9 エランダ 対 北宝宮の妻室たち①
見合い相手のエランダから謎の助言をもらったカイン若候。
怪しむケットナーと、どうにもエランダの言葉が気になるカインの元へやってきたのは…
フレーテスム宮はしばらく騒ぎになっていた。
見合い相手、エランダ嬢がいなくなったからだ当然である。
その昼刻のこと。謁見の間に彼女の侍女がやってきて、こんなことも言った。
「見つかりました。ですがやはりエランダ様は御気分が優れない様子でございまして、そのまま、割り当てて下さいました寝室にて休養させて頂いております」
殊の外、俺の目にはエランダ嬢は大変元気に見えたのだが、慇懃に深く頭を下げる侍女を見て多くは問わず、
「わかった。見合いは可能なら明日以降にしよう」
とだけ告げ、俺たちも謁見室を後にした。
「まあ真偽などどうでも良いですがね」
廊下を歩く最中、俺の背後でケットナーが言った。
「婚姻を申し入れておきながら勝手に中断する。格下の士爵ゆえ礼儀など多くは求めませんが、若候がかような侮辱を受けたのです。縁談は断ってしまいましょう」
「………………」
俺が即座に頷かなったからか、ケットナーは憤然としたまま腕組みをし、「逆を申しましょう」と鼻を鳴らした。
「士爵位の嬢からすれば遥か目上の公爵家との見合いです。私が士爵の者なら脳のミソに病があろうが、血反吐を吐こうが、這ってでも席に座って御覧に入れます」
それほどこの見合いは格差があると言いたいのだろうし、ケットナーの言葉に一理あるが、見合い中に無理をさせて相手方に死人を出したらそれこそ公爵家の不名誉だと俺は聞き捨てることにした。
☆ ☆ ☆
しかし、奇妙なことは続くものである。
午後を過ぎてのことだった。
俺は何となくテムズ山脈に沈みゆく夕陽を、自室の窓から眺めていた。
エランダが指定した時刻、それは『テムズ山脈の狭間に陽が堕ちる頃』なのだが、
(彼女は、俺の部屋からこれが見えるってどうして知っているのか)
俺の部屋の窓からは都を囲む自然の要害、テムズ山脈の壮大な景観が広がっている。
屋敷の西方にテムズ山脈があるのは誰でも知っていることだから、知ろうと思えば知ることはできる。
特に彼女を疑ったり、その知識を不思議がるような事でもないが、
(ただ、俺が水時計や火時計を使わず、テムズ山脈に差し掛かる陽の傾き具合で時刻を判断する癖があるってのを彼女は知って言ったのだろうか? それとも偶然か?)
偶然であってもおかしくないから偶然とも言える。むしろ深く考えすぎているだけで、そう思うのは俺が彼女の言動を気にしている証左だ。
と、俺は考えるのはそこまでにし、扉の前で控えていたケットナーの方を振り返る。
すると彼は「若侯」と膝をつき、進言してきた。
「エランダ嬢が指定した夕刻。嬢がいる場所は3つ考えられます」
「3つ? サテランだけじゃないのか?」
「すべてがミンス家やエランダ嬢によって仕組まれた罠であるとするならば、可能性は3つです」
「…………ふむ。試しに言ってみてくれ」
俺を護るケットナーが他人に用心深いのは当然だ。。
仕組まれた罠というのは多少大袈裟な感はあるが、今日、エランダの奇行や、ミンス家の侍女や女医の言葉、これだけ奇妙なことが起きたのである。
「続けてくれ」
俺が促すと「ひとつはサテラン」ケットナーはこう続けた。
「サテランでなければフレーテスム宮にあるミンス家に割り当てた控室。彼女の寝泊まりする房宮です」
「なるほどな。最後のひとつは?」
「サテランの影に潜み、若候を狙う」
「なるほど暗殺か。ってそれは考え過ぎだ」
俺を殺したいならやり方はいくらでも他にあるからだ。
最も警戒される初日でいきなり襲い掛かるのは愚作の極みと言えるからそれはないだろう。
逆に警戒されているから暗殺はないという油断を狙うというのも考えられるが、だとしたらあの奇抜な行動の説明がまったくつかなくなる。
(つまり疑うなら疑うで、もう少し泳がせて様子を見る必要があるってことだ)
スパイであれ暗殺であれ何であれ、少なくとも彼女は俺に何かの用事がある。それだけは間違いないと言えた。
俺は「まあ心配に一理はある」と、ケットナーを落ち着かせる。
「とりあえず、注文通り2人でサテランへ行くか?」
「ミンス家の侍女と、それから北宝の者たちにはどう告げましょう?」
「そうだな」
と、俺とケットナーがそんな会話をしていると、部屋へ――1人の侍女が現れた。
「誰だ?」
「さあ?」
驚くことに見覚えがないのである。ケットナーは「おそらく北宝宮の侍女かと」そう耳打ちをしてきた。
侍女は、一通りの礼儀をしてみせてから。
「本日、北宝の主。マゼンダ小主と――アルギス伯閣下が妻室【虞群公淑主】様が来宮されます」
「なにっ!」
お読みいただきありがとうございます。
面白そう、続きが気になる、ってなったら是非ブックマーク、評価ポイントのほうもよろしくお願いいたします。