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 さて。自分たちも、と宿へ戻りかけた時、またしてもこの寺の悪魔が出現した。

 庫裡の方から物凄い勢いで走って来た黒犬、クマ。

 遠慮会釈なく大文豪の弟子たちに吠え立てる。

 堪らず逃げ出した二人、本当は来た時と同じ道を帰るつもりだったのだが、門から飛び出すや、ただもう犬が追って来なくなるまで駆けに駆けた。

「ハァ……ハァ……こ、こんなに走ったのは一高の運動会以来だぞっ!」

「同感! 僕は六高だが。それはともかく──どうだ、もう大丈夫か?」

 振り返ると坂のてっぺんに豆粒くらいの黒い影が見えた。諦めたのか、それとも飽きたのか、クルッと反転して消えた。

「ありゃ、全くどういう犬なんだ? 躾がなってない! 檀家からよく苦情が来ないものだ!」

「それとも僕たちがよっぽど嫌われているのか……」

 今までと逆の方向へ坂を下りてしまったが二人はそのまま行くことにした。圓願寺は丘の上にありどっちの道からも町に降りられると聞いていたし、たまには違う方の道を行くのも一興だ。

 本心は引き返して、また猛犬に会うのが恐ろしかったのである。

 歩き出してほどなく、竜之介と栄造はどちらともなく足を止めた。

「あれれれ? ここは──」

「うむ──」

 目の前に現れた古刹に見覚えがあった。竜之介の滞在一日目に栄造が引っ張って行ったあのカラクリ寺とやら、無住の裏寂れた慶宮寺(けいぐうじ)ではないか──

「へえ、こんな処へ出るのか!」

 栄造も驚いたらしく、改めて今来た道を振り返って圓願寺の方角を確認した。

「こっちから来たのは僕も初めてだ……」

 大寺を見た後なので殊更、慶宮寺の寂れようが胸に迫った。こちらは封印しようにもその門さえないのだ。崩れ落ちた築地塀を抜けて二人は境内へ入った。

 覗き窓が穿たれた正面の扉に近づいた時、竜之介は心臓が止まるかと思った。

 不思議な音がする。そう言えば、確かこの前もここ(・・)で聞いた。その時と同じ、軋むような音が足の下、地の底から聞こえて来る……

 ゆっくりと竜之介は背後を振り返った。

()は、そこにいる。ちゃんと、そこにいるよな?」

「いるとも! 人を幽霊のように言うなよ! 僕が、今、ここ(・・)にいないで一体何処にいると言うのだ?」

 いったんは冗談めかして返したものの、友の蒼白な顔に気づいて栄造が質した。

「何だ? 何か気にかかることでも?」

あの時(・・・)は君が本堂で寝ていたから──だから、僕はこの音を君の(いびき)だと解釈したのだ」

「音?」

「聞こえるだろう? この音! では、一体全体、これは何の音なのだ?」

 友に促されて栄造は耳を澄ませた。次の瞬間、竜之介の指摘した〝不気味な音〟は栄造の豪快な笑い声に吹き消されてしまった。

「アハハハハ……! 失敬、言わなかったっけ? いや、僕はてっきり、前回教えたものだと……」

「?」

 首を傾げている弟弟子をその場に残して栄造は本堂の扉へ飛びついた。すぐに例のステッキで手招きした。

「君! ここへ来て覗いてみたまえ!」

「それなら知っている。そこから本尊が拝めるってんだろ?」

「いいから、早く! 今なら間に合うから」

 呼ばれるまま竜之介は栄造の横へ行き覗き窓に顔を当てた。

「!」

 そこに見えたものは──予想に反して──本尊の御顔ではなく、ゆっくりと回転している須弥壇だった。

 宛ら、回り舞台のごとく廻って行く──

「これは……」

「この寺がカラクリ寺と呼ばれている所以だよ! まさに、これが!」

 最初見た時は僕も驚いたよ、と栄造は笑った。須弥壇が廻って次々に違った像が出現する仕掛けなのだ。熱心に拝んでいて、顔を上げると本尊が違っている。この趣向が受けて昔は参拝者が後を絶たなかったそうだ。

「どうだ、面白いだろう?」

「──」

 凝結したように覗き窓に顔を押し当てている竜之介。

「しかし、現代人の君が、何もそこまで夢中にならなくとも……」

 そんな龍之介の姿に流石に栄造も呆れて苦笑した。

 暫くして、漸く扉から顔を離した竜之介、満面の笑顔で叫んだ。

「全ての謎が解明したぞ!」



 一時間後。

 慶宮寺には圓願寺の主だった面々が集まっていた。

 円了と円佑(えんゆう)、一人娘の七宝子(なほこ)

 呼び出したのは漱石だが、実際の首謀者は竜之介と栄造だった。

「もうよろしいのでは? そろそろお始めになってはいかがでしょう?」

 何が始まるのか、先刻から期待に頬を上気させている副住職。とうとう痺れを切らして声を上げた。

「もう少々ご辛抱を。まだ一人来ていない……」

 その人が遅れて来るだろうことを、しかし竜之介は(あらかじ)め予想していた。

 漱石の名のもと、圓願寺の関係者に招集をかけた際、当の大寺へ走ったのは栄造で、西洋小間物屋へは竜之介が赴いた。だから、竜之介はその時の(よう)の様子をつぶさに見ている。

 葉は慶宮寺の場所を知らなかった。それで竜之介は地図まで書いて教えてやった。実は絵を描くのも竜之介は得意なのだ。それはともかく──

 始めての道なので葉は来るのに手間取っているのだろう。それでなくとも、圓願寺からなら一本道だが町の駅前の店からだと時間がかかっても当然だ。

「遅くなって申し訳ありません」

 果たして、圓願寺の人々より遅れること三十分。澤田葉はやって来た。



「皆さんお揃いのようですな? では」

 一同を見回して、漱石が立って挨拶した。

「お忙しいところお集まりいただきありがとうございます。さて、誠に相済みませんが今回の件につきましては一切を取り仕切ったのは私の優秀なる弟子たちでありまして、私は全幅の信頼を持って両君に任せた次第です。そういうわけで──事の詳細は両君から」

 さっさと座ってしまう漱石先生。

 代わって竜之介が立ち上がる。軽く一礼した後、

「単刀直入に言います。立像の行方がわかりました!」

 刹那、一同から安堵と喜びの息が漏れた。

 遅れて、交錯する種々の声。

「で、何処だ?」

「早く確認したいものだ!」

「勿論、ここに持って来ているのでしょう?」

 堂宇内を見渡してキョロキョロする一同を前に、竜之介は懐から金時計を取り出して時間を確認した。

「皆さんがここに集結してかれこれ一時間ですから、もうじきです。頃合もちょうどいいので口で説明するよりも、まずは実際に見ていただきましょう」

 一同、首を傾げる間もなかった。

 くぐもった音が床下から響いたと思うと、須弥壇がゆっくりと回転し始める。

 今までそこにあった柔和な御顔の千手観音が左の暗がりの中に吸い込まれて行って、入れ替わりに右から現れたその像こそ──圓願寺本尊・聖観音立像だった……!

「おおお──っ!」

 どよめきの後、堂宇内は水を打ったように静まり返った。

 竜之介がその沈黙を破って話し始める。

「皆さんはお気づきになられませんでしたか? そこ、須弥壇の横にポツンと置かれている如意輪観音像に。僕は却って素人なので気になったのかも知れません。初めてこの寺へ来てこれを見た時、思いました。脇侍仏にしては変わった置かれ方だな、と。しかも、これほどの像を? どう見たって本尊クラスの素晴らしい立像だ!

 その上、僕は今日までこのカラクリのことも知りませんでした。その仕掛け──須弥壇が廻って像が次々に入れ替わる──そうだね、栄造サン?」

 ここで兄弟子を振り返る。促されて栄造ものっそりと立った。

「要するに、須弥壇が床下まで貫かれていて轆轤(ろくろ)のような造りなのだ。床下の取っ手を回すと上の須弥壇も廻る。往時は寺男が廻していたそうですが、無住になって以降、止まっています。たまに近所の子供たちが潜り込んで遊びがてら回す程度で。とはいえ、ご覧の通り仕掛け自体はまだ十分動きます。実は、今のも僕たちが予め子供たちに時間を言って回してくれるよう頼んでおいたんです。

 上手く行きました。尤も──このカラクリ寺については僕たちより地元の皆さんの方がよくご存知でしょう?」

「ところが僕は知りませんでした!」

 ここで再び竜之介が引き継いだ。

「先刻たまたま子供たちがふざけて回してるのに遭遇しなかったらこのカラクリの件はずっと知らず終いだったはず。吃驚しましたよ。目の前にさっきまでとは違う像が現れた時は!

 でもそこでピンと来た。代わって出て来る像の数は三体だそうですね? つまり須弥壇は三室に分割されている。ここに一体不自然に置かれているのは、ひょっとしてはみ出した(・・・・・)せいではないのか? と僕は考えたわけです。別の像を隠すために元々あった像を外に出したのではないか?

 それで確認したところ──」

「ズバリ的中したわけだな? いや、お見事!」

 思わず漱石が叫んで手を打ち鳴らした。本場仕込みの欧州流喝采である。

「ヴラボーーー!」

 これに答えて深く一礼して弟子は師匠に一言。

「基礎ですよ、ワトスン君!」


 

 だが、待て!

 まだ真犯人は明かされていません……

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