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   (二)聖女の帰還

 聖女リリエルの帰還は、一夜にして神殿中に知れ渡った。リリエルが行方不明になった事実は伏されていたので、表立って騒ぎにはならないが、次の聖女の座を狙っていた者達には衝撃的だったようだ。朝から忙しなく動いているのが、セシルには見てとれた。

「どういうことなの」

 一番衝撃を受けたであろうカリンが詰め寄ってきたのは、早朝礼拝が終わってすぐのことだった。セシルは人目につかないよう、礼拝堂の隅に移動した。

「……どういうこと、とは?」

「とぼけないで。リリエルのことよ」

 焦燥を露わにするカリンを、セシルは見つめた。今年で十九となるカリンは同年代ということもあり、リリエルと浅からぬ因縁がある。

 カリンは自分を差し置いて聖女に選ばれたリリエルを疎ましく思っていた。憎んでいたと言ってもいい。

「……何笑っているのよ」

「いえ、ただ」

 セシルは口元をおさえた。

 食事に虫を混入させたり、履物にガラスの破片を仕込んだり、祭儀用の礼服に血のりをべったり着けるなど可愛い方。式典の時間変更をわざと伝えなかったこともあったし、嘘の伝言でリリエルを外にやり門扉の鍵を掛けてまんまと一晩外に締め出したこともあった。

 そして耐えかねたリリエルがカリンに詰め寄ると、公衆の面前で「淫売聖女の逆恨み」と嘲笑った。他の使徒達も、侍祭も見習いでさえも一緒になって嫌がらせをしていた。

 散々な仕打ちをしておきながら、今さらリリエルの動向を気にするカリンが滑稽だった。

「私も詳しくは知らないわ。シャーロット大司教様に彼女の世話をするよう頼まれただけですもの」

「あんた、よくそれを引き受けたわね」

 カリンは顔をしかめた。

 献身した時点でそれまでの身分は捨てるのが慣わしだが、実家との繋がりが完全に絶たれるわけではない。商家の令嬢であるカリンも例に漏れず、神殿に莫大な寄進をすることで便宜をはかってもらい、見習いがすべき雑用や庶務を全くしないまま使徒になった。

 カリンは下々がするべき雑用を自分がするなんて考えもしない。ましてや、娼婦の娘であるリリエルが自分を差し置いて聖女にだなんて、断じて認められないのだ。

「ご命令ですから。拒む理由もありませんし」

「どうせあれはルルニアでしょう」

 カリンは腕を組んだ。

「リリエルが、生きているはずがない。マレ教徒に攫われて他の信徒達は行方不明のままなのに、聖女一人だけ戻ってくるなんてありえないわ。シュアルだって咲いたのだから」

 カリンの口調は問い詰めるというより、自分自身に言い聞かせているようだった。

「めったなことを言うものではないわ。聖女リリエルは戻ってきた。九日後に新しい聖女は選ばれる。それでいいじゃない」

 なおも言いたげなカリンに、セシルは背を向けた。カリンのようにリリエルを疎ましく思っているなどという誤解を招くのは避けたい。

 礼拝堂を出て、神殿のさらに奥へと向かう。歴代の聖女が使う部屋で、リリエルは療養している——という名目で、聖女として振る舞うに必要な知識を頭に叩き込んでいる。

 次の聖女が正式に選ばれて継承か完了するまでおよそ二ヶ月。公には『聖女リリエルはしばらく体調を崩していた』だけなので、挙動に大きな変化が生じれば言い訳がつかないのだ。ルルニアには一ヶ月前と相違ない『リリエル』を演じてもらわなくてはならない。祭儀の手順から祈祷の言葉、神殿外の主要な人物の顔と名前、関連情報と覚えることは多岐にわたる。

 はてさて膨大な量の資料をルルニアには渡しておいたが、どこまで目を通せただろう。最低限の知識に絞っておくべきか。

 思いを巡らせながらセシルはリリエルの部屋に入室し、目を丸くした。昨日机に置いた書類が綺麗さっぱりなくなっていたのだ。

「どこかに移したの?」

「いいえ。持ち出し厳禁と伺いましたので、読み終えた後に書物は図書室に戻し、資料は燃やしました」

 ルルニアは平然と言った。その手にあるのは教理について論じている分厚い書物だ。

「あの量を? 一日で?」

「多少は存じておりましたので」

 たしかにリリエルの一番近くにいたのはルルニアだ。普通の使徒よりも聖女に関する知識はあるだろう。しかしふた山分の資料をたった一日で覚えるとは思わなんだ。

 さらに驚くべきことに、暇を持て余したルルニアは祭儀室に足を運び、中の整理と掃除をしたという。高価な銀食器や祭具を保管する部屋なので、普段は誰も立ち入らない——人目につかないので問題はない。しかしどう考えても聖女がやる仕事ではなかった。見習いか下働きがやることだ。

「献品の記録と保管品一覧との付け合わせはまだ途中ですが、明日には完了するかと」

「何もそこまで……大変でしょうに」

「気がまぎれますから」

 リリエルはさらりと付け加えた。

「あとネズミが侵入しているようなので、対策を講じました」

「ね、ネズミ……」

 セシルの身体が震えた。おぞましいことだ。平然とネズミ駆除をこなすルルニアが信じられない。『虫も殺さぬ聖女』はどこへ行った。

 庶民じみた感性は生まれによるものだろう。カリンならばどんなに暇でも絶対に整理や在庫管理はしない。

(そういえば、リリエルも洗濯とか自分でやっていたわね)

 彼女の場合は、使用人達が「娼婦を聖女としては認められない」との理由で世話を拒否したのでやむなく身の回りのことも自分でやっていたのだが、ずいぶんと小慣れていた。手が荒れるのも気にしていなかった。下町生まれゆえのたくましさだろう。ルルニアも一緒に掃除や洗濯をしていた。

「もしかして昼食も」

「食堂に下げて食器は洗っておきました」

 下働きに持ってこさせたスープの皿もスプーンもなくなっていた。言い方は悪いが、ルルニアも下っ端根性が抜け切れていないようだ。

「今は聖女なんだから、他の人にやらせないと。それと私に敬語を使わなくていいわよ」

 むしろセシルが敬語を使わなくてはならない立場だ。同期の仲で目をつぶってもらっていたが。

「……ええ。努力するわ」

 そつなく応じたルルニアに、セシルは息を呑んだ。ゆるく弧を描く薄い唇。宝石のような美しい瞳を細めてる様には穏やかさと気品がある。ルルニアのそれは、記憶の中にあるリリエルと寸分違わない微笑だった。双子だからといってこうまで似るものなのか。

 衝撃を受けたセシルは気づかなかった。

 祭儀室にあるのは宝石や貴金属。ネズミが好む食物の類は一切ないということを。


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