一章 実の姉貴と世紀の実験 09
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半ば廃墟と化したユートの家——集合住宅の一戸に戻った時、
「遅いでサラ! 何やっとったんやボケ!」
二人は、ユートのそんな一喝で出迎えられた。
命司にとっては初めて入る居間。一階は三部屋で、キッチン併設の居間と、その奥に個室らしきドアが見える。恐らく、ユートとサラ、それぞれの個室なのだろう。
日はもう沈みかけだが、居間は天井の照明によって明るく照らされている。電灯、という訳でもなさそうだが、広口ビンの様な形状の照明器具の中には、柔らかく発光する石のようなものが一つ入っている。それは、半ばほどが照明器具の中の透明な液体に浸されていた。
「ゴ、ゴメンなさ〜い。って、あっちゃ〜……」
引きつった笑みを浮かべたかと思うと、サラはそう言って、右掌で顔面を覆った。
湯呑み茶碗の様な食器を片手に、新聞らしき書面を見ているユート。その足元に、二人ほど氷漬けにされて転がされている何者かが居る。顔つきを見れば、どう考えてもカタギじゃないのは明白だ。詳しい事情は分からないが、強盗か何かの類なのだろう。
「さあ、さっさと衛兵呼んでこいや」
そうサラに命令すると、ユートは転がっている男の一人——その頭を踏みつけた。
「マ、マイスター、怪我はない?」
それは、心配からきたものか、それとも怒られたからなのか、半ば狼狽えているようにユートを観察しながら、サラが訊ねた。
だが、ユートは何事もなかったかのように、不敵な笑みを浮かべて見せる。
「俺がこんなヤツらに遅れを取るかアホゥ。ったく、このクズ共、俺の属性宝珠が欲しいんやったらな、黄色属性の秘法師連れてこいや。それも、メッチャ腕の立つヤツ」
冷徹に言い放つと、ユートは命司を見据えた。思わず、命司は担任に悪事がバレた学生のような気分になる。
そんな命司の脇をすり抜け、サラは再びどこかへ出かけて行った。恐らくは、衛兵を呼ぶためだろう。
「さて、メイジ君よ。手間かけさせよって。言いたい事は山ほどあんねんけどな……取り敢えず、これに着替えてこいや」
言って、ユートは命司に服を投げてよこした。
「着方なんて、知らねーぞ?」
「アホか。広げたら服の構造解るやろ。あとは頭使え」
(まぁ、いいんだけどよ……)
「二階借りるぜ」
そう告げて、命司は木製の急な階段を登った。
登った先、二階には照明は無く、代わりに天井の穴から、落ちたばかりの夕日の残光が射し込んでいる。
「……綺麗な、街だよな……」
思わず、命司は呟いていた。
灯りのともり始めた家々の窓。天井から続く壁の穴から、そんな風景が見える。上を見上げれば、残光の中に星が瞬き始めている。あの都会の摩天楼と、その狭間から微かに見えるだけの霞んだ空と比べると、そこには格別な美しさがあった。
「……ま……いっか。めんどくせぇ」
渡された衣服一式を眼前に広げ、命司はそれを着る決意をした。
どうにも、サラに恩義を感じてしまっている自分がいる。ユートに関しても、気にくわない点は色々とあるが、確かに今逃げ出さなくとも、この世界の仕組みやシキタリ、掟や法律、そんなものを知ってからでも遅くはない。
それに、
「秘法……ね」
サラから聞いた話が、実は命司にとって非常に興味深かった。言い方が違うだけで、平たく言えばそれは魔法だ。そんなものが使えるようになるのだというのなら、確かにここにいる価値はある。専門学校で経理を習うより——いや、例え有名大学を出て、官僚や政治家になれたとしても、その後で欲にまみれ、殺伐とした人生を歩むより、よほど刺激的、かつ充実した人生が送れるのではないのか。そう思ったのだ。
栄達というものに興味がある訳ではないが、せっかくこの世に生まれたのなら、命司とて『面白い人生だった』と言って死んでいけるような人生を歩んでみたい。




