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「狂戦士」の馬が死んでしまった

「バルド、よくがんばってくれたね。ありがとう」


 駈足かけあしから速歩はやあし常歩なみあしへとじょじょに速度を落としながら、彼に何度もお礼を言った。


 そのとき、観客たちが騒いでいることに気がついた。観客たちは、ある一点を見つめたり指を指したりしている。


 馬首を返すと、ゴール地点の手前で馬が倒れているのが見えた。


 そうと認めた瞬間、バルドが速歩で駆けだした。


「この役立たずがっ!恥をかかせやがって、死んでしまえっ」


 近づくにつれ、観客たちのざわめきに混じって「狂戦士」の罵声がきこえてきた。


 彼は、倒れた馬を何度も蹴っている。


 それを見た瞬間、わたしの中で何かが弾けた気がした。


 気がついたら、倒れた馬におおいかぶさっていた。


 馬は、口から泡をふいている。かろうじて息をしているけど、それも時間の問題である。


「狂戦士」の罵倒と蹴りは、まだ激しく続いていてとどまることを知らない。しかも、彼は馬に覆いかぶさっているわたしに気がついているのか、それとも気がついていてわざとなのか、とにかくかまわずに蹴っている。


 背中といわず頭や腕など蹴られて痛いけど、それでも倒れた馬から離れたくない。


「やめろ、このくそったれ」

「はなれろっ!」

「やめないかっ」


 師匠とリベリオとモレノの怒鳴り声が近づいていて来て、蹴りつけられているのがやっと止まった。


 その直後、うしろで怒鳴り合いが始まった。だけど、そんなことはどうでもいい。


 こんなバカげた勝負をしたことを、悔やんでも悔やみきれない。

 しょせんわたしの勝手な信念や正義感からきたものである。


 危険な目に合うのは、バルドやわたしだけではなかったのだ。


 この馬がどうなるかまで思いいたらなかった。


 後悔してもしきれない。


「ごめんね」


 虫の息の馬の額に頬ずりをした。あたたかみを感じる。


 涙でほとんど見えないけど、バルドがその馬の額に自分の鼻を押し付けているのを感じる。


 わたしのせいだ。わたしのせいで、この馬は薬物や暴力で苦しんだ挙句に死んでしまうのだ。


「ミオ……」


 皇太子殿下の声がきこえ、肩に手が置かれた。


「いくらなんでも、ひどいな」

「ひどすぎる」

「非道この上ない」


 観客たちの非難の声がきこえてくる。


「ごめんね」


 謝ることしか出来ない。


 そのとき、馬の瞳がすがりつくわたしのそれと合った。


 馬の目に涙があふれ、それがすっと落ちて行った。涙は、一滴、二滴と調練場の地面に落ちて行き、シミを作る。


 それが、この馬の最期だった。ついに息を引き取ったのである。


 馬は、死んでしまった。


 わたしは、両腕で涙を拭うと立ち上がった。


「ミオ……」


 皇太子殿下に呼ばれたけど、無視をしてしまった。


「狂戦士」と言い争っている師匠とリベリオとモレノが、わたしの気配に気がついて場所をあけてくれた。


「あなたの馬は死にました。苦しんで苦しんで苦しみぬいた末に、です。あなたとぼくのせいです」

「あああ?どうせなら、この剣で首を斬り落としてやりたかったよ。役立たずの末路ってやつだ」


「狂戦士」は、これみよがしに腰の剣を左手で叩いた。


「あなたに何を言ってもムダなのですね」


 そう。この男には、何を言ってもムダだわ。


 さらに近づき、彼のすぐ前に立った。


「なんだと?おいおい、ヒョロヒョロの偽善者さんよ。おれはな、軍人だ。何かを殺すために生きている。動物だろうが人間だろうが、おれの敵と、おれの役に立たん役立たずはぶち殺してやるだけだ」


 彼は鼻で笑いつつ、人間ひととは思えないようなことを平気で叫んだ。


「グハッ!」


 そのとき、彼がふっ飛んだ。いいえ、訂正ね。わたしの目にはふっ飛んだように感じたけど、実際は彼の上半身がぐらついた程度である。


「この馬臭いガキがっ!」


 体勢を整えた彼の鼻から、ボタリボタリと鼻血が流れ落ち、彼の勲章だらけの軍服の上着を赤く染め上げて行く。


 ジンジンと痛む自分の右拳を見下ろしながら、驚いてしまった。


 なんてことなの?よりにもよって、彼を殴っちゃった。どうしてこんなことをしでかしたのよ?

 しかも、奇蹟的に拳が彼の顔面にあたっちゃったじゃない。


「この下層階級めっ!貴様もぶち殺してやる」


 彼は甲高い声でそう叫びつつ、腰から剣を抜いた。


 観客の中から、いくつもの悲鳴が上がった。


 なんなの、この程度の低い男は?わたしのことをガキ呼ばわりするけど、自分はガキ以下の知能と常識と節度しか持っていないじゃない。


 わたしの感情は、彼の凶行とも言える行動を目の当たりにしてしだいに落ち着いてきた。


 それにしても、彼のことは言えないわよね。わたしだって、彼にたいして暴力を振るってしまったのだから。


 というよりも、彼を怒らせてしまった。

 いま彼は、わたしを斬る気満々のはずよね。


「いいかげんにしろ、アルセーヌッ!」


 そのとき、皇太子殿下が「狂戦士」からわたしをかばうようにして間に入って来た。


 そうだった。すっかり忘れていたけど、「狂戦士」の本名ってアルセーヌなのよね。


 全然アルセーヌって感じじゃないけれど。



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