死刑囚 轟 京也 ③
魂の奥底に存在しているモノ。
幼い頃、ソレを視た。
勿論、そんな話をしても誰も信じてはくれなかったし、その様な事件があったと云う事も聞いてはいない。だとすれば僕が視たのは幻想、幻覚の様なモノだったのだろうか?違う。違う筈だ。僕が視たのは現実での出来事だ。この自身の眼が捉えた現実世界での光景だ。幻想、幻覚等では断じて無い。二十六になった現在でも、この五感が記憶しているのだから。
この年齢になる迄に解った事があった。恐らく僕が視たのは【桃源郷】であろう事。そして…あの桃の木が【人面樹】であろう事だった。
【桃源郷】とは古代中国の詩人、陶淵明が【桃花源記】に描いた場所。その物語に依れば漁師が偶然に辿り着いた平和で豊かな、桃の花に囲まれた隠れ里である。そして桃源郷には再訪する事が不可能なのだそうだ。何故なら、【桃源郷】は既に人々の心の中の存在であり、既に知っている存在でもある。つまり、地上の何処かに存在しているのではなく、魂の奥底に存在しているモノになる。要は認識してしまうと【桃源郷】を心の外に求める事になり、探せば探す程に到達が出来なくなる場所と云う事になるのだろう。
そして…。
【人面樹】中国の三才図会に記載されている。此の木は人の顔の様な花を付け、問い掛けると花は笑顔になる。然し、人語を解する事無く、余りに笑うと花が萎んで落ちてしまうとの事である。
そして…。
桃の匂い。その匂いは、ラクトンと云う成分なのだそうだ。ラクトンの一種であるγ(ガンマ)-デカラクトン。それは…若い女性特有の「甘い匂い」の成分の一つでもある。濃度は10代後半をピークに減少していくらしい…。
桃の匂いのする女性について調べていくと、中国に桃娘と云う伝承があった。桃だけを食べて育てられた少女で、肉体から甘美的な桃の香りが漂い、体液には不老不死の効果があると信じられいたのだそうだ…。
もしかしたら…。
僕は桃源郷に迷い込んでしまい人面樹に遭遇した可能性も考えられる。そして…人面樹の実は桃の匂いが漂う桃娘だった。
解ってはいる。こんなのは後付けの空想だ。妄想を膨らませただけの物語だ…。
でも…。そう考えた方が、あの時に視た光景を自分なりに解釈出来ると…。そう思っただけだ。
でも何方だろう?
僕が視たソレは事実だったのか…。
それとも事実では無かったのか…。
狂っているのは…。
此の世界だったのか…。
それとも僕だったのか…。




