第15話 崩れたミルフィーユ
和也は、バイトの給与明細を見て、深いため息をついた。
「ふううう・・・」
先月は、思ったほど稼げていない。
動画の撮影や編集で、バイトに入れない日が続いた。東京への面接にも出向いた。
そして――。
角島へ行った。
加恋と、香織と沙織を連れて。
山口県には角島大橋という、絶景ロケーションの観光地がある。
コバルトブルーとエメラルドグリーンに輝く海を、一直線に走る大きな橋が角島大橋だ。その景色は、ここは沖縄か、パラオか。と見紛うほどに美しい。
ある時、まだ編集に没頭している頃だった。
パソコンのマウスを操作していると、香織と沙織がやってきて、
「にいちゃん。角島連れてって」
「角島行きたい。夏休みだもん」
と、纏わりついてきた。
「ダメだ。にいちゃんは忙しい」
と断固断った。つもりだった。
すると、香織が、
「加恋ちゃんも行きたいって言ってたよ」
「行ったことないんだって。加恋ちゃん。角島に」
沙織も続いた。
――ん?
和也の手が止まった。
そうなると話は別だ。妹二人が、日頃お世話になっている加恋。何より、いま創っている動画は、加恋の協力がなければ出来ていない。大恩人だ。
というより、加恋と一緒に見るコバルトブルーの海は、さぞかし綺麗だろうなぁ。
「もう、しょうがないな。お前たちは」
と、ブツブツ言いながら、承諾した。
角島大橋は車で走らないと意味がない。
綺麗な海の上を真っすぐに走り抜ける、あの爽快感を味わわないと意味がないのである。結局、レンタカーを借りた。
「うわ。凄い! 本当に綺麗な海! 写真とはまた違うわ」
加恋が窓に張り付くようにして言った。
「ね。まさにコバルトブルーとエメラルドグリーンに輝いているでしょ」
和也がハンドルを握ったまま答えた。
「あの白い波も素敵! カズ君、ここで映画撮れるようになったらいいね」
「おお、そう来たか。それは、それは、デッカイ夢が出来ちゃったなぁ」
和也も嬉しそうに、返した。
角島大橋を渡ると、その先に角島大浜海水浴場がある。
コバルトブルーの海に白い砂浜。妹たちは大はしゃぎで遊んでいた。
夜は、旅館で一泊して、四人で美味しい料理を囲んだ。
次の日は、帰りがてら、秋吉台サファリパークに立ち寄った。
今年出来た新施設『ねこ村』に、是非行きたい。と妹たちが言い張った。
なんてことはない。ネコがいるだけだぞ。と言っても治まる二人ではなかった。
ねこ村に着いた香織と沙織は、
「とっぴんぱらりの、にゃあ!」
と言って、ネコと遊んでいた。
今思えば、完全にやり過ぎだった。
レンタカー代。
ガソリン代。
旅館代。
食事代。
結構な額が飛んでいった。
加恋には、「大丈夫なの? こんなに使って」と心配された。
当然だ。和也だって分かっている。
でも、あのときは、
「こういうときにこそ、バイト代を貯金してあるんだから。大船に乗ったつもりでいていいよ」
と胸を叩いた。
加恋が「少し、私も持とうか」と気を使ってきたが、とんでもない。日頃の恩返しのためにと思ってきたのだ。それに、綺麗な海に感動し、美味しい料理にご満悦だった加恋と妹たち。目の前で、ネコと楽しそうにじゃれ合う三人の姿を見ていると、不思議なくらいに幸せだった。金を使ったことなど、どうでもよかった。
だが、今は違った。
給与明細を見れば、現実が数字になって突きつけられる。
「・・・やっぱり、やり過ぎたよな」
和也は明細をもう一度見た。
ヤバい。ヤバいぞ。家の家計も支えなきゃいけない。
もしかしたら――。
自分の金銭感覚が、少し狂ってきているのではないだろうか。
「はあああ」
と大きくため息をつき、和也は、バイトの休憩室で思わず机に突っ伏した。
ポンポン。と肩を叩かれた。
身体を起こすと、倉本が立っていた。休憩室には自分一人しかいないと思っていたが、いつも間にか、倉本も休憩に入っていた。
「スガ。お前が悩む気持ちもわかる」
「え?」
和也はキョトンとした。倉本が続ける。
「だが俺は、お前に、東京を諦めて欲しくはない」
――そのことか。
クラは、内定通知を貰って、それほど喜んでいない和也のことを心配してくれている。いや、正直、内定は嬉しい。本当に嬉しい。だが、加恋を置いて東京へ出て行くことの、もどかしさからは逃れられないでいた。
「昨日、ゲットのホームページを見た。すげえ会社じゃないか。芸能人とか。スポーツ選手とか、あんなにいっぱいCMを創って。お前、あそこに受かったんだぞ。滅多にないチャンスだろ」
倉本がたたみ掛ける。
「俺は、昔から、お前の夢を聞いてきた。ついに、掴んだんだ。お前は」
その通りだ。掴んだとは言い過ぎだが、夢の第一歩には間違いない。
「はああああ」
和也はまたしても、突っ伏した。
「そりゃ、俺だって、寂しいよ。本当は、俺達4人で、ご飯に行ったり、遊びに行ったり、日頃から楽しくやりたいさ」
倉本の言葉に、和也はむくっと起き上がり、うんうん。と頷いた。
「でも、そのために、お前が夢を諦めた。となれば、俺やミポリンはもとより、西沢んさんが一番、引け目に思うだろ。な、そうだろ」
「はあああああ」
和也は、またしても、机に突っ伏した。
「お前は東京に行け。西沢さんは、俺とミポリンが、ご飯に誘ったり、遊びに連れて行ったりして、なんとか、やってみる」
和也は、むくっと起き上がった。そうしてくれるか。という目を向けた。
「だが、完全には、お前のいない寂しさを埋めることは出来ないだろうな。変に、俺とミポリンの仲が、嫌味にならなければいいが・・・」
「はああああああ」
和也は、またしても、机に突っ伏した。
段々、ため息が深くなる。
「はあああ。俺もわかんないよ~」
と、倉本も、ついには一緒になって、頭を抱えて突っ伏した。
* * *
「お待たせしました。ミルフィーユです」
店員さんがテーブルに二つ並べて置いてくれた。
「さあさあ、来たよ加恋。食べよ」
「うん」
美穂が、声を掛けると、加恋は上の空で返事をした。
そして、無造作に上からミルフィーユにナイフを入れた。ミルフィーユが崩れて中のクリームがはみ出した。お皿の上で無残な姿になった。
「ああ、いい。いい。こっちのと、取り換えてあげる」
そう言って、美穂が自分のと加恋のを、交換した。
美穂と加恋は、前々から、一度食べてみたいと言っていた、ミルフィーユの有名な喫茶店に来ていた。サクサクのパイ生地にクリームが二段重ねになっている代物だ。但し、食べ方が難しい。無造作にナイフを入れると、パイ生地はうまく切れない。横に一度倒して側面からナイフを入れるのがコツだ。
食べ方のコツなどは、二人して事前に調査ずみである。こういうことには抜け目のない二人だ。ところが、加恋はすっかり忘れている。
交換されたミルフィーユに、もう一度、上からにナイフを入れようとした。
「加恋。ダメよ」
美穂が止めた。
「同じ過ちを繰り返さないで。もういい。私がやってあげるから」
そう言って、美穂が加恋のナイフとフォークを取り上げて、ミルフィーユを倒して、静かにナイフを入れた。
「ああ、ありがとう」
加恋がそれを見て、ポツリと言う。
美穂が、丁寧にナイフを入れながら、チラッと加恋を見て、聞いた。
「大丈夫?」
――ん?
と、一度首を傾げる加恋。一拍おいて、
「なにが?」
と返した。少し目が映ろである。
「ううん。なんでもない」
美穂は、あえて、それ以上は聞かない。
「大丈夫よ」
加恋が、今さら返してきた。
「うん。そうよ。大丈夫よ」
そう言いながら、美穂はナイフでミルフィーユのパイ生地を切り揃えた。
* * *
陽子が家でシナリオを書いていると、スマホが鳴った。
森下翔一。と画面に出た。
「もしもし。森下君。お久しぶり」
「お久しぶり。陽子ちゃん、ちょっと聞きたいことがあって。菅原さんって今、どうしてるか知ってる?」
森下が唐突に聞いてきた。
「知ってるもなにも、最近、偶然再会して、いろいろ交流してるけど」
「あ、そう。実はね・・・」
森下と陽子は、約20年前、恭一郎が自主制作映画を撮ったときに、同じスタッフとして、労苦をともにした仲だ。云わば、戦友みたいなものである。
陽子は、シナリオセンターの同期として、恭一郎を手伝った。
森下は、バイト先の先輩に誘われて参加した。
森下は、その頃、20代の半ば。さして目標もなく、生きがいもなく、アルバイトをして、日々の生活を営んでいた。
そこへ、バイト先の先輩の岸川が、映画の撮影のスタッフをやらないか。と誘ってくれた。ボランティアなので、ギャラは出ないが、毎日弁当が出るので、食べるのには困らない。と言ってくれた。面白そうなので、参加した。
その、岸川が制作業務を仕切っていた。森下は、岸川について制作助手についた。
映画の撮影は、森下にとって刺激的だった。
とにかくトラブルだらけだった。
苦労して、当日の撮影をセッティングする。まんまと、雨に降られて急に撮影自体が出来なくなる。バラシだ。
役者さんとスタッフさんのスケジュールを確認して、後日の撮影日をセッティングし直す。皆さん、仕事ではなくボランティアで参加しているから、仕事優先の人もいる。なかなか揃わない。
岸川は、恭一郎と昔から舞台や映画を一緒に創ってきた仲間なので、こういうことに慣れている。平然とした顔で、スケジュールを組みなおしていた。役者としても出演しながら、制作もこなす岸川に、バイト先では見ない、逞しさと畏敬の念を、森下は感じた。
そして、なんと言っても、恭一郎の監督として現場を仕切るやり方に感化された。恭一郎の、役者の懐に入り込むような演出法が、見ていて面白かった。
さらにその演出で、どんどん役者さんの芝居が変わっていくのが、また、面白かった。こうやって、映画が出来上がっていくのか。と興味が尽きなかった。
森下は、その経験がキッカケで、この業界に飛び込んだ。
とある制作会社から独立して新会社を立てる。という林田と速水と意気投合して、立ち上げに参加した。それが現在の、(株)ゲットである。
恭一郎の甥、和也の面接を終えたあと、森下は、なんとか恭一郎に連絡をとれないかと、探した。岸川に聞くと、桐野陽子の名前が挙がったので、電話を掛けてきた。ということだ。
とは言え、CM制作会社とシナリオライターにはほとんど仕事の繋がりはない。CMにはCMプランナーがいて、企画を立ち上げる。
陽子と森下は仕事上で、共にすることはなかったが、それでも昔はよく、当時の制作スタッフ達で飲み会などを開いて、業界情報を共有するなどしていた。
森下から連絡を受けたのは、何年ぶりだろう?と陽子は思った。
森下の会社が業界で頭角を現して、グングン伸びていく姿は見ていて、嬉しかった。昔の戦友が頑張っている。自分の励みにもなっていた。
森下から、恭一郎の甥、和也のことを聞いた陽子は、驚いた。
「なんとも偶然ね。そんなことがあったの?」
そう言えば、恭一郎から、甥っ子が只今就活中。だと聞いていた。
でも、まさか、森下の会社だとは。狭い業界なのか、なんかの縁なのか、不思議な感覚に陥った。
「僕も驚いたよ。まさか、あの菅原さんの甥っ子さんだとは。山口出身と聞いて、ピンときた」
「山口じゃなくても、菅原って名前は多いでしょ」
「面接で、その子の話を聞いていたら、菅原さんのことを思い出した。僕があの当時、菅原さんの話を聞いて、感心していたことと、同じようなことを、言い出すんだ。もしかして。と思って、出身を聞いたら、山口だったんだよ」
「なんか、後継者現る。って感じじゃない」
「案外そうかもしれない。あの子には、同じ血が流れているよ」
「で、当の菅原さんだけど・・・」
陽子は、恭一郎の現状を話した。
病気をこじらせたが、今、懸命にリハビリを兼ねて働きはじめ、回復の兆しが見えてきた。ただ、生活には困窮しているみたいだ。なんとか、自分の仕事との繋がりが出来ないか探ってみたが、本人は、「自分はもう、オワコンだ」と言って、断られた。陽子自身も、少し寂しい思いをしている。と。
「そっか。それなら尚更、僕も会って菅原さんと話がしたい。会えるかな?」
森下がそう言ってきたので、陽子は「大丈夫よ」と返した。
「ところで、その甥っ子さん。森下君のところで、採るの?」
「うん。彼は、磨けば光るダイヤの原石だと、今、会社では評判だよ」
「そう。それは良かったわ」
陽子は、少しだけ安堵して、頬が上気した。
* * *
恭一郎は、空拭きで綺麗に車を仕上げた後に、ペットボトルの麦茶をガブのみした。汗が際限なく滴り落ちる。
「菅原さん」
と声を掛けられて、振り向くと、陽子が立っていた。
「陽子ちゃん・・・」
隣に、もう一人男性がいた。
「菅原さん、覚えてる? 森下君よ。ほら、映画を手伝ってくれた」
「お久しぶりです」
と、森下は頭を下げた。
「おお、森下君。森下君じゃないか。久しぶり。なんか貫禄ついたな」
恭一郎は、森下と握手を交わして、その体格のいい肩を、パンパンと叩いた。
「いや~。嬉しいな。その節はお世話になって、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ」
森下は、恐縮していた。
「で、今日はどうしたの? 森下君は、今、何やってんの?」
恭一郎が、能天気にそう聞くと、森下が名刺を差し出した。
「今、こういうことをやってます」
恭一郎は、名刺を受け取って、驚いた。
「ゲット。・・・え?・・・あの、ゲット?」
「はい。先日、甥っ子さんの面接をさせて頂きました」
恭一郎がもう一度、名刺に目を落とすと、肩書に取締役とある。
「和也が・・・お世話になって・・・」
恭一郎は、もう一度、森下の手をとった。今度は両手でしっかりと握って、握手をした。
「森下君。和也を採用して頂けないか。あいつは、見込みがある。才能がある。身内贔屓で言ってるんじゃない。いいものを持っている。是非とも、あいつを伸ばしてやって欲しい。お願いします。お願いします」
今度は、深く頭を下げた。
「安心してください。うちは、和也君を採りたいと思っています。先日の面接で、役員全員が一致しました。ぜひ、一緒に仕事をしたい。と。今日中には本人に、内定通知が届いてるはずです」
森下も、握手された手に力を込めて、両手で握り直した。
「そうですか。ありがとう。ありがとうございます」
恭一郎は、さらに強く握り返して、手を震わせていた。
第15話 終




