2 罪と教育 ~軟弱の罪~
「若候。ご無事ですか?!」
俺付きの執事――【ケットナー・シュバインス】の慌ただしい声が聞こえ、ドンドンドンと激しくノックされる。
ああ、ちなみに俺は【若候】ではない。
若候は公爵家の男児の尊号であり、俺はアルギスの落ちこぼれだから誰からもそう呼ばれはしない。
ともあれ、俺はすぐに「何でもない」とケットナーに一言告げ、寝汗びっしょりな服を着替えることにした。
しかし。
「――若候はやめろ」
扉を開いて迎え入れたケットナーにそれだけは言っておいた。
金髪のケットナー。長身な彼は俺が現れるなり膝を付き、
「いえ、若候は若候です。誰が何と言おうと私の中で若候は若候であり」
「ああもういい」
俺はケットナーの言葉を止めた。
ややこしい話だが、俺の母親は長男~三男までと違い、第三夫人――3番目の側室だ。
が、夫人とは名ばかりである。
長男と次男は正室の子で、三男は側室の子だ。また三男の母親は側室は側室でも親父が溺愛した側室の子だから格が違う。
しかし俺の母親は違い、遠縁の没落した士族の娘だ。
遠くとも一応縁戚に当たる親父が、食う物にも困っていた哀れな母親を見かねて屋敷へ招いた、つまり娶ったことに起因する。
しかる後、出来心で生まれた俺こと四男には、それ相応な待遇が待っていた。
兄たちは特に気にしない素振りを見せるが、兄たちの嫁が恐ろしいほど俺の母親を憎む。
正室と第1夫人(および他夫人)が結託し、幼い俺の前で母親をいびり倒していたのが記憶にある。
が、それらは十数年も前の話だ。
俺の母親は――ある意味、運が良かったのか――流行り病で亡くなり、それ以上の虐待を受けずに済んだ。
天寿を全うできた、とは言い難いが、食う物にも困っていた母親は立派な公爵家の屋敷で最期を迎えられたのだから「人としては本望だっただろう」と。葬儀の時、親父――アルギス公爵候がが俺にそう言った。
話は戻るが、【金髪のケットナー】。
彼は俺より8歳上で、今年32の男だ。(俺が24だな)
こうして膝をついて喋るにも一々仰々しいのは身分の問題もあるが、彼が母親の甥にあたる血縁の男だからだろう。
事あるごとに、
「亡き奥方様の忘れ形見。このケットナーが必ず若候を公爵跡取りにして見せます」
「いいからやめろ。間違ってもその台詞を本屋敷で言うな」
というのがケットナーとのいつものやり取りだ。
同時に、俺は今朝見た夢でも「同じことを聞いたな…」と呟いてしまう。
「如何いたしましたか?」
「いや、なんでもない」
ついボーっとしていた俺にケットナーが怪訝そうな表情を浮かべていた。
いつも同じやり取りしていたので夢で見るのもおかしくはないだろう。
「――それより」と俺。
「例の話はどうなったんだ?」
「…………」
俺が問うと、ケットナーは頭を深く下げたまま沈黙した。
夢で同じことを体験したからか、あるいは、これもまたいつものやり取りだからか、俺は彼の言葉を聞くまでもなく答えがわかってしまう。
「また……断られたか……」
そう俺が呟くと、彼はさらに頭を深く、床につけるが勢いで、
「……申し訳ありません」
「お前が謝ることじゃないだろ」
「……は、申し訳ございません……」
…………。
あまり触れたくはないが、ケットナーは意外とこう……何というか……忠義には厚いがバカである。
兄嫁たちに『仲が良い主従だこと』と言われるが、実際には『バカ同士、良いコンビだ』と笑わているんだろうな。
ケットナーはようやく吐き出すように俺に事実を告げた。
「子爵令嬢――ラレェテ様から今朝、正式に【縁談断り】の文が送られて参りました」
「そうか……」
断られるのは何となくわかっていた。
だが、手紙でというのが悔しいな。面と向かって断られたら気が済むのかって話じゃないが……公爵家は最も王家に近い最上位の地位だ。
4男の俺に爵位が継がれることはないが、傍から見ればそれなりに裕福な実家だ。
それでも断られるというのは、理由があるからである。
「やっぱ俺の産まれと評判の悪さのせいか」
「滅相もございません。さような事、どうか仰せになられないでください」
「いいって。全部真実だから」
俺が――【伯爵家の落ちこぼれ】と陰口を世間で叩かれているのは本当の話で、ケットナーも知っているだろう。
5歳にして母親を亡くした俺は、幼くにして結構なグレ方をしていた。
長男は憐れんでくれたのか母親に頼み、正室の力で立派な教育係を付けてくれたが、俺はアホ過ぎて、教育係の期待に応えられなかった。
他にもそれぞれの兄が母親に頼んでくれて世話係だ侍女だと遣わせてもくれたが……出来損ないの俺には返ってそれが仇になった。
『4男カインは出来損ない。見込みなし』
実に反論できない事実だが、屋敷中、果ては都中に俺の噂は広まってしまっている。
思い出したくもないが、いちばん問題になったのは15の時の【侍女問題】か。
(俺の初恋っていうんだろうな……)
思い出したくもない醜聞なのに、思い出してしまうのは今でも彼女の事を心のどこかで思っているからだろう。
厳しく当たってくる教育係とは違い、俺に優しかった。
過酷な剣術の稽古。ひたすら鉛の入った模擬刀を振り続けさせられ、筋肉痛を通り過ぎて麻痺しかけた俺の腕を彼女はさすってくれた。
『カイン様……。こんなに腕をくたびれさせて……。お可哀相に……』
ただ部屋を片付けたり食事の世話をしてくれるのが役目の女中なのに、彼女は俺の腕を揉んでくれた。
だが、つい、その時、俺のすぐ隣、ベッドに腰掛ける彼女の衣服の間。
甘く香り立つ胸元に目がいってしまった。
が、盗み見てしまっていた俺の視線に気づき、彼女は手を胸元に手を当てる。
『カイン様……どこを見ていらして?』
「す、すまない。偶然だ」
俺はハッとし、彼女から目を反らした。
咄嗟に教育係だった侍女長の言葉を思い出す。
『女性の体を見てはなりません。触れてもなりません』
これは大きな罪なのだと知っていたはずなのに。
いつぞや、屋敷内の廊下ですれ違っただけのメイドに目をやってしまうだけで、侍女長は何処からともなく走って来て――俺に棒叩きの刑を処したからである。
『なんと厭らしい! なんと穢らわしい!』
女性を(厭らしい目で)見た罪。
そのつもりもなかったが、有無も言わさず叩かれるところからして、俺がそういう雰囲気を醸していたのだろう。
さらにというか。
叩かれ続け大泣きしてしまった俺に【泣いた罪】まで加わり、棒叩きの回数が増してしまう始末だった。
この泣いた罪というのは重い。なぜなら侍女長は女性だからである。
『女の私如き細腕に叩かれて泣くなど、情けのうございます! これらはカイン様のためです! 愛の鞭です!
兄様方はあのように立派なのに! 女を盗み見るようなはしたない真似をし、なおかつ、女に叩かれて泣くなど、亡きマルレーン様がご覧になられればどう嘆かれることやら!』
彼女の言い分はもっともだ。
……しかし。叩かれた皮膚が裂け血が吹き出るその痛みは、軟弱な俺にはとうてい涙を流さず耐えられるはずもなかった。
情けないことに、侍女長に許しを乞う言葉を吐いてしまい、その軟弱さが彼女をいっそう激怒させてしまう。
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