9.願いを叶えるために
(お兄様は、薬でもあり毒でもあるわ……)
恐怖が薄らいだ代わりに、心臓が高鳴ってしまった。
兄が退室し、ようやく落ち着いたシャルロットは再度ノートを眺めた。
そしてあることにはっと気づいた。
(そうだ!)
『聖なる乙女のラビリンス』では、とある指輪の存在が語られていた。
何でも願いが叶う指輪がある、と。
それはゲームには直接的には関係してこない。
ただ、王太子がヒロインに違う指輪を送る際、ちらりと話していたのだ。
王宮の地下洞窟には、何でも願いが叶う指輪が眠っているようなことを。
シャルロットはこくりと息をのむ。
(本当にあるのかしら?)
地下洞窟自体は、過去の回想で出てきた。
もし指輪もあるなら。
それを入手し、不幸な運命にならないように願えば救われる!
その指輪を見つけ出そう、とシャルロットは心に決めた。
数週間後、グラック公爵家でお茶会があり、家族で出席した。
シャルロットはできれば欠席したかった。
書物を読んで指輪について調べたかったし、グラック家の嫡男は攻略対象だからである。
だが、家に一人残ることもできず行くことになった。
お茶会の日は快晴だった。
眉目秀麗のレオンスは、すぐに令嬢たちに取り囲まれてしまった。
(お兄様は素敵だもの。モテるのはよくわかるわ)
近頃シャルロットは、家でも外でもレオンスと過ごしている。
将を射んと欲すればまず馬を射よ、と妹の自分に取り入ろうとする令嬢もいて、シャルロットは彼女たちを躱し、会場から離れて美しい庭園を見て歩いた。
今日は兄とは別行動だ。
いつも一緒にいると、さすがに令嬢たちに怨みを買いそうだから、別々に行動しようとレオンスに事前に言っておいたのだ。
人気者の兄を独り占めするわけにはいかない。
しかし隣にいないと少し寂しく思う。
するとベンチで誰かが本を読んでいるのが視界に入った。
シャルロットはその本に目を奪われてしまう。
世界の不思議な宝物を記してある図鑑だ。
(あれは希少本……!)
指輪のことを思い出してから、シャルロットは家にある本を読みふけっていた。
今のところ、地下洞窟の指輪について書かれている本は見つかっていなかった。
(あの本にひょっとすると載っているかも!)
気が急き、シャルロットはベンチの前まで行って、声を掛けた。
「あの」
本を読んでいたのは、自分と同じくらいの歳の少年だった。
「何か?」
シャルロットはその少年に、既視感を覚えた。
(ん? どこかで会ったことがある?)
ブルーアッシュの髪、藍色の瞳、整った鼻梁、口角の上がった唇をした美少年だ。
しかし本のことが気にかかっていたシャルロットは、考える前に口を開いた。
「そちらの本を、わたくしにも読ませていただけませんか?」
切羽詰まっているシャルロットに、少年は目を瞬いた。
「ええと……では一緒に読みます? この本は、先日手に入れたばかりで、ぼくもまだ読み終えていなくて」
「よろしいですか?」
「ええ、どうぞ」
シャルロットは彼の隣に座って、本を一緒に眺めた。
その本には古今東西の不思議な宝物の説明と絵が載っていた。シャルロットが知りたいのは、願いが叶う指輪のことであるのだが、ほかの品にも興味を覚えた。
説明はどこか皮肉が入っていて、独特の絵には味がある。
「おもしろい本ですわね」
夢中で読んでいると、横で少年が微笑んだ。
「ええ。一見、子供向けに書かれているようで、大人の空想力を刺激する本だと思います」
「こちらに載っているものは、実在するのでしょうか? それとも架空のものですの?」
少年はわずかに首を傾げる。
「中には実在するものもあるかもしれませんが、ほぼ架空のものでしょうね」
「まあ、そうですの」
断罪回避に役立つアイテムが幾つもでてきて、どれが実在のものだろうと真剣に悩みつつ、目を凝らしていると、少年はくすりと笑んだ。
「こういった本が好きなんですね」
「はい! 今とても興味をもっていて、家でも読みふけっていますの!」
「ぼくも好きですよ。気が合いますね」
シャルロットは陽が大分傾いたことに気づいた。そろそろお茶会が終わる。帰らなければならない。
「わたくし、そろそろ帰らなければ……。あの、こちらの本を読み終わったら、お貸しいただけないでしょうか?」
「はい。家の書庫には他にも同じ種類の本があります。よろしければこの屋敷にまたいらしてください」
「え……」
この屋敷?
彼も出席者とばかり思っていたが、この家の人間なのだろうか。
少年はにっこり笑う。
「申し遅れました。ぼくはユーグ・グラックです」




