ひとくち百合~夜のベランダで煙草を呑みながら~
目を醒ますとふわりと香る、私が普段吸っているのとは違う銘柄の匂い。十中八九彼女だろう、と思ってベランダに目を向ければ、案の定人影。
まったく、来ているのなら起こしてくれればいいのに。ベランダに出る。
「来てたんなら声くらいかけても罰は当たらないんじゃない?ベランダで喫煙させるために合鍵渡したわけじゃないんだけど?」
「わざわざ起こすのも悪いじゃないか。そして君と話す以外で私の趣味と言えば、もっぱら喫煙くらいなもの。むしろ当然の帰結だと思うのだがね?」
夜風にウルフカットの艶やかな黒髪を揺らす彼女――アカリは、そんな風に憎まれ口を叩いた。彼女の詭弁に付き合っていてはキリがないので、返事代わりに肩を竦めて溜息を一つ零す。たまには隣で煙草を呑むのも悪くないだろう。
「……ん。」
「おやまあ、また随分と愛らしい。火もつけず煙草を口に咥えて、一体どうしたんだい?」
「ん!」
「……分かったよ。君の煙草、タールが重たいから厭なんだけどねぇ。」
ビルの灯りでいやに明るい夜景を背に、煙草を咥えたままの端正な顔立ちがこちらに近づく。意外と睫毛長いじゃん、なんて、ベタ過ぎるか。
「ほら、じっとして。こういうとき、君、妙にせっかちだから。」
ジジ、と灰が落ちて、瞬きの間に2本の煙草の先が触れ合う。慣れない苦みがふわり。キャビンレッド、8mgロングが彼女の定番だ。
夜風に揺れる火を庇うように彼女が手を添えた。橙に照らされる、細く形の佳い指、きめ細かな白皙の柔肌。見慣れたその白魚のような手はいつもながら、奇麗だなと思う。
移る火種、刹那の沈黙。一足先に身を引く彼女。
「ご要望通り、火を差し上げたよ。感想は?」
「まあまあね。及第点といったところかしら。」
「それは光栄だ、お姫様。」
そう言って何事もなかったかのように煙を吐く彼女の横顔は、紫煙に霞んで朧月みたいに美しかった。
「ねぇ、私のタバコ、アカリの匂いがするんだけど。」
「自分からシガーキスをせがんでおいて、本当に我が儘だねぇ。
……気のせいじゃない?都会の夜の匂いだよ。」
「じゃあ夜にタバコ吸うたびにアカリのことを思い出す、ってこと?迷惑な話ね。」
「心外だな。喜ばれこそすれ、迷惑がられる筋合いなんてないだろう。」
見透かされているみたいで、ちょっぴり向かっ腹が立つ。未だに私のこと、名前で呼んでくれないクセに。
「名前で呼んでほしいのかい?それならそうと、もっと早く言えばいいのに。」
「サイアク。人の心、勝手に読まないでよ。」
「口に出していたのは君じゃないか。やれやれ、しょうがないねぇ。」
煙を浮かべる彼女が、ふとこちらに向き直る。暗くて分かりづらいけれど、珍しく赤面している。赤面するアカリなんて、出逢ってから初めてかもしれない。
「……サ、サヨ。」
ここで恥ずかしがるのはズルい。いつもは憎たらしいほど澄まし顔なのに。
「……いやはや、まったく。存外、気恥ずかしいものだね、はは。」
誤魔化すように零した煙が風に浮かんでこちらにやってくる。
相手の顔に、煙草の煙を吹きかける行為。
「今の、そういう意味だと捉えていいのかしら?」
「参ったな。君の……サヨの方を向いた都合上、結果的にそうなってしまっただけなのだけど。」
「……はぁ。とんだ朴念仁ね、敢えて口にしなくていいことだってあるでしょうに。
それで、どっちなの?」
「いいよ。……他の誰でもない、サヨなら。」
「アカリ、貴女って本当、罪な女ね。」
「よく言われるよ。」
面映ゆくていつもより深く吸い込んだピースの煙には、やっぱりアカリの匂いが混ざっていた。




