第3話 カレーとブロッコリー
和也がリクルートスーツを着て、上がり框に腰を掛け靴の紐を締めている。
すると、沙織と香織、双子の妹がやってきて、和也の背中によっかかる。
「にいちゃん。どこ行くの?」
二人で同時にくると、ずしっと背中が沈んだ。双子姉妹は10歳になる。ついこの間まではなんともなかったが、随分重くなったもんだ。と和也は思った。
「香織も連れてって」
「こら。今日はダメだ」
母親の紀子がやってきて、二人を和也から引き剥がす。
「兄ちゃんは、会社の面接に行くんだから邪魔しないの」
和也は立ち上がって振り返ると、財布から二万円を抜き取って、紀子に差し出した。
「バイト代入ったから」
「助かるわ。ありがとう」
紀子は受け取って、綺麗にお札を畳んで両手で挟んだ。
その手を合掌するようにして、顔の前に持ってくる。
「面接うまくいきますように」
和也は、うん。と頷いて、「行ってきます」と言いながら玄関を出て行った。
* * *
『山口ムービー株式会社 面接はこちら。→』
面接試験会場の張り紙に沿って、和也は足を運んだ。
「失礼します」と言って、ドアを開ける。
中に入ると、お座り下さい。と言われてから、座る。
椅子は浅めに腰かける。
背中にびっしょりと掻いた汗が、シャツを貼りつかせる。
ひとしきり質問に答えたあとに、好きな映画はありますか?と、聞かれた。
この話題ならキリがないほど喋れる。若干高揚した。
いや。待て待て。
羽目を外してはいけないぞ。これこそ、引っ掛けかもしれない。
好きな話題を振っておいて、本性を暴いてやろう、という魂胆か。
和也は、面接官の年齢からして、古い映画をチョイスした。
「やはり、『ローマの休日』です。名作ですから」
ほお。いいですね。と全員が口を揃えた。
ロマンスグレーのご高齢の面接官が言った。
「私はね。グレゴリーペックが写真を破って、スクープを諦めるところが好きで」
多分、重役クラスの方だ。
「僕もです。お金より、愛を選んだ。あそこは、カッコいいです」
と、和也は追随した。
だが、グレゴリーペックは映画の中で写真を破っていない。
和也にこう言ったのは二人目だ。
あのシーンは印象が強くて、さも、写真を破ったように、記憶を改ざんする人がいるみたいだ。でも、それはそれでいい。と和也は思った。
その人には、そう見えた。そう見たかった。というほど、いいシーンだからだ。
時間が来たので、立ち上がって礼をした。
失礼します。と言って、和也は静かにドアを閉めた。
面接室をあとにして、和也はネクタイを緩めた。
「いけたかな・・・」
若干、口元が緩んだ。
* * *
維新みらいふスタジアム。
レノファ山口のホームグランドだ。和也と倉本、加恋と美穂の四人で観戦に来た。
レノファのオレンジ色のユニフォームをお揃いで着ている。
ソフトドリンクを四つ、和也が買って席に戻ると、レノファがシュートを決めた。
――ヤッター。
倉本と美穂がハイタッチして大喜びだ。
和也もソフトドリンクを椅子に置いて、加恋と軽くハイタッチ。
レノファが勝って、四人は大満足だった。
* * *
一級河川『佐波川』の河川敷には、広々と芝生が敷き詰められている。
ウォーキングやジョギング、犬の散歩などでも利用され、市民の憩いの場所でもある。
澄み切った晴天。抜けるような青空だ。
よく刈り込まれた緑の芝生に、空より青いブルーシートが敷いてある。
ブルーシートの真ん中には、三段重ねのお重が置いてある。
「内定おめでとう!」
倉本、加恋、美穂が手にクラッカーを持ち、和也に向けて紐を引く。
パン、パン、パンとはじける。
どうも。と和也がペコっと頭を下げる。例の山口ムービー(株)から内定通知が来た。
「私達から、内定祝いもかねて、じゃーん」
美穂がお重の蓋を開ける。
「じゃじゃーん」
加恋も続いて、二段目、三段目のお重を披露する。
「わ、すげえ」
「うまそう」
「でしょ。食べて食べて」
美穂が、倉本君も食べてね。と促す。
「俺もいいんすか?」
「もちろん。青空の下、これを食べてから、天満宮に行くってのはどう?」
「今度は倉本君の番だから、ちゃんと願掛けしないとね」
「うれしいっす」
加恋と美穂は目配せをした。
× × ×
遡ること三時間前。
加恋と美穂はエプロン姿で料理をしていた。
加恋の家のシステムキッチンは結構広くて使い勝手がいい。
加恋がボールに入った卵をかき混ぜながら、美穂に言う。
「あまり時間ないからね」
「は~い。菅原君、内定決まってよかったね」
「うん。一安心だと思う」
「で、お祝いと称して手料理で釣るってか。策士じゃのう。このこの」
美穂が長ネギで加恋の腰のあたりを突く。
加恋は、もう。という顔をして、
「あんたの為でもあるんだからね」
「なんで?」
美穂はキョトンとした。
「あの二人。恋愛はコスパが悪い。って言ってたの」
「なにそれ。バカじゃない」
「だから、少しはコスパのいい女子力を見せてやんなくちゃ」
「なるほどね」
「特に、細マッチョの倉本君。デート費用は男子が払うものだ。って、昭和みたいなこと言ってたのよ」
「おや、可愛いところあるじゃん」
「でもそれで、せっかく稼いだバイト代も無くなってたんだって」
「カッコつけがぁ。あっ」
美穂が長ネギを振ると、ポキッと折れた。
加恋が眉をしかめて聞いた。
「もう。わかった?」
「はい。私は、お金のかからない女子です」
「そういうこと」
「お弁当大作戦。発動!」
美穂、今度はブロッコリーを高々と掲げる。
「だから。もう時間ないの」
「はーい。それ玉子焼き?」
「そうよ・・・」
と言いながら、加恋は掻き混ぜた卵にマヨネーズを入れた。
「へえ。玉子焼きにマヨネーズ入れるのか。知らんかった」
「コクが出るからね。あと、牛乳も少々っと」
今度は小さじで牛乳を加える加恋。
「牛乳も。おぬしはホントに研究熱心じゃの。いい嫁になるぞよ。感心感心」
「ほら、時間ないから」
「おお、そうじゃった」
「じゃあ、ジャガイモの皮剥きからね」
「ラジャー」
と、美穂が敬礼すると、ピンポン、とインターホンが鳴った。
「あ、お父さんだ」
キッチンを出て行く加恋。
加恋の父、西沢修三は交通事故で下半身が麻痺してしまった。
電動車椅子での外出から帰ってくると、玄関で屋内用の車椅子に乗り換える。
加恋は介添をして乗り換えるのを手伝う。
「よいしょっと」
「ありがとう」
と、修三が言うと、美穂がキッチンから顔を出した。
「おじさん、お邪魔してます」
「おや、美穂ちゃん。いらっしゃい」
加恋は修三の足を、片方ずつステップに乗せた。
× × ×
和也と倉本がおにぎりを手に持ったまま、箸を口に運んでいる。
「やっぱり人が握ったおにぎりはうまい!」
倉本がそう言って頬張る。
「ああ、そうだな」
和也もガッツク。
「お二人で作ったんですか?」倉本が聞くと。
「もちろんそうよ」美穂が自慢気に答えた。
「ありきたりなものしか無くて、悪いんだけど」加恋は、少し謙虚気味だ。
「そんなことないですよ。全部うまいですよ」
「こんな弁当、俺、初めてっすよ」
「特にこの玉子焼き。めっちゃうまくないか」
「ああ、はじめて食った。こんなうまいの」
そう言いながら、ガツガツ食う二人の男子。
加恋と美穂、視線を合わせてニタリと笑った。
* * *
東京・中野区。
恭一郎が住む木造二階建てのアパート。築50年は過ぎていそうな古い建物だ。
集合ポストを開けると、チラシが無造作に突っ込んである。
チラシの下から封筒が一枚出てきた。
恭一郎が封筒を開け、書面を取り出して見ると、
『不 採 用』の文字が大きく書かれていた。
はああ。と大きくため息を吐く。
部屋に入って、スマホと封筒をローテーブルに置くと同時に、着信が鳴った。
画面には、『和也』と出ている。
恭一郎はすぐに出た。
「もしもし。和也か?」
「おじさん。急で悪いんだけど、近く、一晩泊めてもらえないかな」
「そりゃかまわんが。東京に来るのか?」
「うん。就職試験があるんだ」
「そうか。就活か。お前もそんな年になったか。全然いいぞ」
「あ、おじさんゴメン。友達が来た。また電話するね」
恭一郎は電話を切り、ローテーブルに置いた『不採用』の封筒を、ビリビリっと破いてゴミ箱に捨てた。
* * *
コンコン。とノックの音。
恭一郎が玄関を開けると、和也がリクルートスーツを着て立っていた。
「おお、よく来たな。上がれ」
キャリーバックを受け取って、和也を部屋にあげた。
部屋にはカレーの匂いが充満している。
和也が来るので、恭一郎はカレーを作って待っていた。
「いい匂いだね」
そう言いながら、和也はキャリーバックからTシャツとスエットを出して着替えた。
「おかわりあるからな、どんどん食えよ」
「うん。ありがとう」
和也にはカレーライスを出し、自分は茹でたブロッコリーと人参に塩を振ったものだ。
カレーはカロリーが高すぎて、糖尿病の恭一郎には危険だった。
「で、就職試験はうまく行ったのか?」
恭一郎が聞く。
「今日は一次の筆記試験だけだったんだ。それなりに出来たとは思うけど」
カレーを食べながら和也が答える。
「やっぱり東京の会社に憧れるか?」
「それもあるけど、給料が格段にいいんだよ。地方より」
「でも、家賃もそれなりに高いぞ」
「寮があるらしくって、家賃は格安だって」
「会社はどこだ?」
「新橋ってところ」
「そっか」
恭一郎は、人参にフォークを刺して口に運んだ。
「奨学金の返済が始まったとしても、それでも、給料の良さでメリットがあるんだ」
「給料だけで決めていいのか? やりたい仕事か?」
恭一郎がそう聞くと、和也がスマホを出してスクロールした。
「実は・・・ここなんだ」
今日、一次を受けに行った会社のサイトだった。
「おお、ゲットか」
「うん。映像制作では、今、ライジング中の会社」
和也はさらに画面をスクロールして、いかにも嬉しそうに動画を見せた。
「見て、カッコいいCM創るよね」
「ここは一流だからな」
「俺も、こういうの、創ってみたいなぁと思って」
和也の顔が生き生きしている。
「よし。お前、東京へ出て来い」
恭一郎はドンとテーブルを叩いた。
「まだ早いよ。一次の筆記試験を受けに来ただけだから。落ちたら終わり」
「何人ぐらい受験に来てた」
「ゲットは人気あるからね、百人以上は来てたと思う」
「で、何人採用されるんだ?」
「多分、二人か、三人・・・」
「おいおい、それは」
恭一郎、ハッと息を飲んで、止めた。
「うん、わかってる。とりあえず挑戦してみたかったんだ。一応、山口で内定貰っている会社がすでにあるから、ダメだったら、そこに就職するよ」
しばしの沈黙が流れた。
「お前が夢を持ってて安心したよ」
恭一郎が切り出した。
「なに?いきなり」
「ほら、最近の若者には野望がない。家も車も別に欲しいとは思わない。出世すら望まない。って聞いていたからな」
「出た。最近の若者」
「いやいや。オッサンの説教をタレルつもりじゃ無いんだ」
「じゃあ、なに?」
和也の素直な問いかけに、恭一郎は向き直り、改まって答えた。
「俺はお前たちの世代が気の毒だと思ってる。ここ30年、ずっと不景気で閉塞感が漂っているからな。将来に希望を持ち、夢を持つなんて難しいよな。俺達の若い頃は、高度経済成長からバブルまで迎えたからな。まさに、イケイケどんどんの時代だったよ」
和也は首を傾げて聞いてきた。
「そう聞くけど。ピンとこないんだよね。将来に対する不安はなかったの?」
「ハッキリ言って、なかった」
「わかんないな。若い時って、いろいろ不安じゃん」
和也は、不思議そうな顔をしている。
「すまんな~。バカっぽいよな俺ら。そりゃ、個人個人では、若さゆえにいろいろと悩みはあったと思う。でも、それとは違うんだ」
「何が違うの?」
和也が突っ込む。
「社会の気運だ。世の中全体が上昇志向で溢れていた。みんな、なんとなく、浮き浮きしていたんだ。いや、そりゃ貧乏なヤツも多かったんだぞ。スマホもパソコンもない時代だ。今の方がよっぽど物質的には恵まれているよ。俺の友達も、貧乏なヤツ多かったけど、将来は出世して、家買って、高級車持って、綺麗な嫁さん貰って、ハワイに新婚旅行だ。なんてほざいてな。そういう漠然とした空気感の中で『成りあがり』を片手に上京していったもんだよ」
「成りあがりって?」
「永ちゃん。矢沢永吉の本だ。貧乏時代の広島から上京して、ビッグスターに成りあがるまでの自伝だな。バカな俺達はみんな、永ちゃんに憧れ、夢を見せられ、自分もそうなるぞ。って、根拠なくワクワクしてたなぁ」
「根拠、ないじゃん」
「だから。それが、社会の気運なんだよ。景気もそうだぞ。景気はマインド。っていうだろ。気分なんだ。みんなの気分が世の中を明るくも暗くもするんだ」
「心が反映してるってこと?」
「おおそうだ。いい着眼点だ。気の持ちようってヤツだ」
「気持ちを明るくしても、相変わらず生活は厳しいよ。うちは・・・」
和也はそう言って、カレーをすくった。
恭一郎は言葉が出なくなった。
ブロッコリーにフォークを刺して口に運んだ。
「明日、もう帰るのか?」
「うん、高速バスのチケットとってあるから」
「高速バスか。飛行機じゃないのか?」
「飛行機は高いからね。バスは時間が掛かって大変だけど、レベチなんだ」
「レベチって?」
「安さのレベルが違う。ってこと」
「飛行機代くらい俺が持つぞ」
「無理しないで、今おじさんが厳しいのはわかってるから」
そう言って、和也はコップの水を飲み干した。
「それより、二次に進んだら、また泊めてもらっていい?」
「ああ、いいぞ」
「ありがとう。宿泊費が浮くだけでも大助かりだよ」
恭一郎は空になった和也の皿を引っ手繰るように、取った。
「もっと、カレー食え。こんなもんしか無くて悪いけどな」
立ち上がってキッチンに向かった。
「おじさん。体は大丈夫なの?」
「ああ、ちょっとこじらせたけど。落ち着いた」
「死んだ父さんも糖尿病だったから、心配だよ」
「ああ、心配かけて、すまん」
そう言いながら、恭一郎はカレー鍋に火を入れた。
甥っ子の大事な時に、大して役に立てない自分が情けなかった。
気がつくと、オタマを握る手に力が入り、思い詰めたように掻き回していた。
第3話 終




