3 カインとケットナー ~忠実なる臣~
今でも俺の背やふくらはぎに罰の跡が残っている。
親父や兄貴たちも知って止めないところを見ると、やはり俺に非があるってことなのだろう。
ところがその侍女だけは違った。
『良いのですよ。こういう部分が気になるのは殿方の常ですから……。何だったらもうしばしご覧になられますか?』
『い、いや、結構だ。忘れてくれ!』
俺は抗いがたい彼女の誘いから大きく体ごと反らして、目を背けた。
俺の住む屋敷の一角、フレーテスム宮(これが母親に割り当てられた宮房だ)。そこへ本屋敷や兄たちが住む各宮から侍女や稽古師範たちが派遣されるのだが、厳しい彼らの中、彼女だけは俺に優しくしてくれていたのである。
それだけではなく。
子供ながらに、どの宮から派遣された者かで厳しさが違うことも悟っていた。
特に三男のいる北宝宮から派遣される者はひときわ厳しかったから、そこからやってきた彼女には正直、畏怖も抱いていた。
彼女はよく味方してくれるだけではなく、こういった俺を正しく躾けるための厳しい規則を少し和らげてもくれる。
――あと、妙にドジだった。よく転ぶ。
部屋の床でよく転び、跳ねたスカートの裾から足が見えてしまうのだ。
けれど。彼女は【女性の肌を見てしまった罪】を侍女長に密告しないでくれた。
『えへへ。私も駄目ですね。カイン様にいずれお暇を申し出される日も遠くありませんね』
『い、いや……。い、今のは仕方がない』
ドジだが、照れて笑う彼女の笑顔は安全で、心から落ち着けた。
……やがて……2人きりの時間が欲しいと俺の中で悪い芽が育ったんだ。
本当に出来心である。
ドジな彼女がその日、3度目となる転倒をして……ベッドの角に頭をぶつけた。慌てて抱きかかえ、医務室か侍女を呼ぼうとしたが、気を失ったかのように目を閉じる彼女の唇に惹かれ……。
――と、その瞬間だった。
侍女長が「今の音は何ですか!」とノックもせずに入り込んできて、世話係と抱き合う姿を見られてしまった。
『何たること! 何たることでしょう!』
侍女長は悲鳴をあげるように叫ぶから、フレーテスム宮にいる侍女や執事たちまで集まってしまって大騒ぎとなり。言い訳する暇もなかった。
『すべては私の不注意。怠慢。アルギス伯爵候にすべてを明かし、お暇させて頂きます!』
彼女が何を親父に言ったかはわからないが、女性に対する不躾、教育怠慢の罪で彼女はそのまま職を辞した。
言い訳もなにも、俺が世話係を抱きかかえた時、邪な感情を抱いていたのは事実だから……反論もできない。
自業自得だから仕方がないとしても、都中でさらに尊号が付けられることに至った。
『アルギス家の出来損ない』に加えて――『変態』。
出来損ないの噂が育つことは無かったが、変態の尊号は教育期間を過ぎてなお、ひたすら育ち続けた。
うっかり話しかけてしまった侍女からは【ハラスメント扱い】で罪状が重ねられるから、俺は話し相手らしい話し相手を持たない。
誤解でもなく、わりと俺の根が不躾なのは真実だから受け入れるしかないし、19を過ぎる頃には後継者や噂の事などどうでもよくなっていた。
荒れた生活を送る。
教育係もいなくなり、それなりの自由を得た俺は伯爵家の財産(本屋敷の連中からすれば爪の先ほどのものだろうが)を利用し、飲み屋街を徘徊するようにもなっていた。
名を伏せての賭博、飲酒。下町遊び。
不思議なことがあるとすれば、自堕落な生活を送る俺を咎める者は伯爵家にはいなかったことだ。
……ただただ、【出来損ない】の噂ばかりが広がる。
そういった月日を過ごし、誰もフレーテスム宮に近寄ろうとはしなくなった頃。
母親の実家からケットナーがやってきた。
『これからは私が若候のすべてを世話いたします!』
ケットナーの言葉は嬉しかったが、と、同時に、よくあの厳しい本屋敷での面接が通ったなと思うくらい浅学だった。
字が書けないというから俺が教えた。世話のかかる世話係である。
が、申し訳なくも思う。
「すまないな。俺がバカなばっかりにお前まで変な噂に巻き込まれて」
「いえ。根も葉もない噂です。若候はさような方ではございません」
「踊り子のいる酒場に入り浸っていたのは本当だぜ?」
ケットナーがやってきてかれこれ3年になるか。
下町遊びが板について、言葉遣いは立派なロクでなしになった俺だが、これまた不思議なこと、ケットナーがやってきてから俺は下町へ行かなくなっていた。
彼に申し訳ないと思う気持ちも、俺のせいで辺境の地へと流刑になったあの侍女のこともある。
とはいえ「こんな俺に仕えても良いことねえぞ?」そう言ってもケットナーときたら「マルレーン様の忘れ形見にございますれば」と頭を下げるばかりでフレーテスム宮を出て行こうとしなかった。
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