序章 狐男と妖精女
——そう、貴方は言霊使いなのですか——
——ふふ、ひどい世界なのですね、そちらは——
——なら、いっそこちらにいらっしゃいませんか? 良いところですよ、こちらは——
——分からない? そう、貴方には分からないかも知れませんね——
——でも大丈夫。私が、まるで貴方の意志であるかのように、導いて差し上げますから——
——私? 私の名は——
◆ ◆ ◆
気がつくと、幸田命司は瓦礫に埋もれるようにして、椅子に座っていた。
頭上には抜けるような青空が見えるが、そこはまぎれもなく建物の中だ。瓦礫は、倒壊した装置と屋根、それから壁の一部。そして、その瓦礫の山の中にはテーブルと椅子があり、差し向かいにはついさっき出逢ったばかりの女たちの顔がある。
一人は真紅の髪の妖精っぽい少女。
そしてもう一人は、モロにキツネ顔で立派な尻尾まで生やした姉似の人物。
現在、命司はどういうワケか、氷の塊の中から顔だけ出しているという異常な状況にある。
他方、『彼女たち』に視線を向け、こうして陽の光の下で見てみると、一人——姉かと思ってしまった者は、似てはいるが、どうも違う様子だと思えた。狐のような頭上の耳はたまに動いているし、面差しも姉より中性的だ。着ている服は、日本の神主が着ている狩衣みたいな感じで全体が緩やかだが、それでもその体格は男っぽい気がした。
そしてもう一人——女の子、と思った人物も、尖った耳が時折動くし、チャイナドレス——というより、ベトナムのアオザイみたいな服に、その小さな体躯を包んでいる。どれを取っても目を引くが、その小さな背丈に比して胸が大きいのが、何よりも特徴的だ。
(ロリ巨乳……)
思わず、そんな四文字が命司の脳裏を掠める。
そんな命司の視線を感じたのか、女の子は汚いものでも見るかのような視線を向けて、胸元を両腕で隠した。
と、不意に姉似のキツネ顔が話しかけてくる。何語かもさっぱり分からない言語で。
だが、言葉は分からないものの、一つだけ確信した事がある。キツネ顔の声質は、女のものではなかった。つまり、少なくともそのテの方々から男寄りの存在だろうと思う。とはいえ、まだ明確には分からないが。
ただ、どちらにしてもこのままでは埒があかない。いずれにしてもコミュニケーションは大切だ。そう思い、命司は口を開いた。
「いや、分かんないって。つか、もし万が一姉貴のイタズラとかだったら、マジで許さないからな?」
いくら天才でオタク趣味で『腐』属性を持っているどうしようもない姉でも、多分ここまで凝ったイタズラはしないハズだ。そうは思っていても、命司はあの姉に関しては、いつでも『万が一』を考えてしまう。
すると、キツネ顔はしばし考え込み、やがてどこから出したものか、一本の細く尖った氷みたいな棒を手にした。それを鉛筆のように持って、命司の顔に近づけてくる。
「お、おい、何する気だよ?」
ゆっくりゆっくり、テーブルに身を乗り出して命司の『眼』に、その尖った先端を近づけてくるキツネ顔。命司は何をされるか分からない恐怖を感じつつも、精々が顔をそむける事しかできない。
が、それも——
「うわぁ! や〜めぇ〜ろぉ〜!」
命司は思わず叫んだ。いつの間にか背後に回った女の子が、その小さな体躯からは想像もつかない怪力で、命司の頭を固定したのだ。
左目に迫る棒の先端。その恐怖に耐えきれず、命司は両目を固くつむった。すると、
(なんか……書いてる?)
ひんやりとした、細く固い感触が瞼の上を走り回る。固い先端で書かれているので微かに痛むが、痛みを与えるのが目的ではなさそうだ。そして、両の瞼が終わると、今度は左右の耳たぶをなぞっていく。それから耳が終わると、今度は唇から顎、喉にかけてなぞっていった。
そして——
「おい、聞こえとるか? 言葉分かんねやったら、眼ぇ開けてみぃ」
そんな声が聞こえ、同時に頭の固定が解かれた。
(か、関西弁?)
命司はゆっくりと瞼を開いていく。
「やった! さっすがマイスター! だ〜い成功〜!」
右手すぐ傍から、今度は女の子が理解出来る言葉を紡いだ。
「ねぇねぇ、キミ、どこから来たの?」
女の子はテーブルに上半身を乗せると、命司の顔を覗き込んだ。長く、そして尖った耳の先が、好奇心を表現するように上下に動く。着ている物はアジア風だが、その姿は命司に西洋の妖精を連想させた。
だが、
「しゃしゃり出てくんな、このロリが」
不意にキツネ顔はそう言うと、女の子を一睨みする。そんな狐男の様子に、女の子は不満そうな表情を見せた。
「ロリじゃないよぉ。マイスター、あたしが二十三だって知ってるじゃん」
「そのナリで言ぅても説得力皆無やろが。とにかく黙っとれ。やっと話通じるようになったんや、脱線さすな」
どうしてか不機嫌な様子の狐男。精々が小学六年生程度にしか見えない傍らの女の子が、二十三歳だという事も驚くが、それ以上に、今にも掴みかかってきそうなこのキツネ顔の態度の方が命司は気になる。もっとも、なぜ不機嫌なのか。その理由はこの廃墟を見れば、おおよそ理解出来る気がするが。
「まぁええ、取り敢えず名前からや。俺はユート。ユート・ユーゼン。で、こっちのロリガキは、サラ・アフメドや。お前は?」
不機嫌ながらも、しかし理性的な雰囲気を滲ませて、その狐男——ユートはそう訊いてきた。
「違うから! ロリじゃないから! 結婚できる歳だからねあたしは!」
ロリガキ——もとい、サラが横から口を挟む。が、再度ユートに睨まれて口をつぐんだ。
「え〜……命司……幸田……命司っす……」
取り敢えず、氷漬けになって身動き取れない身の上だ。不思議なことに氷は解けてこないのだが、寒い事は寒いので、早く解放して欲しい。そんなワケで、命司は素直になるのが得策だと思った。
「エーメイジ・コーダ・メイジッス、か。アホっぽい名前やな」
言って、ユートはいつの間にか取り出していた手帳に、命司の名前を書き連ねていく。しかし不思議な事に、初めて見るその文字も、命司はどういったものかが理解できた。漢字に近いだろうか。表音文字ではなく、明らかに表意文字のようだ。それも、原始的な漢字——歴史や国語で習った『甲骨文字』とかいうものに近い。
とまぁ、それはひとまず置いておくことにして、命司は取り敢えず誤りを正さなくてはならない。
「いやいやいや、違うから。俺の名前は『命司』で、苗字は『幸田』。ワカル?」
命司がそう告げると、ユートは顔を上げて命司を睨みつけた。秀麗だが、そのキツネ目が姉を連想させ、気圧されてしまう。
刹那、
「ぐあっ!」
ユートが投げつけたペンが額に突き刺さり、命司は悲鳴を上げた。
「あ〜あ。今マイスター機嫌悪いからさ、ハキハキ答えた方がいいよ?」
さんざんユートに罵倒され、反論する度に睨まれたせいか、サラ(二三)までもが冷めた視線を送ってくる。
そして、投げて刺さったペンはそのままに、ユートは新しいペンでさっきのメモを修正していた。
「……で、メイジ・コーダ君よ。お前、どっから来たん? ったく、人様の高価な機材破壊しよって。くだらん答えやったら、そのままダ=インのカルデラ湖に浮かべたるからな?」
「沈める、じゃないの? マイスター」
「氷は浮くやろ。まぁ見ててみぃ。ひっくり返って、頭だけ水に浸かんねんから。……もがき苦しむ様が目に見えんで」
「やぁん、コワイ〜! マイスターったら鬼畜ね〜!」
虜囚そっちのけで、空恐ろしい会話をしている方々。だがそれでも、聞こえる会話の内容から、元の世界と物理法則は似ているようだと命司は思った。
「え〜と、俺はデスね……」
ここはもう、洗いざらい話すしかない。せっかく姉や現実世界から逃げてこれたのに、ここで死んでは無駄死にだ。




