始めて数ヶ月で発見出来た。
元嫁と二人の子供は俺と住んでいた国から遥かに離れた異国の地に居を構えていた。
安い、小汚いアパート暮らしだった。
そんな小汚い場所に住む事を選ぶ程、俺と離れたかったのかと思うと情けない想いでいっぱいになり、声を掛ける事すら出来ずにその場を後にした。
ならばせめて。俺が死んだ後、溜め込んだ財産も何もかも彼女にくれてやる事にしよう。
そう決めて書き連ねた想いの全て。
この事故で死亡保険が下りるかは判らないが俺が冒険者として残した実績はそれなりの権利も収入もあった。
古代遺跡で見つけた財宝なんかも丸々金塊に替えて国際銀行に預けてある。
財産を引き出す暗証番号は、君の誕生日と子供達の誕生日だ。
早く新しい伴侶を見つけて、幸せになってくれ。
(あぁ……ダメだ……落ちる……)
朦朧とした意識が容赦なく刈り取られていく。
どこで間違ったのか。
仕事と家庭。
もっと家庭を見つめていればよかったのだろうか。
金に執着しすぎたのだろうか。
わからない。
今となっては何もかも分からない。
もしまた君に巡り会えるなら、今度こそ、命をかけて君を守り子供を守り、最高の幸せを送ろう。
(あぁ、そうか。これが走馬灯ってやつか……良き妻よ、どうか……幸せになってくれ)
一瞬脳裏に浮かんだ彼女の太陽のような眩しくも美しい笑みを最後に、俺の意識は完全に闇に散った。