二号車:母として
二号車には、女性が一人椅子に腰かけ景色を眺めていた。
近くにあるテーブルの上には小さなオルゴールが置いてある。
「・・・あ、車掌さんでしょうか?」
こちらに気づき問いかける。
「はい、切符の確認です」
「どうぞ」
女性は羽織っているコートのポケットから切符を取り出し、私に手渡す。
「確かに確認しました、よい旅を」
切符を返す、その時オルゴールにふと視線が移った。
「素敵なオルゴールですね」
私がそう言うと、女性はとても嬉しそうな表情を浮かべた。
「ありがとうございます、車掌さんはこの曲はご存知でしょうか?」
そう私に聞くと、オルゴールの蓋を静かに明けた。
オルゴールの優しい音色が車内を包む。
「この曲、“天使の踊り”っていう曲です。私と主人が結婚した年に発売された曲で、有名な曲ではないんですけど思い出の曲なんです」
「そうなんですか、素敵ですね」
「そうでしょう?その年に娘も生まれて、私と主人にとっては本当に天使の様な存在でした」
女性はとても懐かしむ様に語る。
「娘も元気に育って、お嫁に行った年の母の日に、このオルゴールをプレゼントしてくれたんです。これが思い出の曲だって話したのは、娘がうんと小さかったのに・・・」
「娘さんはそれを覚えていて下さったんですね」
「ええ、心の底から嬉しかったです」
「でも・・・」と女性が言葉に詰まる。
「成長って、不思議ですね。娘にとっては嬉しいことなのに、私にとっては残酷に感じてしまうんです。この子の母親としての役目は終わったのかな、なんて」
「どこか寂しい気持ちになりますね」
「母としては立派な人間でありたかったです。
もっと料理を教えるとか、考えるといくらでも方法はあったはずなのに」
そう言う彼女はとても悲しい顔をしている。
「また会うのは怖いと感じていました。
でも、この列車に乗って決心がついたんです」
「決心、ですか?」
思わず聞き返していた。
女性は頷くと
「娘の側にいることに、意味があるんじゃないかって考えるようにしたんです」
と、少し笑って答えた。
「母としての思いは、娘さんにも十分伝わっていると思いますよ」
「車掌さん、優しいのね」
クスクスと上品に笑みを零す女性。
「ねぇ、車掌さん。この列車が終点に着いても、ほんの数分でもいいの、景色を眺めるのはダメかしら?列車を降りてホームから出たら、ここでのことは全て忘れてしまうから」
「構いませんよ、お客様の自由です」
「ありがとう、たとえ記憶に残らなくても、この列車での旅は一生忘れないわ」
笑顔で礼を言う彼女の目には、うっすら涙が滲んでいた。
私は女性に会釈をして次の車両に向かった。
二号車にはオルゴールの柔らかな音色が響いていた。