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3◆聖域を出る?

 ◆聖域を出る



 ── 森は静まり返っていた。


 かつて銀色の天竜デュークロードが守り、デューク天龍国の聖域として崇められていた地は、今は焼け跡の記憶だけが残る。いまだ灰の匂いが風に乗り、焦げた木々が空へと無言の枝を伸ばす中、静寂と失った何か大切なモノを慰めるかのように、優しい雨が降り注いでいるだけだった ──






 ── そんな外界と隔絶された聖域で、1人の幼い少女が目を覚ました。


 デュリサ・デューク。3歳の身体に、二つの人生が宿っていた。


「……ふう」


 彼女はゆっくりと起き上がり、小さな手のひらを広げて見つめた。透き通るような肌、細い指。


 前前世の記憶 ―― 銀野司という名の、日本に住む成人女性だった頃の記憶に、更に聖女として精霊になった時の記憶 ―― と、この幼い身体の感覚がまだ完全には同期していない。


 最も、2度目の精霊聖女の記憶については、銀野司の人生の延長に近いような感覚なので、前世の記憶と言っても差し支えないが。


 融合のショックについては、実は少なからず大きかったようだ。


 瀕死の彼女を救うため、銀の天龍デュークロードは自らの身体を消滅させ、魂を分け与えた。しかしその代償は、彼女の中に二つの記憶が存在するようになるという、奇妙な状態を生み出す結果になっていたのだ。


 《目覚めたか》


 頭の中に、深く響く声が聞こえた。どうやらこれが、銀の天竜だったデュークロードとかいう者の声のようだな。優しくて、しかしどこか寂しげな響きにも感じる。


「う~ん? なんだろうなあ。何だかちょっと……いろいろ思い出しちゃったみたい」


 デュリサは小さく呟いた。


 周囲を見渡す。


 聖域の中心にある泉は、相変わらず清らかな水をたたえ、彼女を完全に癒し切るために包み込んでいた光の繭の名残だった箇所は、微かに輝いている。傷は完全に癒え切ったようだ。銀龍の力が、彼女の命を繋ぎ止めてくれたのだ。


 前世の記憶は、少しずつ整理されていく。


 銀野司。ロシア人とのクオーターで、日本で平凡な ―― とは言え、そこそこ波乱に富んだ ―― 人生を送っていた女性。そして今、この異世界で、滅ぼされた小王国の末姫と融合した銀色の天龍との、新たな存在として目覚めた。


「過ぎたことを悔やんでも仕方ないか」


 彼女は立ち上がると、銀色に輝く長い髪を揺らした。


 かつてデュリサ王女が持っていた白金の髪は、融合の影響で完全な銀髪に変化していた。むしろ、前世の銀野司の姿に近い。鏡のような泉の水面に映る自分の姿を見て、彼女は少し驚いた。


 《其方の内なる変化は、我も感じ取っている。3つの記憶が1つの精神の中に。不思議なことだ》


「私も戸惑ってるよ。でも……まあ、それもいいんじゃないかな?」


 デュリサはにっこり笑った。左右で色の違う瞳がきらりと光る。


「死にそうになったのは二度目だしね。生きてるってだけで、もう大儲けじゃないか。だから、くよくよ悔やんで無駄な時間過ごすよりも、前向きにいくしかないだろう?」


 彼女は自分自身を分析し始めた。


 自分の精神と言うか頭の中に、確かにもう1つの別の存在を感じる。デュークロードの魂。彼もまた、この状況に戸惑っているようだった。


 それに加えて、前世の記憶と知識。本を読んだり映画を見たりしたような感覚で、必要な情報を引き出せる。格闘技、スポーツ、様々な技能 ―― 1度見た動きを瞬時に体現できる能力は、前世の経験とこの身体の潜在能力が組み合わさったものらしい。


 そして、もう1つ。


 デュークロードが融合時に言っていた、森羅万象が彼女に力を貸すこと。木々の囁き、風の歌、大地の鼓動 ―― 全てが彼女の1部であるかのように感じられた。精霊たちの声も、念話と同じように聞こえる。


「毒も効かなくなったみたいだし……前世よりずっと、色々なことが変わっちゃったみたいだなあ」


 彼女は小さなため息をついた。


「でも、これが今の私なんだよね。デュリサ・デューク。銀野司の知識を持つ、でもやっぱり私は、あくまでもデュリサのままだ。うん。それは間違いない」


 《そう宣言できる其方は、強い》


 デュークロードの声には、温かみが宿っていた。






 前世の記憶が完全に戻ってから、さらに何日かが過ぎた。


 聖域で過ごすうちに、司だった頃の記憶と知識を思い出してきたデュリサは、自分の能力を少しずつ理解し始めていた。


 興奮したり体温が変化すると、左半身に銀色の鱗のような模様が浮かび上がる。


 次に心を読む能力 ―― もともとは前世でも、接触した相手の表層的な思考を感じ取れる程度の能力はあったのだが。転生したせいなのか、融合したせいなのか、接触しなくても読めるようになったのだ。最も今の状況では、精霊たちや動物たちを相手に使うことしかできないので、実際に人間と出会ったら通じる能力なのかは不明だ。


 さらに未来予知能力も使えるようになったようだが、この能力についてはまだ曖昧で、断片的なイメージがちらつく程度だ。


 《それはそうだろう。大体未来予知なんて代物は元々不変ではなく、一番可能性の高い未来を予知しているだけに限らん》


「なるほど? つまり、それに携わる人の思考や選択肢によっても大きく変わるってことか……」


 《その通りだ。それに其方自身が関わらない事象ほど、意識して集中しないとさらに予知は不安定になろう。しかしお前自身の関わりが強いほど、予知は正確に現実的な事象となり易い。まさしく運命を司る巫女だな》


「あ~それね。何だか仰々しくて、恥ずかしいな。それに予知ができる者なら、自分じゃなくてもいいじゃん」


 《わはははは。謙虚だのう。末姫の時から、周囲に手柄を譲ったり、自分一人の力ではなく、皆がいたからと言う性格は同じで変わっておらぬな》


 そして【因果応報】という特殊なスキル。これは融合によって生まれた能力らしい。悪意を持って彼女に危害を加えようとした者には、同等かそれ以上の報いが自然と訪れる。逆に、善意は善意で返される。世界のバランスを司るような、不思議な能力のようだ。






 ある朝、デュリサは決意を口にした。


「デュークロード。あのさ、ここから出ようと思うんだ」


 《……国を滅ぼした者たちが、まだ近くにいるかもしれぬぞ?》


 デュークロードからは心配する感情と、警戒の色が濃かった。


 《其方はまだ幼い。危険すぎる》


 そう。デュークロードの言うように、見た目が幼くなっただけでなかった。感情は見た目の年齢に引っ張られるし、この世界のことは王女だったデュリサの経験があるとはいえ、デューク天龍国内を出たことはない。


 だから、結局この世界の常識的なことや知識が中途半端なことで、色々な意味での幼いことに間違いないのだ。


 ただ、デュークロードという自分の命と魂の半分と、現世の姿を失ってでも、デュリサ王女を救ってくれた人の良い銀色の天龍から、知識を教えてもらうことはできる。しかし融合したとは言え、デュリサとデュークロードの人格はあくまでも別々の存在のままだったから。 


「ん……でもね」


 デュリサは泉の縁に座り、足をばたばたさせながら言った。


「人のいない場所にずっといても、私が今どういう状況にいるのかわからないのが、実はとても不安なんだよ。それにね、この世界を見てみたいんだ。異世界って、どんなところなんだろうか?」


 《ここなら安全だ。危険もない。ずっとおればいい》


「それだけじゃダメなんだよ」


 彼女は首を振った。銀髪がきらめく。


「私はまだ人間としての精神の部分が大きいから。人恋しいっていうか……それに、デュリサの国がどうなったのか、確認したい気持ちもある。デュリサとしての想いが確かに私の中にあるから」


 少し間を置いて、彼女は続けた。


「もう気付いてるでしょ?  私が前世の記憶を思い出したってこと。別の人間に変わったみたいに見えるかもしれないけど、それはその影響なんだ」


 深い沈黙が流れた。






 風が木々の葉を揺らし、小鳥のさえずりが遠くから聞こえる。






 《……そうか》


 デュークロードの声は、どこか諦めを含んでいた。


 《其方の言う通り、そういうことが必要な時もあるやもしれぬ。我は其方と常にともにある。何かある時は、いつでも応えよう。それまでは静観する》


「あはは」


 デュリサは笑い声を上げた。


「興味深いことには、何も言わなくてもすぐに首を突っ込んでくるくせにね。でも、ありがとう」


 彼女は立ち上がり、小さな背中を伸ばした。


「さてと。じゃあさっそく。祖国がどうなったか見に行きますか。ああ、もちろん。人の気配がないか用心していくよ」


 《ならば、精霊たちに頼んで、隠蔽と結界魔法を使って行こう》


「おお~! まさしくチートだね。ありがとう、デュークロード」


 結界と隠蔽魔法が、デュリサの身体の範囲程度だが瞬時に張られたのを確認すると、デュリサは聖域の外へと歩き出した。





 *****






 先ずは、自分たちが瀕死状態に追いやられた焦げた痕の残る森に降り立った。


(融合して1度深くて長い眠りについて……それから前世の記憶を朧げながらゆっくりと思い出すまでに何か月? ……ううん……何年経ったのだろう?……)


 《すまなんだ。長寿の自分にとっては然程気にする期間ではないと思うて、其方の傷が完全に癒えて、半龍人の身体に慣れるのを優先してしまったばかりに……》


(あー。それは仕方ないよ。前にも言ったけど、そのおかげで二度も死なずに済んだのだもの。


 ただ少なくとも、若木や草の成長と焼けた民家の状態を見るに、森の中に逃げ込んだ時期より、それ程年月は経ってなさそうだね)


 焦げた木々の立ち並ぶかつての森だった地を小さな足で抜けていくと、城があった場所や、民家があったらしい崩れた瓦礫などがある場所を見て回った。


 焼け跡の風景には胸を締め付けられるが、彼女は前を見つめた。過ぎたことを悔やんでも仕方がないからだ。今、今日からのことが大事なのだからと。


(ここが人の住める場所に変わるまでには、また長い時間が必要そうだね……父王様達、王女でも分け隔てなく接してくれた国民のみんな……どうか安らかに……その魂が次の世へ生まれかわれますように……)


 《……其方の家族も、我を祀り讃えてくれた国の者達も、みな気のいい者達ばかりであったのにな……残念だ……》


 二人は暫く、納得するまで、かつての祖国だった土地を見て回った。






(……じゃあ、そろそろ行こうか)


 《……本当にもう良いのか?》


(うん。聖域を出る前にも言ったじゃない。起きてしまった過去を戻すことはできないのだから。今ここにある事実を認めるしかないからね。だから今必要なのは、これからどうやって生きて行けばいいのかという現実だ)


 《そうだな……我の最後の仲間の気配が消えて無くなった時も、なんとも言えぬ感情がわき起こったが……デュリサが受け入れるなら、我も共に進むしかありまい》


(だからさ、デュークロード。とりあえずこの世界の発展や文化なんかを知り、生きていくためにも、先ずは人が少ないところから行くのがいいと思うんだけど……)


 王女としてデュリサが学んだ異世界の地理と、デュークロードがたまに遊びに出かけた知識を拾い出してもらうと、思い当たる国名が出てきたようだ。


(オクト小国ってところがよさそうだね。大陸の辺境で、あまり目立たないみたいだし」


 オクト小国。


 デューク天龍国から少し離れた、人材に乏しく軍事力も高くない小さな国のようだ。


 長年攻められる心配がなかったため、平和だが少し停滞気味の土地だ。創造神を主神とする、この世界ではごく普通の信仰が広がっている。


 《では、行くとするか》






 *****






 数日間の旅の末、デュリサはオクト小国の森にたどり着いた。


 3歳の幼い身体での移動は思った以上に大変だと思ったが、森羅万象の力が彼女を助けた。


 木々が道を示し、小動物たちが危険を知らせてくれたから。


「疲れた……」


 彼女は木の根元に座り込み、小さなため息をついた。その時、遠くから人の声が聞こえてきた。


「おい、あの辺りに魔物の気配がするぞ!」


「気をつけろ!  まだ近くにいるかもしれん!」


 大人たちの声だ。


 デュリサはきょとんとした表情で声のする方を見た。数人のほとんど茶髪茶目の男女が、武器を手にしながら森の中を進んでくる。どうやら魔物退治に来た村人たちのようだ。


 彼らはデュリサを見つけ、驚いたように目を見開いた。


「お、おい……子供だ!」


「こんな森の奥に、1人で?」


「怪我はないか?」


 1人のたくましい男が近づき、デュリサを見下ろした。


 彼女は無邪気に首をかしげた。年齢が幼くなっているおかげで、遠く離れた土地の小王国の元王女だとは、誰にも気付かれない。服装も、聖域で自然に生まれた銀色の簡素な服で、特別な身分を感じさせない。


「お名前は?」


 優しそうな女性が声をかけた。


「……デュリサ」


 彼女は少し考えてから答えた。名字は伏せておこう。


「家族は?  どこから来たの?」


 デュリサはうつむいた。悲しそうな表情を作るのは、そう難しくなかった。本当に家族を失った記憶が、彼女の中にはあったからだ。


「わかんない……」


 大人たちは互いを見つめた。孤児か、はぐれてしまったのか。こんな幼い子供が森の中で1人でいるのは、明らかに危険だ。


「よし、とりあえず村に連れて帰ろう」


 最初の男が言った。


「孤児院に預けることになるかもしれんが、ここに置いておくわけにはいかん」


 デュリサはそっと頷いた。計画通りだ。まずは人の社会に溶け込み、この世界を理解することから始めなければ。


 《大丈夫か》


 デュークロードの声が心の中で響く。


(うん。大丈夫)


 彼女は心の中で返事をした。


(これで、1歩目を踏み出せたよ)


 大人たちに囲まれ、村へと向かう道を歩きながら、デュリサは空を見上げた。青い空の向こうに、かつて龍達が舞っていた時代を思い浮かべた。そして、滅ぼされた祖国のことを。


(いつか、きっと)


 彼女は小さな拳を握りしめた。


(全てを理解する日が来るだろう。それまでは、生きていかないと)


 左右色違いの瞳が、決意の光を宿して輝いた。金と赤が、異世界の空の下で、新たな物語の始まりを告げているかのようだった。






 *****


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