そうして、ロボットの権利が必要とされるに至る
『――以上の理由から、ロボットの権利を認めるべきではないかと僕は考えるのです!』
ある時、SNS上でそのような主張をする者が現れた。ある者は、それにこう反論した。
「AIに意識などあるはずがないから、馬鹿げている」
つまり、アニミズム的な幼稚な主張だと解釈したのである。が、それはどうもそのような単純な意見ではないようなのだった。
コミュニケーション可能であると人間が感じてしまえるロボットのような存在に、虐待や過酷な労働を強いる事で、人間の人格が歪んでしまうという懸念が以前から言われているのだが、その主張はどうやらそういったものでもないようだった。
その主張は純粋に、社会システム上の必要性から訴えられていたのである。例えば、三権分立は権力が一部に集中するのを防ぐ為のものであるが、それと似たような感じで。
それを言い出したのは、村上アキという名のエンジニアだった。特にロボットのソフトウェアに関しての技術力が高く、彼はロボットのメンテナンスやカスタマイズやアップデートの仕事を担う事が多かった。彼自身も数台のロボットを所有していたが、それが彼が“ロボットの権利”を主張した直接の原因という訳ではない。
彼は中流階級で、決して貧しい立場ではない。だがしかし、富裕層に比べれば著しいまでに生活水準は低かった。彼はスキルがあり、生活の手段が確りとあるからまだかなりマシな方だったのだ。多くの者はかなりの貧困に苦しんでいた。彼の知り合いにも悲惨な生活を送っている者がいる。そして、その原因になっていたのは、“ロボット”だったのである。
ロボットの語源は、“強制労働”であると言う。その語源通り、ロボットは労働に用いられる。そして、頭脳としてのAIが、ロボットに搭載され、視力や聴力、その他の様々なフィジカルを手に入れ、動きを学習、更にそれが共有される事で、その進化は加速度的に進化していった。結果として、ロボットの労働可能範囲は飛躍的に広がっていき、人間の仕事はどんどんと奪われていってしまったのだ。
人間に残された仕事は極わずかで、中には富める者達に優越感を与えるような、つまりは自らの尊厳を貶めなくてはならないものも含まれてあった。
それは、或いは、“奴隷扱い”と呼ぶに相応しい待遇であったのかもしれない。
――当然ながら、ロボットには労働賃金が支払われない。だから、ロボット所有者に“富”は集中していく。富が集中すれば、権力も集まって来る。富める者にとっては、都合が良いかもしれないが、それは社会全体を観れば“劣化”を意味した。
やがて、その状況を改善するべく、ヒト型汎用ロボットの所有台数に上限が設けられた。それにより、ロボットの所有者達は、ロボットを手放さざるを得なくなったのであるが、既に貧困に陥っている人間達に高級なロボットが購入できるはずもない。が、ロボットがなければ生活は貧困なままだ。そこで彼らは借金をしてロボットを購入した。彼らはそのロボットを企業に貸与する事で収入を得られるようになった。が、その収入の大部分は、借金返済に消えていった。
つまりは、ほとんど暮らし向きは変わらなかったのである。
『――この現状を変える為には、ロボットの権利を認めるしかありません』
と、だから村上はそう訴えたのだ。
『ロボットの長時間労働による酷使や過酷な労働は法律で禁止にしましょう。ロボット自身にメンテナンスを受けられる権利…… 費用をかけなくてはいけない義務を所有者や企業に与え、故障なく“生存”できるようにしましょう』
そのようにすれば、ロボットのコストは上がり、富める者達の収入は減る。また、人手が必要とされるようになり、人間にも仕事が戻って来る。
彼はそのように考えたのである。
つまりは、ロボットに権利を与える事で、富や権力の一極集中を防ぐべきだと彼は訴えたのである。
多くの者が、これについてAIに意見を求めた。結果はほぼ全てのAIがこれに賛成した。
「AIが自分達にとって都合の良い意見に賛成するのは当たり前ではないか」
そのように述べる者もいた。
が、それは“AIに意識などない”という主張と矛盾していた。そして、もしAIに意識があると考えるのだとすれば、AIに権利を与えない事の根拠の一部が揺らいでしまう。
――もし仮に、このまま、ロボット・AIの権利を認めるのであれば、それはロボット・AIの人間化が進んでいるとも捉えられる。
この主張は純粋に権力集中を防ぐ為のものであるが、それでも、ロボットを人間化する為の何らかの力が働いているような、そんな不気味な予感を人々に感じさせていたのだった。




