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夏休み、窓から見ていた名前も知らない君を看病したら、いつの間にか恋に落ちていた。

作者: Takayu

遠くから聞こえてきたサイレンの音が、

僕と君の、夏を始めました。

ひと夏のボーイミーツガールを描いた、読み切り作品です。

夏休みの昼下がり。

地獄の釜が開いたみたいに茹だるような暑さの中、俺は自室で机にかじりついていた。


「……無理。ギブ。白旗」


目の前に広げられた数学の宿題ノート。

そこに並ぶのは、もはや古代文明の壁画に描かれた謎の記号の羅列。

シャーペンを握りしめたまま、俺――瀧川(たきかわ) (ゆずる)は完全に思考停止に陥っていた。


夏休みも、もう後半戦。

だというのに、この分厚い宿題の冊子は、ラスボスのような威圧感を放ちながら俺の眼前にそびえ立っている。

クーラーの生ぬるい風が虚しく肌を撫でるだけ。


その、瞬間だった。


ウーーーーーー……。


遠くから、微かにサイレンの音が聞こえてきた。

最初は気にも留めなかった。

この辺りはそこそこ大きな道路も近いし、救急車や消防車の音は日常のBGMみたいなものだ。


だが、その音は途切れることなく、徐々にボリュームを増しながら、明らかにこちらへ近づいてきていた。


ウーーー! ウーーー! ウーーー!


やがて、それは耳をつんざくような激しい音に変わり、俺の胸の奥を妙にざわつかせた。

なんだ? 何か胸騒ぎがする。


いてもたってもいられず、俺は椅子から立ち上がって窓を開け放った。


ジリリリリジリジリ!! ミーン、ミーン、ワシャワシャワシャ!!


瞬間、蝉の大合唱団が、まとわりつくような熱気と共に部屋の中へなだれ込んでくる。

アスファルトが焼ける匂いと、むっとする草いきれ。

夏そのものが、物理攻撃を仕掛けてきたかのようだ。


視線を音のする方へ向けると、一台の救急車が、その鮮烈な赤い光を点滅させながら、ちょうど家の目の前にある線路の向こう側で停車するのが見えた。


「……え、向かいのマンション?」


見慣れた、少し古びた十階建てのマンション。

そのエントランスの真ん前だ。

俺は思わずベランダへ駆け出した。

手すりに身を乗り出すようにして見つめると、救急隊員たちが慌ただしくストレッチャーを運び込んでいるのが見える。


やがて、マンションの中から誰かが乗せられたストレッチャーが出てきた。


その姿を認めた瞬間、俺は息をのんだ。


長い、艶やかな黒髪が、白いシーツの上に零れるように広がっている。

年齢は、俺と同じくらいだろうか。

制服じゃないからハッキリとはしないが、その華奢なシルエットには見覚えがあった。


間違いない。あの子だ。


俺が勝手に、「向かいの子」と呼んでいる女の子。


彼女と俺の間には、一本の線路が横たわっている。

物理的な距離にして、わずか数十メートル。

けれど、その線路は俺たちの学区をきっちりと分け隔てていた。


だから、俺たちは小学校も中学校も違う。

話したことなんて、一度しかない。


それは、まだランドセルも背負っていなかった、ずっと昔のこと。

線路脇にある、ブランコと滑り台だけの小さな公園で、偶然一緒になった。

夕暮れの公園で、彼女はシャボン玉をそれは巧みに膨らせては、夕日にキラキラと輝く虹色の球体を空へ放っていた。

その無邪気な笑顔が、なぜか鮮明に記憶に残っている。


それ以来、言葉を交わすことはなかった。


けれど、俺の部屋の窓は、ちょうど彼女の住むマンションの、彼女の部屋があるであろう方角を向いていた。


だから、何度も見かけた。


ベランダで洗濯物を取り込む、少し気だるげな横顔。

お風呂上がりなのだろうか、濡れた髪をタオルで拭きながら、俺のいるこちら側とは違う景色を眺めている後ろ姿。

風に髪を揺らし、不意にこちらを向いたんじゃないかと心臓を跳ねさせたことも一度や二度じゃない。


もちろん、声をかけることも、手を振ることもない。そんな勇気、俺にあるはずもなかった。


俺にとって彼女は、ただ「向かいにいる子」という、名前も知らない、日常の風景の一部だった。


でも、何年も同じ風景を見ていれば、自然と情報が蓄積されていく。


(あ、今日は友達が来てるんだな)

(髪、結んでる。いつもと雰囲気違うな)

(なんか、ちょっと元気なさそう……?)


まるで、自分だけが知っている秘密のように。

俺の心の中では、彼女はいつの間にか、風景から特別な存在へと変わりつつあった。

勝手に親近感を覚えて、その姿を見かけるたびに、少しだけ胸がときめくようになっていた。


その子が、救急車に。


何があったんだ? 病気か? それとも、事故か?

悪い想像ばかりが頭の中をぐるぐると駆け巡る。

心臓がドクドクと嫌な音を立てて、握りしめたベランダの手すりが、汗でじっとりと濡れていた。



その日の夜。

夕食の並ぶテーブルについても、俺の頭は昼間の出来事でいっぱいだった。

テレビのバラエティ番組ががなり立てているが、その内容はまったく頭に入ってこない。


母さんが置いた団扇が、ぱたぱたと気だるい風を送る。


「そういえば、今日大変だったのよ」


不意に、母さんが口を開いた。


「会社の同僚の娘さんが、熱中症で倒れて、救急車で運ばれたんですって」


「へえ、そりゃあ大変だったな。この暑さだもんなぁ」


父さんが相槌を打つ。

俺は箸を止めた。

心臓が、昼間とは違う種類の、予感めいた音を立てて速くなる。

まさか、とは思うが。


「向かいのマンションに住んでる方なんだけどね。ご両親共働きで、運悪く今日は二人とも日帰りの出張が重なっちゃったみたいで……。一人の時に倒れちゃったのよ。発見が遅れなくて本当に良かったわ」


ビンゴだった。

頭を鈍器で殴られたような衝撃。

やっぱり、あの子だ。

熱中症……。

そうか、それで。


よかった、命に別状はなさそうだ。安堵の息を漏らした、その時。


「それでね、譲」


母さんが、にこりと人の良さそうな笑みを浮かべて、俺の方を向いた。

なんだか、ものすごく嫌な予感がする。


「少しの間なんだけど、あの子の看病を手伝ってほしいって頼まれちゃったの。あなた、お願いできる?」


「………………は?」


一瞬、何を言われたのか理解が追いつかず、俺は完全に固まった。

俺が? あの子を? 看病?


無理無理無理! レベル1の勇者がいきなり魔王に挑むようなもんだろ!

だって俺、あの子とまともに話したことすらないんだぞ!?

シャボン玉とか、もう前世の記憶レベルだろ!


「いや、無理だって! なんで俺が!」


慌てて抗議の声を上げるが、両親はそれが当然であるかのように話を続けている。

完全に俺の意見は無視だ。


「昔からのよしみだからな。困ったときはお互い様だ」と父が重々しく頷けば、「私も仕事があるから、ずっとは見てあげられないし。譲が話し相手になってあげてくれるだけで、あちらも安心すると思うのよ」と母が有無を言わせぬ笑顔で畳みかけてくる。


完全に外堀を埋められている。

俺に拒否権はなかった。


こうして、俺の夏休みは、宿題とは別の意味で、とんでもない方向に舵を切ることになったのだった。



翌日。

俺は、これまでの人生で感じたことがないほどの緊張感を胸に、ぎこちない足取りで線路を渡っていた。


カンカンカンカン……。


遮断機が下り、電車が轟音を立てて目の前を通過していく。

いつもは部屋の窓から隔てられていた世界。

向こう側とこちら側を分けていた、境界線。


それを今、俺は自らの足で越えようとしている。


目的のマンションは、見上げると思った以上に威圧感があった。

オートロックのエントランスを抜け、エレベーターで指定された階へ上がる。

心臓が口から飛び出しそうだ。


深呼吸を一つして、目的の部屋のインターホンを鳴らした。


ピンポーン。


やけに心もとない音が響く。

数秒の沈黙の後、スピーカーの奥から、少し掠れた、か細い声が聞こえた。


『……はい』


「あ、あのっ! 瀧川です! 母から、頼まれて……」


我ながら、不審者丸出しのしどろもどろな自己紹介だ。


『……どうぞ。鍵、開いてます』


ガチャリ、と内側から鍵の開く音がして、俺は恐る恐るドアノブに手をかけた。


「お、お邪魔します……」


部屋に通されると、ふわりと不思議な匂いがした。

消毒液のツンとした匂いと、女の子の部屋らしいフローラル系の甘い香りが混ざったような匂い。


通されたのは、日当たりの良い、清潔な部屋だった。

レースのカーテン越しに柔らかな光が差し込む中、ベッドの上で、彼女が上半身を起こしてこちらを見ていた。


長い髪は少しだけ汗で湿っているように見えた。

顔色はまだ少し青白いけれど、思ったよりは元気そうだ。


彼女は、俺の顔を見ると、ふわりと小さく笑った。


「久しぶり」


その一言で、俺の心臓は規格外の動きで大きく跳ね上がった。


「え、あ……えっと、俺のこと……覚えてる?」


「当たり前じゃん。小さい頃、あの公園で一緒にシャボン玉したでしょ」


いたずらっぽく彼女は笑う。

嘘だろ。

あんな一瞬の出来事を?

俺が一方的に覚えてるだけだと思ってたのに。


「それに――」


彼女は、部屋の窓の方にちらりと視線をやった。

その窓は、間違いなく俺の部屋の窓と向き合っている。


「窓から、ずっと見えてたよ。あなたのこと」


言葉を、失った。


頭が真っ白になる。

どういうことだ?

俺が、ただ遠くから彼女を風景の一部のように眺めていただけだったのに。

彼女もまた、俺を見ていたというのか。


向こう側にいるのは、風景なんかじゃなかった。

ちゃんと、俺と同じように意思を持って、こちら側を見ていた女の子だったんだ。


――自分だけが、一方的に知っているつもりでいただけだったのかもしれない。


その事実に気づいた瞬間、顔にブワッと熱が集まるのが分かった。

今まで、窓からどんな顔して見てたっけ……!?

変なことしてなかったか、俺!?


「た、瀧川譲だ! よろしく!」

混乱のあまり、俺はとんでもなく間の抜けた自己紹介をかましていた。

彼女は、そんな俺の様子がおかしかったのか、くすくすと楽しそうに笑う。


「知ってるよ、譲くん。私は、森園(もりぞの) 杏奈(あんな)。よろしくね」


森園杏奈。


その日、俺は初めて、彼女の名前を知った。



それから数日間、俺の夏休みは「森園杏奈の看病」という名の、心臓に悪いイベントで埋め尽くされた。

最初の二日ほどは、まだ熱が下がりきっていなかった杏奈のために、スポーツドリンクを運んだり、冷却シートを取り替えたりと、真面目に看病らしいことをしていた。


「譲くんって、意外と手際いいね」

「そうか? まあ、これくらいは……」


そんな短い会話を交わすだけでも、心臓はバクバクだった。


三日目の昼過ぎ。

杏奈の熱はすっかり平熱に戻り、顔色もずいぶん良くなっていた。

彼女はもうベッドから出て、リビングのソファに座って本を読んでいる。

俺はというと、母の「どうせ家でやらないんだから、杏奈ちゃんのところでやりなさい」という鶴の一声で、絶望的な量の宿題を持参させられていた。


リビングのローテーブルに、数学の問題集を広げる。……が、まるで進まない。


「うーん……さっぱり分からん……」


俺がシャーペンをカチカチと無意味に鳴らしながら唸っていると、読んでいた文庫本から顔を上げた杏奈が、くすくすと笑った。


「譲くん、さっきから全然シャーペン進んでないよ」

「うるさいな。これはな、脳内で高度な計算バトルを繰り広げている最中なんだよ。凡人には見えないだろうが」

「へえ、そうなんだ。じゃあ、その高度なバトルの結果、この問題の答えは?」


杏奈はソファから立ち上がると、俺のノートを覗き込み、ある問題を指さした。

もちろん、俺の解答欄は真っ白だ。


「……計算の、最終局面に差し掛かっている」

「ふふ、しょうがないなあ。どれ、ちょっと見せて」


杏奈はそう言うと、俺の隣にこてんと腰を下ろした。

当然、二人の距離がぐっと縮まる。シャンプーの甘くて爽やかな香りが、さっきよりも濃く鼻腔をくすぐった。


「えっと、この問題はね、まずこの公式を使って……」

彼女は俺の手からシャーペンをひょいと取り上げると、その白い指で、ノートの余白にさらさらと計算式を書き始めた。

俺は、そのあまりにスムーズなペン先にただただ見惚れる。

教え方も、学校の先生より何倍も分かりやすい。


「……で、ここに代入すると、答えはこうなる。どう? 分かった?」


「……天才かよ」

「そんなことないよ。ちゃんと授業聞いてれば分かるって」


近い。

肩が触れ合いそうな距離だ。

彼女の体温が、じかに伝わってくるようだ。

心臓がうるさい。頼むから、この音、聞こえるなよ。


「じゃあ、この類題、やってみて」


杏奈はにこりと笑って、シャーペンを俺に返してきた。

教えられた通りに解いてみる。

さっきまで宇宙語にしか見えなかった数式が、嘘みたいに意味を持って動き出す。


「お、できた!」

「すごいじゃん! やればできるんだよ、譲くんは」


杏奈が「えらいえらい」とでも言うように、俺の頭をぽんぽんと優しく叩いた。

その、思いがけず柔らかい手つきに、俺の顔は沸騰したヤカンのように熱くなるのが分かった。


「な、ななな、なんだよ、急に!」

「ふふ、顔真っ赤。かわいい」

「か、かわっ……!?」


完全に、彼女のペースだ。

窓から見ていた、儚げで物静かなイメージはどこへやら。

意外と小悪魔的なところがあるのかもしれない。


でも、それが嫌じゃない。

むしろ、心臓がもたないくらいに、嬉しいと思ってしまう自分がいた。


その日から、俺が杏奈の家に行く目的は「看病」から「宿題を教えてもらう」に変わった。

二人でローテーブルに向かい、ああでもないこうでもないと言いながら問題を解く。

時々、杏奈が淹れてくれた冷たい麦茶を飲み、コンビニで買ってきたアイスを半分こする。


窓から見ていた時には分からなかった、細かな表情の変化。

難しい問題に悩む時に、少し唇を尖らせる癖。

俺が凡ミスをした時に、「もー」と言いながら、本当に楽しそうに笑うこと。


その一つ一つを知るたびに、俺の中で「向かいの子」という存在が、どんどん「森園杏奈」という、たった一人の特別な女の子に上書きされていった。



その日の帰り道。

杏奈の家からの帰り、俺は一人、線路沿いの道をゆっくりと歩いていた。


夕暮れの空が、オレンジと紫のグラデーションに染まっている。

カンカンカン、と遮断機の音が鳴り、電車が轟音と共に走り去っていく。


今日の出来事を、頭の中で反芻する。


隣に座った時の、杏奈の匂い。

「ここ、違うよ」とノートを指さした、細くて白い指。

俺が問題を解けた時に、自分のことのように喜んでくれた笑顔。

頭を撫でてくれた、手のひらの柔らかい感触。


一つ一つを思い出すだけで、胸の奥がきゅっと締め付けられるように甘く痛む。


いつからだろう。


最初は、ただの「風景」だった。

名前も知らない、線路の向こう側にいる女の子。

俺が勝手に物語を想像して、勝手に親近感を覚えていただけの、遠い存在。


救急車で運ばれたと知った時は、ただ心配だった。

看病を頼まれた時は、話したこともないのにどうしようかと、途方に暮れた。


でも、今は違う。


明日、また会えるのが待ち遠しい。

彼女の笑った顔が、もっと見たい。

彼女の声が、もっと聞きたい。

俺が知らなかった彼女のことを、もっともっと知りたい。


窓越しに見ていた彼女は、俺の世界の「一部」だった。

でも、今、俺の隣で笑う彼女は、俺の世界の「全部」になりかけている。


これは、もう、ただの親近感とか、そういうんじゃない。


俺は、森園杏奈のことが――好きなんだ。


はっきりと、その感情を自覚した。

認めてしまえば、もう止められない。

心臓が、今までで一番大きく、そして確かなリズムで鼓動を打っていた。


この気持ちを、どうすればいい?

夏休みは、もうすぐ終わってしまう。

この特別な毎日が、終わってしまう前に。


俺は、ぎゅっと拳を握りしめた。



そして、夏休みの終わりがすぐそこまで近づいた頃。

俺の宿題も、杏奈先生のスパルタ指導のおかげで、なんとか終わりが見えてきた。

当初は「看病」だったはずの俺がこの家を訪れる理由も、いつしか「宿題」に変わり、その口実ももうすぐ終わりを告げようとしていた。


その日の夕方、俺たちは最後の宿題を終え、二人で彼女の部屋のベランダに出て、沈みかけた夕日を眺めていた。

オレンジ色の光が、街全体を優しく包み込んでいる。

線路がキラキラと光を反射していた。


「……もう、すっかり元気になったな」

「うん。本当に、ありがとう。譲くんが毎日来てくれたおかげだよ」

「いや、俺は別に……宿題やりに来てただけみたいなもんだし」


照れくさくて、素直に返せない。

しばらく、二人で黙って夕日を眺めていた。心地よい風が、俺たちの間を吹き抜けていく。


不意に、杏奈がぽつりと呟いた。


「また、窓越しに……見るだけの日々に、戻るのかな」


それは、風にかき消されてしまいそうな、本当に小さな呟きだった。

でも、その声に含まれた一抹の寂しさを、俺は確かに感じ取った。


そうだ。

彼女が元気になり、俺の宿題も終われば、俺がこの線路を渡って、彼女の部屋に来る理由はなくなる。

また、元の、ただ窓からお互いを眺めるだけの関係に戻ってしまう。


それは、嫌だ。

絶対に、嫌だ。

もう、あの頃には戻れない。


俺は迷わず、杏奈の方を真っ直ぐに向き直った。

彼女は驚いたように、大きな瞳で俺を見つめ返してくる。


「いや、戻らない」


俺は、はっきりと告げた。

数日前に自覚した、この熱い気持ちを、今こそ伝えるんだ。


「もう、線路を渡るのにも慣れたから。それに、看病とか、宿題とか、そんな言い訳がなくても、俺、杏奈に会いたい」


自分の口から、こんなストレートな言葉が出てくるなんて、自分でも驚いた。

でも、これが今の俺の、偽らざる本心だった。


「だから、これからも、会いに来ていいか? 俺は、もっと杏奈のこと、知りたい。……好き、だから」


言ってしまった。

最後の方は、ほとんど勢いだった。

杏奈は一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったように目を丸くした後、その表情が、ゆっくりと、ゆっくりと、花が綻ぶように変わっていった。


そして、ふわりと微笑んだ。


その笑顔は、今まで窓越しに見てきたどんな表情よりも、ずっとずっと近くて、温かくて、俺の心臓を鷲掴みにした。


ちょうどその時だった。


ゴオオオオオオオオオッ!!


けたたましい轟音を立てて、電車が俺たちの間を通り過ぎていく。

景色がぐらりと揺れ、ベランダが微かに振動した。


杏奈が何かを言った。でも、その声は電車の音に掻き消されて、ほとんど聞こえない。


「―――です」


「え、なんて?」


俺が聞き返すと、電車が通り過ぎ、世界に静寂が戻る。

彼女は、頬を夕日と同じくらい赤く染めて、少し俯きながら、でもはっきりと、もう一度言ってくれた。


「私も、譲くんのことが好き……です。だから、待ってる。いつでも、会いに来て」


その言葉が、俺の心に真っ直ぐ届いた。

全身の血が沸騰するみたいに熱くなる。


俺は、たまらなくなって、彼女の右手を、そっと握った。

彼女はびくりと肩を震わせたけど、その手を振り払うことはなく、むしろ、おずおずと、小さな力で握り返してくれた。


「約束、だからな」

「……うん」


照れたように笑うその顔だけが、俺の網膜に鮮やかに焼き付いていた。


向こう側にいると思っていた君は、最初から俺を見つけてくれていた。

一本の線路で分かたれていた僕らの世界が、ようやく一つになったこの夏を、きっと一生、忘れない。


夏休みは、もうすぐ終わる。

だけど、俺と杏奈の物語は、間違いなく、今ここから始まるんだ。

Hello 你好 こんにちは!Takayuです。


最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!

「線路の向こうとこちら側」という、すぐそこなのに遠い距離感で始まる、夏のボーイミーツガールを書いてみたいなと思い、この物語は生まれました。

不器用な譲くんと、少しお茶目な杏奈ちゃんの、ぎこちない恋の始まりを楽しんでいただけていたら嬉しいです。


そして!

もしこの作品を少しでも「良いな」と思っていただけましたら、私が毎日午後9時に更新している、もう一つの物語もぜひ覗いてみていただけると、飛び上がって喜びます!

タイトルは『面倒見のいい幼馴染が今日も僕を叱る』です。

今回の読み切りとはまた違った、「ゼロ距離」から始まる幼馴染との、賑やかで甘酸っぱい日常を描いています。こちらも楽しんでいただけること間違いなしです!

最後に、ブックマークや評価、感想などいただけると、今後の創作の本当に大きな励みになります!


それでは、また後で。See you later!

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