皇子殿下?
厩舎の近くに抜け道があるなんて知らなかった。
そこを使えば、街までそう遠くないらしい。
エドモンドの少しうしろを歩きつつ、その背に問いかけてみた。
「閣下、ってなんですか?」
そんなふうに。
すると、彼は立ち止まって体ごとこちらに向いた。
「約束してくれるかい?これまで通りの呼び方と態度でいてくれると」
その意味はよくわからなかったけど、とりあえず小さくうなずいた。
「そうは見えないだろうけど、わたしはこれでも一応将軍なんだ。閣下というのは、将軍閣下というわけ。リベリオはわたしの参謀で、モレノはわたしの副官だ。二人はわたしの幼馴染のような存在で、暗黙の了解で時と場合によって呼び方をかえるんだ。でっ言いにくいんだが、その将軍というのもお飾りというかお情けというか……。わたしは、皇族なんだ。だから、将軍という地位をあたえられている」
「将軍で皇族?」
偉い人だとは推測していた。
皇族専属の馬の調教師が「坊ちゃん」と呼んだり、リベリオとモレノが「閣下」と呼んだりしているのだから。
ソルダーノ皇国の皇族と言えば、皇太子のベルトランド・スカルキが一番最初に思い浮かぶ。
かれは「氷の貴公子」と呼ばれ、冷徹怜悧な人物であるときいている。
つまり、血も涙もない人物である、と。
その外見は、だれもがはっとするほど美しいらしい。
だけど、その性格はすごいらしい。
とにかく、すごいらしい。
その皇太子のことが、頭に浮かんでしまった。
「まさか、「氷の貴公子」ではないですよね?」
思わず冗談を言ってしまった。
すくなくとも、彼は噂とはまったく異なる性格である。
一口に皇族と言っても、いろんな人がいる。
すこしでもその血が混じっていれば、皇族とか王族に加わりたがる。
いいえ。血が混じっていなくっても、無理矢理加わりたがる人もいる。
彼は肩をすくめつつ、気弱な笑みを浮かべた。
「それは、わたしの兄のことだよ。わたしは、弟だ。つまり、皇子の一人というわけ」
う、嘘でしょう?
わたしが呆然とする中、彼はまた肩をすくめた。
ど、どうしよう……。
よりにもよって、わたしの国を滅ぼした国の将軍であり皇子?
「驚くにきまっているよね。だますつもりもごまかすつもりもなかったんだけど……。いつかは言うつもりだった。だが、知ってしまえば、きみはかわらざるを得ないだろう?それが嫌だったんだ」
今度は逆に、彼の肩が落ちてしまった。
「だれもかれもがそうだからね。幼馴染みたいな存在のリベリオとモレノでさえ、ある程度の年齢になったら一線をひいてしまった。わたしに気をつかわないのは、ファビオくらいなものだよ。いまだにわたしのことを坊ちゃんと呼び、リベリオとモレノにいたってはガキあつかいだから」
彼が笑ったので、わたしも笑ってみた。だけど、ひきつった笑みにしかならなかっただろう。
「だが、きみはもともとこの皇国の人じゃない。だから、ある程度心やすく付き合えるかなって」
彼が行こうとうながしてきたので、また歩きはじめた。
そうじゃないの。そうなのかもしれないけど、そもそも問題はそこじゃないの。
「ですが、やはり……。いくら国がちがっても、あなたとぼくとでは身分がちがいます……」
「そんなことを言うなよ」
彼は、首を左右に振った。
「貴族やら軍の上層部やら官僚なんかは、兄やわたしに近づいてきてにこやかに話はしてくる。だが、そのほとんどが打算と欲にまみれている。親友と呼べる者は、リベリオとモレノだけだ。だが、彼らも皇子という立場にたいして遠慮がある」
ええ。よくわかります。
わたしも、親族をのぞけば心やすく接することが出来たのは馬だけだった。
同じくらいの年齢の貴族子息や令嬢だって、彼ら自身の打算に親の打算が加わって、ゴマをすったり持ち上げたりなだめすかしたり……。
とにかく、だれもかれもがわたし個人ではなく末っ子王女様としか見ていなかった。
だから、彼の気持ちがよくわかる。
「せめて二人っきりのときは、これまでと同じようにすごしてくれないだろうか」
彼が顔だけこちらに向け、懇願してきた。
一瞬、心苦しくなってしまった。
彼をだましている。しかも、二重にである。
性別、それから身分……。
このままでいいのだろうか。彼をだまし続けてもいいのだろうか。
彼は、わたしの国を滅ぼした国の皇子である。しかも、生き残りであるわたしを捜しだし、処刑しようとしている。
本当のことを告げれば、彼はわたしを殺すだろうか。
わたしを、断罪する側にまわるだろうか。
たしかに、死ぬのは怖い。この国の処刑方法は知らないけれど、首を剣で斬られようと、断頭台でバッサリ落とされようと、吊られてしまおうと、想像しただけで怖くなってしまう。
それ以上に、エドモンドを、彼を傷つけることのほうがもっと怖ろしい。
わかっている。このまま隠し通せるものじゃない。
いつかはつきとめられる。いつかは、バレてしまう。
そのときのほうが、彼の傷はひどくなる。
だけど、わずかな間だけでも、この友情を続けたい。
「ミオ?ごめん。きみを困らせているね」
「いえ、いいんです。こんなぼくでよければ……」
曖昧な返答だった。だけどその途端、美形にうれしそうな笑みが浮かんだ。
「ありがとう。そうと決まったら、はやく街へ行こう。買い物を済ませてから、案内したいところがいっぱいある」
彼のうれしそうな様子を見、心が二重に痛んだ。
一つは、だましていることにたいして。
そして、もう一つは表現のしようのないものにたいして……。
控えめに言っても、彼とのひとときは楽しすぎる。
街の洋服屋で、とりあえずシャツとズボンを三着ずつ購入した。いえ、してくれた。
まだお給金が出ていないから、彼に借りるふうを装って。
試着は、全力で断った。
そんなことしようものなら、一発でバレてしまう。
店員にも出来るだけ近づかないようにした。
プロである彼らだと、体格で見抜かれるかもしれない。
『おおきめのサイズを……』
そんな大雑把な注文方法だった。店員たちは、一様に驚いていた。
とりあえずは大きめのシャツやズボンを購入し、あとで自分で手直しをするつもりでいる。