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それいけ!我らブラックコーポレーション

作者: ぽん
掲載日:2025/12/04




自動ドアが鳴いて、僕は夢見た社会人生活へと最初の一歩を踏み出した。


新しいスーツはまだ肩にぎこちなく、靴底は光沢を残している。受付のプレートには堂々たる筆致で——ブラックコーポレーション。




出迎えたのは、やたら歯が白い先輩だった。肩章みたいな名札にはでかでかと「班長」。肩書きが名札のフォントよりも主張している。


開口一番、班長は晴れやかに宣言した。



「おはよう新人!我が社はギンギンのブラック企業だ!辞めるなら研修期間が終わる三ヶ月以内をオススメするぞ!もちろんその時は給料なんか出ない!……まあ、辞めなくても給料が出ないことはザラにあるがな!あっはっは!」




僕は「……え?」としか言えなかった。口の中に入れたはずの言葉は、すべて喉の手前でUターンした。




「では、新人の入社を歓迎して——社歌斉唱ッ!」




班長の号令で、フロアの椅子が一斉に引かれ、社員が直立する。誰かがピアニカを鳴らし、誰かがスネアを叩き、誰かが空気を読まずタンバリンを振った。拳が天へ突き上がる。








♪ 残業は愛だ 休日は敵だ


 眠気を捨てろ 血肉を捧げろ


 我らブラック! ブラックコーポレーション! ♪








「いや歌詞ぃぃ!?」




思わず声が出た。




「いいぞ新人!その声量だ!歌う時は腹から声を出せ!」




班長が僕の背中をどん、と叩く。




腹から出したら魂まで出そうだ。僕は渡された歌詞カードを裏返す。裏面には二番があった。読むのをやめた。








——こうして、僕の最悪最低な“社畜生活”が始まってしまったのだった……。




***










入社一時間後、僕は会議室に連行された。「新人歓迎会議だ」と班長。


長机を囲んで、見たことのない種類の真顔が八つ並ぶ。ホワイトボードの中央には太字で【議題】次回会議の開催日。




「……え、今日は何を?」




「次回会議の開催日だ!」




と班長は笑顔で答えた。


この人はずっと笑顔なのが逆に怖い。




「次回、ですか」




「うむ。今日の目的は“次”だ」




もう目的が未来に逃げた。




「では、まずは各自の翌週以降の空き状況を——」




その瞬間、隣で腕を組んでいた先輩が手を挙げた。




「僕、今月は会議で忙しいので会議の予定が立て込んでまして、会議のための会議が——」




「つまり空いてないということだな!」




班長が頷く。




「では次回の会議は——一旦保留!」




開始三分で到達する保留。何かの最速記録を樹立した気がした。




***








「では、次の議題に移る!」



班長がそう宣言すると、上座に座る人——面接の時に見た。社長だ——が、僕を見る。




「ここはフレッシュで斬新な意見が欲しい。新人君、何か意見はあるかな?」




「い、意見というか……そもそも、議題が“次回の会議”って、働く前に会議で会議の予定を……」




言い終わる前に社長が勢いよく手を叩いた。




「いい指摘だ!では新人、君が責任者だ!」




「え、えっ?」




「責任者権限で次回会議の日程を決めておいてくれ。今日中にな」




先輩が親指を立てる。




「出世早いな」




早い、というより、飛び級というか、これはワープだ。落とし穴に。




「安心しろ!」




と班長。




「うちでは発言=責任が基本だ。黙っていると“やる気がない”で責任になる」




責任から逃れるための選択肢が、どれも責任に通じている。迷路の壁が全部責任でできている。




***








「それから議事録は新人に任せよう。素早く一人前になる為に、タスクを任される経験が必要だ」




社長がさらりと言う。


「はい」と反射で返事が出た自分を、未来の僕がきっと恨む。もう分かる。絶対に恨むことになる。




数時間後、議事録の初稿を提出。すると班長が一行目で首を傾げた。




「おや、明朝体だな」




「はい。読みやすいかと」




「ゴシックがうちの伝統だぞ新人!」




フォントで伝統は築けるらしい。


先輩が身を乗り出す。




「余白も詰めよう。一行に魂が入りきっていない」




「魂に行間が関係するんですか?」




と僕が言うと、班長が頷いた。




「もちろんだ!そして最重要なのは根性だ!」




結局、僕は余白を0.5ミリ狭め、行間を0.2縮め、ページ番号の位置を右から左に、左から中央に、中央から右下に、そして元に戻した。




「いいぞ、だいぶ可読性が下がった」




と班長が満足げに言う。




「可読性を下げる目的は何ですか」




「真剣に読んだ者だけが理解できる」




宗教か。いや、これは宗教なんだろう。


概念が理解できない。


夕方、最終稿を出すと、班長は親指を立てた。




「完璧だ!では締切は一時間前だったことにする!」




「は?」




先輩がまた身を乗り出した。




「え!いいな!俺の時は三時間前だったんすけど!」




「今の時代、過剰なパワハラは不味いからな!」




「いや既にこれ過剰なパワハラですよね⁉︎」




「部長に最終チェックを任せると、六時間前だった事になるぞ!」




「守られてるなぁ。新人は羨ましいぜ!」




守るの定義が行方不明だ。


時間が過去に向かって走り出す音がした。たぶん、僕の心拍だ。




***








会議室を出る頃には、外はもうオレンジ色に傾いていた。




「いい滑り出しだな。次は実務だ」




と、班長が肩を組む。


実務。待ってたその言葉。ようやく仕事らしい仕事が——




「定時だ!タイムカードを切れ!」




班長の号令で、社員が整然と列を作る。ピッ、ピッ、と鳴るカードリーダー。


カードを戻した瞬間、社長が書類の束を各社員の机にどさっと乗せた。


班長は腕まくり。




「では、ここからが本番だ!」




「帰るんじゃないんですか⁉︎」




「帰ったことがある者だけが、帰れる」




班長は禅僧のように微笑む。


先輩が笑いながら肩をすくめた。




「俺なんか入社後三日連続で“ここからが本番”だったぞ」




***








夜九時。フロアの照明は半分に減光、でも人間の目はギンギン。僕の目の下はパンダ。




「新人、腹は減ってないか」




班長がそう言って、冷蔵庫を開ける。夢見たサンドイッチは無く、並んでいたのはエナドリと缶ビール。




「どっちだ」




「どっちもおかしいです」




「酒は燃料!仕事は肴!」




班長が開栓すると、先輩も続く。


いつの間にか社員全員が酒を手に取っていた。






「かんぱーい!」




いや乾杯と開票を間違えてる?僕の心の民主主義はすでに敗北した。




***








「新人、VLOOKUPは分かるか」




「分かります。酒飲みながらは分からないです」




先輩がゲラゲラ笑って背中を叩く




「大丈夫、慣れたら関数が踊って見えるぞ!」




「見えた時点で終わりです」




***








十時半。Excelのセルが正方形の盆踊り会場になってきた頃、班長が唐突に立ち上がった。




「社歌、二番!」




また拳が上がる。








♪ 締切は昨日 納期は明日


今日という日は 根性で伸びる♪








伸びちゃダメなものが伸び続けている。僕の常識の腱もブチブチいってた。




***








零時。




「タイムカード切った後に働くって、法律的にアウトでは」




「法律は愛。我々は家族だ!」




「じゃあ養育費ください」




「それは経費では落ちないのさ!」




家族の概念、壊れてる。




***







午前三時。


床に寝袋が敷かれる。引き出しからは膨張したカップ麺。コクの代わりに虚無が濃い。




「ここで寝ると腰が楽なんだ」




と先輩が床に寝転がる。




「布団の方が楽では」




「人は弱さに負ける!」




弱さに勝ってほしい場面もある。




***








朝方。シャッとブラインドが上がり、ビル街が灰色に滲む。


「おはよう」「おやすみ」「はじめまして」全部同時に成立する時間。


そこへ班長が腕を組む。




「新人、有給の取り方は知ってるか?」




「もちろん。申請して——」




「新人は妖精とか信じるタイプか?」




「え、何の話ですか?」




「有給は都市伝説だぞ!」




班長は笑いながら言った。有給は不可視系モンスターだった。




***








昼前。社長が颯爽と現れ、机の上に小さな紙袋を置いた。




「ボーナスだ!」




「え、今期もうですか」




「うむ。全員分ある」




紙袋の中、缶コーヒー一本。ラベルにマジックで「Thank you」。




「これは……福利厚生?」




「心の栄養さ!」




心の胃が荒れてる。




***








日が落ちると、再び酒は燃料の号令。


先輩は缶を掲げて武勇伝を始める。




「俺なんか先週、一週間会社に泊まったからな!もう立派な社畜だぜ!」




「それは普通だな。一年振りに家に帰ろうとして、家の場所が分からなくなって初めて社畜だ!」




普通の定義を再インストールしてほしい。


僕はノートに殴り書く。


《辞める。辞めたい。辞めよう。辞められない。社歌が怖い。Excelが踊る。班長は強い。》




それでも、笑いは出る。ツッコミは呼吸。息を止めたら死ぬ。だから喋る。




***








「新人。辞めたいと思ったら言え」




「今です」




「おめでとう!これで新人も一人前だ!」




「凄いぜ!期待の新人だな!」




パチパチと社員一同から拍手。何の認定式だよ。胸に「社畜」のタスキでも掛けるのか?


尚、拒否権はない模様。サイズはSでお願いします。




***








イベントという名の強制行軍、社員旅行。


バスに乗り込んだ瞬間、班長がマイクを握る。




「観光はない!移動中に議事録を詰める!到着後は絆を深める会議!夜は社歌二十五番までだ!」




「二十五番もあるんですか」




「安心しろ!サビは“我らブラック!”で共通だ」




何も安心できない。


作詞家が泣いてる。




***








夜。温泉の湯気の代わりに、会議室の熱気。乾杯、議事録、Excel、乾杯。


僕の中のなにかが、静かに音を立てて折れた。



「もう無理です」




ぽつりとこぼれた本音。自分の声が自分の耳に刺さって痛い。


班長は少しだけ優しい顔をした。




「大丈夫だ、新人。慣れたら戻れん」




優しさの仮面、怖すぎる。




***








ある日の会議中、会議室のドアが勢いよく開いた。


そこにいたのは一週間ぶりに出社した社長。


ネクタイが斜め、額には冷や汗。




「……すまん!」




全員の視線が吸い寄せられる。




「会社の金、夜の街とギャンブルで全部溶かした!」




静寂。聞こえる心拍音は僕の物なのか、それとも——。




「ブラックコーポレーション、本日をもって倒産だ!」




五秒の沈黙。次の一秒で爆発が起きた。




「やっぱりなーー!!」




班長が笑いながら立ち上がり、先輩が手を叩き、どこからともなくタンバリン。




「記念に社歌いくか!」




「やめろおおお!」




僕の制止は空を切り、拳が天に伸びる。








♪ 残業は愛だ 休日は敵だ



会社は消えた でも俺らは行く




我らブラック! ——転職サイトへ! ♪








即興二十五番。完成度高いのやめろ。




「じゃ、次のブラック探すか!」



班長がスマホを掲げ、先輩は鼻息を荒げる。


周りの社員もノリノリだ。



「おい!A社は残業代ゼロが文化だってよ!こことかウチに近いんじゃないか⁉︎」




「待てよ!B社もトイレ申請制らしいぞ!分かりやすくていいな!」




「C社は社歌が英語対応!俺らだったら簡単に溶け込めるぞ!」




「はっはっは!全部我がブラックコーポレーションと一緒じゃないか!」




そこ、押すとこじゃない。


笑うな班長。何で楽しそうなんだあんた。




***








「おい新人」




班長が笑って僕の肩を叩く。




「お前はもう立派な社畜だ。一緒に行くぞ。次の戦場へ」




気づいたら、僕は名刺入れを開いていた。輪の中、笑顔、名刺交換。


口角だけが勝手に上がる。心は床に置き忘れたまま。


ビルの外は、昨日までと同じ朝の色。違うのは、看板が外されて、風が少しだけ自由なこと。


班長が手を叩く。




「では、解散!各自、次のブラックで集合!」




「集合場所、地獄の三丁目ですか」




「いや、本社だ!」



本社、地獄にあったのか。納得だな。


みんなが笑って散っていく。僕も笑って、足を前に出す。


笑い声が風に混ざって飛んでいく。飛んでいけ。戻ってくるな。頼むから。








——こうして、僕は社畜仲間として認められ、次のブラックを探し始めた。


朱に交われば赤く染まるという諺がある通り、僕は真っ黒な闇に染められて、ブラックな社畜になったのだった。




そう、この物語はギンギンにブラックなバッドエンド——いや、ブラックエンドだ。




おしまい。

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