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少年と精霊と

作者: 森口

 とある町に、一人の少年がいた。

 少年は、早くに両親を事故で亡くし、親戚の叔父夫婦に引き取られていた。

 叔父夫婦は、少年をとても邪険に扱った。

 叔父夫婦は宿屋を営んでいて、家はそれなりに裕福な方であったが、物置小屋に少年を住まわせ、下人のように働かせた。

 叔父夫婦は少年を、ただで働かせられる労働力としか見ていなかったようだ。

 叔父夫婦には一人息子がいたが、そちらはたいそう可愛がられていた。少年は、その息子のお古の服を着て、隙間風の吹く物置小屋で一人、宿屋の残飯を食べる生活を続けていた。

 叔父夫婦はお金が大好きで、その上ケチでずる賢かった。

 宿に泊まりに来たお客には、一見善良そうに応対して油断させておき、ばれないギリギリのところで金品を盗んだり、宿代を水増しして払わせたりした。

 賭け事も大好きで、これまたばれないギリギリでいかさまをして稼いでいた。

 しかし、いつまでもそんなことが続けられる訳がなく、ある日とうとう叔父夫婦の行いがばれてしまった。このままでは牢屋に放り込まれる叔父夫婦は、慌てて持てるだけの物を持って、息子と3人で夜逃げをした。

 少年のことなどは、叔父夫婦はまったく考えなかった。一人残された少年は、ある日目が覚めたらもぬけの殻になっていた家を見て、茫然と立ち尽くすしかなかった。

 叔父夫婦の家はすぐに差し押さえられた。幸いというかなんというか、少年はずっと裏方の雑用をしていたため、少年が叔父夫婦のもとで暮らしていたことは誰も知らず、少年に危害は及ばなかった。しかし、あんな物置小屋であっても住む場所を無くした少年は、着の身着のまま行く当てもなく町を歩いた。

 これからどうなるのかと、心細くて、不安で、少年は泣いた。

 一日目は、最後にあの家から持ち出せた固いパンを一つ食べて、橋の下で眠った。この国の夜は寒く、少年はろくに眠れなかった。

 二日目は、色々なところに働かせてくれないかをお願いした。全て断られた。夕方には乞食をして、すごく嫌そうな顔をしながらもスープを少し貰えた。しかし夜には雨が降ってきて、いけないと思いながらも勝手に人の家の小屋に入り、そこで眠った。翌朝、見つかって叩き出された。

 三日目。昨日と同じように、少年は働かせてもらえないか頼んで回ったが、結局どこも駄目だった。

 少年は、生まれて初めて本気で人の物を盗もうか考えたが、見つかった時の恐怖心が勝って出来なかった。

 そうして夕方になり、お腹がすいてふらふらして、少し休もうと思って座ったら、少年はもう動けなくなってしまった。

 どうにかご飯をもらわないと。そう思うものの、空腹と疲労で体は動かなかった。

 少年は、おもむろにポケットからペンダントを取り出した。それは、少年の両親から贈られた物で、少年と両親を結ぶ最後の物だった。前に、つけているところを叔父夫婦に見つかり、奪われそうになった時鎖が切れてしまったので、こうしてポケットに入れて持ち運んでいた。

 綺麗な緑色をした石の入ったペンダント。どんなに叩かれようと、ご飯を抜かれようと、これだけは叔父夫婦から守ってきた少年の大切なもの。

 少年は自分の頬を叩いた。このペンダントを売れば、と考えている自分がいたからだ。

 しかし、このままでは飢え死にしてしまうのは目に見えている。いったいどうすればいいのだろうと、少年はため息をついた。


「やあやあやあ、純度の高い魔法石があると思って来てみれば、ずいぶんと辛気臭い顔をした子供がいるなあ」


 突然、耳元から聞こえてきた声に、少年は飛び上がって驚いた。しかし、慌てて周りを見ても、どこにも誰もいない。


「人間には私の姿は見えないよ。しかし、そうだなぁ……よし、こうしよう」


 すると、少年が手に持っていたペンダントが淡く光りだした。そして、どこからともなく聞こえていたその声が、ペンダントから聞こえてくるようになった。


「これでわかるだろう。私はここにいるよ。こんにちは、人間の少年君」

「こ、こんにちは」


 何が起こっているのかがわからず、少年はぽかんとした顔で返事をした。


「うんうん、さっきのどんよりした顔よりも、幾分かましになったね。まったく、少年君がまるでこの世の終わりみたいな顔をしていたものだから、思わず話しかけてしまったじゃないか。私たちは基本、人間たちを見ているだけだというのに、とんだミスを犯してしまったよ、どうしてくれるんだい」

「それは、えっと、ごめんなさい」

「うんうん、素直に謝れることは良いことだねえ少年君」


 どうして謝らなければいけないのか疑問符を浮かべながらも、少年はその不思議な声に謝った。それでなぜか、その不思議な声は機嫌を良くしたらしかった。


「私は、この辺りの土地を治める精霊だよ。何百年も前からここにいる。この辺りのことなら誰よりも知っているのさ」

「そうなんですか」

「そうだとも。でも残念ながら、少年君のことは知らない。少年君は、どうして暗い顔をしていたんだい?」


 自らを精霊だと名乗ったその不思議な声からの問いかけに、少年はぽつぽつと自らの身の上を話していった。

 精霊は、少年の話に「うんうん」と相づちをうちながら、ただただ聞いていた。そして、一通り少年の話が終わると、「なるほどなるほど」、と言った後にこう続けた。


「君、歌は歌えるかい?」

「歌、ですか?」

「そうそう。こんな歌だよ」


 突然の質問に戸惑う少年を置いてきぼりにして、精霊は歌を歌い始めた。


「あ……この歌」


 その歌を少年はよく知っていた。少年がもっと幼かった頃のおぼろげな記憶の中で、少年の母が家事などをしながらよく口ずさんでいた歌だった。

 この国に昔からある歌の一つで、明るい曲調と歌詞が少年は好きだった。


「と、まあこんな感じの歌だね。歌えるかい?」

「えっと、大丈夫ですけど、僕は歌が上手なわけじゃないですよ?」

「かまわないよ。よし、ならば歌ってもらうとするが、こんな場所では風情がないね。こちらへ行きたまえ」


 話をどんどん進めていく精霊がそう言うと、少年のペンダントから光の線が伸びていった。


「さささ、この線は時間が経つと消えてしまうぞ。急いで急いで」


 精霊に急かされるままに、少年は光の線を追っていく。さっきまで一歩も動けなかったはずの体は、なぜか軽くなっていた。

 光の線は裏路地をぬうように進み、町から抜け出て、とある川辺へと続いていた。そして、座るのにちょうどよさそうな大きな石のある場所で、光の線は途絶えた。


「到着だ。さあ、この石にでも座って、さっきの歌を歌ってくれたまえ」


 真っ赤な夕日が川辺を染め上げる、日の沈む前の美しい時間だった。

 とってもいい場所だな、と少年は思いながら、少し息を整える。

 精霊の考えていることはちっとも分からないし、もう会えない親を思い出してしまう歌だけれども、歌うのは好きだしまあいっか、と少年は思い歌い始めた。

 川辺に少年の声が響く。

 特別上手なわけではないが、楽しげな歌声だった。

 短い歌だったので、気分の乗ってきた少年は2回、3回と歌っていく。

 そして、辺りが薄暗くなり、少年が4回目の歌を歌い終わった時、少年の後ろから拍手の音が聞こえてきた。

 少年が振り向くと、そこには優しい顔をした一人の男性が立っていた。


「こんばんは。いい歌だったよ」

「うぁ……あ、ありがとうございます……」


 精霊以外にも誰かに聞かれていたことが恥ずかしくて、少年は顔を赤くした。


「君は本当に楽しそうに歌うね。聞いているこちらも楽しくなったよ」

「あ、ありがとうございます」

「ここにはよく来るのかい?」

「今日が初めてです。……いい場所を見つけました」

「ははは、そうだよね、ここは本当にいい場所だ。……私も、前は息子とよくここに来ていてね。二人で歌ったりしたのだよ。さっき君が歌っていた歌は、その息子が大好きでね。歌っている姿を思い出したよ」


 そこで男性は苦笑して「すまないね、私の思い出話につきあわせてしまって」と少年に謝った。


「さあ、もう日が暮れるよ。お家に帰りなさい」

 

 そう男性は言ってきた。よければ家まで送るとも。

 その言葉に少年は答えられなかった。困ったように黙り込む少年に、男性は「どうしたんだい?」と不思議そうに質問する。

 そうして少年は、今の自分の状況をその男性に話した。

 少年の話を聞いた男性は驚いた顔をし、しばし考え込んだ後、


「……こうして君と出会ったのも何かの縁なのだろう。よし、うちに来なさい」


 そう言って、少年の頭をぽんぽんと優しく叩いた。




 こうして少年は、その男性のもとで暮らすことになった。

 この状況が少年には信じられなかったが、男性に連れられていった先が大きな屋敷であり、男性はそこに住む貴族であり、帰ると従者らしき人たちに迎えられたことはもっと信じられなかった。


「あらあら、食べ物は逃げないわよ。ゆっくりお食べなさい」


 久しぶりのまともな食事があまりにもおいしくて、知らずと慌てるように食べてしまっていた少年は、その言葉に我に返り恥ずかしそうに「すみません」と返した。

 その様子を微笑ましそうに見つめたのは、あの男性の妻である女性だった。

 帰ってきた主人から話を聞いた彼女は、


「大変だわ、お部屋を用意しなきゃいけないわね。その様子だと着るものも何もないのでしょう? それにお風呂にも入らなきゃ。それからえっと……あ、まずはごはんね!」


 と、従者に指示などを出しながら忙しなく動き始めた。

 大変だと言いながら、表情はとても嬉しそうであったのが少年には印象的だった。

 少年の日常は大きく変わった。

 少年は、その貴族夫婦のもとに養子に入った。

 少年に死んだ息子の影を見たのかもしれない。貴族夫婦は少年をとても大切にした。

 少年も、新しくできた両親がとても好きになった。

 貴族の家であったため、礼儀作法や学問などをうんと学ばなければならなかった。しかし、少年はそれらさえも楽しく感じることが出来た。

 少年は、とても充実した日々を過ごした。




 少年が貴族夫婦のもとに養子に入ってから数か月が経った。

 貴族夫婦との仲は良く、何不自由なく生活できていたのだが、その日少年はなぜかぐったりした様子で頭を悩ませていた。

 ベットに突っ伏して、うーんうーん、と少年が唸っていると、いつかのあの声が聞こえてきた。


「やあやあやあ、久しぶりに見に来てみれば、またまたお悩みのようじゃないか少年君」


 突然聞こえた声に、前と同様にびっくりした少年は慌てて首にあるペンダントを見た。


「まったく、この私が世話を焼いてやったというのに仕方のないやつだ。君はあれかい、悩み苦しむ趣味があるのかい」


 あの日以来一度も光らなかったペンダントが再び光り、あの日と同じ不思議な声が聞こえていた。


「いいかい少年君、人間というのはね」

「あの、精霊さんっ」

「笑顔で―――うん? なんだね少年君? 」


 少年はベットから降りペンダントを机に置いて、たたずまいを改めた。


「精霊さん、あの時はありがとうございました。精霊さんのおかげで、僕はこの家に拾ってもらえて、大切にしてもらえています。本当にありがとうございました!」


 そう言って、少年は精霊に感謝を伝えた。

 今、少年がこうして奇跡のような暮らしをしていられるのは、この精霊のおかげに他ならなかった。しかし、あの日以来一度も精霊は現れなかったため、少年は感謝を伝えられずにいた。


「うんうん、助けてもらったらありがとうと言う。大切なことだねえ少年君」

「はい。ずっとお礼を言いたくて」

「大丈夫だよ少年君。私は一度、君の持つその魔法石に宿ったからね。君が肌身離さず持っているその魔法石から、君の感謝の気持ちはずっと感じていたよ。おっと、お礼を言われたらこう言わなきゃだね、どういたしまして」

「はいっ」


 もしかしたらもう会えないのではないかと不安だった少年は、無事感謝を伝えられて嬉しそうに笑った。


「で、だ」


 少年の額の辺りでパチンと音がした。「いたっ」と少年は声を上げ、デコピンでもされたかのような痛みに額を抑えた。


「話を戻そうじゃないか少年君。まったく、あんな悩み顔をしていた後に感謝をされてもね、余計に心配になるだけなんだよ。ほら、はやく私に白状するんだ、ほら」

「いたっ、い、言いますからいたっ、これ止めてくださいっ!」


 パチンパチンと何度もやられ、少し涙目になった少年は話を始めた。

 少年の話はこうだった。貴族夫婦の養子になってから数か月が経つが、本当によくしてもらっている。これまでもいろいろと感謝を伝えてきたが、より貴族夫婦に恩を返したい。

 そんな時、少年が来る半年ほど前に、貴族夫婦が大切にしていた絵がある日突然無くなるということがあったと少年は聞いた。

 その絵というのは、病気で死んでしまったという貴族夫婦の息子の描いた絵であった。貴族夫婦は、それを死んだ息子の形見として大切にしていたそうなのだが、ある日、貴族夫婦の部屋からその絵だけが無くなってしまったらしい。

 他には何も盗られてはいないので、誰が何の目的で絵を持って行ったのかまったく分からなかった。結局、今日まで絵は見つからずじまいである。

 少年は、その絵を見つけることが出来れば、貴族夫婦はさぞ喜ぶのではないか、恩を返せるのではないか、そう考えて、その無くなった絵を見つけ出そうと思いつく限りの場所を探し回っていた。

 しかし、一向に絵は見つからず、頭を悩ませていたということだった。

 話を聞いた精霊は少し黙った後、「まったく」とため息をつきながら言った。しかし、あきれているというよりも、どこか優しさの感じられる声色だった。

 そして、困惑する少年を無視してしばらく考え込んだ後、


「よし、これだね!」


 と今度はとても楽しそうに言った。


「少年君、君がお探しの絵のありかなら、およそ見当がついているよ」

「本当ですか!? 」

「ああ。金目の物は無くならずに、大切なものだけが無くなるというのは、ボリボリというちんけな魔物の仕業さ。そいつはね、人間の大切にしているものを盗んで、自分の巣穴にため込むという習性があるんだ」

「魔物、ですか……」

「ああ、大丈夫だよ、魔物とはいってもそいつは人間に危害は加えない。むしろ、とても気の弱いやつだから人間に見つかると逃げてしまうんだ。だから、要はやつの巣穴さえ見つけてしまえばいいんだよ。そして、その場所の見当はついている」

「! どこにあるんですか!?」

「ふふふふふ」


 精霊の笑い声を聞いて、少年は少し嫌な予感がした。悪戯をするような、悪だくみをしているような、そんな笑い声だった。


「お城だよ、少年君」

「お城?」

「そう、少年君の住むこの都市にドカンと建っているあの大きなお城さ。今の王が住んでいるところだね。そこにボリボリの巣がある。私はこの辺りの土地を治める精霊だからね、魔物の動向もある程度は把握しているよ」

「……」

「どうする少年君? 城に絵があることを説明しても、誰も取り合ってはくれないだろう。となると、絵を取り返すためにはお城に忍び込むしかない。そして、私の力があればそれも可能だ。私は、少年君が望むならば手助けしていいと思っているよ。さあ、少年君はどうしたい?」


 精霊は少年を試すように問いかけた。しかし、説明の途中ですでに答えを固めていた少年は、精霊からの問いかけに迷わなかった。


「お願いします、僕に力を貸してください!」

「おお、いい返事だね。分かった、少年君に協力しよう。必ず君が絵を取り返せるようにするよ。……それに、もしかしたら……ふふふ、面白くなりそうだ」


 精霊の最後のつぶやきが少年に聞こえることはなく、こうしてなにやら楽しそうな精霊と少年は、お城へ忍び込むこととなった。




 美しい満月の夜。月明かりに照らされながら、少年はこっそりと屋敷を出発した。

 この日を選んだのは、月が満ちた時の方が精霊の力を使いやすいからだった。夜のお城に忍び込むなど少年一人では到底無理なことであるので、精霊の力を最大限利用できる日を選んだのだった。

 城までの道のりを、少年は不思議な枯葉の塊に乗って行った。精霊が、これは枯葉のじゅうたんだよ、とどこか得意げに言ったその乗り物は、少年をあっという間に城へと送り届けた。


「正面からなんて入れないからね、こっちだよ少年君」


 いつかのようにペンダントから光の筋が走り、少年はそれについて行く。

 光は城の城壁を迂回するように進み、しばらく行くととある一本の木へたどり着いた。

 精霊が昔を想い出すように語る。


「この城もまた昔からある古い城でね。今のこの国になる前の前の国くらいからここにあるんだ。初めはこんなに大きなお城ではなかったのだけど、何人もの人間が少しずつ手を加えて大きくなって、今のこのお城があるんだよ。そしてそんな訳だから」


 少年が光の示した木に近づくと、精霊が何かを唱えた。すると、木の根の方が突然半透明になり、その奥には下へと降りる階段が現れた。


「こういう、今では誰も知らない道がそこかしこにあるわけさ。さあ、行こう少年君」


 屋敷から持ち出した頼りないランプの明かりで先を照らしながら、少年は進んだ。

 階段を少し降りると通路が始まっていた。それはいくつにも枝分かれしているようであったが、精霊の案内で迷うことなく進む。

 そうして迷宮のような通路を進むこと数十分。少年は行き止まりの壁に突き当たった。


「大丈夫、ここでいいのさ」


 戸惑う少年に精霊はそう言い、また何かを唱えた。すると、先ほどの木と同じように壁が透け、向こう側が見えるようになった。

 壁の奥には、多くの木箱や鎧などが見え、どうやら城の倉庫につながっているようだった。


「ふむ、どうやらタイミングはばっちりだったようだね」

「? どういうことですか?」


 壁を抜け倉庫のような場所に入りながら、言葉の意味が分からなかった少年は尋ねた。

 すると、


「誰っ!」


 鋭く、焦りの混じった少女の声がした。

 少年は慌ててランプを消して引き返そうとするが、透明だった壁は元に戻っており戻ることが出来ない。頼みの精霊に何度も呼びかけるが、何故か突然黙ってしまって反応がなかった。

 そうこうしているうちに、少年はぱっと光に照らし出された。


「見つけたわよ! あなたが最近お城の物を盗んでいる犯……人……」


 少し大人びているが、まだまだ幼さの残る少女の声は、尻すぼみに小さくなった。戸惑っているのが雰囲気で伝わっていくる。

 光がまぶしくて少年からはその姿は見えず、何か言わなければと少年が焦っていると、少女が再び口を開いた。


「……一応聞くけど、最近お城の物を色々と盗んでいるのはあなた?」

「ち、違います!」

「そう。じゃあ、こんなところで何をしているの? 早く答えないと警備の人たちを呼ぶわよ」


 少し少女が近づいてきて、少年からもその姿が見えるようになった。

 長くきれいな金色の髪を持つ女の子だった。年は少年と同じくらいに見えたが、大人びた雰囲気があり、意志の強い目が少年をとらえていた。

 少年は、正直にここまでの経緯を話した。両親の大切なものが無くなったこと。ボリボリという魔物が盗んだのかもしれないこと。その魔物の巣が、このお城の中にあるかもしれないということ。

 精霊のことについても少年は話をした。なので、到底信じてもらえるような話ではないと少年は思っていたが、思いのほか少女は真剣な顔で最後まで話を聞いてくれていた。


「と、いうわけなんですけど……」


 少女は少し黙った後、


「バッカじゃないの」


 少年を一蹴した。


「両親のためとか言ってお城に忍び込むとか、それが逆に大きな迷惑をかけることになるって思わないの? お城に忍び込んだとなれば、悪ければ一家もろともつぶされるのよ?」

「うぅ……すみませんでした」

「それはご両親に言いなさい。とりあえず私は、あなたのことは誰にも言わないであげるから……私もあなたのこと言えないしね」

「え?」


 最後の言葉に首をかしげる少年に、少女は言った。


「私も、こんな遅い時間に一人で勝手に、お城の貴重なものもある倉庫に来ちゃってるってこと。で、あなたのその精霊は今どこにいるの?」

「えっと、さっきから呼びかけても返事をしてくれなくて。このペンダントが光っているからちゃんといるはずなんですけど……」


 光るペンダントを見て、少年は困った顔をした。それを見て少女は、ふーん、とつぶやき少し考えた後に言った。


「一応、あなたの話は信じるわ。あなたが一人でこんなお城の奥まで来れるとは思えないし。それにあなた、なんだかぼけーっとしてて、悪だくみとは無縁の顔しているしね」

「信じてくれるんですか!? ありがとうございます!」

「……はぁ、まぁ、悪いやつじゃないことはよく分かったわ。あとさ、あなた歳はいくつ?」


 少年は、歳を答えた。


「やっぱり同い年じゃない。敬語なんて使わなくていいわよ。必要のないところで、あんまり堅苦しいのは苦手なの」

「えっと、じゃあそうするね」

「よろしい。それでね、実は私も」

「少年君!」

「わっ!」


 突然聞こえた精霊の大声に、少年はびくっと飛び上がって驚いた。


「少年君、すぐに物陰に隠れるんだ! さあさあ早く!」

「隠れるって……」

「ね、ねえ、急にどうしたの?」


 少年の突然の挙動に、目をぱちくりさせて少女は驚いていた。どうやら精霊の声は少女には聞こえていないらしい。


「こっちに来て!」

「え、ちょ、ちょっと!?」


 少年は少女の手を引いて、近くにあった鎧の影に隠れた。少女にごめんね、と謝り静かにするように頼みながら灯りも消した。

 そうして鎧の影に潜むことしばし。真っ暗な部屋でゴゴゴ、と何か固いものを動かす音がした。その後には、何かがタッタッタと走るような音がして、キィと何かを開け、そしてパタンと閉じた音がすると、再び静かになった。

 すると、今度は少年のペンダントの輝きが増し、再び光の道しるべが生まれた。どうやら光は、部屋の奥にある大きな時計に向かっているようだった。


「な、何がどうなってるのよ……」


 唖然とした少女のつぶやきを側にして、少年は精霊に呼びかけてみるが返事はない。

 少年は少女に、さきほど少しだけ精霊の声がしたことと、この光を辿れば魔物の巣へ行けるかもしれないことを話した。すると少女は、


「私も行く」


 と言い出した。


「最近お城で色々なものが盗まれていてね。実は私も、大切にしていたものが盗まれたの。それを取り返したいから、私も行くわ」

「で、でも何があるかわからないし、危ないよ」

「だったらあなたが守ってちょうだい。ほら、光の線が弱くなってきているわよ。行きましょう」


 確かに、道しるべとなる光の線がだんだんと弱くなっていた。なので、仕方なく少年はお城で出会ったこの見知らぬ少女とともに光の線を追った。

 光の線は、大きな時計の下にある振り子へ向かっており、ガラスの戸を開いて時計の中をよく見ると、なんと時計の底に穴が出来ていた。人一人が通れるほどの穴で、光の線はその穴の先へと続いている。

 真っ逆さまに落ちるような穴ではなく、その先は緩やかな下り坂になっていたが、二人はごくりと唾を飲み込んで穴へと入った。

 立つと天井に頭がぶつかるので、中腰になって進む。少女は仕立ての良いローブを身にまとっていたが、それが汚れるのはまったく構わないようだった。

 土壁に囲まれた穴を進むことしばし。狭い穴は、今度は大きな穴へと合流していた。

 天井まで3メートルほど高さのある大きな穴は、二人が来たような小さな穴といくつも合流しながら奥へと続いていた。二人は光に沿って、奥へ奥へと進んでいく。


「しかしまあ、親のためにお城に忍び込んで、こんなところまで来るなんて、あなたって親のためならなんでもしちゃうのね」


 奥へと進みながら、少女が少年の行動にあきれるように、そしてからかうようにそういった。

それは、この道を行くにおいての不安な気持ちを紛らわすためにした何気ない会話のつもりだったが、少年は少し苦笑いを浮かべた後、こう言った。


「うん、なんでもするよ」


 少女は少々、虚をつかれた。


「……はぁ? あなたそれ、本気で言ってるの?」

「うん、本気」

「……それはちょっと行きすぎよ。そんなの、まるで忠誠を誓う王と騎士の関係みたいじゃない」

「あはは、王様と騎士かぁ」

「へらへら笑うところじゃないでしょ。なんでそう思っちゃうのよ。……親にそう教えられたの?」

「ううん、違うよ。お父様もお母様もそんな人じゃない。えっと、実はね」


 少年は、これまでの自分の境遇について少女に話した。親を亡くして叔父夫婦に引き取られたこと。捨てられたこと。精霊に出会って、そして今の両親に拾われたこと。


「僕を養子にして引き取ってくれたお父様とお母様には本当に感謝してて、その恩を返していきたいんだ。だから、お父様とお母様の為なら、なんだってする気持ちなんだよ」


 そう少年が自分の気持ちを語った後に少女の方を見ると、少女はものすごく何か言いたそうな顔をして少年を見ていた。

 少年はその顔を見て、同じ話をしてため息をついた精霊を思い出した。


「……うまく言えないんだけど、その、私もお母さんが私が小さいときに病気で死んじゃってね」

「え……そうなんだ」

「今はそこはいいの。それで、お父様と新しいというかもう一人のお母様に引き取られて、最初は私いろいろと遠慮してて、それでお母様ともギスギスしちゃって。でも、私にとってすごく嫌なことがあった時に、お父様とお母様が私は大切な家族だからって言ってくれて、味方になってくれたの。その……だから、あなたもきっと大丈夫だから!」


 自分の気持ちを伝えきれないもどかしさを感じながらも、少女は少年にそういった。

 少年は、少女が自分を励まそうとしてくれていることはよく分かって、「ありがとう」と返事をした。


「ふん、……まあいいわ。で、この道まだ続くわけ? もう結構歩いたと思うんだけど」

「そうだね。お城の下にこんなに長い道があるなんてなぁ。―――あ、ちょっと止まって」

「? なによ?」


 そう言って立ち止まった少女を、少年はひょいと持ち上げた。お姫様抱っこである。

 少女は混乱した。


「え、な、な、なによ?」

「ほら、そこだけ床が水浸しになってる。地下水なのかな? もう少し先までこうしてくね」

「……あなたの靴が水浸しになるじゃない」

「僕は大丈夫だよ」

「……そう。……ありがと」

 それから数分後。ついに道が終わり、広いドーム状の部屋に二人は出た。

 部屋に入ってすぐ、あちこちから小さく光る赤い目が二人を見つめていることに気が付いた。

 二人に緊張が走ったが、少年の胸のペンダントが突如強い光を放つと、ピーピーと鳴き声を放ちながらあっという間にどこかへ消えてしまった。

 その部屋には、いかにも高そうな絵画や彫刻から、子供が大切にしていそうな遊び道具まで色々なものが無造作に置いてあった。

 少年の探していた絵はすぐに見つかった。今の両親が大切にしている絵。少年に気を使ってか、少年が来てからは夫婦の部屋の戸棚にしまった絵。その話を使用人たちの会話で知って、なぜかどうしても見たくなってこっそり見てしまった絵。

 少年はその絵を、持ってきた袋に丁寧に入れた。


「あっ! ……あった。よかった……」


 少女も目的の物を見つけたらしい。少女の手には花をかたどった髪飾りがあった。

 聞けば、今の母親が誕生日プレゼントにくれたものらしい。前からほしいと思っていたが言えず、そんな少女の様子に気づいてプレゼントしてくれたもので、それはもう嬉しかったそうだ。


「よかったね」

「あなたもね」


 そう二人で言葉を交わしていると、体が浮いたような変な感覚があり、周りの景色がねじれたようにぐにゃっとした。そして気が付くと、二人が最初に出会った、見覚えのある倉庫にいつの間にか帰ってきていた。

 しばらくぽかんとしていた二人は、やがてお互いの顔を見て笑いあった。


「なんかすんなり帰れちゃったね」

「本当にね。あそこからどうやって帰ろうかと思ってたわ」


 クツクツと二人で笑っていると、扉を開く音がした。


「おい! 誰かいるのか!」

「!」


 どうやら、お城の兵士の見回りが来たようだった。

 お城の関係者らしい少女はともかく、少年はどうしようか慌てたが、そこで再び光の線が現れてくれた。来た時と同じように、透明になった壁へと光の線は向かっている。


「いろいろとありがとう!」

「こちらこそ。ほら、早く行って!」


 少女に背中を押されて、少年は壁の中へと消えていった。

 ちゃんと自己紹介さえしていなかった少年と少女の、一夜の邂逅はこうして終わったのだった。




 少年が家に帰ると、そこは大騒ぎになっていた。

 何かの拍子に、少年がどこにもいないことがばれてしまったらしい。屋敷の者たち総出で、少年の捜索が行われていた。

 とんでもないことをした。怒られる。家を出されるかもしれない。そう思い、青い顔をして少年は帰宅した。無事に帰ってきたことを喜び、両親に抱きしめられたが、少年はただ申し訳ないと思った。

 その後落ち着いたところで、少年は何をしていたのかを全て話した。そして、魔物から取り返した絵を両親に渡した。


「……これを、私たちのために取り返してくれていたのかい?」


 まさかという思いで父親は少年に尋ね、少年はうなずいた。

 夫婦はそれを見て、想いが胸に詰まったような、苦しそうな顔をした。

 そして、二人で少年を抱きしめ、こう言った。


「父さんと母さんの大切なものを取り返してくれて、ありがとう。本当に嬉しいよ。でもね、これだけは忘れずに覚えておいておくれ。確かにこの絵は、死んでしまったあの子の残したもので大切なのだけれども、お前のことだって同じくらい大切なんだ。お前は、私たちの宝物なんだよ。だからもう、私たちのために危ない真似はよしてほしい。もしお前に何かあったら、私たちは、もう……」


 母親は初めから、父親も言葉の後半には涙を流していた。

 怒られると思っていた少年は、初めて見る両親の泣く姿に茫然としていた。ごめんなさい、と言おうとしたがそれが違うことは分かり、「……はい」と小さい声で答えた。

 泣き止んでほしいと思ったが、二人に抱きしめられては何もできず、諦めてそのままでいることにした。

 そうして少年は、「お父様、すっごい泣いてる」などとどこか冷静に考えながら、頭の中は父親に言われた宝物という言葉でいっぱいにして、両親の温もりを感じていた。


「やれやれ、世話の焼ける」「ね、大丈夫って言ったでしょ」


 そんな二つの声が、聞こえたような気がした。




 その日以来、少年は少しずつ変わっていった。

 何か目に見えて変わったというわけではない。基本的には、少年は今まで通り勉強や習い事に励み、両親の言いつけを守るとてもいい子だった。

 ただ、時々小さなわがままを言うようになったり、少しだけ両親に甘えてくるようになった。そしてそれを受ける両親は、いつもとても嬉しそうに困るのだった。

 少年と両親は、あの日から少しずつ、本当の親子に近づいていった。




「えっと、つまり僕に縁談が来たということですか?」


 季節は巡り、新しい春が来た頃、少年のもとに縁談が舞い込んだ。


「ああ、お前もそろそろ将来の相手を見つけていい頃だからな。私もちょうど、お前と同じ年の頃に母さんと出会ったんだ。あの時の母さんはそう、春に芽吹くライラックの花のように美しかった」

「お父様、話が逸れてきています」

「おっとすまないね。それで、そういう話があって、お前がよければと思ったんだ。……ただ、ちょっとね」


 何か言いにくそうにする父親に、少年は首をかしげる。


「その、相手の子はちょっと気難しいというか、気の強い子でね。これまで何人か彼女と合わせているのだけど、ことごとく断られているんだ。……どうも聞いたところでは、態度が気に入らないと説教までされたらしい」

「わあ、それはすごいですね」

「ああ。それで、向こうのご両親は頭を抱えていてね。父さんはその方たちとは旧交があって、見かねて申し出てしまったんだ。まあ、だから、駄目もとで気楽にいってくれるか?」

「はい」


 少年は快く返事をした。他でもない父親の願いを断る理由はない。両親に恩を返したいという気持ちは、距離が近くなった今もこれからも変わらない。

 そうして、準備などをしてあっという間に時間が過ぎて、当日となった。

相手との初対面は、屋敷の応接間でとなっている。

応接間の扉を前に、少年は緊張を大きな呼吸で紛らわせて、父親の後について部屋に入った。


「―――え?」

「あら?」


 はたしてそこにいた相手は、いつかのお城で出会った女の子であった。頭には、あの時取り返した髪飾りをつけている。

 思わぬ再開に、二人とも目を丸くした。

 その後、両家を交えての話が終わり、二人きりになると少女はつぶやいた。


「ふーん……あなたなら、まあ、いいかな」

「ん? 何か言った?」

「なんでもないわよ。こんなひょろひょろした奴が相手かと思っただけ」

「あはは、手厳しいなぁ」

「あははじゃないでしょう。そこは怒るところよ。しっかりしなさいよ」

「うん、頑張るね。ところで、庭の花がとっても綺麗に咲いているんだ。一緒に見に行きませんか?」


 そう言って、少年は手を差し出した。


「む……いいでしょう。喜んで」


 少女は、その手をつかんだ。




 庭で楽しそうに話をする二人を眺めながら、精霊は大きなあくびをした。


「まったく、人間というのは難儀な生き物だ。本当に、世話のかかる」


 面倒そうに言いながらも、その言葉にはどこか満足げな響きがあった。


「これからもまた、色々なことがあるのだろうけれど、大丈夫、少年君ならできるはずさ」


 その言葉は少年に届くことはないが、その必要もないと精霊は思った。

 精霊は、再び大きなあくびをした。


「さて、私はまた少し眠らせてもらうよ。この土地のことは頼んだぞ、少年君」


 そう言って精霊は、春を迎えた大地へ身を任せていった。

 ぽかぽかと温かい日差しが、ひたすらに気持ちよかった。


ありがとうございました!

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